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2015. 8. 9. Sun
そして8月9日
もう一日忘れてはいけない日
1945年8月9日午前11時2分
一瞬の雲の隙間が運命を決した日
長崎上空でさく裂したものは
広島のウラン型原爆と異なる
プルトニウム型のもので
当初は小倉上空がねらわれていて
天候や煙幕が邪魔していなければ
広島の約1.5倍の被害が出ていたと
想定されるほどの破壊力を有し
明らかにその威力を確認するべく
使用された兵器といわれます
私は過日の記事にも書きましたが
復興後の広島で生まれました
長崎には中学2年の3学期から
中学3年の2学期までの約半年強
生活を営む機会があり
意図せず両方の被爆地を
肌身で感じる機会に恵まれました
その見聞が身体に深く刻まれていて
事あるごとに様々な思いが
脳裏をよぎります
やはり我らの世代が語り継がなければならない
重要な情報だと思います
今日は下記情報にも目を向けてください
長崎市への原子爆弾投下
長崎市 平和・原爆
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