TUBUYAKI

 

 2018年10月21日(Sun)
 貫太、秋刀魚が焼けたよ

貫太が10月19日午後15時35分に旅立った。 
私に抱かれ胸の中で、夫に見守られながら息を引き取った。 
貫太は稀に見る甘えん坊の「抱っこ猫」だったが、逝く時もやはり抱っこしたままだった。 
子供の頃患った鼻気管炎を生涯持ち、癲癇の発作もあった貫太にとって18歳5ヶ月は本当に頑張った年月だったと思う。 
私達が辛い時や悲しい時いつもそばにいて、その存在だけで私達を慰めてくれていた。 
失って改めてその存在の大きさと、かけがえのなさを感じている。 
 
貫太は度々起こる発作のため6年前から血液の流れを良くする薬を飲んでいた。 
その時に調べた血液検査で腎臓病の初期段階だと言われ、食事を全て療養食に変えた。 
その後はそれなりに元気に過ごしていたのだが、今年の2月に突然食事をしなくなり、病院に連れて行くとすでに腎不全はステージ4になっていた。 
食事を色々模索しても減って行く体重をどうしても止められなかった。 
 
私が9月の遠征を終え10月に入ってからは、ふらつく足の貫太と24時間を共にした。 
亡くなる4日前にはとうとう寝たきりになり、2日前には食事も受け付けなくなっていた。 
寝たきりでも時々鳴いて手を招き、夜中でも私に抱っこをせがんだ。 
抱っこをしてやるとうっとりと身を任せた。 
朝は抱いてベランダに日向ぼっこに行ったり、いつもの窓辺を眺めたりしていた。 
 
食事もあまり食べなくなりつつあった貫太が、夕食の食卓に秋刀魚を出すと頭を上げて鳴いたので、身をほぐして与えると「世の中にこんなに美味しいものがっ!」とハグハグ食べた。 
 
亡くなる日の午後、もう長くないことがわかっていたので、最後に大好きな秋刀魚を食べさせてやろうと生秋刀魚を買いに出掛けた。 
帰宅すると夫が貫太を抱いていて「しんどそうやで」と言って私に預けた。 
そして貫太を抱いたまま1時間半後に息を引き取った。 
 
キッチンに3尾の生秋刀魚が残ったままだった。 
 
心が張り裂けそうに苦しかったり、涙が止まらなかったり、貫太のことばかり考える時間は、時が過ぎて行くとともに、心の中にある「引き出し」に静かに収まって行くのだろう。 
時々その引き出しを開けて、甘くて切ない想いとともに、くるくるとした可愛い目と、女子高生のような甘い鳴き声と、絹糸のような柔らかくてふわふわの毛を思い出すのだろう。 
 
魂となった貫太は永遠に私の中で生きて行く。 
 
「貫太、秋刀魚が焼けたよ」 
眠る貫太の横にほぐした秋刀魚の身を置いた。 
 
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生前、貫太を愛して可愛がってくださった皆様 
本当にありがとうございました。 
たくさんの方に可愛がられて、幸せな一生だったと思います。 
 
 
 
 
 
 


  今は何も言えないので・・・EMYさんとの出会い(イチローとのご縁も含めて)貫太くんありがとう。
いつか ..10/21 9:34(Sun)

  貫ちゃん、いつも笑顔を届けてくれて、有難う。おかんとおとんと風ちゃんを見守っていてね。
Lilico ..10/21 11:49(Sun)

  EMYさんに愛されて、とても幸せな寛ちゃん。
きっと、空の上からずっと見守ってる。
Penguin ..10/21 11:58(Sun)

  ●いつかさん
貫太を思ってくださってありがとう。
可愛いコでした。

●Lilicoさん
いつかは訪れる別れとは分かっていましたが
やはり辛いものですね。

●ペンギンさん
抱っこして看取れたのが一番の幸せです。
ずっとそばにいてくれたらいいなと思います。
EMY ..10/24 18:59(Wed)

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