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2010年11月7日(日)快晴、文字通りの「小春日和」の13:30から、豊岡市日高町久田谷・木の薫る久田谷交流促進センターで、「『瀬崎晴夫』をたどる故郷の集い」が催されました。 晴夫さんは1907年久田谷に生まれました。豊岡中学から御影師範に進み、そのあと芦屋の精道小学校の教員になったものの、パリで絵の勉強をしたいとの想いを抑えることができず単身フランスに渡ります。生活を支えるために日本軍の事務所で書記として働きながら14年、ほとんど独学で絵の勉強を続けます。そこに大戦勃発。ペタン政権側の日本軍に従ってフランス南部のビッシーに移動、敗戦色の濃くなる中、武官とともにスウェーデンに移り、69歳で亡くなるまで彼の国で絵を描き続けました。 語学の才能もあったのでしょう。フランスのアリアンセーズ(語学学校)を卒業し、原書でバルザックなど読み、スウェーデンに渡ってからも早い時期にスウェーデン語を習得、共同通信社の記者として記事を書き、また湯川秀樹博士や作家・川端康成氏のノーベル賞受賞式では通訳として会場に臨席してもいます。 素顔はこんなふうに、こどもの純粋さを持ち続けた人のようです。 |