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何から話してよいのやら・・・
えっと、神戸に暮らして30年ほどになりますが、生まれは兵庫県の北国、但馬地方の豊岡市日高町なんです。スキー場で知られる神鍋山の麓で育ちました。
団塊の世代より少し遅れて生まれてきた世代です。小・中学校は清滝。一学年が2クラスののんびりゆったりの学校生活でした。小学校のときには毎週たしか水曜日がスキーの日で、朝からお弁当を持ってスキー場に出かけたものでした。
が、高校に進学する時にはかなりの狭き門をくぐって地元の進学校・豊岡高校に入りました。一学年11クラス、550余人の同級生の中で、神鍋山の麓の子はおろおろするばかりでした。とにかく秀才が周りにいくらでもいるんです。
「ん・・・自分程度の頭でもできることってなんだろう」とゆっくり考えることのできた3年間でした。
ちなみに数学は数UBで落ちこぼれ、公式をひたすら暗記しては定期テストに臨み、欠点か欠点すれすれのひどい点で安定していました。学業は全く振るわなかった私ですが、いい友人に恵まれました。 5月でしたか、同期の和田幸久さんから「達徳会総会」講演の話をいただきました。
「達徳会」とは、旧制豊岡中学、豊岡女学校、そして豊岡高校の卒業生の親睦の会です。毎年、その年度に還暦を迎えた同期の卒業生が世話役となって総会を運営し、あらためて同期の絆を強くするのが目的なのだそうです。
なんでも、候補にあがった人はたくさんいるのだけれども、海外出張予定などの諸事情で断られ続けている。ほかに誰かいないか、と問い合わせているうちに、私を推薦してくださった方があったとのことでした。私は推薦してくださったその方と高校時代も卒業してからも話をしたことはありませんでした。どこで私のことを知られたのか・・・推薦してくださったのが友人や知人ではなく、同期でありながらほぼ他人のその方だったことが私の心をほっこりと温めてくれました。はい、物書きって、いえ、私ってこういうところで動かされるんです。
温かく心動かされ、和田さん率いる達徳会総会式典部会の会合(和田さんのご自宅で、いつも奥様がおいしいお茶を入れてくださいました)の仲間に寄せてもらい、毎月1回「人は何に帰属して生きるのか スウェーデンに永住した洋画家・瀬崎晴夫の生涯」の原稿をみなさんのアドバイスをいただきながら練り上げていきました。
こういう共同作業は脚本執筆の時以来でしたが、ふだん孤独な作業をしているだけに、なにか違った力を与えられた思いがします。
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