[1001] 彩遊紀の紀 .. 2025/04/12(土) 22:01
◆ 枯れたもの
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皆さん今晩は、彩遊紀の紀です。 紫陽花の芽が緑になり、庭の木々に春を感じます。その若葉の緑の中に去年の枯れた紫陽花が残っています。というよりあえてその「枯れた紫陽花」を残していました。「枯れた紫陽花」が残っているのが嬉しいです。絵をやり始めてから思わぬものに「あっ、いいな」と思うようになりました。ある時、街を歩いていて道端のごみ袋の山を見た時に「あっ、いいな、描きたいな」と思ってしまいました。それを実際に描いてみて、何でこれを「あっ、いいな」と思ったのか考えてみました。きれいなもの、華やかなもの、それはそれでいいかもしれませんが何だか自分の感覚にあわないなと思いました。それはアメリカ的なもの、西洋的なものと日本的なものの違い、何かちょっと汚れたもの、華やかでないものに美を感じるのではないでしょうか。それはいわゆる「わぎさび」なのかもしれません。秀吉と利休の違いも、秀吉の華やか好みに対して利休のわびさびの感覚は、満開の朝顔を見たかった秀吉に対して、利休はあえて全部の朝顔を取ってしまい、一輪のみにしたという、美の感覚の違いです。私も絵を描くようになってからはそのわびさび的な美にひかれています。春の芽ぶきの中に残る枯れた去年の紫陽花、それについ美を感じてしまいます。
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