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 [1060]   彩遊紀の紀   .. 2026/05/16(土) 14:48 
◆ 喪失感、寂寥感
「それにしても寂しい、ただただ寂しくて言葉が見つからない」小池さんの「月夜の森の梟」の巻頭の「夫、藤田宜永の死に寄せて」の最後の言葉に涙が出てしまいました。朝日新聞の連載の「連載を終えて」には「五十回にわたる連載を終えた今、書斎のデスクでは、読者から届けられたメッセージの数々が、紙の小山を作っている。・・・編集部に届けられる読者からのファックスやメール、手紙はそのまま、すべて担当編集者が私あてに転送してくれた。そのたびに、ひとつ残らず、繰り返し読んだ。そして泣いた。夫、妻、娘、息子、兄弟姉妹、両親、ペット・・・・亡くした相手は人それぞれだ。百人百様の死別のかたち。苦しみの形がある。・・・・それなのに心の空洞に吹き寄せてくる哀しみの風の音は例外なく似通っていた。」とある。毎日毎日ニュースでいろいろな事件が報道され、「火事で一人が死体で見つかりました」でニュースは終わってしまう。東日本大震災でも「死者1万5千人」で終わってしまう。「死者一人」でかたずけられるものではない。その死んだ一人ひとりには家族があり、皆一人ひとりの喪失感と寂寥感を持っている。
小池真理子さんの「月夜の森の梟」を読み返しながら、自分たち夫婦のどちらかがいつかは亡くなった時、残されたものはどうその喪失感、寂寥感を受け止めたらいいのかと思った。このエッセイの「それぞれの哀しみ」という表題の話の中に「喪失の形は百人百様である・・・・どれひとつとして同じものがない。」とあった。“死者一人”でかたずけられる問題ではないのである。

 
 

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