|
Name: めいこ
Date: 2017/11/09(木) 13:05
No:5547
|
返信 引用 編集 |
Title: 十一面観音について
|
|
占い師と言うお仕事上お悩み相談を受けております。どこぞの仏教系宗教が、不倫の場合は熱心に十一面観音を拝みなさいなどどいう触れ込みをしているそうで、なぜ十一面観音なのか?という問いに至りました。
私は神道系なのでよくわからないのですが仏教は何でもありな世界なんでしょうか?
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2017/11/12(日) 11:24
No:5548
|
引用 編集 |
Title: Re:十一面観音について
|
|
某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
Q:仏教は何でもありな世界なんでしょうか? A:誤解を怖れずにいえば、何でもありです。
※
あたりまえですが、内枠としての仏者としての戒律を守るということ、外枠としての世俗の約束事を守るということは自明です。
ところで、「何でもあり」との「何でも」とはどういった意味あいでしょう? 某仏教系宗教が不倫(世間的には行なうべきではないとされていること)の成就のために十一面観音の信仰を勧めていることに関しての、異議申し立てとしての「何でもあり」ということでしょうか?
|
|
|
|
|
Name: めいこ
Date: 2017/11/14(火) 20:04
No:5549
|
引用 編集 |
Title: Re:十一面観音について
|
|
回答ありがとうございます。
仏教と言うのは不倫成就等あまり倫理的によろしくない願い事でもタブーとはしない宗教なんでしょうか?と言う意味での何でもありと言う意味です。
某宗教は十一面観音を信仰せよと勧めていることにつき、この十一面観音と不倫成就との因果関係や根拠はあるのか?という事です。
例えば子宝祈願には意外にも毘沙門天を信仰せよと言うのは調べてみたところ元々は女性的な一面の出産に関する仏像なのでわかりましたが、十一面観音については調べても出てきませんでした。
|
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2017/11/15(水) 14:48
No:5550
|
引用 編集 |
Title: Re:十一面観音について
|
|
Q:仏教と言うのは不倫成就等あまり倫理的によろしくない願い事でもタブーとはしない宗教なんでしょうか? A:タブーとしますが、そのタブーは術者の内的な問題です。願主の依頼は内容に関わらず請けるべきと考えるか、内容によっては請けてはならないと考えるか、という点です。 前者は折伏法も行なうという立場です。卑近な例を挙げると「銃は人を殺さない。人を殺すのは人だ。」というところでしょう。 しかし、観音さんが慈悲の仏であるということを考えれば、願主の心が安らぐなにごとかを与えてくださっても、道理に添わない結果を観音さんは導いてはくださらないだけ、という常識的なところにおちつくと信じます。
※
不倫。 仏教的には、それは世俗法の問題であって個人の問題とは次元が違うとの解釈が可能です。 一例をあげれば、法的かつ世間的に「正しい」婚姻関係が「倫」とされています。しかし、その関係のなかにDVに代表される一方的かつ強制的な支配関係があれば、その関係性から被害者を解放するための「不倫」は善ではないでしょうか。
この観点から、単純に不倫の成就の祈祷は善であるとも悪であるとも弁別できません。
安倍晴明と芦屋道満の故事ですとか、小松和彦『憑霊信仰論』に述べられている「いざなぎ流」の太夫さん方がなさる呪詛返しとか、霊的にネガティヴな加持祈祷(呪詛)に対する対抗手段は善事とされている通りです。
ということは、神仏が良し/好し/善しとしない「不倫」については、それを成就すべく誰がどう祈祷しようとも観音様は受け容れてくださるわけもないということが祈祷の主体である仏者の意識と考えてよいでしょう。 にも関わらず、その祈祷を請けることは前述の通りに術者個人の倫理観にかかってくるだけのことで、私個人としては責任の埒外としか申し上げられませんし、祈祷が行われた際も願主その人と神仏との関係としか申し上げられません。
|
|
|
|
|
Name: めいこ
Date: 2018/01/10(水) 12:40
No:5579
| 解決
引用 編集 |
Title: Re:十一面観音について
|
|
返信が遅くなりましてすみませんでした。
神仏が良し/好し/善しとしない「不倫」については、それを成就すべく誰がどう祈祷しようとも観音様は受け容れてくださるわけもないということが祈祷の主体である仏者の意識と考えてよいでしょう。
端的なお答えでわかりました。また、それ以前に個人の問題と次元が違う事にも触れていただき納得できました。
|
|
|
|
|