|
Name: 詩雨
Date: 2009/05/04(月) 19:05
No:2539
|
削除 |
Title: お位牌のこと
|
|
初めて投稿させていただきます。浄土真宗ではお位牌を作成してはいけないのでしょうか?一般的に仏壇に置くのは過去帳だけだと聞きました。過去帳が亡くなられた方の代わりということなのでしょうか?あと亡くなられるとすべての人が仏様になるので、先祖供養の必要がないということをインターネットで拝見しました。私は先祖供養は必要なんじゃないかと思ってましたので、とてもびっくりしました。結婚する予定のお家が、浄土真宗を信仰されているようなので色々知りたいと思い投稿させていただきました。お分かりになられる方教えていただけませんでしょうか?よろしくお願いします。
|
|
|
|
Name: カヲル
Date: 2009/05/04(月) 20:41
No:2540
|
削除 |
Title: Re:お位牌のこと
|
|
浄土真宗では、基本的にお位牌をおまつりはされません。言われる様に過去帳がお位牌の代わりになります。丁寧な方は法名軸を作りお仏壇内部の左右側面に掛けられます。 地方によっては、繰り出し位牌をお使いになられますが、お寺さんは見てみぬふりをされておられる所もある様です。 宗派によって先祖供養の違いはありますが、先祖を思う気持ちは同じですから、位牌にこだわらずご自身が気持ちを込めてご供養なされる事が一番の先祖供養だと思います。 合掌
|
|
|
|
|
Name: 勝運寺山主 [URL]
Date: 2009/05/17(日) 22:29
No:2638
|
削除 |
Title: Re:ただの素人の意見です
|
|
詩雨様 浄土真宗ではお位牌を作成してはいけないのでしょうか?一般的に仏壇に置くのは過去帳だけだと聞きました。過去帳が亡くなられた方の代わりということなのでしょうか? 答え:過去帳が亡くなられた方の代わりになります。 位牌を作っていけない訳では無いそうですが過去牒と位牌で重複する為位牌は不要ですと言っているだけです。
亡くなられるとすべての人が仏様になるので、先祖供養の必要がないということをインターネットで拝見しました。私は先祖供養は必要なんじゃないかと思ってましたので、とてもびっくりしました。 答え:インターネットに書かれている事がまちがっています。 先祖の定義が基本的に間違っているのです。先祖とは亡くなられた人だけを指すのではなく過去の事(自分を含め)すべてを指して先祖と言います。供養とは供に養うと言う意味で過去が有り創めて現在が存在をすると言う意味であり感謝をあらわす事を意味します。 ここを知っていないと先祖供養が不要で有ると出てくるのです。
|
|
|
|
|
Name: 天台沙門
Date: 2009/05/18(月) 09:25
No:2643
|
削除 |
Title: Re:お位牌のこと
|
|
>>浄土真宗ではお位牌を作成してはいけないのでしょうか? > そもそも真宗さんは「他力本願」ですので阿弥陀さん以外のものを拝みません。ですから拝まれるべき位牌も置きません。位牌を置くと阿弥陀さんに失礼になり、位牌を置いて拝まないのは位牌に失礼になりますので。
>>一般的に仏壇に置くのは過去帳だけだと聞きました。過去帳が亡くなられた方の代わりということなのでしょうか? > そう考えていただいてよろしいかと。 (註:位牌と同様に過去帳が依り代になるかどうかは、多いに疑問だが)
>>亡くなられるとすべての人が仏様になる > この点は、貴方ご自身かインターネットの記述かに誤解があります。 真宗さん(と浄土信仰)では、人は「仏に成る=成仏する」のではなく極楽浄土に「往って生きる=往生する」存在なので、仏様にはなりません。理論的には、我々は釈尊のように悟り/覚りをひらくことは不可能であるという現実認識のもと、すべての存在を極楽往生させるという阿弥陀如来の本願(存在意義)を頼ることで死後の不安を解決し、現世の安心を得ることが目的です。 キリスト教におけるイエスさんへの帰依・イスラム教における神との契約が真宗さんでの「他力本願」です。
>>先祖供養の必要がない > 「ご先祖さんをはじめ、すべての死する者は阿弥陀さんの本願によって極楽往生するのだから、あえて成仏を願って供養する必要はない」という意味です。 人には原始的な死への恐怖感情があり、日本文化では「弔われない死者は祟る」という信仰になっています。「成仏する=仏様になる」という感情は「祟らなくなった=守護神になった」という意味をもち、「供養」の目的は祟り神を祀り籠めて守護神とすることにあります。ですから、往生していれば(守護神ではないにせよ)祟り神ではないので「供養の必要がない」わけですね。
>>私は先祖供養は必要なんじゃないかと > 形式としての「供養」と、死者を記憶していくという「供養」との混同をなさっていませんか? 真宗さん的には「形式としての供養は必要ない」のであって、「ご先祖さんたちを往生させてくれた阿弥陀さんへの感謝は当然だし、極楽のことを考えれば往生しているご先祖さんをおもいだすのは自然なことだ」なのでして、勝運寺さんが「供養=感謝」とおっしゃられる通り、言葉の違いにすぎません。
|
|
|
|
|