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Name: 混乱気味の姉
Date: 2008/09/09(火) 22:49
No:1388
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Title: 弟の死後・・・
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今年のお盆に弟が自殺しました。公園の大きな木で首を吊っていました。
1.一晩探して見つける事が出来なく、死亡推定時刻に近くの公園は探したのに、その公園には行かなかった事・・・後悔の毎日です。もしかして、彷徨っているのかなと考えています。
2.お盆に亡くなるとは・・・自ら命を絶つというのは・・・成仏出来るのか考えています。
3.元々、真言宗なのですが母、兄弟の複数が現在、別の宗教を しています。私は手を合わすのはお墓くらいで、全く興味無かったのですが、今後どうすれば良いのか考えています。 とにかく、自殺の1つであろう要因を弟の気持ちを思いつつ、整理を進めている途中です。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/09/10(水) 11:10
No:1393
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Title: Re:弟の死後・・・
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お悔やみ申し上げます。
自死/自殺をはじめ、事故・被災死・戦災死ひいては若年の死を一括して「異常死」と称します。このような「畳の上の死」でないものは遺族にとって「受け容れがたい死」です。 その受け容れがたさをなんとかするために、異常死に対する葬礼は普通死に対する葬礼よりも手厚く(もしくは異なる方法で)行われてきました。
【1.もしかして、彷徨っているのかなと考えています。】
古典的宗教観では死者は間違いなく「あの世」にいくことになっています。どのような死に方をしても、死者がこの世にあり続けることはありません。ただし「この世」の生のありかたによって「あの世」での「生のありかた」が規定されると理解されています。 死者を彷徨わせる、すなわち死者をこの世にあり続けさせようとするのは、じつは生者の未練です。その理解はすでに近代以前の『賽の河原地蔵和讃』に表れています。 貴方の場合であれば、その場にいかなかった後悔の念が、弟さんが彷徨っていると考えさせていることになります。 その考えは自然な、ご遺族としては当然のものです。
【2.お盆に亡くなるとは・・・自ら命を絶つというのは・・・成仏出来るのか考えています。】
口碑では「お盆とお彼岸に亡くなるのは寿命である」といいますが、この場合をあてはめるのは無理でしょう。 さて、一神教(契約的)宗教観では自死/自殺は神に対する犯罪行為になっています。儒教も先祖への失礼ですから同様です。 ただし、仏教では自分自身に対する殺生ですから禁止事項ですが、浄土教的には阿弥陀如来は自死/自殺を行った人にも来迎してくださり極楽に往生させてくれるという理解は成り立ちます。(註:成仏と往生は、まったく異なる概念です。この世で成仏できなかったから、往生して極楽で修行して成仏しようとするのです。)
【3.元々、真言宗なのですが母、兄弟の複数が現在、別の宗教をしています。私は手を合わすのはお墓くらいで、全く興味無かったのですが、今後どうすれば良いのか考えています。】
私は宗教の形式はどうでもよいと考えます。 人の死にあたって宗教と信仰が目的とすべきは、生者が死者のことを忘れないでいるということ、生者が「死」という事象をうけいれ(のりこえ)心身とも健康に生活していけること、の2点ですから。
まずは、弟さんのことを忘れないでさしあげてください。生きていたかったのだろうけれど、でもどうしようもなくて自死/自殺をしてしまった弟さんの無念と、助けることのできなかった貴方ご自身の後悔の念を大事にしていてください。
死を受け容れるために人間は葬儀という文化システムを発生させたわけですが、そもそも、葬儀の本質は鎮魂にあります。亡くなった人の魂を鎮め、生きている人間の魂を鎮めることが鎮魂の目的です。 冒頭に述べましたが、異常死の死者が手厚く葬られてきたのは、その死を受け容れることが難しいからにほかなりません。普通死においてすら葬儀は数年かけて行います。(註:とりあえず三回忌までの丸2年が葬儀であろうが、それを遺族に意識させる僧侶は少数派) 時間をかけて、その人がいなくなった「この世」の生活に適応していくことすべてが葬儀すなわち鎮魂です。
ですから、異常死である弟さんの場合、その鎮魂には2年以上がかかって当然でしょう。それだけの時間をかけ、ゆっくりと弟さんのいらっしゃない娑婆世界に慣れていこう、と考えてください。あと大事なことは、ひとりではなくみんなで、ということです。ご家族のみなさんで、支えあっておすごしください。
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Name: 混乱気味の姉
Date: 2008/09/10(水) 19:24
No:1407
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Title: Re:弟の死後・・・
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天台沙門様、ありがとうございます。お返事を読んでいるうちに、涙が止まらなく、何度も何度も読み返しました。少しずつ、気持ちの切り替えをして行きたいと思います。仕事しながら、弟の整理をして、家事・・・やっと、座ると弟の事を考え涙の毎日です。今日も仕事の間に公園に行って『此処にいてはだめだよ、母の所に帰ろう』と心の中でつぶやいて来ました。いろんな人からアドバイスを頂くのですが、【魂を連れて帰る】というのを聞いたのですが、どういう意味でしょうか?公園で何かしなければいけなのでしょうか?今はお花、コーヒー、蝋燭などを許可を頂いて置かせてもらっています。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/09/11(木) 16:07
No:1410
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Title: Re:弟の死後・・・
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ご返事ありがとうございます。励みになります。
【いろんな人からアドバイスを頂くのですが、【魂を連れて帰る】というのを聞いたのですが、どういう意味でしょうか?】
よくわかりません。わかりませんが、手がかりになる思想があります。 1)前稿での「亡くなった人の魂を鎮める」ことの目的は、死者を死者の国に送り生者とは異なる場所に置くということ、具体的には祟りをもたらさないようにすること。 2)中世期の日本に存在した「異常死をした人間の墓所は死の場所に設けねばならない」という風習。 3)オカルト用語としての「地縛霊」というもの。
1)は、生者の死者に対する畏れの表れです。現在の宗教者は「死者が祟る」という信仰があったことに触れないようにしていますが、この感覚は現代の人間にも残っているはずです。実例として、平安時代最強の祟り神であった菅原道真と平将門が、その後世に祀り上げられることによって最強の守護神となったことをあげておきます。 2)は、その場所でその出来事が起こった、ということを記憶するためと考えられます。事件を記憶することで、それに関わった人を記憶するのですね。大事故・大事件があった場所に設けられる「慰霊碑」という形で残っておりますし、交通事故があった場所に花束が置かれるのも、この感覚です。 3)は、読んで字の如く、ある場所に存在し続ける霊魂があるという考え方。貴方が「彷徨っている」と表現なさった状況でしょう。2)の思想が通俗化したものと想像します。
「魂を連れて帰る」のは、魂をあるべき場所に納めて祀るためと考えられます。 遺族にとってもっとも恐るべきは自分が知っている魂が祀られぬまま祟り神となることです。魂があるべき場所にない状況(=彷徨ったまま)が続けば、いつかは祟り神(=地縛霊)になってしまうという恐怖感が「魂を連れて帰りましょう」との気持ちになるわけです。 実際、魂(=神)は一定の場所に納めておくもの、というのが日本の信仰形態です。普段は神社など結界された場所に鎮まってもらう。祭のときには、神輿や山車によって結界の外に出てもらう。ご先祖さんなど身近な死者にはお墓や仏壇に納まっててもらう。
多くの生者は、死者に対してなんらかの「申し訳なさ」をもって生き続けるものです。その「申し訳なさ」が、死者への畏れ/恐れ/怖れとなっていると理解しています。もちろん原始的・本能的な理由からも死者への恐怖・畏怖は表れますが。 逆にいえば、「申し訳なさ」が軽減されることが「死者への畏れ/恐れ/怖れ」の解消ということになります。そのためには「死の場所にはいない」・「納まるべき場所に戻ってくれた」と遺族が納得することは必要です。 そのためには、やはり今いらっしゃるとおもわれる場所で冥福を祈られることが最善でしょう。
【公園で何かしなければいけなのでしょうか?】 【今はお花、コーヒー、蝋燭などを許可を頂いて置かせてもらっています。】 【『此処にいてはだめだよ、母の所に帰ろう』と心の中でつぶやいて】
それでよろしいとおもいます。「しなければならない」のではなくて「してさしあげたいからする」のは、上記の2)の感覚の自然な発露ですから。感情を抑圧するのが、悲しみを癒すに一番の妨げです。
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Name: 混乱気味の姉
Date: 2008/09/11(木) 19:14
No:1412
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Title: Re:弟の死後・・・
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天台沙門様、お返事ありがとうございます。良く解りました。私の今の気持ちは、弟を苦しめた事から早く楽にしてあげたい!迷わなく逝けるよう、いろいろな事を整理したい!それしかありません。自らを裁くかの如く絞首刑のように・・・誰にも相談することなく弟の出した答えは悲しい結果になった訳ですが、これからも、弟の供養、弟の忘れ形見の姪、母、妹弟を支えて行きます。
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Name: 混乱気味の姉
Date: 2008/09/14(日) 23:07
No:1427
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Title: Re:弟の死後・・・
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小法弟様、ありがとうございます。とても参考になります。ゆっくり、ゆっくり前へ進んでいきたいです。
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Name: 小法弟
Date: 2008/09/15(月) 08:37
No:1428
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Title: Re:弟の死後・・・
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>ゆっくり、ゆっくり前へ進んでいきたいです。
とってもいいですね〜
もし体調がよければ太極拳やヨガや気功の教室に行かれてアタマをカラにするのもいいですよ。
お姉さんはの場合は今「供養する」のも大変結構ですが、 これもまた「魂を連れて帰る」ということにならなければいいのですが・・・
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Name: 混乱気味の姉
Date: 2008/09/15(月) 18:06
No:1436
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Title: Re:弟の死後・・・
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小法弟様ありがとうございます。来年、ちょっとした試験があるので、勉強も始めなければ・・・と思っています。
>お姉さんはの場合は今「供養する」のも大変結構ですが、 これもまた「魂を連れて帰る」ということにならなければいいのですが・・・
とは、どういう事でしょうか?
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Name: 小法弟
Date: 2008/09/15(月) 20:21
No:1437
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Title: Re:弟の死後・・・
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>「魂を連れて帰る」
これは公園に行ったりすると、また亡くなった方のところに意識が集中して、よりあなたの悲しみを深め、ご自分を責めることになるかと思えるからです。その事を「魂をつれて帰る」といったのでは・・
それよりも今は来年の受験に集中することが今のアナタのおかれている状況から抜け出る道と思えます。
私達の意識は一点しか意識できないという、よさと欠点があるわけですから、ジッとしているとその分より弟さんのネガティブなイメージだけが広がりかねません。 そしてあなたの頭の中でい絶えずネガティブな「思う、考える」ということに支配されます。
今は受験のされる、そこに全力をあげてあなたの合格したイメージをリアルに「感じ、味わう」ことが大事です。 今生きるのに自分にとって必要なことに集中して全力をあげることが大事で、そのときのみ「悪夢」のあの状況の言葉がアタマから消え去っています。
言葉のレベルでは説明しずらいですが、瞑想や気功では「臍下の一点」に集中します。集中している時のみ心は解放され自由になります。これが「不動心」ということです。
今はとりあえずいっぺん疲れた神経を一度休ませ、勉強というこのまたとない最大のチャンスと受け止めをそこに「集中」されることが大事かと思います。
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