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Name: 匿名希望
Date: 2017/12/20(水) 22:17
No:30377
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Title: 対人恐怖
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30代女性です。 20年ほど前から社会不安障害(いわゆる対人恐怖症)です。 人前でおどおどしてしまい、雑談ができず沈黙になってしまい、友達がゼロです。どうしたら自然にふるまえるのか、会話ができるようになるのかわかりません。心療内科もいくつも受診し、本を読んだり話し方教室などに行ってもダメでした。 学生時代は、クラスメートとうまくいかず、就職してからは職場の人間関係がうまくいかずいじめにあい、結婚出産してからも、ご近所やママさんたちと上手くいかず孤立しています。 もう、いくらかわろうと努力しても変われないので、家に引きこもっていたいのですが、子供たちのためにも良くないと思いますし、どうしたら治るのでしょうか。授業参観、懇談会なども出席できていません。
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Name: 在家
Date: 2017/12/21(木) 08:00
No:30378
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Title: Re:対人恐怖
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自分がいつも人から見られているような気がして、人が大勢いるだけで疲れますでしょう。 緊張や対人恐怖は、自分の攻撃性がブーメランのように自分に還って、自分を攻撃しているものです。 自分が放っている敵意、憎しみ、非難などが両刃の剣となって自分を傷付けているのですね。 だから攻撃性に代わって、相手への理解、思いやり、相手に尽くす気持ちを常に自分から放つようになれば、緊張も恐れもなくなります。
攻撃性は自分を守ろうとするエゴから起きるので、損得勘定ではなく自分を犠牲にする気持ち「愛」を育てなければなりません。 子供がいるからわかると思いますが、親から子供へ向かう気持ちが「愛」です。 親は自分を犠牲にして子供を守りますね。 その気持ちを少しでも周りの人たちに向けられるようになれば、対人恐怖はなくなります。 攻撃性は無意識に起きているので、自分ではなかなか気がつきません。 まずはそれに気づくことです。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 〇お願い:男女の区別と年齢を記入してください。 〇メールで相談されたい方はこちら:NPO法人かけこみ相談センター http://kakekomi.or.jp/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
> 30代女性です。 > 20年ほど前から社会不安障害(いわゆる対人恐怖症)です。 > 人前でおどおどしてしまい、雑談ができず沈黙になってしまい、友達がゼロです。どうしたら自然にふるまえるのか、会話ができるようになるのかわかりません。心療内科もいくつも受診し、本を読んだり話し方教室などに行ってもダメでした。 > 学生時代は、クラスメートとうまくいかず、就職してからは職場の人間関係がうまくいかずいじめにあい、結婚出産してからも、ご近所やママさんたちと上手くいかず孤立しています。 > もう、いくらかわろうと努力しても変われないので、家に引きこもっていたいのですが、子供たちのためにも良くないと思いますし、どうしたら治るのでしょうか。授業参観、懇談会なども出席できていません。
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Name: 匿名希望
Date: 2017/12/21(木) 22:22
No:30379
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Title: Re:対人恐怖
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返信ありがとうございます。 コメントを繰り返し読ませていただきました。自分の子供に接するようにということを今日一日意識して過ごしてみると、いつもと周囲の反応が少し違うような気がしました。 私はいつも人に気を遣って接しているつもりだったので、自分に攻撃性があるとは思ってもみませんでしたが、よくよく考えてみると自分をガードしようとする所があり、確かにそうかもしれないと思いました ですが、家族以外の人に自分を犠牲にする愛を持つというのはなかなか難しく、日々暮らしていく上での心がけなどを更に深く聞かせていただきたいと思います。
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Name: 在家
Date: 2017/12/22(金) 07:24
No:30380
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Title: Re:対人恐怖
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攻撃性は無意識に起きる思考習慣で「煩悩」と呼ばれるものの一つです。 無意識に起きるので、なかなか自分で気づくことができません。 ですからまずは自分の攻撃性を自分で得心できるように、自分への感じ方を高めることです。 自分が何を改めるべきか得心できなければ、熱意を持って自分が変わろうとは思えないでしょう。 無意識の習慣を改めるのは、特に女性にとっては相当に困難なことだからです。
攻撃的な思考習慣は相手を自分のエゴの外側に置くことで生じます。 一方愛は相手を自分のエゴの内側に置くことで生じます。 相手を抱くという行為が、自分のエゴの内側に置く心境を表しています。 自分の子供が自分のエゴの内側にいることがわかりますか?
子供には湯水のように自分のすべてを与えて見返りを求めません。 ペットを飼っている気持ちも似ていますね。 そこに自分の安らぎがあることがわかりませんか? 与えることが愛で、与える人が孤立することも攻撃を受けることもありません。 人間は表面を繕うのでなかなか人間性を見抜けませんが、愛の大きさは人によって様々に違います。
いま自分が苦しいことは避けるのではなく、自分が変わろうとする原動力にすることです。 それは永遠に続く人生を見通して、自分が変わる熱意を持ち続ける人にしかできないことです。 一喜一憂して刹那にしか物事が見えない人は、永遠に苦しみ続けるしかありません。 次の人生もまた次の人生も。
> 返信ありがとうございます。 > コメントを繰り返し読ませていただきました。自分の子供に接するようにということを今日一日意識して過ごしてみると、いつもと周囲の反応が少し違うような気がしました。 > 私はいつも人に気を遣って接しているつもりだったので、自分に攻撃性があるとは思ってもみませんでしたが、よくよく考えてみると自分をガードしようとする所があり、確かにそうかもしれないと思いました > ですが、家族以外の人に自分を犠牲にする愛を持つというのはなかなか難しく、日々暮らしていく上での心がけなどを更に深く聞かせていただきたいと思います。 >
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Name: 横槍ですが
Date: 2018/01/04(木) 17:44
No:30402
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Title: Re:対人恐怖
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上記最後の分訂正します。 聖者、近しいもの「以外は」が本来の文章でございます。
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