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  離別、忘れたい。

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Name: ことね
Date: 2019/10/01(火) 16:39   No:31405
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Title: 離別、忘れたい。    
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Name: 在家
Date: 2019/10/02(水) 08:42   No:31407
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Title: Re:離別、忘れたい。    
人間は本来孤独です。
「スッタニパータ」というブッダの言葉をまとめた経典に「犀の角」という詩編が出てきます。
https://youtu.be/rufSFKkl81c
これは自立した生き方を示したものですが、このように自立するには自分の内側が豊かでなければなりません。
自分の内側が貧しいと、それが空虚感や孤独感となって自分の外側に何かを求める依存性(欲望)になります。
あなたの彼に対する執着も依存の一つですね。

依存性は支配性と表裏一体になっていて、依存的な人は周りの人を自分の思い通りにコントロールしようとするので、周りにいる人は何かとうっとうしさを感じます。
彼が離れていった原因もその辺にあると思うので、自分をよく振り返ってみてください。


あなたはあなたの外側にあるものが世界のすべてであると思っていて、これまで唯物的な生き方をしてきたと思うのですね。
外側だけでなくあなたの内側に広がる世界があることを知って、あなたの心を豊かなものにしてゆかなければ本当の意味で孤独感はなくならないでしょう。
そのために仏教やスピリチュアリズムがあるのですが、そのような世界観の自己変革に縁があるかどうかで決まると思います。

日本の社会では女性が甘やかされて育つので、女性の依存性は平均的に高いです。
それが女性の社会進出を妨げています。
とりあえずは甘えと決別して、命懸けの何かを趣味にするのも一計です。
そうすれば彼のことを考える暇はなくなるでしょう。
彼の代わりになることをやれば、それに依存対象が移りますから、彼への思いは薄れます。
しかしそれは依存の対象がシフトしただけなので、本当の意味で孤独感や空虚感が埋め合わせできたわけではありません。

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〇お願い:男女の区別と年齢を記入してください。
〇メールで相談されたい方はこちら:NPO法人かけこみ相談センター
http://kakekomi.or.jp/
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> はじめまして。恐れ入りますが、どう気持ちを落ち着かせればいいか分からなくなり、誰かの意見を聞きたいと思いました。現在26歳の大学生、女性です。
>
> 私が悩んでいる問題は元彼と父親の存在です。離別の苦しみに耐えられません。
>
> 1年前に3歳年下の彼に振られました。
> 私は彼に執着していました。
> 当時、このままではいけないと思いながら付き合っていた状態です。お互い自立できない、関係でした。そんな状態でも、私は彼と何とか関係を修復しようと、「会話がしたい」と何度もお願いしましたが、気持ちが通いませんでした。私は泣き虫でした。気持ちの表現の仕方が不器用でした。彼にとって負担だったろうと思います。結果、彼は私と別れて1年間留学をしました。都合のいいタイミングだったのかなと思います。
>
> この1年、じっくりと自分を見つめ直しました。連絡は一切しません。しかし、もう二度と会わないと心に決めながら、どこか期待してしまう、とてもとても弱い私がいます。
>
> どうして、ここまで他人に執着してしまうのか。原因は寂しさからです。どうしても、慣れない孤独からです。
>
> 小学2年生の頃、父親がある日突然いなくなりました。 母は仕事で海外にいると言っていましたが、死んだのだろうと気付き始めました。
> 20歳の頃、母と大ゲンカの際、父は病気で死んだと言われました。
> しかし、今年、母とふとした会話から、父親の本当の死の原因は自殺だと知りました。 家族の中で私だけが知らずに26年間生きてきました。
> 私の心のわだかまりは、孤独感はこの真実だったかもしれません。不器用でも、優しくて、活発だった父親。大好きでした。父は自ら命を断つくらい、とても寂しかったのでしょうか。
> また私自身、寂しさから男性を望んでしまいます。誰かが自分の元を去ることに、とても抵抗があります。
>
> けれど、このままではいけないと。1人で生きることを決意しなければと、孤独がドクドクと心臓を打つのを感じています。いいようない、苦しみがきます。
>
> 1年後、留学から帰ってきた元彼は、他の女性と楽しそうに一緒に歩いていました。親密そうに見えて、
> 心が張り裂けました。どうしよう。どうしようと思うままに、1人で泣くしかありません。
>
> もう二度と一緒になれない、なりたくない、なってはいけないと肝に命じています。けれど、期待や、思い出や執着が抜けません。
> 後少しで卒業です。勉強に集中できなくて困っています。
>
> どうか、孤独と一緒に上手く生きていくために、何か、言葉を拝見したく思います。生き抜きたいと思っています。
> 長文申し訳ありません。
>



Name: ことね
Date: 2019/10/02(水) 10:24   No:31409
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Title: Re:離別、忘れたい。    
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Name: たろう
Date: 2019/10/02(水) 11:28   No:31410
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Title: Re:離別、忘れたい。    
ことねさん

辛い人生を送られた事と思います。
仏教に逃げていると書かれていましたが、逃げる場所ではなく生きる場所なのだと思います。
一朝一夕で結果が出るわけではありませんから、やはり時間が掛かると思います。
精神的に追い詰められ、焦る気持ちがあると思いますが、ここは腰を落ち着けてじっくり考える必要があるのではないでしょうか。


Name: ことね
Date: 2019/10/02(水) 22:28   No:31412
解決    削除 
Title: Re:離別、忘れたい。    
たろうさん

お言葉ありがとうございます。
仏教を学ぶほど、敬意と尊敬を覚えます。
そうですね、分からないから焦る気持ちが先行してしまいます。
考えながらゆっくりと前進していこうと思います。


Name: たろう
Date: 2019/10/02(水) 22:55   No:31413
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Title: Re:離別、忘れたい。    
今は内に溜まった、負の思いを吐き出す時ではないでしょうか?
ここで話すのが躊躇われるのであれば、メールで何でも聞きます。
少しでも前に進めればと願って居ります。
そういえば、ことねさんと同じような境遇で、得度された女性の方もいます。


Name: 在家
Date: 2019/10/03(木) 06:35   No:31414
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Title: Re:離別、忘れたい。    
自分を正直に知ることは最初は身を切るように辛いことです。
しかし人間死ねば皆やらなければならないことなので、閻魔様にせっつかれながらやるよりも自分でやるほうがましでしょう。
もっと自分を知るようになると、愚かなのは煩悩であって、自分は煩悩とは別のものであることがわかってきます。
そして自分の本質が仏性(神)であることもわかります。
依存性などの煩悩は地球に属する集合心理で、人間の脳に常駐しているわけではありません。
それは呼吸のように取り入れては排出している借り物なのです。
だから煩悩と自分を同一化してはなりません。
自分の内側を豊かにするというのはそのような自分探しの旅でもあります。


仏教には知識の側面と知恵の側面があって、本や経典を読むだけではわからないことがあります。
例えば「自分の内側を豊かにする」といってもあなたには意味がわからないはずです。
言葉で伝わるものは双方が体験していることだけで、どんな心境も一方が体験していないことは言葉では伝わらないのです。
それがわかるには自分で仏教を実践してその心境を体得するしかありません。
そのため仏教では知識と同時に修行の実践が求められます。
仏教は信仰ではなく実体験なのです。
日本仏教では在家者の参加にも門戸を開いているので、いろんな宗派の修行に参加することができます。
結果を焦らずに、忍耐強く修行を続けながら仏教理解を深めていってください。


> 在家様
> ご相談お読み頂きありがとうございます。
> 自分の内面を豊かにしなければ、自立ができない。孤独と決別できない。
> 確かにそうだと思います。
>
> 彼と別れたこの1年、仏教を独学で学んできました。
> しかし、それは表面上のことで、まだ仏教の言葉に
> 自分で具体的に掴んだりするまでに至っていません。
>
> 犀のツノのように歩め。
> まだ私にはこの詩は、強がって歩んでいる人の心で、深い孤独が伝わってきます。けれど、そうゆうことではないことは、感覚でわかるのです。けれど、分からないのです。
>
> 仏教に逃げましたが、逃げにはならず、より苦しくなりました。
> 全てが突き刺さる言葉ですから。
> ですから、仏教が怖く恐ろしくもあります。死ぬまで修行ですから。
> しかし、私が知りたいことは仏教にあります。
>
> 彼と精神的にも肉体的にも離れたことに、ものすごい勢い寂しさはありましたが、この人間関係を考えるとき、当てた焦点は彼ではなく、おろかな自分でした。
> まだ、彼が好きなのですが、これは私の真意ではありません。ただの執着です、ここに尊敬はありません。ゆえに自分がおろかです。
>
> 仏教を学ぶほど救いにはなりません。しかし、この道なら私は生きて行くことはできるのかとも思えます。
>
> 自分の内面を見るとはどういうことか。内がわの世界ですか。
> 時間のない現代社会で生きることに今はまだ虚しさしかありません。



Name: ことね
Date: 2019/10/03(木) 15:30   No:31415
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Title: Re:離別、忘れたい。    
誰かに頼っても、己が根を張らなければまたどこかに吹かれていってしまう。このような意味としてしっかり理解をしています。
悟りと修行は一体なんですね。何かを得るためには結局意味がないのですね。
学び続けていきます。
ありがとうございます。





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