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Name: はちじょう
Date: 2020/06/17(水) 01:05
No:31727
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Title: 死に対する感情について
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時々、自分がひどく薄情な人間なのではないかと思うことがあります。 初めて親しい人や知人との死別を体験したのは2歳の頃で、母を病で亡くしました。もちろん母についても全く記憶はなく、当時も理解できていなかったと思います。死んだことについても、徐々に刷り込むように理解していったので今でも会ってみたかったな、といった未練はあれどあまり悲しくは思えません。 17〜8歳の頃に亡くした曾祖父や曾祖母についても、あまり知らない相手だったり好きではない相手だったので「そうか、死んじゃったんだ」程度の認識でした。 なので死への感情なんてそんなものかなぁと思っていたのですが、私は毎年可愛がっていた祖父母の家の犬が突然死んだと聞かされた時もぼんやり「そっか」と思うだけで涙も出ませんでした。毎年遊びに行くたびにべたべた可愛がって世話をしたがって、一緒にいたくて長く泊まりたいと駄々を捏ねていたほどなのにそんなことってあるでしょうか。 自分の薄情さにショックというよりは、「自分ってこんなに薄情な人間だったのか」と自分に失望したような気持ちがあります。 私は薄情なのでしょうか?いつか本当に大好きな友人や親を失った時すら涙の一滴も出ないような人間にはなりたくないです。
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Name: 在家
Date: 2020/06/17(水) 08:17
No:31728
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Title: Re:死に対する感情について
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人間のエゴは自分以外の人が死ぬことには冷静でいられるものです。 しかし親や子など身近な人が死ぬときは悲しいですね。 それは自分がその人に依存していたからで、自分の寂しさや虚しさが悲しみになっています。 だから自立した大人になれば、親の死はそれほど悲しくはありません。 逆に子供の死のほうが悲しくて、それは親が子に依存しているからです。 ペットの死が悲しいのも同じ理由で、ペットの癒しの力を思い知らされます。
2歳の幼児は未だ分別が付きませんし、順応性が高いですから、お母さんの死を悲しい思い出としていつまでも覚えていることはないと思います。 そのようにみてくると、特段あなたが薄情であるとは思えませんが・・・ 朝鮮半島や中国大陸では誰かが死んだときに大げさに泣き叫ぶ習慣があって、時々その映像を見かけますが、それは嘘の文化というか、儒教が形骸化したもので、本当に悲しいからではありません。
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 〇お願い:男女の区別と年齢を記入してください。 〇メールで相談されたい方はこちら:NPO法人かけこみ相談センター http://kakekomi.or.jp/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
> 時々、自分がひどく薄情な人間なのではないかと思うことがあります。 > 初めて親しい人や知人との死別を体験したのは2歳の頃で、母を病で亡くしました。もちろん母についても全く記憶はなく、当時も理解できていなかったと思います。死んだことについても、徐々に刷り込むように理解していったので今でも会ってみたかったな、といった未練はあれどあまり悲しくは思えません。 > 17〜8歳の頃に亡くした曾祖父や曾祖母についても、あまり知らない相手だったり好きではない相手だったので「そうか、死んじゃったんだ」程度の認識でした。 > なので死への感情なんてそんなものかなぁと思っていたのですが、私は毎年可愛がっていた祖父母の家の犬が突然死んだと聞かされた時もぼんやり「そっか」と思うだけで涙も出ませんでした。毎年遊びに行くたびにべたべた可愛がって世話をしたがって、一緒にいたくて長く泊まりたいと駄々を捏ねていたほどなのにそんなことってあるでしょうか。 > 自分の薄情さにショックというよりは、「自分ってこんなに薄情な人間だったのか」と自分に失望したような気持ちがあります。 > 私は薄情なのでしょうか?いつか本当に大好きな友人や親を失った時すら涙の一滴も出ないような人間にはなりたくないです。
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Name: ざいけ
Date: 2021/01/18(月) 14:51
No:32007
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Title: Re:死に対する感情について
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薄情というより、冷静に見えます。 死生観が確立できているのかな?と思いました。
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