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Name: 北陸読書人
Date: 2021/12/05(日) 18:24
No:32495
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Title: 会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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会社の人事評価で、納得のいかない評価を付けられました。 私は会社の総務業務を担当しておりますが、単純に総務業務だけでなく、企画や事業をするための運営管理など、重責で難しい仕事をしております。有給休暇も取れなかったです。 私の会社の人事評価の傾向として、このような責任のある難しい仕事をしているということだけで、ごくろうさんの意味も込めて、良い評価をしてもらえるということがあります。よく会社の総務畑にいると出世が早いとかありますが、あれと同じようなイメージです。 さらに、今年の私の働きは、非常に精神的苦労を抱えながらも大きな仕事をかかえ、途中トラブルもありましたが、結果的には無事に遂行できました。近年以上に自己評価では、よくやったと自信もありましたし、上記の通り事業遂行という実績も残しました。それなのに、評価はこれまでの「良い」から「普通」に下げられたのです。 一方、同じ部署に所属しているものの私とは別の、責任も重くなく、私と比べると気楽な仕事をしている人達の評価が「良い」と評価されていた人が多数いるのです。この人たちのミスなどの尻ぬぐいを私がしていたのに、この人たちが私より高い評価を受けていることが納得いかないのです。こちらは家に帰っても仕事のことばかり考えて、仕事でも恥をかいたり、嫌なことも言われながらも、ようやく仕事を完了してきたのに、 評価者である最上席上司が今年から変わったことが大きな原因ですが、私だけでなく、私の直属の上司も普通という評価でした。なので、私だけが嫌われて低い評価をつけられているということでもなさそうです。 しかし、今回これだけ頑張ってきて、実績も作れたのに普通の評価をされた以上、来年は今年のような大きな事業もなく特段アピールすることもありません。なので、この評価者がいる以上、良いという評価はどうすれば取れるのか思いも浮かびません。どれだけ実績を残しても、普通とされるでしょう。この評価者からすれば、評価の独自基準があったのかも知れませんが、私からすれば恣意的な不公平で不当評価だと思っております。
このようなことから、仏教的な執着いう観点から、今の怒り、絶望、嫉妬などの感情が極大していますので、鎮めるためのアドバイスをいただけますでしょうか? 私はこれまで、仏教的思考法については書籍で多くを学び、執着はダメということは分かっておりますし、人からの評価を気にして生きるのは人に好かれたいという執着に縛られているということは分かっています。今までも、そういった気持ちが浮かぶたびに、流してきました。 しかし、会社の人事評価はそうはいきません。その評価のないようによっては、将来の出世が遅れたり、収入の減少、さらにはクビなどと、実害となって現れる可能性もあるからです。 でも、起こってしまったことは今更変えることもできないことでもあります。仏教的には起こってしまったことにいつまでもクヨクヨ思い煩うこともダメとされています。 将来に実害を与える評価なのに、それについて過ぎ去ったことに悩まないとする仏教的教えをどのように当てはめて考えればよいのでしょうか? 仏教的教えは十分理解しているのですが、気持ちの整理がうまくつけられずに悩み苦しんでいます。
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Name: 通りすがり
Date: 2021/12/05(日) 21:29
No:32496
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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制度がよく分かりませんが、「よい」という評価だと給料が上がるのではありませんか?
「人事評価の傾向として、このような責任のある難しい仕事をしているということだけで、ごくろうさんの意味も込めて、良い評価をしてもらえるということがあります」 とのことですが、これが異常なのではと思います。要は、これで「よい」評価がつくために、本来以上に給与が高くなってしまっているということです。
相対的に、下の人間は「よい」評価が付きにくいわけですから、本来はもっと付けてあげて、給与をあげてやるべき状態なのではないでしょうか。
ある程度の年齢がいけば、給与は上がることはなく、下がっていくそうですよね。その辺の年齢ではありませんか?
将来に実害とのことですが、仏教を学んでいるとのことですので敢えて厳しい言い方をさせていただくと、 貴方のエゴにとっての実害ですよね。下の人間にとっては実害でもなんでもなく、逆に幸福ではないですか。
「将来」はわからないのですから、そもそも「実害」があると断言すること自体が、貴方の想像であって妄想です。
不公平感の仏教的鎮め方、とのことですが、不公平であるという認識自体、そもそも正しいモノの見方ができているのかを考える必要があるのではと思います。 責任ある仕事についているのであれば、それ相応の報酬はもらっている筈です。なのに、更に更にと自分の取り分を求める心について、仏教的にどう言われるかはご存知ではないでしょうか。
ちなみに私が働いている会社は、よほどのことが無い限り「普通」評価で、「良い」なんてもらえません。従って給与も上がらないに等しいです。しかし、悪い評価は簡単に付きます。まさに上司の気持ち一つです。ご参考までに。
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Name: 北陸読書人b
Date: 2021/12/06(月) 01:18
No:32498
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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回答ありがとうございます。 給料が上がるとか、下の者に配分とか、少し私の言いたいこととそれているように思います。 別に給料が多くほしいとかそのような欲は、ほとんどありません。 しかし、仮に私が努力した分に見合った給料がほしいと思っているとして、それがエゴということだとして、それほど仕事をしていなかった下の者に給料を配分することが本当に善と言えるのでしょうか?仏教はこのようなことを教えていないはずです。 私の会社では良いという評価が45%、普通が50%、悪いが5%です。つまり、良いという大多数に入れなかったということになります。
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Name: 通りすがり
Date: 2021/12/06(月) 08:07
No:32499
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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本人の能力と会社の期待に沿った形で給与が支払われ、評価もついているだろうことを申し上げています。相当に努力して、会社の期待分しか発揮できなかったのであれば、それは能力不足ということになります。もちろんその場合、よくて「普通」になると思います。
他人について本人ではないためよく分からないのに、下の人間について「それほど仕事をしていなかった」と言うこと自体、相当の慢心を感じますが、自覚はありますでしょうか。
評価というものは人間がするのですから、相対的にならざるを得ませんし、会社の都合もあるでしょう。人が変われば評価が変わるなど、当たり前にあることです。
気にくわないなら辞めるなりしたらよいと思いますよ。「それほど仕事をしていなかった」などと蔑むような人間と一緒に働く人間も大変でしょうし、貴方にとっても新しい環境で「正当に」評価されれば満足でしょう。「自分(私)中心」に見ることは、善などではありません。
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Name: 北陸読書人
Date: 2021/12/07(火) 01:16
No:32507
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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それほど仕事をしていなかったという私の見立ては当たってますよ。 今回、事業を遂行する上で、彼らにも協力してもらわないといけないところがありましたが、何度もやるように言ったのに、しない人ばかりでした。こちらが綿密にマニュアルを作ったのに、しない人たちばかりなので、こちらが考えたこと、時間を費やしたこと、全て無駄に終わりました。 私の慢心ではないと思いますよ。勉強してますので、慢心があれば気付きます。 なので、私が慢心というスタンスでの発言をされるのでしたら、見当違いも甚だしいのでアドバイス不要です。 私は結果を変えたいとか、人に仕返しをしたいと言ってるのでもないですよね。 ただ、心の苦しさの鎮め方を聞いてるだけですよね。
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Name: 通りすがり
Date: 2021/12/07(火) 07:22
No:32508
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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そういうのを一般的に「独りよがり」とか「空回りしている」というんですよ。もういい年齢していて立場もあるので誰も指摘できないんでしょう。
あと、「慢心」は色々ある煩悩の中で特に、自分で気づきにくい上にやっかいなものですし、悟りの段階の中でも最後の最後まで残るんですよ。 他人と比較する心は全て「慢」によるので、既に貴方はそれを行っているわけですが、それでもご自身で「あれば分かる」「見当違い」と言ったのですよ? 分かっていないことの証左ではないですか。
分かりにくい「慢」を「分かる」と簡単に言ってのけ、しかも典型的な「慢」による状態に気づいていない状況をみても、分かったつもりで事を進めて人と衝突するだろう状況が推察できます。
(蛇足ではありますが、「やれ」と言って詳細なマニュアル渡したくらいで人は動きません。というか、そのやり方では逆に動かない気がしますが……。それで「仕事しない」と言うこと自体がおかしいんですよ。お願いする側がコミュニケーションが下手、失敗しているのです)
誤ったものの見方をしていれば、苦しいのは当たり前でしょう。 どうぞお幸せに。
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Name: 在家
Date: 2021/12/07(火) 07:27
No:32509
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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人事評価は「承認欲求(人に認められたい)」という人間心理を利用した動機付けの方法ですね。 評価される方は劣等感を掻きまわされるので、あなたのような葛藤が噴出することになります。 評価する方は各々のエゴが行いますから、大義名分に反してとても理不尽なものになります。 だから忖度(そんたく)などという問題が起きてくるのですね。 人が純粋に人を評価するのは不可能。・・・というのが真実でしょう。
そのためかどうかは知りませんが、仏教教団では入門日から起算した年功序列になっていて、修行者の評価は行われません。 そして修行による成長は、それとは別に「菩提心」と呼ばれる自分の内側に原動力を持つように指導されます。 人との比較ではなく、あくまで一人ひとりの内面の問題として扱われます。 「自灯明、法灯明」・・・「自らを拠り所とし、法を拠り所とせよ」という釈迦の教えに従ったものでしょう。 だから仏教を実践する人は、あなたのような悩みは最初からありません。
マズローの「欲求の5段階説」はご存じですか? 人間は「承認欲求」が十分に満たされると自分の内側から「成長欲求」が表れてきます。 マズローはそれを「自己実現の欲求」と呼びましたが、それは仏教の「菩提心」と重なるものです。 自己実現の欲求が自分の動機になれば、人の評価は全く気にならなくなるし、図らずも結果としては出世することになるでしょう。 あなたの知りたい答えはその辺にあると思います。 〇「マズローの心理学」・・・古いですがこの本が一番お勧めです。 https://www.amazon.co.jp/dp/438204247X/
> 会社の人事評価で、納得のいかない評価を付けられました。 > 私は会社の総務業務を担当しておりますが、単純に総務業務だけでなく、企画や事業をするための運営管理など、重責で難しい仕事をしております。有給休暇も取れなかったです。 > 私の会社の人事評価の傾向として、このような責任のある難しい仕事をしているということだけで、ごくろうさんの意味も込めて、良い評価をしてもらえるということがあります。よく会社の総務畑にいると出世が早いとかありますが、あれと同じようなイメージです。 > さらに、今年の私の働きは、非常に精神的苦労を抱えながらも大きな仕事をかかえ、途中トラブルもありましたが、結果的には無事に遂行できました。近年以上に自己評価では、よくやったと自信もありましたし、上記の通り事業遂行という実績も残しました。それなのに、評価はこれまでの「良い」から「普通」に下げられたのです。 > 一方、同じ部署に所属しているものの私とは別の、責任も重くなく、私と比べると気楽な仕事をしている人達の評価が「良い」と評価されていた人が多数いるのです。この人たちのミスなどの尻ぬぐいを私がしていたのに、この人たちが私より高い評価を受けていることが納得いかないのです。こちらは家に帰っても仕事のことばかり考えて、仕事でも恥をかいたり、嫌なことも言われながらも、ようやく仕事を完了してきたのに、 > 評価者である最上席上司が今年から変わったことが大きな原因ですが、私だけでなく、私の直属の上司も普通という評価でした。なので、私だけが嫌われて低い評価をつけられているということでもなさそうです。 > しかし、今回これだけ頑張ってきて、実績も作れたのに普通の評価をされた以上、来年は今年のような大きな事業もなく特段アピールすることもありません。なので、この評価者がいる以上、良いという評価はどうすれば取れるのか思いも浮かびません。どれだけ実績を残しても、普通とされるでしょう。この評価者からすれば、評価の独自基準があったのかも知れませんが、私からすれば恣意的な不公平で不当評価だと思っております。 > > このようなことから、仏教的な執着いう観点から、今の怒り、絶望、嫉妬などの感情が極大していますので、鎮めるためのアドバイスをいただけますでしょうか? > 私はこれまで、仏教的思考法については書籍で多くを学び、執着はダメということは分かっておりますし、人からの評価を気にして生きるのは人に好かれたいという執着に縛られているということは分かっています。今までも、そういった気持ちが浮かぶたびに、流してきました。 > しかし、会社の人事評価はそうはいきません。その評価のないようによっては、将来の出世が遅れたり、収入の減少、さらにはクビなどと、実害となって現れる可能性もあるからです。 > でも、起こってしまったことは今更変えることもできないことでもあります。仏教的には起こってしまったことにいつまでもクヨクヨ思い煩うこともダメとされています。 > 将来に実害を与える評価なのに、それについて過ぎ去ったことに悩まないとする仏教的教えをどのように当てはめて考えればよいのでしょうか? > 仏教的教えは十分理解しているのですが、気持ちの整理がうまくつけられずに悩み苦しんでいます。 > >
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Name: 北陸読書人
Date: 2021/12/08(水) 19:21
No:32512
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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通りすがりさんへ
では、独りよがりにならずに、この人たちがきちんと動いてくれる妙案でも思い付いているのでしょうか? このようにしてほしいとマニュアルを渡し、分からなければ質問が来て、それに答える。さらに遅れているので、声かけで促す。さらにしない人がいるのでマニュアルを修正し、簡単に出きるようなやり方に帰る。これは私が地道にやってきたことです。ここまでしても、全く放置する人達が多いのです。 では、私を独りよがりと言いはなったあなたは、どのようにして彼らを動かすのですか? それにあなたが、私を慢心いっぱいだと言うならば、人を比較することは必要なことだと思いますが。仕事をした人、仕事をしない人、これを比較しなかったのなら、誰もが仕事をせず楽な仕事をしないという選択をすると思いますが。 あなたの言ってることは、仕事をしない人の単なる擁護に聞こえます。 もういい年齢と言いますが、私、まだ20代ですが。人のことを色々という割には、思い込みが激しいのですね。
在家さんへ
やはり、忖度などの不公平は生じるものなのですね。それを受け入れるための基準を私の心に育まないといけないということでしょうか?
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Name: 在家
Date: 2021/12/09(木) 08:19
No:32513
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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あなたのモチベーションを、他人の評価ではなく、大谷翔平のマンダラチャートのようにすればいいんですよ。 他人の評価に心を振り回されるあなたの思考習慣を改めなければ、苦しみは鎮まりません。
> 在家さんへ > > やはり、忖度などの不公平は生じるものなのですね。それを受け入れるための基準を私の心に育まないといけないということでしょうか? > >
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Name: 通りすがり
Date: 2021/12/09(木) 22:39
No:32518
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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貴方をみて、改めて「慢」は扱いが難しいと分かりました。自分に仏教を教えてくれた先生がいますが、強い「慢」はもはや病気だとのことで、相談されても相手にしませんでした。その理由がようやく分かりました。
まだ若いのであれば、頭も心も固いことに驚きます。社会人経験がまだ少ないゆえに、人の動かし方を知らないのか、「慢」ゆえか分かりませんが、いずれにしても、これ以上、言っても無駄ですので申し上げることはないです。お幸せに。
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Name: 在家
Date: 2021/12/30(木) 07:36
No:32530
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Title: Re:会社の人事評価への不公平感の仏教的鎮め方について
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大谷翔平が国民栄誉賞を辞退しましたね。 謙虚と言えば謙虚だけど、むしろ自分の成長に有害だから辞退したのでしょう。 この人は他人の評価にはそれほど興味がないはずです。 これからもっと伸びますよ。自己実現は無限のモチベーションなのです。
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