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Name: 迷い人
Date: 2010/08/07(土) 21:33
No:3715
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Title: 先祖の供養
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昔ある方から、位牌の代わりに短冊のようなものに故人の名前を記し、それを供養することで位牌を供養するのと同じになると伺い、実践してきました。さらに、私の属する宗教というか団体は、僧侶をあまり重視しておらず、開眼供養という言葉すら聞いたことがありませんでした。本当に、遺族(私)が短冊に書いただけの故人の名前(戒名はありません)が位牌の代わりになるのでしょうか?個人的な考えを教えて頂けるだけでも結構です。よろしくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/09(月) 08:41
No:3720
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Title: Re:先祖の供養
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位牌の起源そのものは、儒教において学堂の正面に掲げられた孔子さんの名を記した札だそうです。そうすることで、孔子さんの面前で学問をしていることとしたのですね。この習慣を仏教が取り入れ、神仏や師僧の名を記した札を礼拝の対象としたものが、死者や先祖を象徴する物体としての位牌の直接の起源です。
開眼供養の目的は、その儀式に参列した人々が儀式に参加したことによって、開眼されたモノ(仏像・仏画・位牌など)が、単なるモノではなく神仏や死者の象徴物となったという意識を共有することです。
実際問題としては、開眼供養に参列していなくても、我々は位牌が亡くなった方そのものであるような文化を共有していることによって、最低限の礼儀を位牌に対してはらっております。ですから、短冊に故人の名を記したものであっても、それが一枚の写真であっても、故人の人格を象徴するもの即ち位牌と同等の意味をもつものと考えます。
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Name: 迷い人
Date: 2010/08/10(火) 16:40
No:3727
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Title: Re:先祖の供養
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天台沙門さま回答ありがとうございます。とても分かりやすくて説得力のあるお言葉でした。短冊に書いた故人名ではありましたが、まさに位牌と変わらないくらい大切に扱ってまいりました。位牌の歴史的背景や認識を教えて頂き、私のこれまでの供養も意味があったことに安心いたしました。厚くお礼申し上げます。
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