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Name: 雷神
Date: 2010/12/07(火) 00:15
No:3992
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Title: 因果応報
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因果応報は本当にあるのでしょうか?
人を焼き殺しても焼かれる事もなく殺される事もなく寿命を全うする人。 人をレイプしてもレイプされる事なく寿命を全うする人。 子供を虐待して殺しても虐待もされず殺されもせず寿命を全うする人。 いじめの被害者は自殺し加害者はいじめられる事もなく寿命を全うする。 これだけ自殺する人が多い中そんな人ばかりですので、因果応報があるとは信じられません。 もし因果応報があるなら上記の被害者にはどの様なカルマが返ってきていて加害者にはどの様なカルマが返ってくるのでしょうか? 又、加害者を恨んだり憎んだりしていてもいけないのでしょうか? そして 加害者を恨みつづけ 加害者を憎みつづけ 頭の中で加害者を痛めつけ続け、頭の中で加害者を殺し続けていれば、これもマイナスのカルマとなって自分に返って来るのでしょうか? 又 マイナスのカルマは誰かに返されその誰かがまた別の誰かに返され返しと永遠に続くのですか? 同じ出来事が永久にループし続けるなんて事があり得るのでしょうか? 同じ出来事が永久にループし続けてるなんて事は観たことも聞いた事もない。 本当に因果応報はあるのでしょうか?
現実として ※暴力には何が返ってきますか? ※陰口、悪口には何が返ってきますか? ※嘘には何が返ってきますか? ※イジメには何が返ってきますか?
現実には
暴力には名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
陰口・悪口には名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
嘘には名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
イジメには名誉、栄光、自信、優越感、仲間、信用、一体感、絆、笑顔
などが返ってきます。 因果応報は本当にあるのでしょうか?
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Name: 一九
Date: 2010/12/23(木) 10:58
No:4052
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Title: Re:因果応報
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まだ納得がいかないようですね。^^ 確かにいたいけない子供が殺されるのは理不尽ですが、子供は親の学びを促すために、親のカルマを受ける運命を承知して生まれているんですよ。 自分から志願しています。 だからそのような子供に限って素晴らしい子が多いですよ。 親は泣きですね。 そうしてその子は更によいカルマ(徳)を積んで死んでゆきます。 死ぬことが最悪と考える唯物論ではなかなか理解しがたいことですが、生死を越えた真理の世界はそうなっています。
因果応報はやればやり返すといったものではないですよ。 自分の心が発したものは宇宙にこだまして、ありとあらゆる方向から自分に還ってきます。 よいもを発すればよいものが、悪いものを発すれば悪いものが還る、ただそれだけのことです。
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Name: T
Date: 2010/12/23(木) 14:12
No:4053
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Title: Re:因果応報
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雷神さま、はじめまして。 菊雅さま、ご無沙汰してます。 一九さま、先だってはお世話になりました。 わたしは、元気にしています。 カルマってね、利息がつかないんですよね。 無利息ってありえないような、後ろめたいような気がしますけど、気がつくまで無期限無利息、どうもそうなってるみたいです。 それにね、いくつかのキーワードがあって、『鏡』『あるがまま』『受け入れる』。 わたしは、性分が悪くこれらを受け入れられなかったので、随分苦労をしました。 まだ苦労真っ只中ですが、心持ちが変わりました。 なにをもって苦労とするかは人それぞれですが、『苦労買ってカルマの精算をしなくても、宇宙の本質に気がつくことこそカルマ。魂の浄化成長こそカルマ』という思いで日々を過ごしております。 それは苦行者だけの特権ではなく、日々の暮らしをきちんと楽しみ生きている者の特権と思います。 みなさまが安らかな一日を過ごされますように、では(^人^)♪
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Name: せんべい
Date: 2010/12/23(木) 15:19
No:4054
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Title: Re:因果応報
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こんにちは。
真理には「無」が、先ず前提にありますよね。
「無」は闇に見えるけど、宇宙であり自分であり未来でもあると思います。
なので「無」の中にあるもの、自分にとって良い事も悪い事も今はわからないだけではないでしょうか。
「無」から学ばないと、闇を進むのは難しい気がします。
「無」の中に自分の存在に気づけば、同等なものが見つかるかも知れません。
きっと、「同等なもの」は自分で見つけるもので人が決めれるものではないと思います。
すみません。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/24(金) 12:47
No:4056
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Title: Re:因果応報
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>自分のやった事が自分に返ってくる訳じゃないんですね。
「ある」か「ない」か「わからない」ということは、「ない」ということとは異なります。「わからない」ということは、前述のカラスの例でいえば青いカラスや赤いカラスについて語ることにあたるでしょう。
私は、哲学的には「因果応報」について不可知の立場ですが、宗教的には実在するという立場をとります。 その理由は、ひとつには二者択一の際には、より実害の少ないほうを選択すべきという一種の功利主義からです。すでに「因果応報がないから悪行をしてもよいという理屈にはなりませんし、因果応報があるから善行をするというのも不健康でしょう」と述べた通りです。 または、宗教者として論理的かつ現実に即し「因果応報」が実在していることを証明できるからです 「付属池田小学校事件」によって死刑執行された犯人。 ノーベル賞受賞に際し「長年の努力が報われた」と発言する研究者。
「ある」の証明は一実際例の提示で必要充分ですから、上記の2例をもって「悪報でも善報でも、因果応報は実在する」という証明になります。
※
ところで、このスレッドの論点の概要は、「因」と「果」の「応報」の関係性が不明瞭である、という点に尽きると考えられます。私見ながら、議論に「時間」の問題および「縁」という環境や間接的原因の問題を組み込むことで、論点の整理が可能となるでしょう。 例えば、 ・因と果との時間的間隔に法則性が存在するのか? ・同一の因に対して、必ずしも同一の果とならないのはなぜか? ・因果律は前世・今生・来世と保持されうるのか? ・因果律は今生だけのものなのか? ・そもそも因果律の主体は常住不変なのか? という点をきちんと考えておくべきでしょう。
※
「虐待死させられた子供」の問題に関していえば、「本人が持つ因に対する果としての被虐待死」ということが「暗黙の前提」とされているようです。いくらなんでも、今生において子供が悪因を作るとは考えられないので、行為としての因ではなく「業」というものを設定したり、その業の発生した場所としての「前世」や業が清算されるべき「来世」を考える必要性がでてきてしまいます。 ですが、世間は単純な因果関係だけで成り立っているわけではありません。本人に悪因がなくとも悪縁によって不都合な出来事に遭ってしまう可能性を考慮すべきは当然でしょう。 児童虐待が事件化した時、多くの人々が介入のタイミングを逸したことを悔やみます。つまり、事件のレベルや様態を決める要素として、虐待した側された側の因果関係だけでなく、事件のレベルが決まってくることは明らかです。
もう少し、縁(具体的には人間関係)についての考察が為されて然るべきではありませんか?
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Name: 雷神
Date: 2010/12/24(金) 13:11
No:4057
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Title: Re:因果応報
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職場などでいじめられてるという事はありません。 自分の身の周りにいじめはありません。 ハンネに恨みもこもっていません。 ただ人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しいです。 でもそんな事にはなりません。
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Name: 一般人
Date: 2010/12/24(金) 15:41
No:4058
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Title: Re:因果応報
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いくつ前かはわかりませんが、過去生で
>人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しい
という風に、人に願われることをし、今生で現実になったのかもしれないですよね?こういう内容は仏陀しか正しく見れませんから、あくまで仮の話でしかありませんが。
人を怨んでしまっては、怨んだ人間の悪行為となり、自身に結果をもたらすといわれます。 雷神さんは、人の痛みが分かる方とお察しします。これ以上、他人の不幸を願うことなく、本来の雷神さんの優しさが発揮され、よい未来につながることを願わずにはいられません。
たびたび失礼しました。
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Name: せんべい
Date: 2010/12/24(金) 22:25
No:4060
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Title: Re:因果応報
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こんばんは。
話がズレますが…
身近な人が、自殺に追い込まれたり犯罪に巻き込まれ亡くなってしまったら、加害者を怨む気持ちは誰でも持つと思います。
だけど、死んでしまった被害者を思い「許せないよね、憎いよね、怨みたいよね」って雷神さんの想いが死んでしまった被害者に聞こえたらどう思うんだろ…
極楽浄土へ行きたくても「やっぱり許せない、やっぱり憎い、やっぱり怨みたい」って思うかも知れないよ。
この世では、思いやりの気持ちで怨みますが、あの世では今の雷神さんの思いやりが逆に苦しみに縛り付ける事になるかも知れません。
どんな理不尽な事だったとしても、残された者達は極楽浄土まで押してあげる事が大切だと思います。
怨みを抱えてあの世へ行ってしまったと思うなら、雷神さんも怨みを無くす事が浄化へ、そして極楽浄土へのお手伝いになる気がします。
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Name: 一九
Date: 2010/12/25(土) 05:44
No:4061
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Title: Re:因果応報
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運動会みたいなトピになりましたね。^^ みんな「俺が一番だ!」と思っているから、どれが本当だかわからないでしょう。^^ あとは自分で勉強したらよいですよ。
> 人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しいです。 そのように人を呪う心は、とても不幸な自分自身のカルマになりますよ。 因果応報は人に問うものではなくて、自分に問うものだと何度も言ったでしょう。
これは私が体験したことですが、近所の人を何人も呪詛(じゅそ)した人がいました。 実は昔ここの相談室であったことで、その人は間もなく交通事故で急死しました。 唯物論的には偶然で片づけられますが、真理に偶然はありませんのでね。 他の原因である可能性も、なくはないですが。・・・
「人を呪わば穴二つ(人を呪うときは墓穴を二つ準備しなさい)」ということわざがあって、呪いの結果はかなり早く現実化するようです。 せっかくここへ来たのだから、それくらい心に留めておいた方よいと思います。 私はそろそろ運動会から引き上げますので。
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Name: 太陽
Date: 2010/12/25(土) 22:29
No:4062
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Title: Re:因果応報
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因果応報というのは、例えばAがBを虐めたから、いつかBからAが虐められるという単純なものではありません。仏教にはさまざまな階層があり、魂のレベルにより、そのレベルに同じレベルの魂が集合します。つまり、虐めることが平気な奴等は、虐めることを何とも思わない奴等が集合する階層に逗留することになり、結果、虐められやすくなります。要は、因果応報とは自分の魂のレベルに応じた報いとして、同類階層に投げ込まれることであり、自然、自分が平気でしたことを他人から平気でされる事を招くということだと私は解釈してます。
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Name: 雷神
Date: 2011/02/28(月) 08:53
No:4168
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Title: Re:因果応報
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さっと読み返して分からない所があります。 あくまでもサッとです。 別に返信が無くても構いませんがレスします。
>身の回りに起こることはすべて自分の心の結果です。
人を殴ろうと思って殴る、人をレイプしようと思ってレイプする その心の結果には何が返って来て 被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか?
>因果応報の原因は過去の行為にあるのではなくて現在の心にあります。 行為が行為を生むのではありません。
殴られた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? レイプされた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 殺された被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 加害者のその心の結果には何が返って来るのですか?
>行為は結果でその原因はすべて心にあります。
殴られた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? レイプされた被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 殺された被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか? 人を殴ろうと思ってなぐる、人をレイプしようと思ってレイプする その心の結果には何が返って来るのですか?
>親は泣きですね。
虐待をして子供を殺した親には何が返ってくるのですか?
>自分の心が発したものは宇宙にこだまして、ありとあらゆる方向から自分に還ってきます。 よいもを発すればよいものが、悪いものを発すれば悪いものが還る、ただそれだけのことです。
人を殴ろうと思って殴る、人をレイプしようと思ってレイプする その心の結果には何が返って来て 被害者はどんな心の結果こういう目にあったのですか?
>人をいじめて自殺に追い込んだ人は自分もいじめられて自殺して欲しいです。 そのように人を呪う心は、とても不幸な自分自身のカルマになりますよ。
実際に人をいじめた人はどうなりますか?
>因果応報は人に問うものではなくて、自分に問うものだと何度も言ったでしょう。
なぜ人に問うものではなく自分に問うものなのですか?
>これは私が体験したことですが、近所の人を何人も呪詛(じゅそ)した人がいました。 実は昔ここの相談室であったことで、その人は間もなく交通事故で急死しました。 唯物論的には偶然で片づけられますが、真理に偶然はありませんのでね。 他の原因である可能性も、なくはないですが。・・・ 実際に人を恨んで殺した人はどうなりますか?
>「人を呪わば穴二つ(人を呪うときは墓穴を二つ準備しなさい)」ということわざがあって、 呪いの結果はかなり早く現実化するようです。
実際に人を恨んで殺した人には何が返ってくるのですか? 結果はかなり早く現実化するのですか? 実際に人を恨んで殺した人も墓穴二つですか?
>どれが本当だかわからないでしょう。^^
どれが本当なのですか?
返信が無くても構いませんが分からない所をサッとレスしてみました。
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Name: 一九
Date: 2011/03/01(火) 05:44
No:4170
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Title: Re:因果応報
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言葉尻を追うとますますわからなくなりますよ。 言葉は体験して感じるための道具です。 考えるのではなく、何度も読んで意味を感じてください。
因果応報というのは、「敵だ!」と思って鉄砲玉を打ち込めば自分に命中するということです。 それは即ち、人のために一生懸命尽くせば、自分が報われるということです。 それはなぜかというと、本当は人も自分も分離したものではないからです。
「自分」と思うのはエゴの錯覚で、自分も他人も地球も宇宙も同じ一つの心です。 他人と思っているのは全部自分なんですよ。 だから自分のした行為はすべて自分にかえる。
お釈迦様はそのことに気づいて「諸法無我」と言いました。 それに気づくことが「さとり」です。 これもいくら考えても理屈ではわかりませんのでね。^^
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Name: 雷神
Date: 2011/03/01(火) 08:38
No:4171
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Title: Re:因果応報
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>それに気づくことが「さとり」です。
一九さんは気づいて「さとった」のですか?
>これもいくら考えても理屈ではわかりませんのでね。
一九さんもわからないのですか?
分かっているのですか?
自分は因果応報はあると「知っています」もちろん初めてスレを立てた時から、
ですが
因果応報があるとは「分かりません」。
一九さんは因果応報があると知ってるだけですか?
それとも分かっているのですか?
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Name: 一九
Date: 2011/03/02(水) 05:41
No:4173
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Title: Re:因果応報
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人はどうでもいいんですよ。 因果応報もさとりも、自分に問うことであって、人に問うことではありません。 「ああ言ったこう言った」と言葉尻にもとらわれないほうがよいです。 横道ばかりですが、因果応報はわかりましたか?
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Name: 雷神
Date: 2011/03/02(水) 10:10
No:4176
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Title: Re:因果応報
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横道ばかりなのは
あなたが質問を全てスルーするからですよ。
>人はどいでもいいんです。 >因果応報はわかりましたか?
分かりません。
あなたは因果応報は分かりましたか? またスルーですか?
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Name: 椛
Date: 2011/03/02(水) 23:05
No:4180
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Title: Re:因果応報
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波紋のようなものですから、小さな行いには直ぐに、大きな行いには時間をかけて、結果が返ってくるといいます。 波動が地球の裏側までいって、返ってくる頃には本人はいない、なんてこともあるでしょうけれど、仏陀が生きていた頃の光は、今も夜空にあるようです。
それと同じで分かりにくかったり、答えがなかなか見出せない、時間がかかる問題ほど、広く深く大きくて皆にとって重要な事なのかもしれません。
私は雷神さんの書き込みを見て、親鸞聖人の 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉が何故か浮かびました。何かのきっかけになれば幸いです。
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