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Name: 福島
Date: 2010/12/10(金) 23:41
No:4015
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Title: 仏の概念
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供養の中でよく『成仏する・しない』というのを耳にします。この成仏とは、一体どういう状態を指すのでしょうか?私見ですが、仏とは、俗務を捨て、ひたすら血の滲むような苦行を続け、ようやく悟りに到達した一握りの人達という印象があります。従って、人が亡くなり、遺族の供養によって(いわば他力によって)『仏に成る=成仏』ということが本当にあり得るのでしょうか?成仏の仏と、崇め奉られる仏陀としての仏とは異なるのでしょうか?
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Name: 一九
Date: 2010/12/11(土) 06:17
No:4016
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Title: Re:仏の概念
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人間は死んだ後もずっと学び(気づき)続けて、少しづつ成仏に近づいてゆきます。 それは釈迦の成仏と本質的に同じものですが、釈迦は全体意識であるのに対して、人間はカルマ(心理)が残された個としての全体意識で、再び輪廻を選びます。
家族の供養というのは、生前の執着を解くために家族関係をよくすることがとても大切なのです。 家族関係にはその人のカルマが集積されているからです。 家族は親子関係で代々連鎖していますから、先祖供養ということになります。 ですから供養といっても〜回忌といったものではありません。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/12/11(土) 17:28
No:4017
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Title: Re:仏の概念
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>成仏の仏と、崇め奉られる仏陀としての仏とは異なるのでしょうか?
異なります。 前者は仏教の本義でいうところの「仏」ではなく「死者の人格」を意味しますが、後者は救済や守護という宗教的な機能をもった「仏格」を意味します。 具体例として、歴史的人物である「釈尊」は前者であり、仏教の本質そのものを象徴した「釈迦如来」は後者です。
古典仏教的には、「肉体などの存在の制約から完全に離脱した状態」を「無余涅槃」といいますが、この境地は心の惑いを消しただけでなく執着の原因となる肉体も消した状態とされますから、これをもって「死」そのものが「涅槃」であり「死=成仏」とする解釈が発生します。 密教的には、死によって肉体から人格の象徴である魂が解放され、死者の人格が大日如来という仏格と一体化することをもって「死=成仏」と理解できます。
いずれにせよ、肉体のもたらす種々の感覚が執着つまり解脱への障害となるという認識が根底にあることを指摘しておきます。
さらに日本の民俗信仰として、死者の魂(荒霊)は鎮魂儀礼を繰り返すことによって神(和霊)に変容し、生者に対する守護や利益をもたらすという意識があります。これが、仏教儀礼に基づくと、死者の魂をご供養することで仏様になり(=成仏なさり)子孫を守護する利益をもたらしてくれるというわけです。 「成仏させるために供養する」のは、カミ祀りを仏教式に行っているということですね。
なお仏教用語で「他力」といった場合、阿弥陀如来の本願によって極楽往生すること、を示します。
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Name: 福島
Date: 2010/12/12(日) 18:49
No:4020
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Title: Re:仏の概念
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一九様、天台沙門様ありがとうございました。本当よく分かりました。謎が解けました!
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