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  先祖の供養

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Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 00:21   No:4172
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Title: 先祖の供養    
供養について、深く探れば探るほど、分からなくなってきます。戒名が無ければ成仏できないと言う人もいるし、生前の名前のままで十分だと言う人もいる。位牌は短冊に書けば宜しいと言う人もいるし、一柱ずつ安置すべきだと言う人もいる。位牌の大小、供物の並べ方、仏壇の向きも正確にしないと霊障が起きると言う人もいるし、先祖が霊障を起こすわけがないと断言する人もいる。…家の仏壇には位牌の代わりに短冊に先祖の生前の名前を書いて安置しております。戒名は宗教的な理由からありません。花を供え、お経を唱え、食べ物を毎日供えます。お寺やお坊さんとも縁は薄いです。遺族の気持だけでは先祖は成仏しないものなのでしょうか。皆さんは個人的にどうお感じになりますか?


Name: 一九
Date: 2011/03/02(水) 05:51   No:4174
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Title: Re:先祖の供養    
ここでもいろんな意見が出て面白いと思いますよ。
何がよいかは自分がクリエートするんですけど、先祖の習慣はできるだけ尊重したほうがよいと思います。
代々戒名や位牌があって、本人もそのつもりで亡くなられたのであれば、それはあったほうがよいと思います。

先祖供養は家族関係の延長ですから、大切なことは先祖への思いやりです。
人によりますが、特に依存的な人は、先祖からの霊障を受けやすいようです。
理屈の問題ではなくて感情の問題ですから。

先祖が成仏するかどうか?
家族関係で残したその人の思いを、生きている人が十分に感じてあげたらよいです。
それから自分の好きな神仏(キリストでOK)に成仏をゆだねること。



Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 09:45   No:4175
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Title: Re:先祖の供養    
一九さんありがとうございます。さまざまな意見がある中で、やはり私も供養の精神が根幹であると思います。しかし、葬儀にも、火葬埋葬にもお坊さんは呼ばない、お寺で供養をしていない、戒名はない、位牌について教えてくれる人もいないという具合で、あまりにも簡略すぎると私的には思っています。親や伯父伯母が某に入っている影響です。祖父母の霊も供養しておりますが、生前、その某を内心では毛嫌いしておりました。難しい問題です。

Name: 天台沙門
Date: 2011/03/02(水) 15:27   No:4177
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Title: Re:先祖の供養    
よくいわれることですが、釈尊在世の時代には先祖供養という概念はありませんでした。インド的な輪廻転生の思想では、先祖(に代表される人々)の霊魂は一定の期間を過ぎると新しい肉体を得て生まれ変わってくるので、遺された人々ができることは故人がより良いカーストに生まれ変わることを祈ることだけでした。

仏教が「先祖供養」を重視するようになったのは、中国文明における「孝」を取り込まざるをえなかったからです。いうまでもなく、祖霊崇拝は人類普遍の信仰感情といってよいですから、どういった宗教でも祖霊崇拝の要素を取り入れざるをえないでしょう。

にもかかわらず仏教的に「先祖供養」というものに正当性を与えるとするならば、やはり仏教の基本的教理である「縁起説」に基づかねばなりません。
「縁起説」とは「すべての物/事は、因と縁という相互の関係性のなかで成立しており、独立・固定した実態をもちえない」という思想です。当然、生物としてのヒトの因(直接的原因)は生物学的な親子関係にほかなりませんし、存在としての人の縁(間接的原因)は血縁・地縁という人間関係全体にほかなりません。

つまり、「先祖」とは自分自身に関わるすべての人間関係のうち、具体的にイメージできる血縁者のことです。したがって、「先祖供養」とは故人となった具体的な血縁者に代表される自分自身につながる人々の縁を考えるということになります。



位牌とは亡くなった故人の人格の象徴物です。そこに記される戒名とは、本来は死者のための名前ですが、私は墓碑銘の代替物であると考え、壇家さんにもそのようにおつけしたい、とお話ししております。

「成仏」とは「仏に成ること」です。具体的には、釈尊と同等の「覚り/悟り」を得ることですが、昨今の言葉ならば「自己実現を達成する」としてもよいでしょう。仏教のうち、密教思想では精神的・肉体的な限界から自由になり宇宙そのものである大日如来と一体化することを言います。似て非なる言葉に「往生」というものがあります。


Name: 燈明
Date: 2011/03/02(水) 19:00   No:4178
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Title: Re:先祖の供養    
天台沙門さん、お詳しい解説ありがとうございます。すると、先祖供養とは今を与えてくれた先祖への孝の精神が形になったものであり、孝を尽くすのに特定の方法や形式といった型は必要ない、という解釈になりましょうか。私のできる範囲での供養しかできませんが、供養に型がないのなら安心なのですが…。

Name: 一九
Date: 2011/03/03(木) 06:00   No:4183
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Title: Re:先祖の供養    
キリスト教ではなくて某でしたか。
たとえお寺で供養しなくても、位牌や戒名がなくても、儀式や形式は故人への思いやりを形にした効果ですからね。
供養の主体はあくまで生きた家族であって、儀式や形式が何かをするわけでありません。
家族の誰かが故人に対する思いやりを持っていれば大丈夫ですよ。
ご先祖様にもその旨事情をよくお話されたらよいと思います。





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