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Name: 四季
Date: 2011/03/25(金) 19:40
No:4220
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Title: 先祖供養。
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先祖供養を怠ると、不幸になりますか? 不幸になるという人もいるし、逆に、供養をすると先祖が束になって苦しみを訴えてきて不幸になるという人もいます。周りを見ても、先祖供養に熱心な人が必ずや幸福ではないし、仏壇すらない家庭が公私共に順風というケースもあります。幸不幸と先祖供養との間に、呼応関係はあり得るのでしょうか?それとも先祖供養とは、先祖への恩や追善といった、心の働きかけに限定されるものなのでしょうか?
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/03/26(土) 09:34
No:4221
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Title: Re:先祖供養。
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四季様へ 冷静に考えて下さい。子供の不幸を願う親は誰も居りません。 供養を怠る言う事自体いろいろな理由が有り滞るのです。 此の事は御先祖様はすでにご存じの筈ですから祟ると言う様な事はけして在り得ません。また、供養とは何かと言う事を考えて行くと何処に居ても何時でも出来ますよ。供養とは「先祖に対して感謝をするという事です。」此れだけなのです。けして仏壇を購入して仏様をおいて拝んだり。先祖の眠る墓所へ行き供物を備えるとかでは有りません。肝心なのは「今、自分がこの世に生きているのが御先祖様の御蔭であるという事を日々感謝をして生活をする。」ということです。物が満ち足りていてもその人が幸福であるかどうかはわかりませんし物が無いからと不幸であるとは言えません。 「日々、感謝の気持ちで暮せるかどうかなのです。」 不幸を招くのは先祖では無く、己の我慾から来るものです。 他人に「先祖供養を怠ると祟りが有る・・・」の様な事を言う人間はすでに己の我慾により祟られている証拠です。こうならない様に我々は日々、反省し感謝する事が大切なのです。
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Name: 四季
Date: 2011/03/30(水) 08:38
No:4236
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Title: Re:先祖供養。
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勝運寺様ありがとうございます。参考になりました。先祖への感謝の点で言えば、毎日仏壇に供えをしたり、お墓参りに行くなど心がけています。しかし恥ずかしながら親戚を見渡すと、供養を疎かにする不届き者が多いです。それでいて運勢が良く、順風満帆に人生を送る者もいます。その人の持っている運勢もあるのでしょうが、供養を怠ると、いずれ加護もされなくなるのでしょうか。私が先祖であれば、供養を怠る子孫より供養してくれる子孫を大切にしますが…。
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Name: 勝運寺山主
Date: 2011/04/05(火) 07:47
No:4250
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Title: Re:先祖供養。
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供養を行う事で起こるのはは物質的な平安を得るのではなく精神的な平安を得る事が出来。冷静な判断が出来る為、物質的にも豊かになる事が出来るのです。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/04/09(土) 16:14
No:4251
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Title: Re:先祖供養。
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>先祖供養を怠ると、不幸になりますか?
正直に申し上げて、わかりません。 その理由は、人の幸不幸を決定する原因があるとしても、その原因は「先祖供養をするかどうか」に限らないからです。
仏教の基本原理は「縁起説」です。 因という直接的原因と縁という間接的原因とが結果をもたらすのであり、個別の事/物は独立しては存在できないという、よく考えればあたりまえのことです。 強いていえば、先祖供養以外の善なる因をもって「幸」という善なる果を得ることも可能ということですし、しかし逆に、どのような善因があってもそれを打ち消す悪因や悪縁が存在すれば、全体の因縁の結果は「不幸」の方に動いてしまうということです。
ここで大切なことは、過去の因縁が現在の果をもたらしたことと同様に、現在の果は将来に対する因縁になっているということです。 縁起説に基づくと、現在の「幸」が努力なしに永続することは否定されますし、現在の「不幸」を克服する努力が無意味であることも否定されます。
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