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  仏壇のお引越し

[4354] hotoke
[4355] 天台沙門

Name: hotoke
Date: 2011/06/24(金) 08:12   No:4354
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Title: 仏壇のお引越し    
現在、大阪の実家に仏壇があり、義父の死後は京都の我が家に仏壇を引越しさせるつもりでいます。
仏壇の引越し(移動)に関して、義父やお仏壇屋さんなどは御魂抜き、御魂入れをするように勧めていますが、みなさんは本当にそうしてらっしゃるのでしょうか?
引越しによる御魂抜き、御魂入れにはどのような意味があるのでしょうか?
御魂抜きをしないとずっと御魂はその家に宿ったままなのでしょうか?
しかし抜き入れなどは本当に霊などを扱えるお坊さんでないとできないような気がするのですが・・・?



Name: 天台沙門
Date: 2011/06/24(金) 13:30   No:4355
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Title: Re:仏壇のお引越し    
「御魂抜き=撥遣供養」と「御魂入れ=開眼供養」は、なさることをお勧めします。


例えば、社寺が所蔵している国宝・重文級の仏像・仏画を展覧会(修復や調査)のために移動させるときには撥遣の作法をします。年末の煤払いのときも同様です。
なぜかというと、これをしないと畏れおおくて「物」として扱えないのです。
この「物として扱えない」感覚は、僧侶や神職に限らず輸送に携わる人ももつようです。その理由を俗っぽくいえば、仏壇や仏像・位牌に「魂が入ったまま」で取り扱ったとき、万が一、破損させてしまったときに精神的なショックが過重なものとなることが想像できるからです。
いうまでもなく、魂が入っていようがなかろうが、大切な物を大事に扱うことは当然なのですが、ご自身で何かをするとして、もし破損させてしまったときに「これは物にすぎないから、祟りやお叱りがあるわけはない」とか「悪いことが続くが、あのときに傷をつけたこととはまったく関係ない」と将来にわたって確信を持ち続けることが可能でしょうか? (註:ここでの私の言説は、撥遣をせず破損させると祟りがある、という主張ではないので念のため。)
「御霊抜き」をする理由はそういうことです。


ひるがえって「御霊入れ」をする理由は、それが「単なる物」が「神聖なる象徴」に変容する儀式だからです。
はっきり申し上げて、日本の文化の中で育ってきた者にとって「位牌」が「死者の象徴」であり「仏壇」が「祖霊のいる場所」であることは説明の必要がありません。ですから、わざわざ儀式をせずともかまいません。しかし、あらためて儀式をすることで、儀式に参加した全員が神聖なる物であるという共通認識が得られるという長所に着目すべきと考えます。



なお、仏壇そのものに御霊が宿るかどうか、宿るとしてどういった御霊なのかということを考えることは一興とおもいます。

私自身についていえば、「霊」というものが実在していればおもしろいとおもいますが、それが実在するとしても存在を認知する能力をもちあわせません。よって、私は霊を扱えない僧侶ですが、上記の理由から「霊」の実在を前提とせずとも撥遣と開眼を行うことにためらいをもちません。





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