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Name: hotoke
Date: 2011/06/24(金) 14:30
No:4356
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Title: 仏像の取り扱いについて
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タイトルが変わりましたが、天台沙門様、仏壇の御魂抜き入れについてご丁寧なご回答ありがとうございました。 ぜひ、御魂抜き、開眼供養をさせていただきます。 さて「仏像の取り扱いについて」ですが、実家の仏壇の中にご本尊の阿弥陀様以外に主人のおばあちゃんが大事にしていたお地蔵様をお祀りしています。 故人が大切にしていたもの・・・ということで、仏壇の中に入れているようですが、本当はこのようなことをしてもよいのでしょうか? よく仏壇の中にはご本尊様以外の仏像は入れてはいけないと聞きます。仏壇はご先祖様が住むところだから、他の仏像があると、ご先祖様が恐れおおくては入れないというのが理由だとか??? それを聞いて私自身は、自宅の寝室(将来、仏壇を置く予定になっている部屋)に置いてあった普賢菩薩と勢至菩薩の仏像を箱に収納してしまいました。 地蔵、普賢、勢至菩薩、どの仏像も御魂入れなど何もしていないお土産屋さんで買って来た飾り物です。 御魂入れなど何もしていない仏像でも、取り扱いに少し神経質になっています。 どなたかよいご教示をお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/06/26(日) 10:00
No:4359
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Title: Re:仏像の取り扱いについて
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仏壇の起源は天武天皇が「各家で仏像を祀って供養せよ」との詔を出したことにあるとされています。つまり、仏壇は仏像を安置する場であって、仏教が一般化するにつれて位牌(先祖霊の依代)を安置するところに変わっていたと想像できます。
大きな枠組として、仏壇および神棚(さらには床の間)というものは、家庭のなかでの神聖所だという点があります。ですから、神聖な所に置くべきものであれば置いてかまわないのです。例外は神棚には「死」に関わるものを置かないということくらいでしょうか。 神聖なものというのは、仏像・仏画・位牌・神像・祈祷札などですし、もちろんご自身が大切におもっている物(写真・遺品・記念品)も同様なので、「故人が大事にしていた」という理由から本尊の阿弥陀如来の脇に地蔵菩薩を安置することにも問題はありません。
さらにいえば、日本の伝統的な信仰形態は神仏習合ですから、カミをホトケとみなして祀ることもホトケをカミとみなして祀ることも自然なことです。この習合した形態が胡散臭く悪いことのようにとらえられるようになったのは、明治維新期の神仏分離令(廃仏毀釈)やら近代的宗教学の影響で、(一神教的な)純粋な形式をもつ宗教ほど優れているという一種の誤解が常識となったためです。
さて。開眼をしていない仏像の件です。 私は、儀礼の効果を認めたうえで、撥遣と開眼をお勧めしました。これと矛盾するようですが、「開眼をしていない飾り物」であったとしても、それに対してなにごとかを感じていらっしゃるのであればれっきとした「仏さま」であるとも考えます。私の「日本人は文化的に位牌を死者の象徴と知っている」との発言と同様です。 神社のご神木や、自然崇拝の対象となっている巨石などは、仏教的な開眼供養だったり神道的な勧請祭祀を行わなくても、カミが依ってくださる存在です。儀式があって神聖なモノになるのではなく、それを神聖な物と感じる人の気分が先にあるのです。
私は、いろいろな仏像も一緒にご安置なさって、日常生活の中のそれぞれの場面においてそれぞれの加護を祈られれば善いと考えます。
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