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Name: 美玲
Date: 2011/07/02(土) 18:42
No:4370
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Title: 人の不幸を願う
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人の不幸を願うことはよくないことですが自分に意地悪をしたり酷いことをした人の不幸を願いたくもなりますが、そうせずに気持を処理できるのでしょうか?
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Name: 一般人
Date: 2011/07/02(土) 19:04
No:4371
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Title: Re:人の不幸を願う
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相手を哀れな人間だと、慈しむことができます。例えば……
誰かを害して傷つければ、その悪行為の結果は加害者がいつか受けることになります。 「かわいそうに、自分が悪い行為をして、その報いを受けるのは己だというのに……」と哀れむ。
害する行為をする方は心が成長していないのでしょう。 「かわいそうに、こんなことをしなくてはならないほど心が病気なのだ」と哀れむ。
また、哀れむ方法以外では、うらみを抱く自分の心を厭い、心を強くするぞ!と自身を励まして、工夫へと心を持っていく方向もあると思いますね。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/02(土) 22:19
No:4372
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Title: Re:人の不幸を願う
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一般人さま
回答有難うございます。
因果応報の法則に当てはめる
これは出来そうです。
相手より一段上をいき哀れむ
前々からこうが出来たらどんなに楽かと思っていました。 自分が未熟なため、相手と同じ土俵に立ってしまうんですよね。
うらみを抱く自分の心を厭い、心を強くするぞ!と自身を励まして、工夫へと心を持っていく
心を強くするぞと自分を励ますのはいい方法ですね。 それが出来れば恨むことにエネルギーを費やさなくて済む分楽だろうと思います。
こうして回答をいただいても、なお相手を恨んでしまう。 情けないですね。
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Name: 花火
Date: 2011/07/03(日) 10:21
No:4373
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Title: Re:人の不幸を願う
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憎たらしい人物の不幸を願うことは大多数の人が体験していることです。ごく自然な反応ではないでしょうか。人から憎まれる人物は、さまざまな人から呪いの念を浴びて、結局は不幸になっていきます。たしかに人を呪えば…と言う格言はありますが、一般人は聖人を目指すわけではありません。憎むことが心の素直な反応なら、こらえないことが心の健康法だと思いますよ。
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Name: 一般人
Date: 2011/07/03(日) 11:06
No:4374
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Title: Re:人の不幸を願う
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心には「習慣」があります。例えばずっと悲しんでいるならば、やめようと思っても心のクセが抜けず、しばらくは心が悲しむ方向へといきやすいものです。
「恨まない」とまずは貴方自身が心に決めたのですから、しばらくは心のクセが抜けないかもしれないですが、もう大丈夫だと思いますよ。クセに負けないことです。 心の主は自分。そのことを忘れないでいてくださいね。
さて、恨む気持ちはフツウあるから恨んだらいい、聖人じゃないんだから。そういう考え方もあるでしょう。
しかし、恨み続けることで自分の心が苦しむこと、さらには健康を害することすらあることを知っていれば、「恨むのをやめたい」というのは当たり前のことです。そうしないのは、(言葉が悪いですが)頭が悪い、自分で自分を害していることにすら気づけない人達だと思われます。まぁ、本人が理解できなければ難しい話でしょうが……。
ちなみに自分は恨みから抜け出せず、一週間ほどで病を発病し、さすがに恨みを抱くことには懲りました。恨む気持ちに気付いたら、早めに手放さないと危険だというのが実感です。雪だるま式に膨れあがり、手が付けられなくなるように思います(笑)
美玲さんが早く恨みの心から逃れ、いつもの明るい気持ちで「今ここ」の時間を過ごすことができるようになることをお祈り申し上げます。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 11:43
No:4375
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Title: Re:人の不幸を願う
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花火さま
回答有難うございます。
憎たらしい人物の不幸を願うことは大多数の人が体験していることです。
そうかもしれませんね。自分だけが悔しい想いをしていると思っていたんですが、大多数の人が悔しい思いをしているんですね。
ごく自然な反応ではないでしょうか。
憎んだ相手の不幸を願い、自分を責めて苦しくなっていたのですが、そう言って頂くと心が軽くなります。
人から憎まれる人物は、さまざまな人から呪いの念を浴びて、結局は不幸になっていきます。
いけないことですが、そうなればいいな・・・と思ってしまいます。人に与えた痛みは自分が身をもって痛みを感じないとわからないことがありますよね。 私の出会った酷いことばかりしている人は、いつも断じて自分は悪くないと自分の思いを押し通し、不思議と相手が折れ(諦め)、結果的に自分の思いがまかり通っている・・・いつか天罰が下るんでしょうね。
たしかに人を呪えば…と言う格言はありますが、一般人は聖人を目指すわけではありません。憎むことが心の素直な反応なら、こらえないことが心の健康法だと思いますよ。
この世は修行の場で聖人に近づこうという気持も心の隅にありました。 でもその分、心がキツくなってしまうのですよね。心の健康も大切にして考えてみます。 ありがとうございました。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 12:05
No:4376
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Title: Re:人の不幸を願う
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一般人さま
再び回答ありがとうございます。
> 心には「習慣」があります。例えばずっと悲しんでいるならば、やめようと思っても心のクセが抜けず、しばらくは心が悲しむ方向へといきやすいものです。
心には習慣があるんですね。私もやめようと思っても気がついたらまた悲しむ方向へ向いています。 確かに前向きなクセを持つ人はいつ、どんな時でも前向きですね・・・
> 「恨まない」とまずは貴方自身が心に決めたのですから、しばらくは心のクセが抜けないかもしれないですが、もう大丈夫だと思いますよ。クセに負けないことです。
恨むことがいけないことと理解していても、気がつくと恨んでしまうんです・・・ クセに負けないようにするには、同じことを繰り返さないように努力をすることが大切なのでしょうね。
> 心の主は自分。そのことを忘れないでいてくださいね。 本当にそうですね。心の持ち方次第で幸せにも不幸にもなりますね。貴重なお言葉有難うございます。
> しかし、恨み続けることで自分の心が苦しむこと、さらには健康を害することすらあることを知っていれば、「恨むのをやめたい」というのは当たり前のことです。そうしないのは、(言葉が悪いですが)頭が悪い、自分で自分を害していることにすら気づけない人達だと思われます。まぁ、本人が理解できなければ難しい話でしょうが……。
恨み続けることはエネルギーを必要としますね。そのことで目の前のことが疎かになったり、心も体も参っています。恨まなくて済むなら、誰も恨みたくないのですが、恨まずにいられないというところが、なんとも複雑で難しいのですが・・・
> ちなみに自分は恨みから抜け出せず、一週間ほどで病を発病し、さすがに恨みを抱くことには懲りました。恨む気持ちに気付いたら、早めに手放さないと危険だというのが実感です。雪だるま式に膨れあがり、手が付けられなくなるように思います(笑)
そうなんですよね。恨みが雪だるま式に膨れ上がり手が付けられなくなるってすごく解ります。いつも恨んでいる精神で、イライラしたり、あまり良いこともないですね。 一般人さまは病を発病されたとのことですが、私も胃痛、腹痛、不眠、うつ病になりました。
> 美鈴さんが早く恨みの心から逃れ、いつもの明るい気持ちで「今ここ」の時間を過ごすことができるようになることをお祈り申し上げます。
優しいお言葉ありがとうございます。今、ここ・・・にだけ気持を向けられるよう努力します。
ありがとうございました。
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Name: 花火
Date: 2011/07/03(日) 12:28
No:4377
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Title: Re:人の不幸を願う
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人間というのは、一つの感情をいつまでも継続するなんてことはあり得ません。憎しみについて言えば、憎んで憎んで憎み尽くして憎むのに飽きたとき、ようやく忘れることができると思います。また、一人の相手を激しく憎んだところで、それが習慣となり誰彼構わずの相手に憎むのが当たり前の心の有り様になるなんてこともナンセンスだと思います。昨今、心の病が増えていますが、感情やストレスの抑制こそが心の病になる最大の原因だと思っています。憎む人物の不幸を願うことで感情が解放されるなら、飽きるまで憎んでストレスを貯めないことが現代の心の健康法だと思います。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 13:34
No:4378
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Title: Re:人の不幸を願う
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花火さま
再び回答をありがとうございます。
色々な考え方があり、とても勉強になります。
> 人間というのは、一つの感情をいつまでも継続するなんてことはあり得ません。憎しみについて言えば、憎んで憎んで憎み尽くして憎むのに飽きたとき、ようやく忘れることができると思います。
憎むのに飽きたり忘れたりすには、時の流れに任せていれば無理して忘れようとしなくても、自分で気付かないうちに自然と忘れられるのかもしれませんね。
昨今、心の病が増えていますが、感情やストレスの抑制こそが心の病になる最大の原因だと思っています。憎む人物の不幸を願うことで感情が解放されるなら、飽きるまで憎んでストレスを貯めないことが現代の心の健康法だと思います。
花火さまが仰るのはただただ、自分の気持に従うということですよね。憎い相手を想っている時は心が荒んでいるせいか、別の思考を持つことが難しかったりすることもあります。その時の自分の気持に従っていれば無理が生じない分だけ楽になるのかもしれませんね。自分の精神状態にもよるのですが、相手の不幸を願うことで自分の気持が楽になることもありますよね。そのあと苦しくなったり、スッキリしたり色々ですが・・・
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Name: 一般人
Date: 2011/07/03(日) 14:03
No:4379
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Title: Re:人の不幸を願う
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度々失礼します。美玲さんは仏教に親しまれていらっしゃいますでしょうか?
もしそうであれば、一般的に日本のお寺で話されるような内容として「多生の縁」という考え方もあると思います。なお、あくまで私が言うのは、心を「抑えこむ」ではなく、考え方をかえることで自動的に心がかわるように仕向けるという方向です。
多生の縁。美玲さんの心にいま強くひっかかっている人が、実は過去の生まれ(過去世)において母親だったかもしれない。あるいは、自分が過去世で酷いことをした相手なのかもしれない…様々な縁により「今」が成り立ってますが、袖が触れ合うだけでも過去世では深い縁があったと言われるくらいですから、心に強くひっかかるような関係であれば尚更、過去世では深い関係があったのだろうと推測されるわけです。だから優しい気持ちで付き合っていきましょうと、そのように考えるわけです。
加えて「業(カルマ)」という見方ができますので、いま相手に迷惑をかけられたことで、自分の悪いカルマを解消できたという風にみることができます。 善因善果、悪因悪果。相手の行為によりカルマを解消できても、自分が仕返しして悪行為をすれば、また自分が悪いカルマを積みますので、いつかまた返ってきてしまいます。
オンニコニコハラタツマイゾソワカ。腹をたてない呪文です。怒りがわいたらオンニコニコハラタツマイゾソワカ。思い出してクソッと思ったらオンニコニコハラタツマイゾソワカ。宜しければお試しください。
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Name: 花火
Date: 2011/07/03(日) 14:23
No:4380
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Title: Re:人の不幸を願う
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憎しみを捨てる、心の在り方を変える、考え方を変える、道徳的な視点から言えば、それが王道の答えなのでしょう。しかし、いざ自分の身に置き換え、現実の憤怒に臨めば、道徳など絵に描いた理想論に過ぎないことがわかります。頭では分かっていても道徳の実践は困難である、それが人生というものです。見知りの住職は住職になる前、会社を経営していました。しかし信頼する人物に裏切られ、会社を潰しました。血の憎しみが消えず、生きる希望もなくし、世を捨てる思いで出家したそうです。憎しが消えたのはだいぶ後のことだと言います。出家した住職だってこの通りです。解毒剤でたちまち毒が消えるようには消えていかないのが人の感情です。自然治癒(心の解放)に任せるしかないと思います。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 14:32
No:4381
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Title: Re:人の不幸を願う
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一般人さま
回答ありがとうございます。
詳しくはありませんが、仏教系の本は好きです。
「多生の縁」という考え方があると聞いたことがあります。 誰かから酷い仕打ちを受けるたび、自分は前世で余程ひどいことをしてしまったのだろうと考えることもあります。身に覚えがないことですが、過去世で傷つけてしまったなら反省し、心を入れ替えて良い人間になれるよう生きているつもりなんですが、酷い人がのうのうと生きているのを見ると何だか理不尽だな・・・というのが本音です。
自動的に心がかわるように仕向けるのは、ストレスや無理がかからなくていいですね。
呪文ありがとうございました。さっそく、メモをしていつでもどこでも唱えたいと思います。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/03(日) 14:36
No:4382
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Title: Re:人の不幸を願う
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花火さま
回答ありがとうございます。 私も憎しみをすてるためにたくさんの書物を読みあさりましたが、理想通りに生きたいと思っていても心がついていかないのですよね・・・
自然治癒力は心にもあるんですね。
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Name: 一般人
Date: 2011/07/03(日) 15:15
No:4383
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Title: Re:人の不幸を願う
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「一転語」といいまして、一言で心機を一転させる語が語れればよいのですが、そこまでの能力を持ち合わせておらず、駄文を繰り返すことお詫び致します。
仏教的に深いところを申し上げます。「自我」というものがありますね。「一切皆苦」「諸法無我」という言葉、見聞きしたことはありますか。
なぜ「理想どおり」にいかないのか。「一切皆苦」とは、自分の思いどおりになるものはない、ということです。
では、その「自分」とは何か。コップ一つ、自分でつくることはできません。身体だって生まれたときあったもの。鏡に映った姿、いま感じている感覚、そういったものをまとめて「自分」だと認識しているに過ぎません。
とは言え、「自分」の身体は勝手に歳老いていきますし、レジに割り込まれればイライラ、赤ちゃんが笑うと楽しい気持ちになるなど、環境の状態によっていくらでも「自分」はかわってしまいます。
従って、「自分」という、魂のように変わらない自分はない。諸々の因縁によって仮に成り立っているのが「自分」である、というのが「諸法無我」なのです。
だから、本当は「自分」の心は常に消滅生成されてますので、いま憎しみを手放せば、少なくとも次の瞬間、憎しみはないはずなのです。 それを「自分」を害した悪い人間だ!酷い奴だ!などと、ありもしない固定した「自分」や「相手」を想定し、念を抱きつづけることで恨みが膨れあがり、しいては事件などに発展するわけです。本能が命じるままに動いてしまっては動物と一緒ですね。
相手も自分も、ちょうど「そのとき」の状態があって「あの時」が成り立った。今はまた違う。こうみるのが諸法無我です。
そして縁起。因縁によって結果が現れます。よい因をつくれば、よい果が得られます。 もし私が僧侶ならば、美玲さんに対し、相手に慈悲を抱くことをオススメするでしょう。人に嫌われて幸せですか、寂しくはないですか、よかったらお茶でもどうぞと、逆に相手に「愛」を向けることをすすめます。相手を慈しむと同時に憎むことはできませんから、憎しみから解放されます。
難しい話になっていましたら申し訳ありません。仏教、私も好きです。心が安らぎますね。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/07/04(月) 09:18
No:4384
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Title: Re:人の不幸を願う
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ふとしたことで「人の不幸を願う」ことは一過性の気分です。それが執着である「その不幸を願い続ける」気分となるのはよろしくないのですが、本質的には別物と考えておいたほうが良いでしょう。
そもそも感情というものを否定することはできません。その感情をもった自分自身を肯定することから始め、次いでその感情そのものの善悪・良否・真偽を省察すれば善いのです。「人の不幸を願うこと」が悪いことと知っているなら「人の不幸を願う」自身の行為そのものへの反省が生まれるわけで、全体としての均衡はとれるのではありませんか?
私が宗とする天台は「性悪説」にたちます。たとえば、「六道(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)」は客観的に存在する場所であるよりも主観的に実在する心理的状態であるとします。そして、六道を超越した「仏」の内側にも「地獄」があって、そうであるからこそ仏は六道にある事/者を救済する方法を知ることができると考えます。 これと同様で、「人」は自分自身の中にある悪(修羅・畜生・餓鬼・地獄)を自覚することによって、自分自身を善(仏)に近づけるエネルギーやモチベーションを得ることができるのです。
私個人は「自分自身は善の側にある」と盲信するより「自分自身は悪の側にいるかもしれない」と悩むほうが安全であると考えます。
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Name: 小市民
Date: 2011/07/05(火) 16:28
No:4386
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Title: Re:人の不幸を願う
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横レス失礼します。
憎しみを抱く心に気づいて、その感情を認めることももちろん大切だと思います。 ただ、それ以前に、そのような感情を抱いてしまうことがいけないことだと知りながら、それをなんとかしたいと問題意識を持った時点で向上への一歩が出ていると思いました。 それがまさに気づきなのではないかと思いました。 何故なら、憎しみを抱けば、その憎しみが増長するようなご時世です。 だから、残忍な事件が後を絶ちません。 でも、美玲さんは、そうした感情に対して、それじゃいけないと自ら気づいてどうしたらいいかと考えだした。
その時点で素晴らしいことだと思いました。
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Name: 小市民
Date: 2011/07/05(火) 16:35
No:4387
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Title: Re:人の不幸を願う
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私は、仏門に身を置く者ではなく、その教えに精通しているわけでもないので、救いという点では何の力にもなれません。 ただ、経験則からみえてくるものがあります。
花火さんが、前レスで「憎しみきって飽きた時に忘れられる」と語られています。 たしかにその通りです。 恥をさらしますと、私の場合、自分自身の人生において、許し難い裏切りに二度あいました。 一度目の裏切りを過去のものにするのに五年、二度目は十年かかりました。 つまり、都合、忘れるのに十五年かかりました。 それだけ引きずったということです。 飽きるのに十五年もです。 今思えばつくづく馬鹿な自分だったと思います。
体に変調をきたすということも、その通りです。 その変調というのは、内臓疾患や精神疾患ということもさることながら、自分自身の性格というか、顔つきや、表情といったところにまででてきます。 私の場合は、相手への恨み辛みから、やがて自分までも責めるようになりました。 普段は普通に仕事をする顔をもちながら、仕事を離れたら、恨み辛みに縛られる。 そんなことで十五年です。 刺々しくなるし、粗暴な面が出て、それを抑える理性との葛藤で疲れてくる。 性格が捻くれるのも無理はありません。
時間が解決してくれるという見方もありますが、今、私が言えることは、相手を恨んだり、憎んだり、不幸を願ったりする時間は、後悔にしかならない。
つまり、そこで費やす時間が長ければ長いほど自分を苦しめるだけです。 あとから、あの時はなんて馬鹿な発想をして苦しんでいたんだと、なることが多いです。 でも時間は元には戻せません。
今ここで恨んだり、憎んだりしている時間には、自分自身を成長させる要素はないに等しい。 そういうことで心に波風たてて、どこでどう向上できますか? そんな心では、何かを得て向上するのはニセモノの向上になります。 人間だから、そうした感情をもつのは自然です。 持つなとはいいません。 恨むような感情がでたら、一息ついて、そんな発想はダメ、相手を哀れと思い、一つ教えられたと思えばいい。 そういうご自身であると受け止められれば一番いいのでしょうが、なかなか簡単なことではありません。 要は、受け止め方を間違えずに、心の中での葛藤を極力小さくできれば、後悔と無駄な時間を費やすことなく、苦しまずに済むと思います。
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Name: 美玲
Date: 2011/07/06(水) 05:29
No:4390
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Title: Re:人の不幸を願う
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一般人さん 天台沙門さん 小市民さん
回答を頂きありがとうございます。
また改めて回答をさせて頂きます。
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