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Name: hotoke
Date: 2011/08/16(火) 08:50
No:4425
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Title: 宗派替えについて
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我が家の宗派は現在、浄土真宗ですが、祖父の代までは真言宗だったようです。
しかし今から23年前、祖母が亡くなった時に家の近くに真言宗のお寺がないという理由で真宗に変えられてしまったとか・・・。 真宗では宗派替えは認められているようですが、他の宗派になると「家の宗派は絶対に変えてはいけない」ときつくいう方もおられます。
現在は義父が家の仏壇を見ていますが、今後、私どもの世代になった時、ご先祖様に対してどのような供養をすればよいのでしょうか? そのまま真宗を受け継ぐのか? それとも真言宗に戻すのか?
家の仏壇は祖母が亡くなった時に真言宗から真宗の仏壇に新調されて、古い真言宗の仏壇はどこかで処分されてしまったようです。
尚、仏壇は祖父の代まで真言宗でしたが、仏様の戒名は曾祖母から祖父まで真宗の戒名になっています。(5人のご先祖様が真宗の戒名になっています)
すなわち曾祖母が四国から大阪に移り住んだ時、家の近くに真言宗のお寺がないという理由で、葬式は真宗のお寺でしたものの、仏壇はそのまま真言宗のものにして残したおいたものと思われます。
大変複雑な家庭で申し訳ありませんが、今後はどのような方法で先祖供養をしたらよろしいのでしょうか?
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/08/17(水) 01:59
No:4427
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Title: Re:宗派替えについて
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hotoke様 大阪地方でも真言宗のお寺は多いですよ。 転派につきましては貴家の自由かと思います。
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Name: hotoke
Date: 2011/08/18(木) 09:14
No:4431
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Title: Re:宗派替えについて
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失礼ですが田舎者さんはあの世の人ですか? それともこの世の人だけれどあの世を見てきた人ですか? 神仏のことについて「絶対」という言い方はどうかと思います。 こちらのお寺ネットは、いろんな人が書き込んでくるようですが、何かと問題になっていませんか?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:19
No:4432
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Title: Re:宗派替えについて
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大前提として「家の宗旨」と「個人の宗旨」は別物ですし、宗教と信仰とは別物ということをおさえておくべきです。
現代でも、江戸時代の寺請制度(非キリスト者であることの証明)の影響で、菩提寺の宗旨と檀家の宗旨が一致することが当然と考えています。しかし、寺の宗旨自体も変化しうるという事実や、異なる宗旨の檀家に嫁・婿に行けば「実家の宗旨」から「婚家の宗旨」に自動的に宗旨替えが行われる事実を踏まえれば、個人の宗旨替えそのものは咎められる筋合のものではないことが明らかです。
私は、生者が死者を弔うためにどのような方法をとってもかまわない、という立場をとります。それが無宗教的な行事であっても、特定の宗教に基づく儀式であっても、故人を偲ぶという目的であれば、生者が自由に選択して許されるべきことです。
教学的(理論的)なことを考えれば、真言宗(=密教)における弔いは「成仏」を目的とするに対し、真宗(=浄土教)における弔いは「往生」を目的とします。具体的には、「成仏」とは大日如来との一体化を示し、「往生」とは阿弥陀如来の本願による極楽への生まれかわり(≠輪廻転生)ことを示します。ですから、密教な回向供養と浄土教的な回向供養では、まったく意味が異なるので教学的観点では「宗旨替えをすると意味がない」という主張が成り立ちます。
ですが、こういった理論的なことを説明されたうえでの宗旨の選択が行われているでしょうか? もちろん、行われていません。あくまでも「家の宗旨」だから、という理由だけで宗旨が決定されています。そうである以上は、理論的なことは宗旨替えを否定する理由にならない、というものが私の理解です。それに密教的思想と浄土教的思想と、どちらかが正しいのではありません。どちらも正しいのです。
ですから、弔う側が故人を偲ぶという目的にそって納得して行うのであれば、その形式は自由に選択して許されるべきなのです。
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