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  逆打ち

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Name: hotoke
Date: 2011/09/06(火) 13:36   No:4452
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Title: 逆打ち    
今秋、2度目のお遍路に出かける予定ですが、2度目にいきなり逆打ちをしてもよいのでしょうか?
1度目は順打ちで結願まで達しましたが、主人が来年は閏年だし、逆打ちで行きたいと言っています。
回る予定としては今秋、来春、来秋・・・で一国打ち切りです。
逆打ちはベテランがするものとかいう話もあるようですが、初心者でも構わないのでしょうか?
来年の閏年にちなんで逆打ちツアーというものを企画している旅行会社もあるようです。



Name: 天台沙門
Date: 2011/09/08(木) 17:44   No:4453
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Title: Re:逆打ち    
大切なことは巡礼という行為であって、そのやり方は二の次です。
きっと「初めての遍路が閏年になるのも、お大師さんとのご縁だ」と感じて2度目どころか1度目から逆打ちをなさる方もいるでしょう。ですから、逆打ちに不安をおもちいただくことはありません。

もしかしたら、これが最初で最後のお遍路になるかもしれない人が、お大師さんとすれちがうことを求めて閏年の逆打ちをするかもしれません。そういった可能性を考えない、「ベテランがするもの』という物言いにはうさんくさいものを感じます。


Name: hotoke
Date: 2011/09/08(木) 18:59   No:4454
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Title: Re:逆打ち    
ご回答、ありがとうございます。
本などを読んでいると「逆打ちはせめて3度以上順打ちをしてから・・・」という言葉がありましたので、ちょっとびびっていたんです。

あと映画「死国」の影響もあってか、逆打ちは何だか怖いという偏見がありました。
でもあれって作り話、迷信なんですね。

それでは1番〜3番を先に回ってから88番へ行って逆打ちすることにします。
ありがとうございました。



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/09/09(金) 05:15   No:4455
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Title: Re:逆打ち    
hotoke 様
遍路について基本的なことはお判りかと思いますが、まがりなりにも遍路も遍路行と言う修行です。順打ち、逆打ちには意味があります。
逆打ちの始まりの衛門三郎の話を載せておきます。

天長年間の頃の話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし(つかんで地面にたたきつけたとするものもあり)、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。

三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。

三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。




Name: hotoke
Date: 2011/09/10(土) 04:54   No:4456
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Title: Re:逆打ち    
勝運寺山主様

衛門三郎のお話、ありがとうございます。
衛門三郎については本などで読んだことがあります。
うちの先祖も伊予三島の庄家でお大師さんを信仰していた家です。
お遍路を2度も体験できるのはご先祖様が与えて下さったご縁でしょう。

追加の質問で申し訳ありませんが、巡礼には別格や番外巡礼というものがあります。
そもそも番外にはどのような意味があるのでしょうか?

88番や33番からもれてしまった札所なのでしょうか?

また別格や番外も逆打ちしたってよいものなのですよね?


Name: 天台沙門
Date: 2011/09/11(日) 14:53   No:4459
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Title: Re:逆打ち    
別格や番外が発生した理由は、よくわかりません。
わりあい確からしいものとして、観音霊場は西国三十三箇所・坂東三十三箇所なのであわせて百観音になるように秩父が三十四になったといわれています。

巡礼者を受け入れることが社寺や門前町の世俗的利益になったという点はどうしても否めませんから、各霊場の参拝者を呼び込むために、本寺すじ(四国八十八個所に対する高野山)や著名寺院(坂東三十三箇所に対する善光寺)が繰り入れられたということでしょう。もちろん、より優れた功徳を得るために著名な社寺にも縁を結んで区切りとしようという巡礼者の心情もあったはずです。

四国と高野山については、巡礼の安全を祈願するという意味で最初に参拝し、巡礼が無事に終わったことに感謝する意味で最後にも参拝する、ということもありではないでしょうか。私が比叡山で修行したときも、修行の満行を祈るために比叡山中を参拝して歩き、満行してから感謝のためにもう一度歩きました。
数字にこだわることもそれはそれでおもしろいのですが、だからといってこだわりすぎることもないというのが私の考えかたです。



秩父三十四箇所に関する余談ですが、ここは札所の順番に参拝することが少なかったそうです。
その理由は極めて現実的で、最も参拝者の多い江戸から秩父に向かう道筋(現在の西武秩父線)に一番札所がなかったので、大多数の巡礼者が便利な(数字でいうと)途中の札所から巡礼を始めていたからだそうです。ちなみに秩父の一番札所は熊谷(中山道)から秩父に向かう道筋(現在の秩父鉄道)にあります。


Name: hotoke
Date: 2011/09/11(日) 16:13   No:4460
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Title: Re:逆打ち    
天台沙門様

ご丁寧なご回答ありがとうございます。
四国巡礼ですと88ヶ所と別格20ヵ所をあわせて108の煩悩・・・というようなことが本に書かれていたような気がします。
ならば108の煩悩を周るのも功徳になりますね。

我が家の場合は近所に東寺がありますので、最初に東寺で道中安全祈願をしてから四国に向かいます。
そして巡礼が終わった後は高野山に向かい、お礼参りをします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/09/15(木) 23:17   No:4466
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Title: Re:逆打ち    
どうぞ、お気をつけていってらっしゃいませ。




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