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  勝手に位牌分け

[5325] たいじ
[5330] 天台沙門
[5331] たいじ

Name: たいじ
Date: 2016/06/30(木) 13:58   No:5325
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Title: 勝手に位牌分け    
「位牌分け」についてご相談させて下さい。

他人(親族でない者)が、親族に何の断りも無く「位牌分け」をして供養をするなど、よくある事なのでしょうか?

数年前に父が亡くなりました。仏壇、位牌はもちろん実家にあり供養しています。
ところが先日、私共親族には何の連絡も無く、とある場所で父の位牌が仏壇に祀られ、関係者に「礼拝するように」と勧めていると人づてに聞き、大変驚き困惑しています。
その位牌分け(別の位牌があるのですから、位牌分けという事ですよね)した位牌は、適当にでたらめで作った物でなく、正式にお坊様にお願いし開眼法要も行ったとの事です。

なぜそのような事をしたのか、そのとある場所の責任者に問い合わせられれば簡単なのですが、色々複雑な事情があり、出来れば連絡は取りたくありません。

「位牌分け」それ自体については、ネットで調べてみた限り、「位牌を新しく作り故人を供養する事自体は良い事で問題は無い。」ようだと知りました。
でもそれは、例えば仏壇がある実家にはなかなか行けないが、毎日お線香はあげて供養したい等、あくまで親族間で行う事だと思うのですが…。

それを他人が、ましてや無断でとなると親族としては簡単に納得出来るものではありません。

お伺いしたいのは、他人が「勝手に」位牌分けする事など許されるものなのか、もしそれが許されるとしたら、例えば亡くなった有名人の位牌を私が勝手に作り、自分の店(店など持っていませんが例えばの話です)の仏壇に祀り「ファンの皆さんもお参りして。」もOKという事になり、とてもおかしな事だと思うのですが。

位牌分けをどうしても止めさせたい、という訳ではありませんが、心をどう落ち着かせたら良いか分からず悶々とした状態が続いています。

是非お考えをお聞きしたくご相談させて頂きました。

どうぞよろしくお願い致します。



Name: 天台沙門
Date: 2016/07/06(水) 21:45   No:5330
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Title: Re:勝手に位牌分け    
某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。

結論から申し上ます。
たしかに親族でない者が位牌を造り故人の供養をすることは「よくある事」ではないと考えられます。
しかし礼拝対象とするために誰が誰の位牌を作ろうとも、それは「信教の自由」の範疇に属することなので妨げることはできませんし、妨げてはならないことと私は信じます。

その「場所(=組織)」と御父君との関係が不明ですが、「貴方のご親族」という「自然人」が御父君を追悼することと同様に、「組織」という「法人」が御父君を追悼することも当然であると考えます。
追悼という行為の根底にあるものは、仏教でいう「縁」というものであり、これは「人間同士の関係」ということです。
個人であろうが組織であろうが、それ自らになんらかの縁をもち、なおかつ異界(天界・神界・冥界)にいってしまった人の記憶を想起する行為が「追悼する」ということです。

さて、著名人の位牌を「勝手に作り」という点について、逆に「位牌でなければかまわないのだろうか?」と自問してみてください。
それは、例えば「ビートルズ・バーのオーナーが12月8日にジョン=レノンの遺影をかざり追悼イベントを行なう」ということと同じであり、自然なファン感情というものではないでしょうか?
いわば「故人の位牌を造る」という行為は「個人の神格化」と同じことです。(註:故人/個人は変換ミスではありません)

「追悼してくれるのはかまわないが、位牌を用いた儀礼で行われることは認め難い」とのお考えでしたら、それは別の問題と考えます。

ところで、別項([No.5079]2014/04/03および[No.5236]2015/07/25)でも書きましたが、
 「位牌や墓石」=「各種情報端末」
 「たましい」 =「クラウド上に存在する情報」
 「人々の縁」 =「ネットワーク」
と置き換えることができます。

さらには「位牌=名=記号」・「たましい=人格=情報」・「人々の縁=社会=ネットワーク」したうえで(いわゆる)キラキラネームを補助線に使ってみましょう。

「名」が社会における個人を示す記号として使用される以上、「名」は社会的な共有物としての意味をもちます。
したがってキラキラネームという読み難い名は個人と社会との関係を疎外します。
よってキラキラネームを避けることは世の中で生きていくうえで必要なことと考えられます。

同様に「たましい」と呼ばれる死者の人格も、生者が世の中というネットワークのなかに存在してきた以上、「記憶という情報」は世の中で共有されざるをえないものなので、「想い出」へのアクセス権を親族が独占すべきものではないし、できるものでもないと私は考えます。



Q1
他人(親族でない者)が、親族に何の断りも無く「位牌分け」をして供養をするなど、よくある事なのでしょうか?
A1
「よくある事」ではありませんし、多くの場合は個人が親族のものを作ることになります。

Q2
「位牌分け」それ自体については、ネットで調べてみた限り、「位牌を新しく作り故人を供養する事自体は良い事で問題は無い。」ようだと知りました。
A2
「位牌分け」という行為は、分家を作る際に本家の先祖の位牌を「分け」たり、嫁入り/婿入り道具のひとつとして実家の先祖の位牌を「分け」たりすることで、珍しい行為ではないとおもわれます。



余談ながら、神道という観点では貴方の感覚のほうが正統的です。

本来は「氏神」は一族のみの神でした。
他族がみだりに祀ると祟られると信じられていましたから、その一族以外の人々は、他族の氏神とは関わりをもたないようにしました。「触らぬ神に祟り無し」ですね。
この思想をつきつめた神が伊勢神宮です。天皇その人だけの神であり、皇族の神ですらありませんでした。皇太子でも参拝には勅許を必要としたほどです。
しかし古代から中世にかけ血縁よりも地縁が重視される社会になると、土地の守護神である「産土神」が「氏神」よりも実力をもつようになり現在に至りました。

以上、ご参考までに。


Name: たいじ
Date: 2016/07/07(木) 13:32   No:5331
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Title: ありがとうございました。    
天台沙門様

ご丁寧なご回答を下さり心より感謝申し上げます。

位牌でも遺影でも、他の何かしろの品物に手を合わせるにしても大差は無いとの事、よく分かりました。

「位牌」=「情報端末」、ここがポイントですね。
「位牌」=「家族が亡くなった時お坊様にお願いし戒名を頂き刻み、親族代々が守っていく唯一無二な大切な物」というような気持でおりました。

「位牌」=「情報端末」なのであれば、何も腹を立てたり、悩んだりすることはないですね。

どうにか心を落ち着かせる事が出来ました。
ありがとうございました。





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