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Name: くぼちー
Date: 2016/10/10(月) 01:10
No:5410
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Title: 水子についてです。
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続けてですが、宜しくお願いします。 以前いろいろありまして、何かあるのかとみてもらったところ水子さんがいると言われました。 私自身下ろした事もなく何故だろうと思ってました。 後々叔母から聞いたのですが、私の上に男の子いたといわれました。 結婚前だからと下ろささせられたそうです。 勝手に考えたんですが、母の水子さんと言う事があるのでしょうか?
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Name: 禅僧
Date: 2016/10/11(火) 09:32
No:5415
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Title: Re:水子についてです。
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叔母様から教えて頂き、知ることができたこと それは亡きお兄様が一番喜んでくださってることと存じます。 私達は何が寂しいかといえば忘れ去れらることが何よりも寂しく悲しいものでございます。 是非お兄様のご供養をなさってください。 これからの道程を見守ってくださる大切な仏さまであります。 お母様にもその旨を報告されると良いでしょう。 どんなにか安堵し安らかな成仏に繋がることと信じます。合掌
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Name: 天台沙門
Date: 2016/10/11(火) 15:26
No:5416
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Title: Re:水子についてです。
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
Q:勝手に考えたんですが、母の水子さんと言う事があるのでしょうか? A:「水子さんの祟り」という意味でしたら、ありません。
※
仏教の基本思想は「縁起説」といいます。因(直接的原因)と縁(環境など間接的原因)とによって物/事が起こる、という考え方です。 ですから「以前いろいろ」あった原因を「水子さん」と判断することは短絡すぎないか、と自問することが仏教的な考えになります。 たとえば時間という観点では、ご母堂の水子さんよりも近い過去ではどうだったのと自問すべきですし、また空間という観点からは自分自身の周囲はどうなのという反省になります。
しかしながら、どうも人間というものは「わからない」という不安に耐えられないようにできているらしく、何につけても理由づけを求めます。
たしか、「水子霊」が「不幸の原因」であるという考え方が発生したのは昭和も後半になってからだとの研究結果があると記憶します。つまり、それは仏教本来の考えかたではないということです。 しかし、その考え方が一定の説得力をもつということは、それなりの合理性があるということです。私見ながら、それは親が自然にもつ産まれてこなかった子への申し訳なさというものです。ならば、親(および血縁者)がもつべきは「祟りに対する恐れ」ではなく「産まれてこられなかった子がいたという記憶」です。
以上、ご参考までに。
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Name: くぼちー
Date: 2016/10/12(水) 01:22
No:5417
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Title: Re:水子についてです。
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ありがとうございました。 水子さんがいるというのは何故だろうと思っただけです。 母も亡くなってますので、詳しいこともわかりませんし供養をどうしたら良いのかもわかりません。
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Name: 天台沙門
Date: 2016/10/12(水) 09:35
No:5419
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Title: Re:水子についてです。
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
「供養」という言葉の原義は「供物を捧げる」ということです。具体的には神仏に捧げた食物のお下がりを人が食べて神仏と人との一体感を現実化することでした。これが仏教のなかでは死者のための仏事をするという用語になりました。
前稿の通り、私は「産まれてこられなかった子がいたという記憶」を定期的におもいだすということそのものが「供養」であると考えています。その「おもいだす」というイベントとしての仏教儀礼を行なえば安心がえられるとおもわれるのであれば、なさることをお勧めします。
場所としては、(別件でご相談のあった納骨堂のお寺さんを含め)おつきあいのあるお寺さんを最初にお勧めしますが、別にお住まいのご近所で雰囲気のよさようなお寺さんがあれば、そちらにご相談いただいてもよいでしょう。また著名な大寺院でもご先祖供養の一環としての水子供養も受けていただけるとおもいますのでご確認ください。
以上、ご参考までに。
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Name: くぼちー
Date: 2016/10/12(水) 22:27
No:5420
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Title: Re:水子についてです。
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わかりました。 ありがとうございました。
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