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Name: ひろ
Date: 2017/01/31(火) 13:07
No:5479
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返信 引用 編集 |
Title: 白木位牌について
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今、私は創価学会に入っていまして、去年12月20日に32歳の息子を病気で亡くなりました。(息子も学会に入ってました)12月27日に友人葬+火葬行い、2月5日に学会の会館で息子の四十九日をまた友人葬で行いますが、その時は、お数珠と勤行要典だけ持参してください。と言われました。納骨は、四十九日過ぎても自宅に置いておきますが白木位牌は、本位牌に変えなくて大丈夫なのでしょうか?詳しく教えいただけないので、相談室に質問しました。
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Name: 天台沙門
Date: 2017/02/01(水) 01:48
No:5480
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Title: Re:白木位牌について
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
葬送儀礼は宗派よりも土地の風習に従うものですが、友人葬の取り仕切りをなさる方にお訊ねいただくことが最善です。
※
土葬が一般的であった時代は、墓標の代わりに土饅頭にのせておき七回忌をめどに収骨・改葬をして石の墓標を作ったときいています。その名残か、場所によっては納骨時に一緒に埋納するようです。 また白木の位牌をそのまま使い続けることもあったようですが、これは経済的または技術的な問題なのか、死者にかかわるものは白木・青竹を用いる風習なのかの区別は不明です。 現在では、納骨時に寺院に納める場合が多数とおもわれますが、これは家の仏壇には本尊を祀り(本来は仏壇は位牌を祀る場所ではありません)、故人の位牌は寺に納める(寺に墓地が付属するのが一般化する以前の習俗)というしきたりの名残です。
以上、ご参考までに。
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Name: ひろ
Date: 2017/02/09(木) 13:19
No:5486
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Title: Re:白木位牌について追加します
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ご返事ありがとうございます。2月5日の学会の追善勤行法要が行われ、息子の四十九日法要だけだと思ったら、他6人の亡くなった方の法要も一緒だったのでびっくりしました。(そんなので故人の成仏になるのかと一瞬怒りを感じました)余談書いてすみません。故人の白木位牌は寺におさめると書いてありましたが、創価学会(日蓮宗)の場合は、四十九日が終わっても仏壇(南無妙法蓮華経というご本尊)に白木位牌はそのままで大丈夫だよって学会の方に言われました。がそのままで大丈夫なのでしょうか
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Name: 天台沙門
Date: 2017/02/11(土) 10:22
No:5487
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Title: Re:白木位牌について追加します
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
前回の回答時にお悔やみを申し上げていませんでした。失礼いたしました。
さて。 白木位牌に関する学会さんの教学理論を知りませんので、私からは何がどう「大丈夫」なのかをお答えすることができません。申し訳ありません。 そこで創価学会さんのサイトの「友人葬」のページを見てみました。すると、少なくとも地域の慣習に従うことを否定なさってはおられませんので、白木のままでも塗り位牌を作ってもどちらでも教理的には問題は生じないとおもわれます。 おそらくは、慣習とのかねあいで「白木位牌のままだと成仏しない」という方がいらっしゃった場合に対して、「白木位牌のままでも成仏するから大丈夫」の意味ではないでしょうか?
※
なんでもそうですが、「素人」の基本的な問いかけに誠実に答えるかどうかで「玄人」の質というかレベルというかがわかります。ですから、今般の白木位牌についても「何が大丈夫なのか」「なぜ大丈夫なのか」をお訊きになることをお勧めします。
私は檀家さんに、四十九日(正確には三回忌)までは死を受け容れるための期間である、とお話をしています。位牌が白木であることは、まだ死を受け容れなくてもかまわない時期であることを示す象徴と考えてよいでしょう。しかし、位牌を塗りの物(いわば恒久的な物)に替えることによって、もう死を受け容れていかねばならないということを自覚することができる、とそのように考えております。
以上、ご参考までに。
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