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Name: hotoke
Date: 2011/08/16(火) 08:50   No:4425
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Title: 宗派替えについて    
我が家の宗派は現在、浄土真宗ですが、祖父の代までは真言宗だったようです。

しかし今から23年前、祖母が亡くなった時に家の近くに真言宗のお寺がないという理由で真宗に変えられてしまったとか・・・。
真宗では宗派替えは認められているようですが、他の宗派になると「家の宗派は絶対に変えてはいけない」ときつくいう方もおられます。

現在は義父が家の仏壇を見ていますが、今後、私どもの世代になった時、ご先祖様に対してどのような供養をすればよいのでしょうか?
そのまま真宗を受け継ぐのか?
それとも真言宗に戻すのか?

家の仏壇は祖母が亡くなった時に真言宗から真宗の仏壇に新調されて、古い真言宗の仏壇はどこかで処分されてしまったようです。

尚、仏壇は祖父の代まで真言宗でしたが、仏様の戒名は曾祖母から祖父まで真宗の戒名になっています。(5人のご先祖様が真宗の戒名になっています)

すなわち曾祖母が四国から大阪に移り住んだ時、家の近くに真言宗のお寺がないという理由で、葬式は真宗のお寺でしたものの、仏壇はそのまま真言宗のものにして残したおいたものと思われます。

大変複雑な家庭で申し訳ありませんが、今後はどのような方法で先祖供養をしたらよろしいのでしょうか?



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/08/17(水) 01:59   No:4427
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Title: Re:宗派替えについて    
hotoke様
大阪地方でも真言宗のお寺は多いですよ。
転派につきましては貴家の自由かと思います。


Name: hotoke
Date: 2011/08/18(木) 09:14   No:4431
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Title: Re:宗派替えについて    
失礼ですが田舎者さんはあの世の人ですか?
それともこの世の人だけれどあの世を見てきた人ですか?
神仏のことについて「絶対」という言い方はどうかと思います。
こちらのお寺ネットは、いろんな人が書き込んでくるようですが、何かと問題になっていませんか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:19   No:4432
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Title: Re:宗派替えについて    
大前提として「家の宗旨」と「個人の宗旨」は別物ですし、宗教と信仰とは別物ということをおさえておくべきです。

現代でも、江戸時代の寺請制度(非キリスト者であることの証明)の影響で、菩提寺の宗旨と檀家の宗旨が一致することが当然と考えています。しかし、寺の宗旨自体も変化しうるという事実や、異なる宗旨の檀家に嫁・婿に行けば「実家の宗旨」から「婚家の宗旨」に自動的に宗旨替えが行われる事実を踏まえれば、個人の宗旨替えそのものは咎められる筋合のものではないことが明らかです。

私は、生者が死者を弔うためにどのような方法をとってもかまわない、という立場をとります。それが無宗教的な行事であっても、特定の宗教に基づく儀式であっても、故人を偲ぶという目的であれば、生者が自由に選択して許されるべきことです。

教学的(理論的)なことを考えれば、真言宗(=密教)における弔いは「成仏」を目的とするに対し、真宗(=浄土教)における弔いは「往生」を目的とします。具体的には、「成仏」とは大日如来との一体化を示し、「往生」とは阿弥陀如来の本願による極楽への生まれかわり(≠輪廻転生)ことを示します。ですから、密教な回向供養と浄土教的な回向供養では、まったく意味が異なるので教学的観点では「宗旨替えをすると意味がない」という主張が成り立ちます。

ですが、こういった理論的なことを説明されたうえでの宗旨の選択が行われているでしょうか?
もちろん、行われていません。あくまでも「家の宗旨」だから、という理由だけで宗旨が決定されています。そうである以上は、理論的なことは宗旨替えを否定する理由にならない、というものが私の理解です。それに密教的思想と浄土教的思想と、どちらかが正しいのではありません。どちらも正しいのです。

ですから、弔う側が故人を偲ぶという目的にそって納得して行うのであれば、その形式は自由に選択して許されるべきなのです。




Name: シエラ
Date: 2011/08/16(火) 14:50   No:4426
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Title: 形見の行方    
初めまして。
北海道に住む主婦です。
大事な悩み事があるので聞いて頂きたくメールいたしました。

両親がもう高齢です。
私は母から大事な母の着物を預かっておりますが、私たち夫婦には子供がいなくて、私にもし何かあったとき、その大事な着物をどうするかと言うことを今から決めておく必要があると考えております。

着物は母の身分、あるいは私たち家族の身分を表す大事なものです。姉には子供がおりますが、二人の子供はどちらも病気を患っており、結婚できるかも分からず、着物を持たせることは敵わないと思います。
たぶんそれで、母は次女の私に大事な着物を託したのだと思います。
父も母もまだ健在ですが、母の元気なうちに大事な着物の託せるお寺を探したいと思っております。

母は浄土真宗本願寺派でなくては困ると言うことを、信念を持って言っております。
大事な理由があると思われます。
どのように取りはからうべきでしょうか。
お返事待っております。



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/08/17(水) 02:11   No:4428
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Title: Re:形見の行方    
シエラ さま
身分制度が無くなった現在では余り貴家以外では意味を成さないものかと思います。
浄土真宗本願寺派にまつわる重要な物でしたら檀家寺へ寄贈されるのも一つの方法です。


Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:58   No:4435
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Title: Re:形見の行方    
お母様のご希望の通り、西本願寺さん(またはお母様やご自身に縁のある本願寺派寺院)にご寄贈なさるのがよろしいと考えます。

お母様に、その理由をお聞きになったうえで、寄贈を受け入れていただけるかどうかという点から西本願寺さんにご相談なさることをお勧めします。




Name: nyoi
Date: 2011/08/01(月) 17:09   No:4420
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Title: 位牌の安置場所について    
先日に祖父が亡くなりました。
49日の法要が昨日終わり、納骨が半年後予定です。

本来、位牌は仏壇に収めるものですが、
祖母は「位牌は遺骨と一緒において置きたい」と強く希望しています。
それは可能なのでしょうか?

ちなみに、先祖の遺骨を祭っている仏壇があります。



Name: 一九
Date: 2011/08/15(月) 07:57   No:4422
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Title: Re:位牌の安置場所について    
1週間経ちますね。
私は素人なのですが、遺骨は普通墓地に埋葬して、位牌を仏壇に収納します。
遺骨の埋葬には埋葬許可が必要ですから、遺骨を仏壇に置いておくのは厄介ですよ。
分骨して一部を仏壇に残す人もいますが、長い目でどうなのでしょう?
粗末にできませんし、犯罪と区別できませんからね。

死者の魂は位牌や写真に宿るとされ、基本的に死者が遺骨にこだわることはないようです。
最近は散骨もはやっています。
日本仏教の正しい答えがあるらしいので、仮のお返事です。


Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:39   No:4433
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Title: Re:位牌の安置場所について    
>祖母は「位牌は遺骨と一緒において置きたい」と強く希望しています。

それは「納骨をせず将来にわたって一緒に生活なさりたい」という意味なのでしょうか?
それとも「納骨までは、位牌を仏壇の中に置くのではなく、遺骨と一緒に置いておきたい」という意味なのでしょうか?

以上が明確でないので大雑把に申し上げます。


前者の場合、昨今では「手元供養」と称する形式になります。納骨先が菩提寺さんであれば、住職さんにご相談いただくこと、また非宗教的な施設であっても施設管理者にご相談いただくことが第一です。これは、遺骨の手元供養の場合、将来的に「やはり納骨する」ことにしたときの扱いを明らかにする必要があり、その場合の法的な手続きとして「埋葬許可書」をどうするかという手続き上の問題が発生するからです。

後者の場合、これは自然な作法です。習慣では、葬儀から四十九日までは白木の位牌を用い、四十九日以降は白木ではない位牌に作り替えます。白木の位牌を仏壇に納めることはありません。




Name: hiro
Date: 2011/07/29(金) 16:17   No:4418
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Title: 過去帳の表題について    
過去帳の表紙に表題を書く四角の欄がありますが、ここには何と書けばよいのでしょうか。また、宗派によって書き方に違いなどはありますか。


Name: 沙羅
Date: 2011/07/30(土) 11:14   No:4419
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Title: Re:過去帳の表題について    
そこには『○○家先祖代々の霊位』とか『○○家』とか書かれれば良いと思います。

宗旨によって…とありますが、そうなるとお寺様に頼んで書いていただかねばならないでしょうから、もしご自身で記入されるのでしたら、上記のように書かれれば良いと思います。





Name: あむ
Date: 2011/07/21(木) 21:30   No:4412
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Title: 供養について    
訳あって悩んだ結果中絶をする事になりました。
供養はちゃんとした方がいいですか?
あと、最近嫌な事が続いてます。仕事も決まらず…何かあるのでしょうか?



Name: ココロ
Date: 2011/07/22(金) 02:04   No:4413
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Title: Re:供養について    
とても厳しい言い方になりますが…。

悩んだ末に中絶をされた。
何があって、どんなに苦しんで出した結論にせよ、授かった命を葬った。
その心情は計り知れない。

ただ、どういう経緯かにもよりますが。


・愛する人との間に出来た子を中絶したのか?
・無防備な性交渉によるものなのか?
・不注意で流産したのか?
・乱暴されたことによるものなのか?


あなたの文面から推察するに、どうやら流産や乱暴されたのではないように思われます。
もし流産や乱暴されたのだとしたら、精神的ショックが大きくて大変苦しまれます。
ご自身のツイてないないこととの因果関係などだせないはずです。

供養した方がいいか、供養しなくてもいいかということは、本来尋ねるまでもないこと。
供養しなくてもいい仏さまなど一つもないと思います。

中絶したことで、ツイてないことばかり起きている…。
そう感じるということは、あなたの心の中で、妊娠中絶したことに対する何かしらの感情(罪悪感とか、無防備な肉体関係を結んだとか…)があるから、それと現状を結び付ける。

中絶とツイてないこと、因果関係があると思えばある。→軽率な行為をしたことに対するバチがあたった。自業自得、因果応報。

因果関係はないと思えばない。→仕事が決まらないのは、中絶したからではなくあなた自身の努力や取り組み方に問題がある。

結局のところ、どちらであっても、穏やかにはならない。
ということは、つまり、ご自身のツイてなさを中絶したことに結び付けようとする前に、まず真っ先にすることがあるのでは?

水子さんを供養し、手を合わせるのが先だということ。

こちらのサイトでは、中絶したことを告白された方々が大勢おります。
本当に嘆き、悲しみ、自らを責めている方々がたくさんいます。
お子さんを授かりたくても、授かることのできない方々もたくさんいるのです。

もう少し、自分自身を見つめ直した方がいいのでは?

「人のこと、よく知りもしないくせに」と、思われるかもしれません。
不愉快にさせるつもりはありません。
文面だけからしか判断できないのも事実です。

あなたのお子さんとして、この世に生まれくることができなかった赤ちゃんが、その命をもって、あなたに大切なことを教えてくれたのです。
その教えを生かすも、台なしにするのもこれからのあなたの生き方次第と思います。

不愉快にさせたのだとしたらすみません。



Name: 夏空
Date: 2011/07/23(土) 11:49   No:4415
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Title: Re:供養について    
水子の祟りなど百パーセント存在しないと、私の崇敬する祈祷師の方が断言していました。その方は神道の方ですが、仏教の世界にしたって、はじめに如という原子の世界があると説いて、如が結合して形ができる(生=如来)、そして死によって形が無くなりまた原子の世界の如に去る(死=如去)、と説くわけで、如から来て如に去るわけですから、増えもしなければ減りもしないわけです。仮に中絶しても、如の世界には中絶した子が存在しているわけです。思いがあれば、話しかければ届きます。



Name: くー
Date: 2011/07/14(木) 23:53   No:4409
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Title: 行方不明者の葬儀について    
初めまして。今回の震災で夫が行方不明になりました。働き盛りの年代で、私は早いうちに葬儀をして、皆さんに送ってもらった方がいいのかと思いますが、家族は見つかるまで待ちたい様です。また、実際葬儀をして、心だけでちゃんと送ってあげられるのかと、少し不安です。通常行方不明になった方の葬儀は、どんなタイミングで、どうやって行うべきなのでしょうか。どうか教えて下さい。よろしくお願い致します。


Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/07/19(火) 05:36   No:4411
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Title: Re:行方不明者の葬儀について    
くー様
行方不明者の葬儀に関しましては家族の方の意思を尊重してください。




Name: パンダ
Date: 2011/07/10(日) 22:20   No:4408
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Title: 四十九日法要前日の訪問    
今週田舎に遠出することになりました。
その際、最近亡くなられた親戚の所へお参りに伺おうと思ったのですが、その方の四十九日法要の前日、当日になるみたいなのです。
こういった場合、前日、当日どちらに行った方が失礼にあたらないのでしょうか?
どちらも伺うのは非常識でしょうか?



Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/07/19(火) 05:32   No:4410
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Title: Re:四十九日法要前日の訪問    
パンダさま
もし貴方が遊びや仕事で田舎へ行かれるのでしたら前日、当日は施主家は準備で忙しいと思います。出来ればお参りは避けられた方が良いでしょう。もし御参りをされる場合もあらかじめ先方に伺う日時を連絡の上、親戚の都合の良い時間を聞いてから伺うようにしてください。四十九日法要の当日参列されるのであれば前もって親戚の方に連絡の上それなりの準備が必要です。片手間、や用事の序ででのお参りは失礼になりますので避けてください。




Name: パンダ
Date: 2011/06/30(木) 18:00   No:4365
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Title: 位牌について    
位牌について質問です。
姉妹の四十九日法要と納骨が近々あります。
しかし位牌がそれまでに出来上がりません。

その場合どのようにしたらいいのでしょうか?
をよろしくお願いします



Name: 尊明 [URL]
Date: 2011/07/02(土) 08:09   No:4366
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Title: Re:位牌について    
間に合わなければ、後日お寺に持参し、位牌の開眼法要を別にしていただく形になります。

手間はかかることになりますが、この先のためにもちゃんとされておかれることをおすすめします。

49日を厳修鵜してくださる和尚様に早くご相談になってください。合掌


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/02(土) 09:08   No:4367
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Title: Re:位牌について    
四十九日に行うのは「一般的にはそうだ」というほどの基準です。
御位牌を新調なさってから、百か日なり秋彼岸なりの折に開眼法要をなされればよろしいでしょうし、そういった特定の日取りにこだわらず位牌の新調しだいすぐ、でもよいでしょう。


Name: パンダ
Date: 2011/07/10(日) 22:10   No:4407
解決    削除 
Title: Re:位牌について    
尊明様、天台沙門様お返事ありがとうございました。




Name: JUN
Date: 2011/07/05(火) 12:20   No:4385
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Title: 無題    
以前、真言の件で皆様にお世話になった者です。木造の仏像を購入しておがんでますが、特にお寺で「心」入れしてもらってないのですが、拝んでも効果があるのでしょうか?
無意味?なのでしょうか?
ある方に「心」が入ってないのでただの空の仏像だと言われて・・・このまま拝んでいても大丈夫なのか心配です。



Name: 天台沙門
Date: 2011/07/06(水) 06:01   No:4391
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Title: Re:無題    
私は開眼供養をすることお勧めしていますが、しかし儀式は充分条件にすぎません。ご安心ください。

たとえば、奈良の三輪山などは山体そのものが「神」とされております。三輪山が信仰の対象となる際に、誰かが「心」を入れたのでしょうか?
違いますね。

それに畏敬の念を感じたり「それを信じたい」という人の心があってこそ、信仰の対象が「神」であり「仏」になるのです。逆に言えば、どんな儀式をしようと信ずる心がなければ、ただのモノです。

展覧会で展示されている国宝・重文級の仏像は、過去に(現代よりも誠実かつ厳粛に)開眼供養がなされたものですが「展覧会」という場では基本的に「美術品」であって信仰の対象とはみなされません。
そういうことです。


Name: JUN
Date: 2011/07/06(水) 17:22   No:4396
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Title: Re:無題    
天台沙門様、田舎者様ありがとうございます。
2年間毎日その仏像に拝んでいたので・・・急になにもしなくても大丈夫なんでしょうかね(汗)般若心経も唱えてお線香も焚いて・・・自分は霊感は全然ないですし霊媒体質でもないです。あと氏神さまのお守りとお札にも祈願してます。
毎月1日、15日は氏神様に参拝に行きます。
今まで拝んでいた仏像は置きっぱなしで大丈夫か心配です・・・・(>_<)


Name: JUN
Date: 2011/07/08(金) 20:51   No:4405
解決    削除 
Title: Re:無題    
田舎者さま、ありがとうございます。
仏像は自分の寝室の北側に(北の守護神なので)観賞用として
置いておくことにしました。今までのお礼を伝えて。
氏神さまのお札はリビングにありますので、今まで通り
朝晩祈願していきたいと思ってます。氏神様のお守りも財布に入れて持ち歩いております。
天台沙門さまと田舎者さまのお陰で気持ちが楽になりました。
本当にありがとうございました。<(_ _)>




Name: マルモ
Date: 2011/07/05(火) 22:35   No:4389
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Title: 信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
私の家のお寺は、日蓮宗のお寺になります。
総本山は身延山久遠寺の流れの日蓮宗のお寺です。

お墓には、祖父母が眠っています。
どうしてこのお寺にしたのか?というと、祖母が仲の良い友達と一緒のお寺さんにしよう…というようなことで、このお寺で墓地を購入し壇家となったようだと、親から聞きかされました。
明治生まれの人ですし、生きてきた時代背景もあったかと思いますが。

人それぞれ、宗教観や信仰、ひいては宗旨のイメージなどさまざまあるかと思います。
また、我が国では、信仰の自由が憲法で認められています。
日蓮宗(いわゆる法華経)というと、ある種の色眼鏡みたいな見方で受け止められることが、何度かありました。

どの宗派や宗旨がいいとかわるいとかいうつもりはありません。

私自身、家の菩提寺が日蓮宗のお寺である以上、それを信仰とするのが自然なことだとも思います。

しかし、仏教の教えに触れていく中で、菩提寺を下にする信仰とは別に、自身の宗教観というか、教えというか、いわゆる導きといったものは、さまざまな宗派の垣根を越えたような触れ方でもいいのだろうかと思うことがあるのです。

言葉は適切かどうかわかりませんが、良いとこ取りみたいな…。

でも、それをつきつめれば、行きつく先はどの宗派も同じところのようにも思います。

だから、いろいろな宗派の教えに触れること、またできることを実践することはしてもいいのではないかと…。

菩提寺はしっかりありながら、こういう八方美人的なものの見方、教えに触れるというのは好ましくないものなのでしょうか?




Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/07/06(水) 10:08   No:4393
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
本来、宗教あるいは仏教というのは、個人個人が「どう生きるべきか」を考えて、それを歩むものです。家の宗教、というのは、まぁ確かにどこにでもあります(欧米にもあります)。
が、自覚的に学び実践し、「これだ」と思えるものが見付かれば、人はそれに従って信仰をしていくのは自然な事で、「でも家の宗教は…」というのは、ナンセンスでしょう。生きているのは家ではなくて、あなたですから。

あと、日蓮宗が色眼鏡で…ということを気にされているようですが、それは主に富士山方面から出た某団体関係が原因だと思います。それ自体はあまり気にしなくていいと思いますよ。大切なのは、あなたがどう、それを受容できるのか、それを信じて歩めるのか、ということですから。


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/06(水) 10:10   No:4394
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
私見ながら、純粋な信仰のほうが「正しい」とする意識は一神教に基づく西欧の宗教学の影響下で生じたものであり、これは日本の伝統的な信仰感覚(神仏習合)とは異なっていると考えます。

純粋(単純)であるほうが正しいという宗教観は、「お念仏」や「お題目」という易行(これだけやっておけば間違いない)を旨とする法然さんや日蓮さんの思想と類似しているので、日本の近代化の途上で「正しい仏教」というイメージが定着します。面白いのは、けして易行とはいえない禅宗も座禅一筋という点から「正しい仏教」というイメージをもたれているところでしょう。

私が宗とする天台は、顕・密・禅・戒の四宗を兼学することを旨としております。つまり、純粋ではないうえに「鎌倉仏教」に対する「平安仏教」のイメージもあり、同じ平安仏教の真言宗さんが密教専行であることと比較して、「夾雑物の多いまがいもの」というイメージをもたれた時期があります。しかし、天台の顕教から法然さんと日蓮さんが出たことも、禅行から栄西さんと道元さんが出たことも周知の事実です。いわば「比叡山」という総合大学から「浄土宗」・「日蓮宗」・「臨済禅」・「曹洞禅」という単科大学院が成立したといってよいでしょう。いずれの御祖師も四宗を兼学なさったからこそひとつの修行法を極めることを選択なさったのであり、それぞれの御宗旨も天台式の仏教を基礎になさっているということは間違いないと判断できます。
違うというだけで、そこに善悪や優劣はありません。

ところで、法然さんや日蓮さんの同時代人として、栂尾の明恵上人がいらっしゃいます。明恵上人は宗旨的には華厳宗(奈良仏教である南都六宗の一)に属した方ですが、仏教を学ぶために異なる宗旨の僧侶の教えを請うことは恥ずべきではなく進んで行うべきだ、との発言をなさっています。

ですから「いろいろな宗派の教えに触れること、またできることを実践することはしてもいい」のですし、そうすべきでしょう。
各宗教の修行の本質は「祖師の経験を追体験すること」にあります。つまり、仏教徒であろうとするならば釈尊の修行(瞑想)を追体験すべきですし、御祖師さんの修行を追体験する中で他宗旨の教えに触れることは必要なことと考えられます。


Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/07/06(水) 10:18   No:4395
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Title: 追伸    
因みに、「「これだ」と思えるものが見付かれば」というのは、何も「何かの宗派」というわけではありません。そうではなくて、もっと広い意味です。
私の場合は『大乗起信論』『金剛般若経』のふたつを核にして実践し、様々な思想の相互関係を考えています。これはどこの宗派、ということは関係なく、まったく私の世界です。
色々なものを学び、触れていく中で、それぞれに色々な道を発見することと思います。それが自然な事です。
別に菩提寺を捨てろと言う事ではなくて、色々な道があるということですから、菩提寺の宗旨も認めて良いし、ご自身の考えを推し進めても良いでしょう。
私は真言宗ですが、他宗派のやり方もアリだと思っていますよ。


Name: マルモ
Date: 2011/07/07(木) 09:46   No:4398
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
水波坊さま・天台沙門さま

早速の返信ありがとうございます。
お礼が遅くなりすみません。

はた目には、なんてくだらないと思われる人がいるかもしれませんね。
でも、愚問だったかもしれませんが、私にとっては、これから仏教の教えを学び実践していく中で疑問だったのです。
スッキリしました。

いずれは菩提寺の墓に入るわけですが、そこまでの道程(人生)においては、菩提寺の宗旨にとらわれることなく、広く仏教の教えに触れ、学ぶということは差し支えがない。
たしかにもっとも言えば、もっともですね。
ましてや、得度をしておらず、僧籍ももたないありふれた一般人においては、宗派・宗旨の教えを究めることは難しい。
そのかわり、広く浅くというのは一般人向けなのかもしれませんね。
私は、人間ができていないので、仏教の教えを通して、功徳を積み成長させたいのです。

ちなみに、京都や奈良のみならず、各地のお寺に参詣する際に、そのお寺の宗派を気にして行かれる人はどれほどいるでしょうか?
観光地であれば、特に御利益や厄除けなどで手を合わせる人が多いかと思います。
私なぞは、ただただ現世利益だけを祈念し、手をあわせていました。
それはそれで構わないことなのかもしれませんが、そうした場において、それぞれの宗派の勤行というか、易行といったものの一説を唱えて、祈念するという行為はしてよいものですか?

もしかして、勤行や易行を唱えることは当たり前なのでしょうか?

「お念仏」や「お題目」はわかりますが、「ご真言」はどう唱えたらよいのでしょうか?



Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/07/07(木) 15:11   No:4399
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
勤行式などは、市販の経本で適当な物を使用してください。もちろん日蓮宗のものでも結構ですよ。
一々うるさいことをいう寺もありますが、個人的に参拝するのであれば、参拝の形式についてはそれほど気にしなくても大丈夫です。普通にお参りしてください。

仏に宗派はありません。宗派は人間が色々な経緯や思惑で形成したもので、仏の世界にそんな区分けはないです。

真言についてですが、基本的に私は般若仏母大身真言だけです。本尊が何であっても。
もちろん他の尊格の真言を使う事もありますが、それにしても、あらゆる尊格の真言をすべて憶えて、参拝の時に使う…というのも、なかなかきついと思います。
ですから特に信心している尊格があればその真言を、そうでもないなら光明真言をいつも唱えるようにすればいいと思いますよ。それで問題ないです。


Name: マルモ
Date: 2011/07/08(金) 00:00   No:4401
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Title: 水波坊さま    
水波坊さま

いろいろとお教えいただきありがとうございます。
今まで、お寺に参詣する際に、ここは○○宗のお寺だから、という意識をもって参詣したことはほとんどありませんでした。

でも、そうした思いを多少なりともいだいて参詣できたら、単なる自己満足かもしれませんが、そのお寺への礼儀にでもなるのかと思ったりもします。

> あらゆる尊格の真言をすべて憶えて、参拝の時に使う…というのも、なかなかきついと思います。

たしかにおっしゃるとおりです。
また、私になぞ、そのようなことは難しすぎます。

私の漠然としたイメージですと、「お念仏」や「お題目」で許していただけることろは、それを唱えさせていただいて、わずかでも敬う気持ちというか、学ばせていただく気持ちを表わせられたと、思ったのです。
私には、特別信心している尊格はありませんので、真言宗のお寺に参詣する際は、光明真言を唱えさせていだきたいと思います。

私が、どうしていろいろなお寺に参詣する際に、そのお寺の宗派というか、宗旨というか、○○宗ということに合わせて、「お念仏」や「お題目」、「勤行」などを唱えた方がいいのでは?と思ったのには理由があります。

私は、普段通勤で自転車を利用しているのですが、その際に菩提寺の近くを通るのです。
行き帰りの際には、菩提寺の近くを通る時にいつも「法華経」を心の中で唱えながら、祖父母にあいさつをして、心の中で対話をしています。
その時、「他のお寺に参詣する時などは、何かを唱えるようなことはした方がいいのかな?(日蓮宗でいうところの法華経みたいなもののこと)」
「それには、どういうものがふさわしいのか?」と思ったのです。

「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」といったものぐらいは、頭には浮かぶのですが、「勤行」となるとそれはまた難しいですし…。
でも、もし、できることならこれからはお寺に参詣する際は、ただただ現世利益を祈念して手を合わせるのではなく、易行や勤行を唱えさせていただければ、心もまた少しの汚れを綺麗にしていただけるのでは?と思ったのです。

そうしなければならないとか、する必要はないといか、いわゆる義務や強制などではなく、自分がそうしたいからする。
その発想で、参詣と自分の仏心とを結び付けてもいいのですよね?



Name: マルモ
Date: 2011/07/08(金) 01:06   No:4402
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
天台沙門さま

日蓮聖人が、天台顕教で学ばれたことは知っておりました。
その過程において、数ある経典の中から「法華経」を選ばれたのですよね。

また、明恵上人のお話をうけて、私がこれから実践しようとしていることに背中を押されたように受け止めています。

本当にありがとうございます。

ちなみに、天台宗のお寺に参詣する際にふさわしい易行や勤行はあるのでしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/07/08(金) 09:23   No:4403
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
>お寺の宗派を気にして

予備知識として、その寺の本尊さんを調べたり宗旨がどうであるかを調べたりする人はいても、基本的に宗旨を気にして参詣の是非を決める人はいないと想像できます。天台宗で東北地方に団体参拝する時、天台宗の中尊寺(平泉)と立石寺(山寺)は当然として、臨済宗の瑞巌寺(松島)も定番の参拝所です。



>それぞれの宗派の勤行というか、易行といったものの一説を唱えて、祈念するという行為はしてよいものですか? もしかして、勤行や易行を唱えることは当たり前なのでしょうか?

寺院を参拝した時の最大公約数的な作法として、『般若心経』と本尊宝号(南無○○仏)を3回唱える、というものがあります。
基本は、本尊さんにご挨拶をする、という感覚でしょう。ですから、最低限の礼儀として、本尊さんに手を合わせて頭を下げることは当たり前のことでしょう。ですが、その際に何をするかについてはご自身で判断なさるべきことと考えます。
私は、自分の宗旨と参拝先の宗旨が異なる場合は、参拝先の方法を優先させるべきと考えます。自分は「人」で本尊は「仏」ですから、人が仏にあわせるべきです。



>「お念仏」や「お題目」はわかりますが、「ご真言」はどう唱えたらよいのでしょうか?

上記の「本尊宝号」の代わりに「本尊真言」をお唱えする、という感じでよろしいと考えます。お札所に行くと、本尊の名前と本尊真言と「三返お唱えください」と書いた札があったりします。


>天台宗のお寺に参詣する際

『般若心経』に本尊宝号をお唱えいただければ結構です。


Name: マルモ
Date: 2011/07/08(金) 11:32   No:4404
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Title: Re:信仰?宗教観?なんと説明したらいいのか…    
天台沙門さま

詳細なご説明ありがとうございます。
文才がないので、なかなかうまいこと思っていることが伝えられなかったのですが…。

天台沙門さまが言われるように、お寺に参詣する際に宗旨を気にして参詣の是非を決めることはありませんでした。

私自身、宗旨を気にして参詣の是非ということは全く考えておらず、これからも何気にお寺に参詣することは多々あるかと思います。
その際の礼儀をどうしたらよいのかを考えていたのです。

天台沙門さまの書かれた

> 私は、自分の宗旨と参拝先の宗旨が異なる場合は、参拝先の方法を優先させるべきと考えます。自分は「人」で本尊は「仏」ですから、人が仏にあわせるべきです。

これで納得できました。

お寺はいつも身近なところにあって、そこは私にさまざまなことを教えてくださり、導いてくれるところであると思っています。
参詣先のお寺に敬意を払い、そちらの方法で参詣させていただくようにします。

ありがとうございます。






 
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