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Name: 井上
Date: 2010/10/03(日) 11:10   No:3895
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Title: 卒搭婆    
法事の度に親戚が卒塔婆を用意してくれ、共にお墓参りをするのですが、古い卒塔婆はどのように処分されるのでしょうか?    これまで注意していなかったのですが、今回、自分たちだけで卒塔婆をお墓に持っていくことになり、疑問に思っております。


Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/10/03(日) 11:23   No:3896
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Title: Re:卒搭婆    
卒塔婆は舎利塔ですから、仏の身体…つまり仏とひとつになった故人の象徴です。そして大宇宙と一体のものとして、卒塔婆は土に直接立て、そのまま自然に還るままにしていました。「処分」、というのはちょっと穏当ではないですね。
スペースに余裕がある限り、ボロボロになってもそのままお祀りしておくのが妥当だと思います。
が。
現実論としてスペースがなくなった、あるいはボロボロになって他のお墓に吹き飛ばされて迷惑がかかる…等々の事情があろうかと思います。コンクリートで腐って自然に還る…というのもなかなか難しくなっていますし。
その場合は、寺に持って行ってお焚き上げしていただくか、自分たちで焼き、灰を自然に還すか…ということと思います。自分たちで焼く場合、他のゴミと一緒にしない、焼く前に手を合わせて般若心経や念仏・題目等を丁寧にお唱えしてください。


Name: 天台沙門
Date: 2010/10/05(火) 09:27   No:3900
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Title: Re:卒搭婆    
私が預かる寺では、撥遣供養の後、焼却処分をしております。
神社さんで、古い御札などお焚き上げをなさりますが、同じ感じです。

卒塔婆立てが一杯で新しいものを建てられない場合ですが、公営墓地でしたら管理所が指定する置き場所に置けばよいですし、花屋や石屋といった業者さんが引き取ってくれるでしょう。共同墓地で施設も業者もなければ、古い卒塔婆から外して菩提寺さんにお持ちになることをお勧めします。




Name: 不安なママ
Date: 2010/09/29(水) 12:47   No:3887
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Title: 供養について    
義父母は貧しさのゆえ、自ら命を絶ちました。
お墓は建てましたが、戒名もなく俗名です。
四十九日も百か日も一周忌も三周忌もやりませんでした。
義姉はお金がかかるからとか、無宗教だからやらなくていいと言われ、断念しました。うちは男の子が二人います。
供養とかをしなくて子供に災いが起きなければと思います。
主人の家庭は昔から貧しく、子供の頃は酷い生活を送っていたそうです。
いずれ時がたった時に、供養をしても遅くはないのでしょうか。
今は何を言っても義姉や主人に反対され、何もやらないのいってんばりです。
私の家系は、供養とか親戚付き合いとかは、ちゃんとやってきた
家系なので、いつかちゃんとした供養をしたいのです。
後になってでも遅くはないのでしょうか。



Name: 風羅坊
Date: 2010/09/29(水) 15:48   No:3888
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Title: Re:供養について    
私の友人も昨年の10月に事業に失敗して鬱病がひどくなり、家族を残して自らの命を絶ちました。
奥さんの悲しみは端で見ていても気の毒なほどで、自殺を止められなかった自分を責める気持ちに打ちひしがれていました。
自殺した霊は、丁寧に供養しないと成仏できずにいつまでも冥界をさまよっていると聞きました。
友人の奥さんと家族は、葬儀も四十九日も一周忌もきちんとやり、次第に心も落ち着いて、前向きに生活をしているようです。

供養というのは、亡くなった人の為でもありますが、残された家族や回りの人に安心を与えてくれるものでもありますね。
最近は無宗教だといって、葬儀もなにもしない人が増えているそうですが、そういう人の気持ちがわかりません。
ましてやご夫婦で自らの命を絶ったのですから、普通以上に丁寧に供養をしてやる必要があると思うのですが。

お墓や仏壇の前で手を合わせて拝むこと、その人の懐かしむことは人間しかできません。それは人間の情であり、人をいとおしむやさしい心の表れでもあると思います。

お金がかかるから、無宗教だから供養をやらないというのは情けないような気持ちになります。
今は供養をするのは無理なようですので、機会を見てあなただけでもお墓参りをするとそれが供養になると思います。



Name: 不安なママ
Date: 2010/09/29(水) 17:56   No:3890
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Title: Re:供養について    
主人も大変な苦しみを三年も引きずっています。
未だに立ち直っていません。義父は義母を殺めた後に、自ら命を絶ちました。
お墓は近いので、毎月主人は主人で、義姉は義姉でお墓参りはしているそうです。
私達、家族でもお墓参りには何回か行っておりますが、私は不安でたまりません。友達にも自殺はさ迷うと言われて、怖くてたまりません、何年かして何十年かして、主人の心が落ち着いたときに
お坊さんを呼んでお墓の前で供養をしたいのですが、それでも大丈夫でしょうか。
因みに、仏壇も位牌も作っていません。


Name: 仏教徒
Date: 2010/09/29(水) 20:44   No:3891
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Title: Re:供養について    
こんばんは。
まず供養がすぐに出来なくても、子供さんに災いが起こる事はありません。少なくとも、供養がしたいと思っているのなら絶対に災いは起こりません。安心して下さい。

お墓での読経は、お坊さんにしてもらえる時にしてもらえば良いでしょう。
自分達でお墓参りに行くだけでも十分です。


皆様が幸せでありますように。

合掌。


Name:
Date: 2010/09/29(水) 21:52   No:3892
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Title: Re:供養について    
私も仏事相談に悩みを投稿した者です。私も家族に供養をするよう言っている者ですが、家族全員が供養をしないから災いが起こるというふうには考えていません。知り合いに神様に仕える方がおり、その方は霊が見えたり、霊障を見破ってそれを消したりを無料でしているのですが、私の家族の中でほぼ私だけの供養でも、霊は安んじた状態であると言われました。(ちなみに私も供養をしていなかった頃は武士の先祖霊が供養を求めていると言われました。)信じる信じないは別にして、本来は家族全員が供養すれば最高でしょうが、まずはあなた自身が供養をすることで、その思いは御霊に通じ、安んじると思います。先祖が災いを起こすというのはあり得ないと思います。

Name: 勝運寺山主
Date: 2010/09/29(水) 23:40   No:3893
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Title: Re:供養について    
不安なママ様へ
心からの供養でなければ法要の意味は有りません。
形だけ、体裁や世間体での供養なら行わないほうが良いでしょう。
それまでお待ちになられるべきです。
お墓を購入し納骨されただけでも立派な供養です。
それに御参りされているならば心配は要りません。
今、出来る事をご主人も義姉さんもされておられます。
あなたの子供に災いがおこる事はけして有りません。
安心してください。


Name: 不安なママ
Date: 2010/09/30(木) 09:10   No:3894
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Title: Re:供養について    
皆様、本当に本当に、ありがとうございます。
三年間、不安で不安で、たまりませんでした。
人に相談すると、必ず返ってくる言葉は、四十九日も百か日も一周忌も三周忌も絶対やったほうが良いといわれ、やらなかった事で
この先、主人も立ち直らなく、私もその事で、一生不安を抱えながらの生活になっていたと思います。
子供のことも一番の心配でした。
もう一つ不安なことがあります。主人の父方の先祖のお墓は遠方にあり、お墓参りは数える程しか
行った事がなく、お墓の墓石の横には、**家は、事情があり
絶えてしまったが、(多分男の人の跡継ぎがいなく)代わりに
妹の**家が守るような事が書いてありました。**家のお墓の横にはもう一つ、お嫁に行った妹さんの**家のお墓が建っています。絶えるとは
絶家という事ですよね、最近、父方の母が亡くなり、納骨したそうですが、子供が男の子二人なので、絶家というのも気になります。
主人の兄弟は、男三人、女一人の四人兄弟です。




Name:
Date: 2010/09/27(月) 23:59   No:3869
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Title: 供養を怠る家族    
うちの仏壇についてです。家族の中で、私しか真剣に供養する者がおりません。毎日ご飯と飲み物を供え、ロウソクに火を点し線香を立て、お経を唱えています。たまに朝忙しくて供養ができず、夕方家に帰ると仏壇は閉じたまま、ご飯さえ上げていません。花が枯れようが、ロウソクや線香が最後の一本まで尽きて無くなろうが、誰も買い替えようともしません。情けないというより、怒りと憎しみで時々怒鳴り散らします。家庭の運勢も良いとは言えず、先祖供養の重要性や本尊からの守護の必要性を説いても、そのときは十分ばかり手を合わせるくらいで、あとは全く仏壇に近寄りません。私の家族は元々仏と縁がないのでしょうか?供養を真剣にするようになる方法はないでしょうか?もしも私が死んで家族の薄情な供養軽視に遭ったなら、家族とはいえ、憎むと思います。


Name:
Date: 2010/09/28(火) 08:22   No:3870
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Title: Re:供養を怠る家族    
自己満足のために家族に供養を強要し、思うようにならないからと怒鳴り散らす。その行為に寄って、供養という事が迷惑な行為として家族には感じられるのではありませんか。
供養される側にとってもさぞや迷惑な事でしょう。
何のための供養なんでしょうね。


Name:
Date: 2010/09/28(火) 09:21   No:3871
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Title: Re:供養を怠る家族    
しかし、供養を習慣付けることも大切ではありませんか?「強要する」などの遥か以前の問題で、ご先祖を大切にする、本尊を大切に祭るというのは、人間界に一番必要な「敬い」の精神を鍛錬する不可欠な出発点だと思いますが…。自分のご先祖を大切にできなくて、どうして他人を大切にできますか。第一、質問の趣旨をご理解くださいね。家族が迷惑してるなどと勝手に決めつけないでくださいね。それこそ迷惑です。

Name: 一般人
Date: 2010/09/28(火) 11:28   No:3873
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Title: Re:供養を怠る家族    
こんにちは。失礼かとは存じますが、おっしゃっている御家族はみな、小学生未満でしょうか?

宗教的な習慣というものは、幼いころに親の背をみて学ぶもののようです。
なので、おっしゃる御家族が幼い子供達ならば、貴方の背中をみて、徐々に尊い習慣・姿勢を身につけてゆかれると思います。ただ、怒りを現してしまうと、逆に宗教がトラウマになりかねないので、怒る姿は決してお見せにならない方が宜しいかと思います。


それなりに歳を重ねている御家族の場合、いまから習慣をつけるのは困難ではないでしょうか。
というのも、既に自己の頭で判断し、価値基準が形成されているはずです。宗教的に違う価値観があるのかも知れません。自身が目覚めるのを静かに待ち、貴方は貴方の心の平安を保つのが得策ではないかと思います。
少なくとも、御先祖を供養することで家族の不和を招くのは、どこか違うように感じてしまいます。


Name:
Date: 2010/09/28(火) 11:41   No:3874
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Title: Re:供養を怠る家族    
>家族が迷惑してるなどと勝手に決めつけないでくださいね。それこそ迷惑です。

失礼しました。よほど特殊な嗜好をしてない限り、怒鳴り散らされる行為というのは不快に感じると思いましたものですから。

さて、質問の趣旨を理解してということですが、思うままにならないからと怒鳴り散らしているようでは反発を招くだけです。先祖を大切にと言いながら、今共に生活している家族を怒鳴り散らす人の言うことに、説得力を感じることが果たしてできるでしょうか。 あなた自身が心穏やかに供養という行為をできなければ、家族の反発を招くのが関の山だと思われます。目的(供養)のためにはどのような手段も許されるとでもお思いですか。
供養しているあなたを見て、なごめるくらいでなければ家族はついてこないと思います。


Name:
Date: 2010/09/28(火) 13:22   No:3875
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Title: Re:供養を怠る家族    
一般人さんありがとうございます。家族の年齢層は小さいのから両親までおります。もともと私は全く供養に縁がなく、今のご本尊は両親を始め家族が安置しました。それなのにほぼ放置状態が続き、見かねて私が供養し始めました。困り事が出来たときにはご本尊やご先祖に祈願するくせに、解決してもお礼をしない、日頃は見向きもしないというありさまで、仏壇に申し訳ない気持ちが高じてしまい、つい怒りが込み上げてきます。毎日供養して十年以上になりますが、初めのうちは供養は私の仕事だと割り切っていた時期もあります。それが年一年と経つうち、家族に一向に供養心が湧かないため、つい苛立ちが募ってしまうのです。また、祈るときには感謝とご先祖の成仏、家族の健康を第一にしていますが、家族自身も感謝し敬って、供養する心と直接の守護を得てほしいという願いもあります。

Name:
Date: 2010/09/28(火) 13:34   No:3877
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Title: Re:供養を怠る家族    
現さん再びありがとうございます。先ほどは失礼しました。書き足りなかったかもしれませんが、私も無闇に怒鳴っているわけではありません。家族には出勤や登校前に手をほんの数秒合わせるだけでいいと言っていますし、疲れていそうなときには無理にとは言いません。しかし困ったときには頼りにする以上、日頃の感謝は大切だと思うのです。せめて日曜の朝に手を合わせるくらいはできると思うので、関心さえ向けない態度を見ることが何度も重なってしまうとつい怒鳴ってしまうのです。

Name: 仏教徒
Date: 2010/09/28(火) 18:47   No:3879
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Title: Re:供養を怠る家族    
こんばんは。

習慣付けるのと強制するのとは違いますよね。
人は強制されれば嫌がり、してはならない事をしたがるものです。
まずは行動させるより、手を合わせる事の大切さをポツポツと話し、それを聞いてもらうだけで良しとしてはどうでしょうか?
それも強制ではなくサラリと・・。
信仰は勧めれれても、自分がそれを大切だと思わない限りは続かないものです。

先祖は、子孫が皆ニコニコしているのが一番嬉しいのです。
ですから、東様も怒らないようにして下さい。
怒られてする行為は信仰じゃありませんからね。


皆様が幸せでありますように。

合掌。


Name: 一般人
Date: 2010/09/29(水) 09:36   No:3884
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Title: Re:供養を怠る家族    
仏教徒さんのコメントとやや重なりますが、家族に言われると、いくら的を得ていようが反発する・素直に従えないということがあろうかと思います。
お寺の法話などに御家族の方が参加されて、和尚さんの話で感化されれば、もしかしたら違った行動となってくるのかもしれません。


また、今まで何度も注意を促し意義を説いてこられたのならば、押してだめなら引いてみろといいます。「好きにしたらいい。もうそろそろ、親に言われてやるような年齢じゃないからね…」と、関与しないことも考えられるのではないかと思います。


信心は強制されるべきものではなく、自発的に起こるのが本来の姿だと思います。
願いがあるときに手を合わせるのであれば、ただの「モノ」として御仏壇をみているわけではないでしょうから、あとは内面の変化を信じて待つのがよいのではないでしょうか。



Name:
Date: 2010/09/29(水) 16:48   No:3889
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Title: Re:供養を怠る家族    
仏教徒さん、一般人さん、ありがとうございます。こんにちわ。やはり供養が大切だと悟らせることが大切ですね。どうしたら悟るのか…まさに試行錯誤です。お寺で供養の大切さを聞いても変わりません。テレビの怪談話は好きなのでよくチャンネルを合わせますが、先祖の祟りめいた話しを聞いても「こういうことがあるんだ」くらいです。気長に待つしかないのかもしれません。「そんなに無関心なら本尊を寺に返せ」と言ったときは「そんなことはできない」と拒否しますが…。お守り感覚で、家に安置しておけばよいという考えなのかもしれません。




Name: ひろし
Date: 2010/09/27(月) 07:04   No:3867
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Title: 先祖供養について    
先祖供養について

とある本で読みました、「時間的、距離的都合などでお墓参りなどができない人のための簡単な先祖供養方法」には、こう書いてありました。

○お墓の土を持ってきて、お水と塩をお供えする。
○ご先祖樣の座布団として、白紙(半紙)を敷き、その上に上の三品を置いて拝む。
水、塩は朝晩取り替える。


思ったのですが、お墓の土などを持ってきてもいいのでしょうか?
この方法で、先祖樣の供養になるのでしょうか?

教えて下さい。



Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/09/27(月) 11:55   No:3868
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Title: Re:先祖供養について    
少なくとも仏教じゃそんなことしないですね。
供養になるかどうかと言われれば、別にそれをするかどうかは関係ないとしか言えません。
御仏壇でしっかり供養するのが本道でしょう。
お墓参りについて、またそれはそれでどうしたらいいか考えることです。


Name: 天台沙門
Date: 2010/09/28(火) 14:56   No:3878
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Title: Re:先祖供養について    
ご自宅に位牌をお祀りしているならば、それで充分と私も考えます。


ですが、人類に普遍の感覚として「死者はここではないどこかに行く」という信仰意識があります。宗教によって「天国」や「浄土」や「常世」などと呼び分けていますが、まあ生者の住まう「この世」に対する「あの世」のことです。つまり、墓地は先祖供養の場であるのと同時に、「この世」と「あの世」との接点なのですね。
聖地や霊場といわれる場所も同様です。例えば、八十八ヶ所や三十三ヶ所の境内の砂を集めて「お砂踏み」と称する施設を設けている寺院は少なくありません。聖地や霊場を身近に設けたいという信仰感情がもとにあって「墓地の土を持ってくる」という考えとなるのでしょう。
また、人は死んだら土に還るのが自然だ、という考えもあります。「土を持ってくる」ということは、土に還ったご遺骨を持ち帰ってくるという意識も働いているものと考えられます。分骨されたものを含め、ご遺骨を位牌の替わりとしてお祀りするという感覚の延長として、墓地の土をお祀りするということですから土を持ってくる行為そのものには問題を感じません。気分としては、土や砂よりは石のほうがしっくりきますが。


先祖供養とは自分に関わるすべての人間関係に想いをいたすということ、と私は預かる寺の壇家さんにお話をしています。
仏教の基本理念は縁起説なのですが、人の生物学的存在の因と縁は血縁関係であり、社会的存在の因と縁は様々な人間関係です。そういった人々の関係のすべてを抽象化したものが「先祖」であると考えております。ただし抽象的な存在よりは、具体的に知っている故人(個人)を想像するほうが楽なので、まずは血縁の人を思うことが自然でしょう。


Name: ひろし
Date: 2010/09/29(水) 01:17   No:3880
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Title: Re:先祖供養について    
ありがとうございます。

本来なら仏壇を通して拝んだり、墓参りに行ったりするのが筋なんでしょうが
私の実家には仏壇がなく、
お墓も遠いところにあるので。

土を持ってくる以前に
毎週墓参りでもすることにしようか思っています。


Name: 菊雅
Date: 2010/09/29(水) 05:06   No:3881
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Title: Re:先祖供養について    
お墓参りにこだわらなくても、自宅に実家のご本尊様か貴方の好きな仏様を祀って、ご先祖様や貴方の事をお願いすればいいと思いますけど。

Name: ひろし
Date: 2010/09/29(水) 05:58   No:3882
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Title: Re:先祖供養について    
コメントありがとうございます。
ウチは曹洞宗なので、本尊と言えばお釈迦様になるのでしょうか。

自分が好きなのは、お不動様とか明王系です。
お不動様は初七日の仏様
(?)みたいなので、関連あると思うので、購入を検討しますか。しかし、開眼供養はどうしようか…^^;


Name: 仏像好き
Date: 2010/09/29(水) 11:07   No:3885
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Title: Re:先祖供養について    
横から失礼します。
お不動様や明王系は、内なる煩悩や魔を退治する仏様の働きを象徴するものだったと思います。修行道場では不動明王をよく見ます。
好きな仏像を選ぶのは結構ですが、あとあと考え直したりすることがないよう、熟慮されて選ばれたほうがよいように思います。

ちなみに私事ですが、我が家には趣味で観音菩薩、薬師如来、釈迦如来、六道輪廻のタンカを飾ってます。見て心が楽なのは、何故か釈迦如来です。おなじ人間だからですかね。もともとは観音菩薩が好きなのですが。
観音菩薩には心が安らぎますが、六道輪廻のタンカをみると「こうしてはいられない」と焦りを覚えます。
毎日みるものであれば、心理的に影響があってもおかしくないので、慎重に選ばれることをオススメします。私はあと不動明王、閻魔王の仏像が欲しいと思っているのですが、あの表情に部屋の空気が一変しそうな気がして(プレッシャーもかかりそうですし)、まだ買ってはいないです。





Name: 午前0時
Date: 2010/09/21(火) 01:45   No:3842
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Title: 聖天信仰について    
初めて投稿します。
私はかなり前に、どうしても叶えて欲しい願いがありました。
大聖歓喜天さまにおすがりすれば叶わぬ願いはないと言うのを聞いたことがあり、
願いを叶えて欲しい!
ただそれだけの理由で、特別な信仰心もなく、近くの聖天さまのお寺に、それこそ駆け込みました。

結局、私の願いは叶わず、
まぁそもそも叶わぬ願いだったのだろうと諦め
せっかくのご縁なので、そのお寺に毎週末にお参りしておりました。

その間、願い事があり、そのたび願をかけておりましたが願い事が叶うことはありませんでした。

その代わり、降って沸いたような不可解な災難に逢い
原因を考えておりました。
自分の撒いた種の結果とは考えてづらく、もしかしたら聖天さまの天罰ではないかと
思うようになってきました。
責任転嫁も甚だしいのは十分承知ですが、もしかしたら、聖天さまに好かれていないのではないか、拒絶されているのではないかと思うようになってきております。

聖天さまは誠意を持っておすがりすれば、必ず願いは叶うと言われていますが
もしかしたら人を選んだりするのでしょうか?

聖天さまを信仰してから、災難が多いような気がするのですが…



Name: 一九
Date: 2010/09/21(火) 06:02   No:3843
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Title: Re:聖天信仰について    
聖天様に限りませんが、自分のカルマ(学び)に反する願いはかないませんよ。
それからエゴによる欲望、つまり全体の調和に反する願望、人と比較による願望、結果として人に不幸が回る願望はかないません。

もう一つ願い方の問題があります。
願望が実現した結果をイメージして、その喜びを感じます。
イメージとは五感で体験し、その感情を味わうこと。
「何々してください」という願い方は欠乏感を体験しますから、欠乏した状態がかないます。
さらに結果を時間上で追わないこと、「果報は寝て待て」です。
熱意があること、あきらめないことも必要です。
熱意と結果を追わないことの関係が難しいですね。

最後に神仏との接し方です。
神仏と個人的に親しい関係になること。
日ごろから恵みに気づいて感謝していること。
願いを委ねること、つまり自分でどうこうしようとすることを放棄すること。
熱意と委ねるの関係も難しいです。


災難なんてどこにもないですよ。
神仏の罰もないです。
自分に必要なことが起こっているだけ、偶然起こることは何もないです。
どんなことも否定せずに受け容れてください。


Name: 午前0時
Date: 2010/09/22(水) 00:55   No:3844
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Title: Re:聖天信仰について    
ご回答ありがとうございます。
実は私は先月、事故を起こしまして、幸い(?)対物でしたが、車は廃車になってしまいました。
これも、私に何かを気付かせようとすることだったのでしょうか。
必然的に起こったことだったのでしょうか。

吟味する必要があるな…

そう感じています。


Name: 天台沙門
Date: 2010/09/22(水) 17:36   No:3849
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Title: Re:聖天信仰について    
業界内部では「聖天さんは怖い」と言われます。「下手に拝むより拝まんほうが身のためや」とのことで、きちんとお仕えしないと祟られると真剣に信じられております。それだけ功験と威の強い仏様と、私は理解しております。

大切なことは「きちんと」という点でしょう。
そうと決めたら、朝夕の勤行は欠かさないだけではなく略さない。時間も守る。「願掛け」と「○○断ち」を対にするのもよく行われているようです。あと忘れがちですが、願いが叶ったときは「お礼参り」をして「願解き」をしてください。


さて、現世利益のお祈り事を「加持祈祷」といいますが、「加」は神仏の威力が人に加わること、「持」はその力を維持しようと励むこと、「祈祷」は祈ること、をいいます。祈るだけでなく、祈りがかなうよう努めることが必要なのですね。例えば、ご祈祷いただいたクルマに交通安全の御守をいくらぶらさげていても酔いどれが歩行者天国に突っ込めば悲惨な結果となります。禅的な表現をすれば、拍手は片手では鳴りません。


仏教の基本教義からすれば、すべての事/物は因と縁によって成り立ちます。そして結果である事/物も新たな因縁となります。そういった縁起のシステムでは祈祷祈願も因縁のひとつを作ったにすぎず、お祈りをして好いことがあったから云々という理解も、お祈りをしたのに好いことがないから云々という理解も、厳しい表現をすれば短絡思考ということになります。

そもそも、神仏という人の上にいます偉大な存在は、人の努力の範疇を超えたところについて、その努力に感応して守護や援助をくださるものと信じます。それは聖天さんも同じでしょう。まずはご自身のできることをなさり、次いで聖天さんに祈る。それでよろしいと考えます。


Name: 午前零時
Date: 2010/09/24(金) 06:49   No:3856
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Title: Re:聖天信仰について    
天台沙門さま、ご回答ありがとうございました。

聖天さまについて
今までは「困った時の神頼み」的に礼拝しておりました。
一応はお祀りしておりましたが、まだまだ甘いようで
聖天さまを礼拝する資格などないのかな……などと思っております。


因果の法則なども、書籍などで知識はありましたが
最近の(被害者意識丸だしの言い方をすれば)不運も、私が蒔いた種なのだな、
と考えております。

ご回答、参考にさせていただきます。
またどこかで、よろしくお願いいたします。

それにしても、なぜあんな不自然な事故(対物で幸いでした)を起こしてしまったのか、未だに不自然でなりません。




Name: 教えを乞う人
Date: 2010/09/14(火) 09:27   No:3823
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Title: お坊様の処世術    
私は昔から短気です。トラブルが多く、何とか変えたいと数日お寺に籠り、住職様の法話に耳を傾けたり、作務をしたりと仏心に接し、ようやく自分の欠点を欠点として自覚し、改善していこうと決意しました。下山してからも写経などの自己鍛錬に努めてきました。しかし、やはり短気が起こります。現実世界でもネット上でも、制御が利かず本気で怒りが込み上げ、火が付いたように憤ります。これを治したいのです。お坊様方は怒りが沸いたとき、どのように対処しているのですか?お世話になったお寺にも嫌がらせや、ネットからの根も葉もない中傷誹謗など時々寄せられるらしいのですが、ニコニコしてそれを話していた住職様の姿が忘れられません。お坊様方の怒りに対する処世術を教えてください。


Name:
Date: 2010/09/14(火) 18:21   No:3825
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Title: Re:お坊様の処世術    
×おん にこにこ はたたつまいぞや そわか

○おん にこにこ はらたつまいぞや そわか
         腹 立つ    (成就)


Name: 一般人
Date: 2010/09/14(火) 21:30   No:3829
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Title: Re:お坊様の処世術    
横から失礼します。

あさんのレスですが、仏教関係の本でみたことありますよ。腹がたったときに唱えていると著者?が書いてました(著者が僧侶だったような気もします)。真言宗で「〜ソワカ」という真言がありますが、それをもじった「おまじない」ですね。

おん にこにこ はたたつまいぞや そわか


はた ではなく 腹 ですね。にこにこはニコニコ。笑顔のことです。


Name: 教えを乞う人
Date: 2010/09/14(火) 22:06   No:3831
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Title: Re:お坊様の処世術    
一般人様、ご指摘ありがとうございます。あ様、先ほどは失礼な事を言い、本当にすみませんでした。検索したところ、確かにご指摘の言葉があり、腹がたったときに唱えると良いとありました。先ほどの私のレスは削除いたしました。一般人様、あ様、高いご教養からのご指導、本当にありがとうございます。

Name: 一般人
Date: 2010/09/14(火) 22:42   No:3833
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Title: Re:お坊様の処世術    
丁寧なお返事、恐縮です。一見、怪しい言葉ですよね(- -;)。僧侶の方からのご回答、あるといいですね。

私も人に比べると短気なようなので、全く人ごとでなく。。。
が、短気のかわりなのか、愚痴は人に比べるとかなり少ないようです。なので、普段は人よりストレス少なく過ごせていると言えるのでしょうか。結局、一長一短なんですかね。

教えを乞う人様の「短気」が、今後でてこないことを陰ながらお祈り致します(生まれつきの短気をお坊さんに相談したら、お坊さんが「その短気をとってやるから出してみよ」と言い、短気は生まれつきのものではないと教えるエピソードもどこかでみたことがあります。機会があれば検索してみてもよいかもしれません)。


Name: 教えを乞う人
Date: 2010/09/14(火) 23:12   No:3834
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Title: Re:お坊様の処世術    
一般人様からのご指摘がなかったら、そら恐ろしい早とちりをしていたところでした。本当に助かりました。私の短気は後に悔いばかり残すので、何とか改善するためにも今年中にもう一度時間を見つけてお寺に籠る予定です。そのお寺の住職様は何どきでもニコニコしていて、一緒にいると私までニコニコになり、そのときは短気も陰を潜めていて怒りに対する処世術は…の質問を入れることさえ浮かびませんでした。今度お寺へ上がったら住職様にも処世術を聞いてみようかと思います。

Name: 一般人
Date: 2010/09/14(火) 23:20   No:3835
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Title: Re:お坊様の処世術    
それは素敵なご住職ですね。よい御縁で恵まれていらっしゃいますね。御健闘、お祈りいたします。

Name: 天台沙門
Date: 2010/09/15(水) 12:05   No:3838
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Title: Re:お坊様の処世術    
まずは時間と空間をおくということでしょうか。


私は本堂でお経を読みます。普段よりも、意識的に声を大きくし木魚も強く叩きます。
これで15分くらい経ちますから、なんとなく感情そのものは落ち着きます。

まあ、怒りなどの感情の原因によりますが、どうして腹が経ったのかを文書化しますが、そのまま対応策を考えると感情が勝ってしまうので、その日は文書化だけで止めておきます。


水垢離ではないですが、冷たい水を浴びるのでも熱いシャワーで身体を洗うなどということも行います。
ご参考までに。


Name: 教えを乞う人
Date: 2010/09/19(日) 19:28   No:3841
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Title: Re:お坊様の処世術    
天台沙門さま、ご回答ありがとうございます。さすがはお寺の方にふさわしい解消法だと思いました。自己処理が大切ですね。私も今日、観光先の複雑な道で道を間違え、危うく半ば木の葉に隠れた通行禁止の標識を見失い進行しかけたところ、ぼーっと雑木のように立っている警備員に突然怒鳴られ文句を言われ、そんな言い方はないだろうと、カーッとなって「ろくに誘導できないなら代わりに看板でも立てとけ」と怒鳴り返そうと半ば窓を開けましたが黙って去り、その後やんわりと苦情を入れただけで済ましました。これからはより短気を起こさないよう精進します。ありがとうございます



Name: かず
Date: 2010/09/11(土) 00:46   No:3814
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Title: 仏壇と花瓶について    
家具調の小さな仏壇(幅40cm程度)に手を合わせています。
本尊、位牌、常花(1対)、燭台(1対)、香炉、高坏(1対)
水とご飯の器、、、妻の位牌があります。

生花を仏壇の両脇に、対で花瓶を置いて花が枯れる前に
新しい花に替えています。(毎週1回か2回)

この生花の花瓶は、対の方がいいと思い、他界して1年くらい
してから大きい花瓶を対で置くようにしていました。
それまでは、小さな花瓶に小さな花を飾るだけでした。
菊や百合の花を飾りたいと思い、大きな花瓶を対で買いました。

最近、片側でもいいのではないか、仏壇が明るくなると思うよう
になり。1つにしようと思うのですが、、
対で飾るほうがいいのでしょうか?

対象に置くことになにか、教えのようなことがあるのでしょうか?

よろしくお願いします。



Name: 天台沙門
Date: 2010/09/11(土) 10:04   No:3815
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Title: Re:仏壇と花瓶について    
結論から申しますと、仏具を対称に置くことに宗教的な意味はないと考えてよいでしょう。人が左右対称であることに普遍的な美を感じる点が重要であって、それが宗教的美意識にもつながっていると理解すべきでしょう。

仏具には「三ツ具足」というものがあります。本尊に向かって「燭台・香炉・花瓶」の順に並べるセットです。まずは、これでよろしいのではないでしょうか?
私の預かる寺の本堂の脇座敷の床の間に地蔵尊立像をお祀りしてありますが、お地蔵さんの前は三ツ具足です。




Name: アビー
Date: 2010/09/01(水) 08:43   No:3803
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Title: 人ならざる行為私はもう人間じゃない!!!    
数年前、悩みを抱えていた私はノイローゼ状態だったと思います。
悩みの解決としてこだわっていたのはお墓で、先祖は土に還らないと成仏しないという事を本で知り、何を考えていたのか、勝手に祖母、祖父、その他親戚の遺骨を自分で縫ったさらしの袋に入れ替えたのです。後に空になった骨壺は京都のお寺に郵送し供養してもらいましたが・・しかし、彼らの遺骨はそのままで、何の供養もしてもらっていません。菩提寺というのでしょうか、お墓のあるお寺のお坊さんに御経の一つでもしてもらいたいのですが、何十万もかかりそうで、耳も非常に遠く意志の疎通も困難です。墓は非常に遠いので、以前十万円を納めたことがあります。ごく稀に掃除はしてくれているみたいです。この先どうすればいいのでしょうか?
以前骨壺を供養してくださった尼僧さんに、塩、酒、米を用いた結界を作る方法を教わったのですがそれは墓参りの度に続けたほうが良いのでしょうか?
自分で自分の先祖を陵辱したのです。一体これからどうすれば。



Name: タッチ
Date: 2010/09/02(木) 11:47   No:3806
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Title: Re:人ならざる行為私はもう人間じゃない!!!    
骨壷から骨を出して骨壷を処分した、というところが気になるのでしょうか?私の地方ではお墓に骨を埋める際、骨壷からザザーっとお墓の下の直土の上に骨を注ぎます。だからお墓の下は、どれが誰の骨だか分からない状態です。空になった骨壷は供養せず処分です。私の地方ではこれが当たり前なので、遺骨を大切に袋に入れたというところ、むしろ大切にされているなぁと思いました。

Name: アビー
Date: 2010/09/07(火) 09:42   No:3813
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Title: Re:人ならざる行為私はもう人間じゃない!!!    
返信有難うございます。

どのような返信が来るのか恐ろしくて中々お返事できませんでした
優しいお言葉に感謝しております。
気持ち的、考え方も少し楽になった気がします。

ありがとうございました。




Name: KK
Date: 2010/08/08(日) 12:18   No:3716
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Title: 孤独死をさせてしまった叔父への供養    
離婚して独身で一人暮らしをしていた叔父(享年71歳)が今年の1月に孤独死をしていた事が先日分かりました。亡くなった当初は実子に警察から身元引取り人の要請があったとの事ですが、実子たちは拒否をしたそうです。
何故最近になって叔父の死亡が分かったかと言いますと、私の母(叔父の実姉)に区役所から相続の連絡が入ったからです。
実は母は今秋に法事の件で疎遠になっていた叔父に手紙を書こうと
していた矢先でしたのでとても嘆き悲しみ、私も叔父のことは大好きだったのに、、何故連絡を絶つようなことをしてしまい毎日嘆き悲しんでいます。現在叔父のお骨は無縁仏として寺院に安置されている事が分かり、数日後にお骨を引き取りに行くのですが、
お墓を立てるまでに(永代供養を検討しています。)自宅で
安置しする予定です。
もうとっくに49日も終わっておりますが、私は勝手にお骨を引き取ってから数えようと思っておりますが、そのような解釈でよいものなのでしょうか?また孤独死をしてしまった叔父に対してこれから
どのような供養・懺悔をしていけばよいものなのでしょうか?



Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/08/10(火) 09:49   No:3726
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Title: Re:孤独死をさせてしまった叔父への供養    
四十九日は命日から数えで四十九日ですので、八か月過ぎて、改めて遺骨を引き取ってから数えても、あまり意味はないと思います。時間は戻りませんし、無理に戻す必要もないでしょう。
ただ、供養・法要することには意味はありますので、四十九日などを出来なかったことに対する懺悔と、追善の供養法要を行えば十分だと思います。日々手を合わせて供養することと、次の一周忌に丁寧な法要をすることです。


Name: kk
Date: 2010/08/11(水) 20:14   No:3735
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Title: Re:孤独死をさせてしまった叔父への供養    
水波坊様

ご返信ありがとうございました。
本日やっと区役所の福祉課で無事に叔父のお骨を
引き取ることができました。
これから、お墓を探して、納骨式にはできなかったお葬式の分も
しっかりと丁寧に法要させていただこうと思います。


Name: kk
Date: 2010/09/06(月) 21:39   No:3812
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Title: Re:孤独死をさせてしまった叔父への供養    
先日はお世話になりました。

ようやく叔父のお墓がみつかり来月上旬に納骨式を
する予定です。
今現在は孤独死をさせてしまった叔父のお遺骨は
叔父の姉である私の母が引き取っています。
しかし納骨日が決まると母が遺骨を手放すのを
非常に寂しがるようになり、分骨をして家に
小さな骨壷にして置いときたいような事を
しばしば言い出すようになりました。
そのような理由で分骨をして家に置いといても
仏教の倫理的な面からして良いものなのでしょうか?




Name: ひまわり
Date: 2010/09/02(木) 10:15   No:3804
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Title: 仏壇に手を合わせている時間    
毎朝仏壇に手を合わせ、お経を唱えています。長ければ長いほど良いと思い、だいたい2時間はお経を唱えています。しかし途中、ともすれば考え事をしていたりと、集中力を欠く時間も含まれます。ある方から仏壇に長い時間お経を唱えているのも良くない、と教わりました。本当でしょうか?だいたいどのくらいが目安ですか?線香一本が消えるまでが約30分です。30分位で大丈夫なのでしょうか?


Name: 水波坊
Date: 2010/09/02(木) 10:50   No:3805
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Title: Re:仏壇に手を合わせている時間    
長さは関係ないでしょう。長いほど「良い」の「良い」が何についてなのかはわかりませんが…。
読経は20〜30分くらいでいいのではないでしょうか? 読む経によって時間は変わって来るでしょうし、人によっても相応しい時間は違いますけれど…まぁあとは題目なり念仏なり坐禅なり、自分の行を読経と併せてされれば如何でしょう。それでも合計で一時間もやれば良いと思いますよ。


Name: 天台沙門
Date: 2010/09/03(金) 11:11   No:3807
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Title: Re:仏壇に手を合わせている時間    
やはり修行にも適正な長さというものはあります。

座禅の場合では、瞑想によって一種の意識障害が惹起されることが経験的に知られています。よって多くの修行道場では初行者ならば15分、練行者でも45分ほどで瞑想を中断することが普通です。長ければ長いほどよい、というわけでもないのですね。

さて、経典の読誦の心構えですが、自分の声をきちんと聞きながら目では文字を読んで意味をおさえる、ということを意識してください。さらには、読誦の目的を意識すること、目的に対して読誦している経典がどんな意味をもつのか、といったことも考えるべきでしょう。
読誦の時間は、言ってみれば、どうでもいいことです。


正直なところ、13時14時15時と法要を続けたりすると、経典の繰り返しの部分(『阿弥陀経』六方段)を読んだかどうだか怪しくなります。心理学者の河合隼雄は、経典内のリフレインは神秘体験をもたらす催眠効果のためではないか、との説をあげています。
また「お念仏を唱えている途中で眠くなってしまうのだが」という質問に、「眠ければ寝てしまってもよい。起きてから。お念仏を続ければよい」と、法然が答えたという話もあります。 (註:手元に資料がなく記憶で書いているので、これは親鸞の逸話かも知れない。)


Name: ひまわり
Date: 2010/09/05(日) 22:26   No:3810
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Title: Re:仏壇に手を合わせている時間    
水波坊さま、ありがとうございます。量より質ですね。やはり、という感じでした。線香一本が消えるまでは集中力を保てるので、いたずらに長く仏壇に向かうようなことは控えようと思います。

Name: ひまわり
Date: 2010/09/05(日) 22:33   No:3811
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Title: Re:仏壇に手を合わせている時間    
天台沙門さま、ありがとうございます。やはり適度の長さが大切なのですね。「眠くなったら寝る」のように、自然体で仏様と接することが大事なのですね。心がけます。




 
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