お寺ネット 仏事相談室(無料)です。先祖供養・水子供養・人形供養・ペット供養・ご祈願や永代供養墓・葬儀・戒名など仏事に関する相談掲示板です。

お寺ネットtop | かけこみ相談室へ仏事の相談室ツルとも和尚のお手伝い


  <<   新規投稿   トピック表示   ツリー表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
 
   本尊不在2   
     ・[4531] 水波坊 
     ・[4532] ソフト 
   施餓鬼について(密教 ....   
     ・[4514] 水波坊 
     ・[4519] キョン 
     ・[4521] 水波坊 
     ・[4522] 天台沙門 
     ・[4523] キョン 
     ・[4524] 天台沙門 
     ・[4525] 水波坊 
     ・[4526] キョン 
     ・[4527] 水波坊 
   本尊不在   
     ・[4516] 水波坊 
     ・[4518] ソフト 
     ・[4520] 水波坊 
   仏具について   
     ・[4515] 水波坊 
     ・[4517] きん 
   読経の意味   
     ・[4497] 天台沙門 
     ・[4499] hotoke 
     ・[4500] 水波坊 
     ・[4501] 水波坊 
     ・[4503] 天台沙門 
     ・[4505] hotoke 
     ・[4506] 水波坊 
     ・[4509] 勝運寺 山主 
     ・[4510] 猿田坊 
   霊友会の先祖供養   
     ・[4508] 天台沙門 
   遠方の祖父母,伯父 ....   
     ・[4504] 天台沙門 
   檀家一軒当り60万円 ....   
     ・[4498] 天台沙門 
     ・[4502] 貧乏人 
   お墓をまとめたいので ....   
     ・[4492] 天台沙門 
     ・[4493] もも 
   先祖の仏壇   
     ・[4490] 天台沙門 
     ・[4491] dan 

Name: ソフト
Date: 2011/12/08(木) 07:46   No:4530
     削除 
Title: 本尊不在2    
前回は水波房様ありがとうございます。水波房様はじめ、詳しい方にお聞きしたいのですが、新たに本尊を招く場合、どこかのお寺の檀家にならないとダメなのでしょうか?例えば好きな本尊を購入し、その本尊を崇敬するお寺で料金(というのは不謹慎ですが)を払い、開眼をして頂く(だけ)というのは不可能なのでしょうか?


Name: 水波坊
Date: 2011/12/08(木) 21:39   No:4531
   削除 
Title: Re:本尊不在2    
>好きな本尊を購入し、その本尊を崇敬するお寺で料金(というのは不謹慎ですが)を払い、開眼をして頂く(だけ)というのは不可能なのでしょうか?

問題ないですよ、全然。
まぁ料金ではなくて、布施ですが。
布施はお気持ですけれど、開眼なら一万円くらいを包まれる方が多いと思います。もちろんそれより多くても少なくとも、それは布施ですから問題ないんですが。

ちなみに私は、水波「坊」です(笑


Name: ソフト
Date: 2011/12/09(金) 00:02   No:4532
解決    削除 
Title: Re:本尊不在2    
水波坊様ありがとうございます。御名前を間違え、失礼致しました。安心しました。



Name: キョン
Date: 2011/11/27(日) 03:02   No:4512
     削除 
Title: 施餓鬼について(密教)    
密教宗派で施餓鬼をしているお寺がありますが、先祖供養で行っているとは思うのですが亡霊や悪霊などを呼んでしまい憑りつかれたり障碍が起きたりすることはないのでしょうか?



Name: 水波坊
Date: 2011/11/27(日) 16:46   No:4514
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
ありません。

大体、テキトーにやってるような坊さんだとすれば、そもそも形だけですから、餓鬼も何も来ません。単なる伝統芸能の所作です。毒にも薬にもならない、ということ。
で、真面目に真剣にやってる坊さんの場合、きちんと施餓鬼になっていますから、障碍はないです。ですから大丈夫。


Name: キョン
Date: 2011/11/28(月) 00:44   No:4519
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
お返事ありがとうございます。
もし初心者の僧がうっかり悪霊を呼んでしまったりすると憑依されたり、霊障になったりするのでしょうか?
教会の悪魔祓いとかエライことなってますよね。


Name: 水波坊
Date: 2011/11/28(月) 11:27   No:4521
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
そんなことはないです。
もしそうだとすれば、どこもかしこも悪霊の巣窟でしょう。
教会の悪魔祓いに関してですが、まぁ、あれもねぇ…。


Name: 天台沙門
Date: 2011/11/28(月) 13:30   No:4522
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
>亡霊や悪霊などを呼んでしまい憑りつかれたり障碍が起きたりすることはないのでしょうか?

ご心配なく。そうういったことは、ありえません。



そもそも「餓鬼」とは、インドの「プレータ」が原意とされています。これは「亡者」という程度の意味ですが、大乗仏教的には「欲望の応報として餓鬼道に堕ちた霊魂」という限定した意味となりました。これが漢語に翻訳された際に「満たされることに餓えている霊魂」という意味で「餓鬼」という訳語をあてられました。

日本でおこわなわれる施餓鬼法の根拠となっている教典はインド起源のものではなく中国で撰述された偽経ですから、そこには中国的(儒教的?)な「孝」の思想が基底にあります。先祖の霊魂に回向するための善行の一種として、本来は救われない餓鬼を救って功徳を積もう、ということです。もちろんそこには我々が供養をし忘れてしまっている先祖に対して供養をするという意味も含まれています。

これが日本では「先祖供養」という意味のほかに「怨霊供養」という意味が取り込まれます。
「怨霊」とは「不幸な死に方をした人の霊魂」であったり「祀られない神霊」であったりするのですが、どちらも共通点として「人に祟る」のです。その「祟り」を避けるにはどうすればよいか、というと、なんということはなくお祀り(祭)をしてさしあげればよいのです。つまり、「施餓鬼=餓鬼に施す』という仏教儀式の深層には、祀られずに祟る神霊がいるから、その神霊を祀って祟られないようにしよう、という日本古来の宗教意識が存在しているのです。
したがって、施餓鬼の場に亡霊や悪霊が来たとしても、供物を捧げて祀ることで祟りを防いだわけですから、憑かれたり障碍が起きたりはしえません。逆に言えば、施餓鬼の場にたくさんの亡霊や悪霊が来て施物を受けていただくほうが人にとっては幸いといえます。


Name: キョン
Date: 2011/12/01(木) 03:22   No:4523
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
お返事ありがとうございます。
施餓鬼はそんなに恐ろしいものではないのですね。
餓鬼というからには怨念を残して亡くなった霊を相手にするので大変なことかと思いました。


ある僧のブログで、修行中は施餓鬼は毎日やるものということなのですがお坊さんは皆、毎日やってるんでしょうか?
修行を終えるとあまりやらなくなるものなのでしょうか?


Name: 天台沙門
Date: 2011/12/02(金) 11:01   No:4524
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
私の場合は、お盆の時期の施餓鬼法要をしますが、毎日の行として施餓鬼法を修すということはありません。

もっとも比叡山での修業中は、毎日(毎食後)に略式の施餓鬼法をしていました。「生飯(さば)を取る」と称するのですが、自分が食べるご飯から餓鬼のために数粒をとりわけます。そして食後に全員の分を屋外の施餓鬼檀に供えて略施餓鬼法を修するのですが、その施餓鬼檀の実際は野鳥の餌場ですから、まあそういうことです。

山の中ですから鳥の餌にするのが自然なので、寺院の立地環境に応じて生飯の扱い(取るかどうかも含めて)は色々だとおもいます。ちなみに私は、この意味でも毎日の施餓鬼法はしておりません。


Name: 水波坊
Date: 2011/12/02(金) 11:52   No:4525
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
私はしてます。略施餓鬼ですから、短時間ですけれども。
真言宗の寺院でも色々でしょうが、やってる僧侶も多いですよ。略施餓鬼くらいは大抵の真言宗僧侶はすべて暗誦できると思います。


Name: キョン
Date: 2011/12/02(金) 15:41   No:4526
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
なるほどです!毎日やってるのでは、亡霊よってきたら巣窟になってますよね。
いろいろと教えていただきありがとうございました!


Name: 水波坊
Date: 2011/12/02(金) 16:22   No:4527
   削除 
Title: Re:施餓鬼について(密教)    
だから、


寄ってこないって(-_-;)






Name: ソフト
Date: 2011/11/26(土) 13:53   No:4511
     削除 
Title: 本尊不在    
今まで、ある新興宗教に属していました。しかし、周りの悪評判や、何より自分自身の体感から、これは辞めたほうがいいと思い、その新興宗教にかかわる仏具すべてを排除しました。結果、仏壇には先祖の位牌しかありません。そこで質問ですが、何らかの宗派に属していない現在、例えばどこかの宗派に属して、先祖の御霊を見守る本尊を早急に見つけるべきでしょうか?それとも、本尊不在の仏壇に先祖の位牌を安置し、手を合わせるだけでも良いのでしょうか?また、うちには神棚があり、神様も崇拝しています。先祖の御霊をどのように扱えばよいのか、アドバイスよろしくお願い致します。


Name: 水波坊
Date: 2011/11/27(日) 16:53   No:4516
   削除 
Title: Re:本尊不在    
位牌の歴史的な由来が云々…というと話が際限なくなりますので、ここはそれは脇に置いておくとして。

基本的に、仏壇は本尊を祀る為のものですから、本尊はあったほうがいいと思います。
涅槃図ってありますよね。
簡単に言うと、本尊が涅槃の釈迦如来で、位牌はその周りにいる有情です。有情だけでもそりゃ、突き詰めればみんな仏性の存在ですから良いんでしょうが、でも、やっぱり釈迦如来あっての涅槃図ですよね。同じように、本尊あっての仏壇です。

まあしかし、大切なのは拝む人の信心の問題ですから、形式上のことだけ、という話であれば、どっちでもいいと思います。
しかし原則的に、仏壇は家庭内の寺院ですから、本尊はあって然るべきでしょうね。

神棚は神様ですから、先祖供養の問題とはまた別の問題ですので、今回はリンクさせて考えなくていいかと思います。


Name: ソフト
Date: 2011/11/27(日) 22:45   No:4518
   削除 
Title: Re:本尊不在    
水波房様ありがとうございます。たしかに、おっしゃる通りだと思います。位牌だけの仏壇に、なんとなく違和感がありました。しかしどの仏様を本尊したらよいのか、新たに宗派に入らなければならないのか、まるでわかりません。個人的には禅宗に惹かれるところがあるのですが…

Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/11/28(月) 11:26   No:4520
   削除 
Title: Re:本尊不在    
宗派は人間の側の作為ですが、仏の関知するところではありませんので、どれでも、自分に縁があると感じた本尊でいいと思います。「感応」といいますが、我々ひとりひとりの「機根の感」に「応じ」て仏は現れますので、「みんな一律にこれでなくては」というものでもないでしょう(「宗派」によってはこういう考え方に否定的な流れもありますが、私個人としては既述の通り、宗派の別は人間の作為分別ですから、それで真如・仏の世界を限定的にしてしまう必要はないと思っています)。いずれにしても一真如の顕現です。



Name: きん
Date: 2011/11/27(日) 12:00   No:4513
     削除 
Title: 仏具について    
今回、新しい仏壇を入れました。
家は、曹洞宗なのですが、仏壇の仏具、5具足を金色が明るい感じがしたので、金色にしました。
金色の仏具は、他の宗派で使っていますが、曹洞宗で使っても問題ないのでしょうか?
よろしくお願いします。



Name: 水波坊
Date: 2011/11/27(日) 16:48   No:4515
   削除 
Title: Re:仏具について    
基本的に金は仏性の輝きを顕すんでしょうから、問題ないのでは?
仏像が金なのと一緒で。あれは毛孔から光を出しているわけだし。
宗派独自の規制があるのなら知りませんが、一般論として、金を使うのは普通の事と思いますよ。仏光の表現ですので。


Name: きん
Date: 2011/11/27(日) 19:06   No:4517
解決    削除 
Title: Re:仏具について    
水波坊様
早速のご回答ありがとうございました。
大変参考になりました。




Name: hotoke
Date: 2011/11/13(日) 20:02   No:4496
     削除 
Title: 読経の意味    
子供みたいな質問で申し訳ありません。
葬式や法事などで何故、お経を唱えるのでしょうか?

実は義父から「自分が死んだら仏壇の前で南無阿弥陀仏を十回唱えるだけでいいからな。それ以外の難しいお経は何を言っているのかさっぱりわからんから無駄だよ。」と言われました。

確かにお経には有難い言葉がたくさん書かれていますが、亡くなった人がお経の意味もわからないまま亡くなったのでは、義父の言うように無駄なのではと思ってしまいます。






Name: 天台沙門
Date: 2011/11/14(月) 12:15   No:4497
   削除 
Title: Re:読経の意味    
本質的には、人の死にあたり釈尊の教えを聴くことによって、理知的に「死」を受け容れたり乗り超えたりする一助にすることが読経の目的です。
ですが、アタマで「死」を受容しても、ココロが「死」を納得するかどうかは別の話です。ココロの納得のためには儀式というものが必要であり、読経を荘厳に行うことで儀式が成立しているといってよいでしょう。

ですから、「お経を唱えること」が「善い事」だから、ということになってしまいました。その「善い事」を故人のために行うことで、故人がしたくてもできなかったかもしれない「善い事」に替えて故人の来世がより安穏であることを願うためです。これを「回向=功徳を故人のためとして回し向けること」と呼んでいます。 (註:もちろん読経は善い事である。読経に限らず宗教的行為一般が実践されている空間では具体的な悪事の実行が抑制される。)


Name: hotoke
Date: 2011/11/14(月) 13:51   No:4499
   削除 
Title: Re:読経の意味    
ご回答ありがとうございます

お経は亡くなった人のためではなく、自分のために読むものなのでしょうか?

意味がよくわからず?です。


Name: 水波坊
Date: 2011/11/14(月) 14:50   No:4500
   削除 
Title: Re:読経の意味    
供養・回向の場において読経は亡者のためです。当たり前ですよ。
http://blog.goo.ne.jp/harch75/e/b57dda4b7b422ef8e1cb79f027baf1d7
少なくとも私は、遺族の癒しのため、などという気持ちで回向の読経をしたことはありません。癒しになるかならないかは、結果論ですし、もちろん色々な場面で寺がそういう役割を果たせれば…とは思いますが、しかし、読経に関しては、あくまでも亡くなった方のためです。
確かに人によっては「そうではない」という立場もありますが、その場合は親鸞聖人のように、葬儀そのものをしないのがその立場だと思います。

「意味もわからずに〜〜」ということに関してですが、色々な考え方が可能です。

そもそも読経について言うならば、インドであれ中国であれ、基本的には「読んでわかる」ものでした。しかし日本では漢文そのままを利用したため、一般には読経してもわからない、ということになってしまっています。
しかし少なくとも、読んでいる坊さんはその経典を理解して読んでいます。逐語的に読経と同時に…でなくとも、少なくとも内容は知った上で読んでいます。
もちろん一般の方も、「わかって読む」「わかって聴く」のがベストだというのも事実です。
それを前提に。

さてまず、仏教の究極・真如というものは本来、言語道断の世界ですから、言葉以前の世界の事です。それを敢えて言葉にしたものが経典であり真言ですので、そういう意味で「経典は言葉以前のところを示すものだ」と思い、意味がわからなくても「信仰で」捉える、という立場がひとつ、あると思います。
もうひとつは薫習といいますが、たとえば「線香の香」は、その成分や製造過程を知らずとも衣に移ります。読経も一緒だと考え、仏の音声を理性以前のところに薫じる気持ちで捉える。それもひとつの立場。
また、亡くなった方は現世的な分別理屈の世界(妄念の世界)を脱した仏の世界に結縁するのだから、経典の文句の一々がわかるわからないということではなく、その本質的意味・言説を超えた真如法身の説法そのものをダイレクトに聞くことができるから、生前に漢文がわかるわからないは関係ない…と信じる。そういう捉え方。
他にも色々な考え方があるかも知れません。
ただいずれにしても、私たちの分別・妄想心の判断とは別次元の考え方で、それらは行われているのだ…ということが前提です。それを無理に「合理化」したところで、それは世間妄念の枠内での事に過ぎません。

いずれにしても読経の声は「僧侶の声」ではなくて、仏界からの「仏の声」であり(坊さんはスピーカーとして仏に口をお貸ししているだけ)、それは意味分節を超えたところの本源的な「力」だと信じて手を合わせるのが、私はいいと思いますよ。

以下は一般論ですが…。
自分の経験範囲の狭い了見で四の五の言う前に、素直に感性で読経を「感じてみる」という姿勢も大切かなぁ、と。
同時にまた、「わからない」なら「学んでみる」という気持ちも大切なのではないかと思います。今の時代、ちょっと勉強する気があれば、経典の解説書や現代語訳などいくらでもあるわけですから。


Name: 水波坊
Date: 2011/11/14(月) 15:00   No:4501
   削除 
Title: Re:読経の意味    
因みに、

>私たちの分別・妄想心の判断とは別次元の考え方で、それらは行われているのだ

とは言っても、いわゆるカルト的な意味ではありません。
意味もわからず盲信してやれ、というのは仏教ですらないです。
あくまでも、分別妄想の心=生滅心の次元ではなく、言語不達の不二真如の根源において、という意味です。

仏教では、すべての迷い・苦は、「分別心・主客相対の心」から起こる、つまり「言葉の世界・論理の世界」は仮には成立していると必要だけれども、究極的にはそれらはどこまで行っても「迷いの分際」ということです。
いくらテレビ画面に映るものが素晴らしくとも、ハイビジョンでいくらキレイになったとしても、それらは電気信号でしかないし、幻のようなものでしかない、ということです。言葉・論理も、どこまで精密にしても、どこまでやっても、それは「妄想」です。
そういう妄想次元のものも、「本物」を指し示す「縁」にはなりますから、大切なものです。テレビがあるから、外国の事も学べます。でも、それ自体は幻です。
言葉とはそういうものですから、読経についても、その応用として、ご自身で考えてみてください。


Name: 天台沙門
Date: 2011/11/15(火) 09:59   No:4503
   削除 
Title: Re:読経の意味    
>お経は亡くなった人のためではなく、自分のために読むものなのでしょうか?

拍手は片手では鳴らないように、「故人のための読経」であることと「自分のための読経」であることは矛盾しません。
それが通夜葬儀の場での読経であっても、僧侶本人にとっては自分自身の修行のための読経です。通夜葬儀という場で読経を聴くことは、その場の人にとって仏法を知る自分自身の修行といえます。儀式に集ったことを機縁とした方々が故人を悼むことは故人のためです。
どれかひとつだけが読経の目的なのではなく、どれもすべてが読経の目的なのです。


Name: hotoke
Date: 2011/11/15(火) 15:51   No:4505
   削除 
Title: Re:読経の意味    
ご回答ありがとうございます。

> また、亡くなった方は現世的な分別理屈の世界(妄念の世界)を脱した仏の世界に結縁するのだから、経典の文句の一々がわかるわからないということではなく、その本質的意味・言説を超えた真如法身の説法そのものをダイレクトに聞くことができるから、生前に漢文がわかるわからないは関係ない…と信じる。そういう捉え方。

真如法身の説法そのものをダイレクトに聞くことができる?
あの世に行けば、お経の意味を理解することができる?と考えてよろしいのでしょうか?

たとえ無宗教で神仏を全く信じないで亡くなった人でも、読経して供養することには意味があると考えてよろしいのでしょうか?


Name: 水波坊
Date: 2011/11/15(火) 16:56   No:4506
   削除 
Title: Re:読経の意味    
http://blog.goo.ne.jp/harch75/e/b57dda4b7b422ef8e1cb79f027baf1d7
↑に書いていますが、私としては、【法事とは、他の波、この場合は故人という波が本来は「海と同一である」ということを、「自己を通して知らしめる」という「伝道」「法施」そのもの】と思っています。

亡くなったとしても、その人の生前のカルマは残っているわけで、つまり「死んで海中に没しても、生前の波としての力は潜在力として不可視ではあっても、ひとつのまとまりとしては存続している」、つまりその「まとまり」を俗に「魂」などと言うんだと思いますが、それに対する働きかけは、もちろん可能だと思います。

読経あるいは供養というのは、故人が悟りに至る・仏となるための「因」にはなりませんが、「縁」にはなります。その「縁」を受けるだけの機根が故人にあれば、良い結果を産むでしょう。
そして、どのような人であれ、機根自体は持っていると言うのが、大乗仏教の考え方と思います。

あとは故人のカルマの問題と、どのような縁を回向するのかということと、そういう色々な絡みの問題ですが、少なくとも「縁」がなければ「因」は「因」のままです。
火打石は「火という因」を持ちますが、「叩く」という縁がなければ「火」という結果は生まれません。それと同様です。

ちなみに仏教には内薫・外薫という専門的な言葉があるのですが、内薫というのは本人の「機根」究極的には「仏性」のことですが、外薫というのは「縁」特に「仏縁」です。
読経する・回向するということは、故人にとっては外薫に相当するものです。


Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/11/24(木) 09:37   No:4509
   削除 
Title: Re:読経の意味    
hotoke様へ
本当はプロである僧侶自体もお経に書かれている内容をどれだけ理解しているか疑問なのですが、大まかにお話をしますと人が生きているときに「しなければいけない事」や「してはいけない事」が書かれています。この様な事をお釈迦様や仏様がお話になられましたと言う様な事が書いてあります。仏前でお経を御唱えするのは「この様に正しき行いを約束いたします。ご先祖様、仏様も証人になってください」という意味なのです。お経はご先祖様へのお供えではありません。あえて申し上げるなら「お経を唱え正しき行いと感謝の気持ちがご先祖様への供物と言えます。


Name: 猿田坊
Date: 2011/11/24(木) 23:06   No:4510
   削除 
Title: Re:読経の意味    
hotokeさん、突然ですがお子さんはいますか? お子さんがいるなら、学芸会や発表会のとき、お子さんが頑張ってしっかりやれていて楽しんでいれば嬉しくはなりませんか。

お経を読むことは、仏教的には尊い言葉を読んで学ぶ行為ですから、それを"自分のためにやってくれている"(回向)となるとご先祖が嬉しくなるわけです。
他者の善い行為を喜ぶ気持ちは清らかな心ですから、その清らかな気持ちによってご先祖様自身が救われるわけです。だから、たとえ意味が分からずとも、清らかな行いを喜ぶ気持ちにこそ意味があるので、読経して回向することに意味はあると思われます(回向がポイントです)。

なお、有名な話ですが、池に大きな石を放り込み、「浮かべ、浮かべ」と祈祷したところで石は浮かぶだろうか? と問いかけたお釈迦様の話があります。
当然、石は浮かんできませんね。亡くなったあとに祈祷しても「石」を動かすことなどできませんが、「石」自体のチカラで浮かんでくるなら話は別です。

在家仏教信者の回答でした。専門家の皆様、お邪魔しました。




Name: きい
Date: 2011/11/19(土) 11:05   No:4507
     削除 
Title: 霊友会の先祖供養    
うちの母は霊友会の会員ですが、母方と父方の先祖を奉り、お経を唱えることが、先祖供養だと言うのですが、普通は母方と父方の先祖供養は別々にするものではないのでしょうか?

また、霊友会のように同じ仏壇に母方と父方の先祖を奉ってもよろしいのでしょうか?



Name: 天台沙門
Date: 2011/11/21(月) 11:19   No:4508
   削除 
Title: Re:霊友会の先祖供養    
結論から申し上げれば、「普通は母方と父方の先祖供養は別々にするもの」なのかも知れませんが、しかし「同じ仏壇に母方と父方の先祖を奉っても」なんの問題もないと考えられます。
その最大の理由は、個々人の先祖は父方だけではなく母方にも存在することが厳然たる事実であるにもかかわらず、母系先祖と父系先祖とを区別せねばならない確固たる理由がないということです。また、仏教儀礼などの(その理由が忘れられてしまった)習俗における「普通」ということが本当に「普通」なのか疑わしい、ということもあります。



私はハンドルの通り天台を宗とする者ですから、霊友会さんの教義に関しては言及しません。ですから、以下は「仏教」という大枠の中での「先祖供養」に関する概説とご理解ください。



厳密にいえば、仏教の教義そのものには先祖供養という考え方は存在しません。釈尊その人の教えは、あくまでも自分自身が苦から自由になること(解脱)にあり、自身の解脱と先祖霊とは関係がないからです。なおかつ、仏教が誕生したインド文明では中陰を経た霊魂は新しい肉体を得て転生していると考えますから、崇敬の対象とはなる先祖霊自体が存在しえないのです。
仏教に先祖供養という考え方が取り込まれるのは仏教が中国化してからのことで、そこには儒教の「孝」の概念が基本にあります。日本の仏教は中国化した仏教ですから、もとから仏式儀礼による先祖供養が含まれていたうえに日本独自の祖霊信仰が習合して現在に至っております。

実は、母系先祖と父系先祖とを一緒に祀らない習俗は神道に起源があるとされています。
いわゆる「氏神」は名の通りに「氏=一族の神」であるから他の一族はみだりに祀るものではない、ということが理由です。端的な例が伊勢神宮でして、中世以前は皇室宗家(天皇・皇后・皇太子)のみが参拝できる場所でした。中世以降の伊勢神宮が皇室の氏神でなくなったように、一族の神である氏神と地域の守護神である産土神とが混同されるようになり族外者の参拝禁忌は廃れましたが、本来は他族(他家)の祖霊をみだりに祀ってはならず、よって母系祖先と父系祖先を一緒に祀らないという習俗だけが残ったと想像できます。

というわけで、仏教における先祖供養は仏教本来のものではなく儒教や祖霊信仰との習合の結果なのですが、釈尊その人の教えから先祖供養の必要性を導くことも可能といえば可能です。
釈尊その人の教説は「縁起説」に集約されますが、これを具体的にいえば「すべての存在は因と縁による関係性のなかに存在しており、その意味で固定かつ独立した実体はありえない。よって、苦にも実体はないし、苦の原因を知ることで苦を除くことができる」というものです。本来的には「縁起説」とは西洋哲学でいう認識論に属する事象ですが、これを存在論に適用すれば「自分自身の存在は、父母という因とそれ以外の人間関係という縁によって存在しており、個別独立した自我は存在していない」ということになります。

つまり、自分自身について考えることは自分自身を取り巻く人間関係について考えることにほかなりませんし、逆もまた然りでしょう。その人間関係の中で最も根源的な関係が父母とはじめとする血縁関係ですから、自分の血縁に属する誰かを代表者として「供養」することは自分に縁のあるすべての人々を「供養」することになるのです。もっとも、それを意識するかどうかは別の話ですが。

顔も知らない父方の曽祖父のご供養と、世話になった母方の伯母のご供養と、どちらが大切におもえるかを想像いただければよいのですが、私は故人を偲ぶにあたり母系・父系という区別をすること自体に不自然さを感じます。




Name: ひろゆき
Date: 2011/11/07(月) 15:39   No:4494
     削除 
Title: 遠方の祖父母,伯父の位牌について    
関東在住の52歳男性です。私の伯父(高知県在86歳)が危篤で年は越せないと思います。伯父には子供が居ないため遺言で私が相続人に指定されており、先祖の祭祀も私が行うこととされています。伯父は長男のため伯父宅に祖父母の位牌と伯父妻の位牌があります。
伯父死去後は、祖父母の菩提寺(高知県土佐市真言宗豊山派)に位牌を全て託し永代供養をお願いしたいと考えておりますが可能でしょうか? また可能ならば布施はどのくらいを考えたら良いでしょうか?
墓は寺墓地ではなく祖父母宅近くの所有地にあり伯父は祖父母と共にその墓に入る予定です。
私の父は7年前に死去し、祖父母の墓に入れないか高知の菩提寺に相談したところ"若くして高知を離れているので高知の墓に入るべきでない"と住職様に言われたため、神奈川県の公営墓地に墓を作り、私および私の長男含めその墓に入る予定のため、高知の墓に入るのは伯父が最後となります。

伯父位牌含め私宅に引き取ることも考えましたが、私は将来高知に住むことはなく、伯父や祖父母が生まれ育った高知から関東へ位牌を持って来てしまうのはいかがなものか、と思い先祖代々お世話になっている菩提寺で供養していただけたらと考えました。

祖父母、伯父の法要は私が高知に出向いて可能な限り執り行う所存でおります。

位牌をどうするべきか、で悩んでおります。

アドバイスよろしくお願いいたします。



Name: 天台沙門
Date: 2011/11/15(火) 10:24   No:4504
   削除 
Title: Re:遠方の祖父母,伯父の位牌について    
位牌を菩提寺に預けて永代供養を依頼する、ということは可能です。その費用については、寺そのものだったり地域の習慣という点が強く働きますから菩提寺さんにご相談いただくのが最善です。

位牌についても色々な習俗があります。
会津地方と記憶していますが、こどもそれぞれが親の位牌を持つ「位牌分け」の風習があります。対して「人の体がひとつであるから霊魂もひとつであり、だから位牌もひとつでなければならず位牌分けなどもってのほか」という考え方もあります。
私は「人の魂は死によって肉体という束縛から自由になり大日如来と一体化する」とか「阿弥陀如来の本願によって西方極楽浄土に往生している」という考え方から、位牌を一基に限定することはないという考えをとります。

ですから同様のご相談をいただいたときには、位牌が手元にあれば亡くなった方が身近にいてくださる気分になるので、そのほうがよろしいとおもいますよ、とお勧めをしております。墓所が高知であっても、日々ご自宅のお位牌に手を合わせて故人を偲ばれることは善いことと考えます。




Name: 貧乏人
Date: 2011/11/13(日) 14:59   No:4495
     削除 
Title: 檀家一軒当り60万円!    
横須賀にあるお寺から「寺院建物老朽化に伴なう建替え費用として、檀家一軒当り60万円以上払え」という案内がきました。
私は檀家の一人ですが、そんな大金はとても払えません。
先日は住職と世話人2名が自宅まで支払い催促に来ました。怖いです。
檀家の会みたいなものも無く、誰に相談すればよいか困っています。
どなたかアドバイスを頂けたらと思います。
12月3日(土)午後2時から説明会があるのですが大荒れしそうです。



Name: 天台沙門
Date: 2011/11/14(月) 12:56   No:4498
   削除 
Title: Re:檀家一軒当り60万円!    
そもそも建替そのものには賛成なさっても、寄付金額や金額決定過程に疑念をおもちなのでしょうか? それとも建替そのものに反対なのでしょうか? それによって回答の内容は変わってきます。



さて。
私は寄付を求める(寄付をいただけるよう説得する)立場の側ですから、その観点で「こうやって説得する」というシナリオを書いてみます。

(1)建替計画の必要性を説明する。例えば、耐震検査の結果を提示して補強工事よりも建替工事のほうが合理的であることを示す、など。
(2)建替後の仕様の必要性を説明する。例えば、本堂や客殿までを一体化したバリアフリー計画に基づき、かつ本堂そのものの荘厳さを維持するなど必要充分の計画であることを示す。
(3)費用総額の合理性を説明する。ゼネコンから地元の業者まで、複数の業者から見積の提示を受け、かつ専門家の視点からの助言を受け入れて設計しての価格であることを示す。
(4)檀家それぞれの分担額の決定過程を説明する。例えば、宗教法人が25%・住職個人が25%・大口の寄付(確定額)が25%、よって残りの25%相当を檀家の皆様で負担して欲しい、などの基準を明らかにする。
(5)以上の計画の策定にあたった住職以外の人物(世話人)や設計コンサルタントが建設会社とは独立していることを明らかにしたり、住職がそれらの助言者を選任した理由を述べる。



これに対して、寄付を必要とする建替計画そのものを放棄させる、という立場での反論を考えてみました。

(1)建替よりも安価かつ効果的に補強が可能ならば、檀家に負担を求めてまで費用を投下する必要はない。
(2)バリアフリー化も同様で、必要充分ではなく必要最小限の工事で済ませることが適当である。
(3)建替計画そのものが合理的でないから、建替を前提とした費用算定は意味がない。
(4)そもそも予算の75%が確保されているなら、計画そのものが75%金額で見積もられるべきである。
(5)この説明会そのものを檀信徒が全体で意思決定できる機会としてとらえ、この場で建設委員会を公募すべきである。あくまでも、その委員会において建替の是非から議論されねばならなず、かつ議論はすべて公開されねばならない。

再反論も可能ですが、ご参考までに。


Name: 貧乏人
Date: 2011/11/14(月) 19:12   No:4502
解決    削除 
Title: Re:檀家一軒当り60万円!    
大変貴重なアドバイスを頂きまして有難うございました。
是非参考にさせて頂きます。




Name: もも
Date: 2011/10/30(日) 20:14   No:4489
     削除 
Title: お墓をまとめたいのですが…    
主人の実家は、かなり古くから続く農家で、お墓が多数あります。しかも、土葬の頃のお墓(地面の上に石のみ)もあり、場所も、お寺の墓地や山の上など、点在している状態です。その上そこは、交通の不便な、過疎の山の中の町です。

これから先、私達の子孫凄くが大変な思いをして、ご先祖様の供養をしなくても良いよう、私達が墓守りになった際にもれなくご供養できるよう、お墓をまとめたいのですが、大きな問題があり悩んでおります。

実は、お寺が一度火事に遇い、過去帳が焼失したため、それ以前の情報がわからず、どこにどなたが埋葬されているかすら、わからないらしいのです。古くから続く農家といっても、地元に記録が残るようなお宅でもないので、お手上げ状態らしいのです。

こういった場合、お墓をまとめることは、出来ないのでしょうか?



Name: 天台沙門
Date: 2011/11/02(水) 15:09   No:4492
   削除 
Title: Re:お墓をまとめたいのですが…    
可能です。
ご質問によりますと、いろいろな場所に墓石が点々と所在しておられるようですから、一箇所の墓所に整頓なされることはよいことと考えます。

まず順序としては、それぞれの墓地の管理者に移転の許可を得てください。お寺の墓地ならば面倒がないのですが、地域の共有地だったり個人が所有する山林に墓所があることも場所によっては珍しくありません。
また、墓石だけなのか、墓石と遺骨が一緒なのかを調べておく必要があるでしょう。墓石だけならば墓石を移すご供養だけで済みますが、遺骨とあわせて移動するとなると法的な手続きが必要となります。

いざ墓所の整頓を始める際、そこに祀られるすべての方々の個別具体的な戒名が判明するにこしたことはありませんが、そうでなかったとしても「○○家先祖代々各霊」を墓誌の筆頭に記して、あとは戒名のわかっている方々を寂年の古い順に並べておくという方法があります。過去帳だけではなく墓石そのものから読み取ることもできるかもしれません。物理的空間によりますが、できるだけ墓石を新しい墓所に移してさしあげることがよいでしょう。


こうでなければ正しくない、ということはありません。しかし、葬礼の方法には地域の習俗というものが強く働きますから、ご主人のご実家の菩提寺さんとよくご相談いただくことをお勧めします。


Name: もも
Date: 2011/11/03(木) 13:33   No:4493
   削除 
Title: ご回答ありがとうございます。    
天台沙門様、ご回答、ありがとうございます。

墓石…といっても、河原にありそうな石が地面に置いてあるだけ…というのも、今までお墓の石として存在していたものなので、墓石として扱って良いのですよね?

言い出しにくいですが、次回の帰省時に、主人に少し話題にしてもらいます。




Name: dan
Date: 2011/10/30(日) 06:44   No:4488
     削除 
Title: 先祖の仏壇    
分家初代です。まだ仏壇はございません。

先祖回向の本尊と持念仏の本尊は別々の仏壇にしたほうがよろしいのですか?

天台では先祖の仏壇にはお釈迦様か阿弥陀様となってますね
、私の自念仏は決めておりませんが胎蔵の大日様か十一面観音様にしたいと思っております。ご先祖さんにも同じくお祀りしてお守りいただきたいと考えております。

やはり天台ではお釈迦さまか阿弥陀様がご先祖さんに良いのでしょうか。
宜しく御願い致します。



Name: 天台沙門
Date: 2011/10/31(月) 11:28   No:4490
   削除 
Title: Re:先祖の仏壇    
結論から申し上げれば、先祖回向の本尊と念持仏(現世利益)の本尊とを別々にする必要性はありません。お好みの仏さまを本尊さんにするのが一番です。ですから、胎蔵界大日如来像か十一面観音像で大丈夫です、という回答になります。


実際問題として、どの寺院でも本尊の如何を問わず先祖供養をしますから、先祖供養の本尊は阿弥陀如来に限定されるということもありません。ただ、この観点からは菩提寺さんの本尊さんと一緒にするのが無難だ、という回答もできますが。
ですから、私がお檀家さんに仏壇の本尊につき訊ねられた場合には「ご自身が好きな(信仰したい)仏さんが一番ですが、とくにないなら、うちの本尊さんの阿弥陀立像をお勧めします」とお答えしています。

ところで、阿弥陀如来は往生を保証してくれる存在なのですが、厳密には座像と立像ではご利益が異なります。座像の場合は極楽にいらっしゃる姿なので極楽往生された方々(ご先祖)の回向の本尊とするのがふさわしく、立像の場合は来迎のお姿なので自分自身の往生を願うための念持仏とするのがふさわしいのです。ですから、ご仏壇の主目的がご先祖の供養にあるのでしたら「阿弥陀如来座像」がもっともふさわしいということになります。
ですが、ほとんどの場合は座像と立像の区別はしません。どちらも「阿弥陀如来」ですから。そういうものです。



蛇足ながら、「天台では先祖の仏壇にはお釈迦様か阿弥陀様となって」はいません。仏壇の本尊に釈迦如来か阿弥陀如来をお勧めする理由は「まあ、天台の本尊は久遠実成のお釈迦さんだし、でなければ先祖供養には阿弥陀さんがふさわしいかな」程度でしょう。
それどころか、本尊さんは何でもあり、が天台宗の特徴といえます。事実、延暦寺の根本中堂の本尊は薬師如来、西塔釈迦堂の本尊は釈迦如来、横川中堂の本尊は聖観音です。また、多くの天台寺院で不動明王を本尊としています。
つまり、天台の四宗兼学の意識からすると、釈尊が説かれた教えが人の姿で表現されたものが仏像である以上、釈尊その人の姿を象った「釈迦如来像」をまつることも、「教え」を象徴する各尊像(薬師・阿弥陀・大日などなど)をまつることにも、教学的な整合性があるのです。


Name: dan
Date: 2011/10/31(月) 13:10   No:4491
解決    削除 
Title: Re:先祖の仏壇    
いやいや
ご丁寧にわかりやすく簡明にご教示いただきありがとうございました。
個人的に青森の昭和大仏に年に一回必ずお参りにいくものですから・・・・あの大仏さんは胎蔵大日さんなんですね。

家の宗派は天台宗だったもので、質問させていただきました。

誠にありがとうございました。





 
NEXT >>  [ 1 , 2 , 3 , 4 , 5 , 6 , ... ]
 
 
削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +