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Name: くま
Date: 2015/10/24(土) 17:46
No:5257
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Title: お墓参りについて
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音信不通だった叔父が亡くなりました。 叔父には家族がなく、他家に嫁している叔父の姉たちのみで 無縁仏として埋葬したと聞きました。 彼のお墓参りは出来ないものでしょうか。 また、お墓参りするのはお寺に対し失礼でしょうか。
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Name: たま
Date: 2015/10/29(木) 09:30
No:5259
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Title: Re:お墓参りについて
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お墓がわかっているのであれば、お墓参りしても全く問題ないです。 お寺に対して失礼ということもありません。 ぜひ、お墓参りしてください。
ちなみに、 くまさんが、何でそう考えたのかが気になったりします…^^;
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Name: 蒼珠
Date: 2015/08/13(木) 03:50
No:5245
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Title: 先祖供養について、基本を教えて下さい。
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どうぞよろしくお願いします。 私共は知識がないためか、供養は心でするもの・・・と考える者です。 興味がないわけではなく、宗派や宗旨、それに伴う決まり事についてこだわりがなく(ある意味こだわるのが不自然な気がして)、例えば私の慈しんだペット達の御霊には般若心経を、唱えることもあり唱えず語りかけるだけのこともあり、という風です。 私の幼馴染みの中に不思議な能力(霊視のような)を持っている友人がおります。 普段する電話での会話中に、ある日、ご先祖供養の話になりました時、 その友人は私共の実家の仏壇の様子をうかがい見て(霊視して)言いました。 「・・・空っぽなんだけど・・・魂入れされてなくて、お仏壇は形だけ、箱だけがある感じよ?」 「その”箱”に向かってご供養しても、あちらに届いてないよ」 そう言われてじゃあどうすればいいの?と尋ねる時に、私の母・祖母が行ったという宗旨替えなどについて彼女に話しましたところ、 「それは最悪な状態だわ・・・」と教えてくれました。 亡き祖父は、瀬戸内海の小さな島を出て私共の実家のある場所で生を終えました。 姓の長男ですが、元々の本家とは連絡をとっていなかったと思われ、次男もまた島を出たようだという話まで聞くことができましたが、それだけしか解りません。 亡き祖父が、ご先祖供養をどのようにして行っていたかも解っていませんが、 実家からほど近い大きなお寺(宗派を問わずに供養してくれるお寺)に出向いていたようです。 一人っ子である父は祖父のやり方を踏襲しておりました。 ですが、母の記憶によりますと、元々の宗派(宗旨?)から1度、祖母の手によって宗派(宗旨)替えが行われ、新しいお仏壇が運ばれてきたことを覚えていると言います。その宗派(宗旨)の名称も父母は知りません。 祖父母は私が生まれるずっと以前に他界しました。 私が幼い頃、月命日にお坊さんが読経に来て下さっていました。家計が傾きかけた頃、それが途絶えたように思います。 その後家族が色々な苦労を抱えていた時代、母の姉妹から宗旨替えの話が入り、 母はそうした方がいいかも、と本門仏立宗に入ることを決めました。 母の姉妹が父に強く薦め、気の弱い父は否とは答えられなかったのか、 父に異存なしということでその話は成立し、魂入れやその他の事々の変更が行われたそうです。 しかし異存無しであった筈の父は、それまでのやりかた(祖父から受け継いだ方法)を続けました。お盆になると大きなお寺に行ってお参りをする、それだけです。 (自宅のお仏壇のお供えなどもお盆だけであったと思います、本門仏立宗に変わってから母が毎日お水とご飯をお供えしております。) そう言った話を幼馴染みに聞いてもらったところ、まず宗旨替えがお嫁さんの手によること、それを2世代で2回もやってしまっているということ、本来のもともとの形も解っていないこと、 要するに「しっちゃかめっちゃか」になってしまっているので、 「長男の弟さん(私共の)がちゃんとしなくてはならない」と教えてくれました。 また「貴女(私)ではダメよ、ご先祖様のことは長男でないといけない」とも。 因みにその私の幼馴染みはその能力を、生業とはしておりません。 主婦として生活する中で、彼女自身の家族や私共など近しい友達に、 必要な時、なんらかのアドバイスができるかできないか、という程度に活用しているだけです。 認知症が酷くなった父は現在施設に住まい、今年の冬に心筋梗塞で倒れた母は89歳となりましたが、なんとか頑張って生きてくれております。 私共子供は3人姉弟で、姉は嫁ぎ先の遠方から月に1回両親に会いにきており、独身の私次女は実家から15分のところに住んでおります。 長男である弟は、心の病から両親や家のことから遠ざかったままで、その克服が来る日に間に合うかどうか、祈ることしかできません。(家族を一切拒否しております) お墓はありません。父母の希望(葬祭の)を聞く段階に入っていますが、それが叶えられるかどうか。 そもそもの供養とは? 現状をどのようにするのが良いのか? 我が家におけるご先祖供養の在り方は、友人が指摘するように乱れていてなんとかしなければならないのか? 長男でなく次女の私が段取りをつけてはいけないのか? それら全てが解りません。 私個人のことで1度、お寺で霊視をして頂いたことがございます。 生きていくのにあまりに苦しかった時代、お示し頂いた考え方から救われ始めました。 もう1度お尋ねしたいとお願いした時、「貴女様のことは私共の手に負えない」と、面談も電話をも拒まれたことがありました。 その方と私共の間の人間関係のこじれは何らございませんでしたので(2度お会いさせて頂いた各1時間のみで、非礼は無かったと思います) それはひょっとしたらご先祖供養の乱れ方に起因していたのでは、とも考えたりもします。 長くなりましたが、毎年この季節になると「なんとかしなくてはならないのでは」とよぎります。 また同時に今年は特に、年初から母が倒れ、1週間後に父も倒れたことから、 その思いが強くなってもおります。 友人には「魂不在のお仏壇」と見える我が家のご先祖供養の現状を、 どうすれば良いのか、できるだけ具体的にご指導仰ぎたく投稿させて頂きました。 何卒よろしくお願い申し上げます。
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Name: チョウ
Date: 2015/09/03(木) 15:33
No:5252
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Title: Re:先祖供養について、基本を教えて下さい。
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供養とは、「自分のもっているものをどなたかに差し上げること。」だと思います。 心だけではなく、実際に、なんでもいいのでどなたかに差し上げることと思います。
お仏壇のことが不安であれば、ご縁のあるお寺様に、開眼の法要を頼んでください。
お礼(お布施)をお寺様にお渡しします。これも供養です。
宗派はこだわらなくてよろしいと思います。また、供養ができたらそれはすばらしいことですが、全くしないからといってなにか悪いことが起こることもないと思います。
なにも義務感でやることは1つもないと思います。 したいと思い、それが喜びと感じるなら、いいことです。
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Name: 蒼珠
Date: 2015/09/18(金) 22:59
No:5255
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Title: チョウ様 ありがとうございました。
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ご回答を頂けて本当に嬉しく思います。ありがとうございます。 私共も、物やお金は、世に言うような汚れたものでないと考えております。 それをどう使うか、だと思っています。 色々なお話を聞いたり学んだりがありますが、 その果てには私の心の中で、ご先祖様のご供養をしたい、と思うようになりました。 義務感でなく、感謝の気持ちからです。
宗派はこだわらなくてもいいんですね。 ただ友人の言います「魂入れはしたつもりでも入っていない」こと、 「長男がいるにも関わらず、次女である私がそれに着手してはいけない」こと、 このことはいかがなのだろうか、と素朴に疑問に思う訳です。 長男がいるのに私がやることでご先祖様が困られる(…というと変な言い方ですが)とか、何か不都合が生じたら申し訳ない、と思う気持ちがどうしても湧き起こるので、 こちらでご相談させて頂いております次第です。 もし次回こちらをお読み頂ければ、その点についてもご享受賜りたいと存じます。
ありがとうございました。
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Name: チョウ
Date: 2015/09/22(火) 10:14
No:5256
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Title: Re:チョウ様 ありがとうございました。
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蒼珠 様
ご返信ありがとうございます。心配することはないと思います。
今、現在、供養をどうしたらよいか、お悩みだということは、 ご縁があるお寺がないということだと思います。
それでも、蒼珠様が「供養したい」というお気持ちでいらっしゃるのであれば、いずれ、よいご縁に導かれるように思います。
お仏壇はこれからご縁のあるお寺様の指導のもと、開眼供養をされてください。
長男がやらなくてはいけない、というのは、兄弟で、ある程度、足並みをそろえた方がいいですよ、程度に思ってください。
長男さんが主導できないようであれば、蒼珠様が主導して、兄弟と、これからの供養をどうしていくか、よくお話されてください。
兄弟といえども、信念、考え方も違うかもしれませんので、その場合はそれぞれのやり方で供養することも、ご先祖様はわかってくださると思います。それでも問題はありません。
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Name: たいへい
Date: 2015/09/01(火) 01:06
No:5249
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Title: 大切な方を自殺で
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亡くしました。自殺で亡くなったかたは成仏できないという話をうかかがったこともあります。のこされたものとして、成仏されるようにできる供養はありますでしょうか。ご教授頂きますようお願いいたします。
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Name: たま
Date: 2015/09/01(火) 10:52
No:5250
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Title: Re:大切な方を自殺で
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この度はお悔やみ申し上げます。
ご縁がある各宗派・お寺さんに、四十九日、一周忌といった法要をお願いしてはいかがでしょうか?
平安時代の歌人、和泉式部は、それはそれは可愛がっていた愛娘を病で亡くしました。 我が子の死を受け取ることが出来ずに数年の絶望の真っ只中にいました。そんな時、ご縁があり仏法に出遇い、考え方が変わりました。 そして詠んだ歌です。
『夢の世に あだにはかなき身を知れと 教えて帰る子は知識なり』
夢のようなはかない身を、お母さんも生きているのですよ…と気づかせてくれた我が娘は、まさに知識(仏さま)であった…。
という意味です。
我が子が自らの身をもって、自らのいのちをもって、仏法に出遇わせてくれた、と我が子の死に意味を見出していきました。
たいへいさんが、大切な方を亡くし、そして成仏させるために何かしてあげたい、どうしたらよいのか?と考えられていることは、非常に尊いことだと思います。
そして、たいへいさんが、大切な方のためにしていると思っていた法要や供養が、実は、亡き大切な方が、私に仏法に出遇わせてくれるためだったんだ…ともし意味を見出せたとしたら、その大切な方は、たいへいさんにとって、まさに仏様になるのではないでしょうか?
ぜひ、仏法に出遇っていただきたいなと切に願っております。
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Name: ET
Date: 2015/09/17(木) 18:12
No:5254
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Title: Re:大切な方を自殺で
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前略
そうですか。悲しいでしょうね。そのことはそうでしょうが、 それを悔やんでも仕方がない。そんな気もします。 私自身が何度も自殺を考えた。精神的な気力として、その人の生きる力だったのでしょう。 その人の分も生きて行こうと思うしかありません。 成仏するとかしないとか。そんなことは誰も見たことがない訳ですから、考えても仕方がない気もします。
貴女がこれから強く生きていくこと。それしか相手に報いる手立てはないように思います。
うまく書けませんが、そんな感想です。
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Name: 雅子
Date: 2015/08/15(土) 17:30
No:5247
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Title: 阿弥陀如来が2枚ある
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お仏壇にお祀りする阿弥陀如来様の掛け軸(札)が2枚ございますがどうすればよいでしょうか? 1枚はお寺様へお世話になったほうがよろしいでしょうか? どうぞよろしくお願い申し上げます。
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Name: たま
Date: 2015/09/12(土) 16:39
No:5253
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Title: Re:阿弥陀如来が2枚ある
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気になるようでしたら、雅子さんがおっしゃる通り、お付き合いのあるお寺にお持ちになられるのがいいかと思います。
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Name: あっけ
Date: 2015/08/16(日) 17:09
No:5248
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Title: 他の人の墓石が倒れており
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お墓参りに行ったとき、親族のお墓の前?の墓石が倒れており、勝手に直していいものか迷ったのですが、見かねて中学生の子供と一緒に墓石を起こし直しました。一応、「勝手の直していいのかわかりませんが、すみません。」と手を合わせました。 また、もう一ヵ所お墓参りに行くと、墓荒らしにあったようになっており、たくさんのお墓にあった花などが抜き取られており、これまたそのままにして帰る事ができず、目についたところのお花を直してきました。 これは道徳的には良い事のように思いますが、実際はどうなんでしょうか?むやみに人のお墓に入ったり触ったりすると憑かれると他のサイトで書いてあるのを目にしたのですが、お寺に伝える触らない方が良かったのでしょうか?特に何も言わず帰ったのですが・・。今からでも塩を体に撒くなどなにかしたほうが良いのでしょうか?それとも問題ないですか?
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Name: チョウ
Date: 2015/09/03(木) 11:19
No:5251
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Title: Re:他の人の墓石が倒れており
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憑かれる心配はないと思います。
立てた墓石が、またなにかのひょうしで倒れてしまわないよう、しっかり直してもらうよう、お寺にお知らせされたたほうがよいのでは、と思います。
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Name: まゆみ
Date: 2015/08/13(木) 02:05
No:5244
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Title: お寺においてある位牌堂について
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今まで、お寺に遺骨を預かっていただいており、亡くなった時に遺骨をお墓に納めた後もお寺の方で位牌堂を預かっていただいていました。 無知なため、教え ていただきたいことがあります。
遺骨をお墓に納めた後も、お寺で位牌堂をおくものなのでしょうか? また、その場合はお寺さんにお金(供養していただいていることへのお礼)は渡すのでしょうか。渡すとしたら1年にまとめてなど?) 母も娘の私も恥ずかしながら知らず、祖母が亡くなってから20数年たちますが、3回忌を行ってから法要はしていなかったそうです。
今からでもそのような法要は行ってもよろしいのでしょうか?
お墓に毎年お参りにいっていますが、お寺にある位牌堂にも半年に一回一緒に手を合わせにいっていました。 それが、ご先祖様への供養だと思い込んでおりました。 しかし、今まで、お寺さんに供養料みたいなものは渡したことがありません。 お寺さんにも今まで言われたことはなかったのですが、先日お会いした時に位牌堂を置いていましたっけ?と言われてしまいました。 お寺にも、聞くに聞けず、今まで無知でいたことを恥じます。
どなたか、教えてください。
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Name: 天台沙門
Date: 2015/08/15(土) 14:34
No:5246
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Title: Re:お寺においてある位牌堂について
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
Q:今からでもそのような法要は行ってもよろしいのでしょうか? A:はい。亡くなられた年月日をお調べいただき、近々の際に年回の法要をお務めください。すぐにでもなにかを、というお気持ちでしたら追善供養ということで、秋彼岸明けのご都合のよいときにご法事をなさればよろしいかと考えます。
ご納骨の後、菩提寺さんの位牌堂にお祖母様のお位牌をお納めなさり、以降は菩提寺さんにお任せなさっていた、という事情と理解します。 檀家さんと菩提寺とのおつきあいに関しては、その土地の習慣による相違がありますから、菩提寺さんにお訊ねいただくことが最善です。
私が預かる寺のあたりには、個人のお位牌をご自宅の仏壇と菩提寺の位牌堂とに位牌を納める習慣がありません。ただし、戦後のある時期までは五十回忌を終えた方については寺にある先祖累代の位牌に新しく戒名を書き添えてその人個人の位牌はお焚き上げをする風習がありました。
※
さて、私が預かる寺を例にとり金銭的なことを事務的に書きます。 (1)墓地(納骨堂)については「年間管理費」として毎年の春彼岸の際にいただいています。位牌堂のお位牌については、お納めいただく際の法要のお布施を割増でいただいていたようです。 (2)春秋の彼岸・夏の盆・そのお寺の年間行事の際には、「お布施」を頂けますと大変に助かります。ご寺院によっては、「護持会費」等の名目で定額をお納めいただくところもあります。 (3)年回のご法要のある檀家さんにはあらかじめお知らせします。
以上、ご参考までに。
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Name: なお
Date: 2013/02/26(火) 04:35
No:4929
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Title: なんでお坊さんは人を助けないのか?
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なんで日本の寺は死んだ人間を弔うばかりで、生きている人間を助けないのでしょうか? はっきりいって何の役にもたってません。 悟るための修行をしているお坊さんも本当に少ないし、妻帯までして欲まみれじゃないですか? 1ヶ月でもお寺においてもらえれば助かる人もいるのに、なにやってるんですか? こういう掲示板をみるのは、心あるお坊さんだけでしょうけど 日本の寺院は腐ってると感じます。
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Name: ご無沙汰
Date: 2013/02/26(火) 10:14
No:4930
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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なおさん、こんにちは。
僧侶の皆さんも様々な活動をされているのですが、それが一般的にはあまり知られてないんですよ。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/02/27(水) 18:26
No:4932
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
※
とりあえず「なんで日本の寺は死んだ人間を弔うばかりで、生きている人間を助けないのでしょうか?」との件についてのみ。
文化的に葬祭儀礼は死の受容と超克を目的としていますが、これを宗教的に「たましい」というキーワードを用いて表現すれば、死者の「たましい」の鎮魂と生者の「たましい」の治癒がお弔いの目的ということになります。したがいまして、死者の弔いは生者の助けになります。
現代の日本の仏教を批判する際に「仏教は葬儀をしなかった」という論点がありますが、僧俗を問わず仏教徒が模範とすべき人物である釈尊(ゴータマ=ブッダ)その人は、前記の意味あいでの「葬儀」をなさっておられることが意外と知られておりません。『キサーゴータミー説話』と呼ばれますが、子を喪った母から子を生き返らせるよう求められた釈尊は、死者を出したことのない家から供物を手に入れれば子を甦らせる祈祷をしようと言います。当然、街中の家を訪ね歩いた母親は「誰もが身近かな人の死に遭遇し、その死を受容して生きている」という事実におもいあたり、そして子の死の受容に至るわけです。説話では、こうして母は悟りを得た、と表現されるのですが。
そもそも仏教とは釈尊その人の「生老病死」への思索から発生した論理体系ですから、「死」を取り扱いつつ「生」を実存的対象としてとらえることは本分といえましょう。
※
もっとも、お弔いの儀式(セレモニー)の目的が生者の魂の癒し(グリーフ・ケア)にあることを、きちんと説明する僧侶がいないということは事実として認めます。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/03/06(水) 14:03
No:4935
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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次いで「悟るための修行をしているお坊さんも本当に少ないし、妻帯までして欲まみれじゃないですか?」との件に関して。
まず前段。 「悟るための修行をしているお坊さんも本当に少ない」のは事実です。 なぜなら、逆説的に言って修行の目的は「悟り/覚り」のためではありません。それが座禅であれ念仏であれ読経であれ、さらには掃除であれ回峰であれ、修行それ自体が修行の手段であり目的ですから。 そういった修行の結果として「悟り/覚り」の階梯を登ることができるだけであり、その階梯の先にはより高次の新たな「悟り/覚り」の境地が存在すると信じているからです。 僧侶に限らず「一生が修行です」という言葉が日本の社会で一定の価値をもっている点、「修行は悟りのためではない」という逆説的な感覚が一般化されていることの傍証といえます。
次いで後段。 この設問に隠された論点は「僧侶という生活」の性格には「修行者」である部分と「家業の伝承者」である部分が現実として存在し、両者の「中道」をどのように歩んでいくかということが現在の日本の僧侶の実存的問題であるという点です。 なお、世襲化された寺院を伝統文化を継承する家業(能・歌舞伎・茶道・華道・その他の職人業)の一種とみなすことは島田正巳氏の説によります。
貴君の問いが、「妻帯/夫帯」は「不淫戒」にもとる、との認識にあることは重々承知のうえで、逆にうかがいます。 檀家/菩提寺の制度のなかで「親が先代の住職に弔ってもらったから、自分は今の住職に弔ってもらうし、それで孫や子にも弔ってもらえる」という感覚をもって「先祖として供養されることの安心感」を求める檀家さんたちをどのように批判なさいますか? 突き放した言い方しますが、日本の僧侶の妻帯と世襲という制度(ついでに言えば肉食と飲酒)は、それこそ平安時代にまで遡って考えねばならぬ日本の宗教文化論を下敷きにして議論すべきであり、単純に破戒を悪とする善悪二元論(もしくは教条主義)で語るべきではないでしょう。
※
「欲まみれ」については、別稿を。
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Name: 誠邦
Date: 2013/05/04(土) 17:01
No:4969
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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真言宗の僧侶です。「なんでお坊さんは人を助けないのか?」とてもよい質問です。仏陀は「応病与薬」といって、老若男女、金持ちや貧乏人、社会的な名誉や地位などに関係なくいつでも、どこでも苦しんでいる人々を助けたと言われています。しかし、仏陀は一方的に貧しい人にお金を恵んだり、病気の人を奇跡のように治したりしたのではありません。苦しみを脱する方法を相手と一緒に考えたのです。「四諦八正道」は仏教のテーマです。苦しみには原因があり、その原因を見つければ解決に導かれる。苦しみを解決するには正しい考えで正しい行動をすれば良いと言っています。消防官が火事を消し、警察官が泥棒を捕まえるように、医者が病人を治療するように、日本の僧侶は人の死を弔うことを生業としているのです。つまり、人を助けるというのは誰もがしていることであり、お坊さんだけの役割ではありません。お坊さんは火事を消しません、お坊さんは泥棒を捕まえません、お坊さんは怪我人を治したりしませんが、お坊さんはいっしぃうけんめいにお経をあげて死んだ人を安心させてあげることをしています。また、残された人の悲しみに優しく接しています。これもまた、人を助けることではありますが・・・・。
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Name: aaa
Date: 2015/07/25(土) 02:24
No:5235
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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通りすがりの者です。 素朴な質問にはもっと素朴に答えてもいいと思いますよ。 義務教育を終えていないぐらいの若い人も質問できるんだし。
確かになんで葬式以外で生きてる人を助けないんでしょうね。 もっとも寺も零細企業みたいなところがあるから、死者供養以外の時間も余裕もないっていうお坊さんも多そう。
結婚はいいと思いますよ。仏になるっていう輪廻の飛び級を希望する人は別として、性は死ぬ者のさだめなのだから。 その辺に関しては、外道と呼ばれようとなんだろうと、お釈迦様も人間の本質を理解していたとは思えない。 あと宗教全般そうだけど、性に関してはもっぱら欲情について語られるところが男って…って感じ。
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Name: 天台沙門
Date: 2015/07/28(火) 14:03
No:5237
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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天台沙門でございます。
>素朴な質問にはもっと素朴に答えてもいい
そもそも「素朴」とは、手元の『新小辞林』によれば、(1)自然のままであること。ありのままで飾りけのないこと。すなお。(2)単純で、あまり発達していないこと、とあります。
よって(1)の意味ならば〈ご無沙汰〉氏の「一般的にはあまり知られてないんですよ。」とのご回答がそれ以上でも以下でもない答えです。 もし(2)の意味ならば、下記の理由から「素朴に答え」ることはできません。 すなわち、自分が「何を考えているのか」・「何故そう考えているのか」・「その根拠は何なのか」、といったことを誤解なく伝えようとするならば、言葉の意味とその使い方をキッチリとせねばなりません。つまり、自分の考えを伝えようとする際には言葉そのものや文章の作り方は一定の複雑さが必要となりますから、「自然のままで、飾りけがなく、すなお」であろうとはできても「単純で、あまり発達していない」やりかたはできないということです。
「正しい答えを得るためには、正しく問わねばならない」という警句がある通り、それは答える側だけの問題ではなく問う側の問題でもあります。本質的には「ではホントのところはどうなのか?」というところは、ご自分で行った寺の僧侶に訊ねるという「リアル」な方法をお勧めしますが、ハズレくじを引かないためには菩提寺さんに行くことが最善です。
以上、ご参考までに。
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Name: あん
Date: 2015/08/12(水) 14:41
No:5243
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Title: Re:なんでお坊さんは人を助けないのか?
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先日、お見掛けしました@さまの貴重なご意見が削除されてしまっております。 ご本人が削除されたのでしょうか? 終わりなき行脚に出向かれるとのことでしたが、私は@さまのお言葉の中に道標を感じとっております。 ご閲覧されておりましたら、ご意見を窺う機会をお許しください。 よろしくお願いいたします。
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Name: 翡翠
Date: 2015/08/10(月) 14:50
No:5242
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Title: 仏像の魂入れについて
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東京23区及び関東圏内、郵送で対応して頂ける全国の寺、 本尊が毘沙門天を奉っていて、魂入を行っている寺を 探しております。
家の宗派は、浄土真宗本願寺派になりますが、 宗派問わず行っている寺の紹介をお願いします。
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Name: 玉地蔵
Date: 2015/07/30(木) 08:37
No:5238
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Title: 戒名とお布施、各宗派や税務署での規則
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こちらの戒名についての記事を見て、無知なために大変なことをしようとしているのではと案じお伺いします。戒名を巡りお寺様と相談がまとまりません。 先日母を亡くし、菩提寺(南関東の真言宗豊山派)に戒名につき相談したところ、会計の担当者の方に200万(戒名代と、同額のお布施)とただ言われ、葬儀やこれまでの介護費用でそのような額をお出しするのが大変難しいが、本人と亡き父の戒名のバランスや地域への貢献があり、それを変えてしまうのは忍びないと何度も申しましたら、ようやく住職様にお目にかかれましたが、説明は以下のとおりでした。
1.この額(戒名料とお布施)は本山の規定で変えられない。 2.税務署が調査をする際、それぞれの戒名料に応じた額を取っているか過去の帳簿をすべて調べられるので、戒名料やお布施の額を変えると脱税になり、信徒の側も取り調べを受ける。 3.税務署の指導でお布施の領収書は必ず出す決まりで、他方で、税務署の指導で内訳を書くことはできない。 4.額が難しいなら、院号・居士ではなく信女にせよ。女性なので普通である。 5.そして、信女から、お布施を収めて徐々に戒名の格を上げればよい。ただしその場合毎回祈祷がいるのでその分費用は掛かる。 6.あるいは分割の支払いでも良いが借用書を提出し三回忌までに収めること。 7.(お支払できる範囲で、父と近い格の戒名をいただけないか伺いましたら、)戒名の希望などをお寺に意見をするのは非礼である、そのような人は見たことがない。 8.費用に問題があれば常識的には戒名料とお布施を優先し、葬儀については家族葬か密葬にするものである。
当家は代々このお寺を菩提寺としており、父が20年前に亡くなった際にはもう少し少ないお布施等で、院号と居士をいただきました。亡き父母は、二人三脚で地域のために働いており、同じようにしたかったのですが、今すぐ用立てるには高額のものを、制度だからとのご説明のみで、とにかく父と同じにするか一番少ないお布施の額のものにするかを選べとのことで、にわかに信じられないようにも思われ、他方で私どもの無知であればお詫びをしたく、そのような制度が常識なのか、お伺いする次第です。
また、住職様の指示のとおりにすると、院号・居士をいただいた父と、信女の母ではあまりに違いすぎ申し訳ないとも思います。仏様にお仕えした後に格を変えていくというのも、本人も混乱するように思われます。
それに葬儀を簡単にというのも、社交的な母が残念がると思いできません。
どうか、ご助言を賜れますようお願い申し上げます。
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Name: 天台沙門
Date: 2015/07/31(金) 00:08
No:5239
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Title: Re:戒名とお布施、各宗派や税務署での規則
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
御母堂さまにはお悔やみを申し上げます。
基本的には、布施料一般は慣習および菩提寺と檀家との信頼関係に基づいているものですから、社会一般でいう「適性価格」はありません。もっとも、神社さんが一定の枠を設けた「正札」を掲げている通り、同様の「明朗会計」寺院もあります。
さて、いろいろと奇妙な感じがありますが、信女号でご葬儀をなさり御母堂または御父君の年回を期に院号をいただくことでよろしいのではないでしょうか?
以下、私の感想です。
※ (1)この額(戒名料とお布施)は本山の規定で変えられない。 豊山派さんではそうなのかもしれません。私にはお答えできません。
※ (2)税務署が調査をする際、それぞれの戒名料に応じた額を取っているか過去の帳簿をすべて調べられるので、戒名料やお布施の額を変えると脱税になり、信徒の側も取り調べを受ける。 (3)税務署の指導でお布施の領収書は必ず出す決まりで、他方で、税務署の指導で内訳を書くことはできない。
(2)は事実に反します。 葬儀料をはじめとした「お布施」一般は宗教行為による収入にあたりますから、宗教法人にとって申告対象ではありますが課税対象ではありません。よって「額を変えると脱税」にはなりません。ただし、宗教行為による収入が過少だと、税務調査において「その差額はどうなりましたか(住職さんが懐に入れてないでしょうね? だったら住職個人の所得として課税しますよ)」と「お訊ね」が成されます。そうであっても、宗教法人としては「これこれの事情で小額の布施料で院号をお授けしました。どうぞ○○家さんに裏を取ってください」と言えばすみます。 そもそも、宗教行為に対しいくら払おうが、それは「信教の自由」の問題です。Aさんから100万円をいただき院号居士格で、Bさんからは300万円で院号居士格であったとしても、その判断と基準に税務署が立ち入る権限はありません。一物一価でないことは税務署も知っていますから、やはり「額を変えると脱税」にはなりません。 ただし、葬儀費用は相続財産から控除されますので、檀家側が布施料を過大に申告すると税務調査が行なわれる可能性があります。非常に単純化しますが、相続財産100%に対し実際の葬儀費用(=布施料)が1%だったとすると相続税は99%に対してかかりますが、葬儀費用を10%と相続税申告をすると90%が相続財産となります。差額の9%部分の相続税が檀家さんの「脱税」扱いになります。(註:寺が檀家さんの布施を過少申告すると差額は住職個人の所得の申告漏れとみなされるでしょう。)
(3)については、2015年7月現在、私の預かる寺を所管する税務署からは布施料の領収書の交付義務に関する指導は頂いておりません。しかし、葬儀布施料の領収証は檀家さんの相続税申告に必要ですからさしあげております。私的には、明細つきの領収証を発行するように要請される趨勢と考えております。 ともあれ税務関係の詳細は税務署に問い合わせください。(註:税務署は誤った素人判断による課税ミスを嫌います。事実関係を明らかにして質問をすれば「申告されれば非課税ですが、申告がないと課税逃れとみなされる案件です」など事務的かつ適切に答えてくれます。)
※ (4)額が難しいなら、院号・居士ではなく信女にせよ。女性なので普通である。 (5)そして、信女から、お布施を収めて徐々に戒名の格を上げればよい。ただしその場合毎回祈祷がいるのでその分費用は掛かる。
これは、どの寺院でも行なう対応と考えます。
※
(6)あるいは分割の支払いでも良いが借用書を提出し三回忌までに収めること。 (7)お支払できる範囲で、父と近い格の戒名をいただけないか伺いましたら、)戒名の希望などをお寺に意見をするのは非礼である、そのような人は見たことがない。
これは怪しいですね。 私の預かる寺の実例ですが、若くして夫を亡くした方が長期にわたり六地蔵の帽子と前掛けを寄進してくださいました。このご貢献に対し、夫さんの三十三回忌に院号をお授けしました。ですから「仏様にお仕えした後に格を変えていく」ことも気になさらなくてもよいのではないでしょうか。なお、ご本人にも「院号格の葬儀料」を頂くまでもなく院号をお授けしています。 私は「三回忌まで」と期限を設けることには、なんだかな〜、と感じますし、だいたいにおいて「戒名の希望をすることに対し非礼である」ならば「戒名料を払うから、戒名の格を上げてくれ」という希望も非礼であるということで、戒名料1000万でも院号をつけない人にはつけないんですよね、とお訊きしたいところです。
※ (8)費用に問題があれば常識的には戒名料とお布施を優先し、葬儀については家族葬か密葬にするものである。
寺院サイドが「家族葬か密葬」を勧めるのはいかがなものかと。 そもそも「密葬」は「本葬」の対語ですから、理論的には社会的に千人規模の「密葬」が行われ親族による十名以下の「本葬」が行なわれることもあるわけで、必ずしも規模の問題ではありません。また「家族葬」という言葉は「密葬=ごく近しい人々しか参列しない小規模な葬儀」の言い換えとしてできた言葉ですから、親類縁者と友人知己が集まった百人規模の「家族葬」もありえます。
私自身は、檀家の葬儀を務めることが菩提寺の住職の最大の義務である、と考えておりますので「常識的には葬儀を優先し、戒名料とお布施は二の次である」との立場をとります。
以上、ご参考までに。
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Name: 玉地蔵
Date: 2015/07/31(金) 10:23
No:5240
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Title: Re:戒名とお布施、各宗派や税務署での規則
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天台沙門様
大変丁寧なご回答をいただき、ありがとうございます。まだ親族間で検討中ですが、お言葉をいただき、格が違ってしまうにせよ、その時にできる範囲のことをしきちんとお別れの会をすることも、正しい選択であると分かり心がとても落ち着きました。
他方で、檀家に分かりやすく説明しようとしたのかも知れませんが、制度について住職様が事実と違う説明をなさったのならば、本当に残念です。仏教では嘘をついてはいけないと教えられたように思いますが。
「それなら他の寺に行け」と言われ親を思う気持ちが人質に取られるかのような扱いを受け、長年檀家として母は本当にこのお寺のことを気にかけていたのに、悲しい気持ちで一杯でございました。 今回のお話をいただき心が軽くなりました。 ありがとうございます。
豊山派の規定についてもう少しお待ちしようかと存じます。
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Name: 風鈴
Date: 2015/07/20(月) 00:00
No:5232
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Title: お墓参りの必要性
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先祖のお墓参りは必要ですか?埋葬も多様化されつつある今日、たとえば風葬のように、遺骨を粉にして風に流し大地に還す(墓地がない)スタイルもあります。一時期千の風になって…という歌が流行りましたが、魂や霊は墓地という限定された場所に留まらず、自然の中に遍在しているものだと思います。うちには仏壇があり、毎日供え物をし、手を合わせています。存在の遍満している先祖に手を合わせ、日々敬っているのですからわざわざ墓地に行かなくても思いは伝わっていると思っています。しかし親類はしばらく墓参りをしない私を陰で批難しています。私から言わせれば、仏壇もない親類達が形式的に彼岸等にお墓を訪れ豪華な飾り立てをしたところで形ばかり何を偉そうに、という思いです。お墓参りはなにがそんなに重要なのですか?
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Name: 天台沙門
Date: 2015/07/25(土) 14:54
No:5236
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Title: Re:お墓参りの必要性
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
Q1:先祖のお墓参りは必要ですか? A1:必ずしも「必要」ではありませんが、「十分」となる作法です。
墓石と位牌は死者をイメージするための文化的装置です。いわば「あの世」というクラウド上に存在する「死者の人格」をブラウズするターミナルが「墓石と位牌」です。しかしながら、墓石という「物」と墓所という「場」は厳密には役割が異なります。死者その人をイメージするだけなら位牌で十分ですが、死者に会いに行くためには墓所に赴く必要があります。
Q2:お墓参りはなにがそんなに重要なのですか? A2:「あの世」の疑似体験をするために重要なのです。
日常生活の中では意識しないだけですが、「日常=この世=生者の世界」であるのに対して「非日常=あの世=神仏および死者の世界」です。神社仏閣(および教会・モスク等)は、日常の中にありますが本質的には非日常の空間です。墓所も同様で、墓参をするということは、非日常の世界に旅をするという意味があります。
以上、ご参考までに。
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以下は長い余談です。
あきらかに、文明によって墓参の意味は異なります。「たましい」の「逝き先(具体的には輪廻転生の是非)」に関する態度で異なるといってよいでしょう。(註:仏教ではイスラム教/キリスト教と異なり、いわゆる「霊魂」の存在を否定しますので、当稿では「たましい」と表記します。人格・神格・仏格と読み換えてもよいでしょう。)
肉体と霊魂は一対一対応しているという認識をもつ人格的一神教(イスラム教・キリスト教)の世界では、死者の霊魂はそのままの生前の肉体をもって復活し最後の審判を受けて天国に行く必要があります。また最後の審判の時点で世界は終わりますから輪廻転生はありえません。この観点からは、墓参は死者の復活および自身の復活を神に願う場所として重要ということです。
霊魂は輪廻転生の主体であって肉体は霊魂の容器にすぎないという認識をもつ文明では遺体=遺骨は廃棄物です。よって死者を顕彰するモニュメントはあっても墓は無用のものです。霊魂が新しい肉体を得て転生してしまうまでの時間は遺体を保存しておきますが、それ以降は無用のものですから処分します。もしくは遺体の物理的な消失が霊魂の異界(天界・神界・冥界)への到達の証明であるとみなすようです。
ところで、東アジアやアメリカ先住民など先祖祭祀が信仰の中心となる文明、言い換えれば先祖霊(=人)が神となる文明では上記2例の中間のようです。遺骨は個人および個人の集合体である先祖の「たましい」の象徴として遺骨や遺体をなんらかの形式で保存しておき、それそのものを崇拝の対象としています。墓所は、いわば神と出会う場所ですから墓参は重要な行為であるということになるのでしょう。
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Name: 日真
Date: 2015/07/24(金) 17:42
No:5234
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Title: Re:お墓参りの必要性
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お墓参りの事ですね。お仏壇にお参りされてますから、大丈夫です。素晴らしいですね。 霊魂はいろんな所にいらっしゃると言われておりますからね。しかしですね、お経にですね、塔をたてて供養しなさいとあります。お寺にある五重塔もそうです、お墓の意味があります。お墓参りも大変、重要な事であるのです。お墓は御身体がお休みになられております。心がキレイでも身体汚いのは、ご先祖様も嫌がると思います。御身体も大事ですね。是非、行かれてお参りされる事をお勧めします。やはり、有難い気持ちになります。有難い事です。 ちなみに、各お家のお仏壇はお寺の出張所みたいな考え方です。毎日、お寺参りは難しいので、お家でお手を合わせる所が必要である。という考えから生まれたようです。そこにご先祖様のお位牌も入れましょうという事です。是非、お仏壇もお墓もお参りしていただきましたら、ご先祖様もお喜びになりますし、御自分も幸せな気持ちになられると思います。
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