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Name: ラスカル
Date: 2010/07/18(日) 20:24
No:3676
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Title: 亡き父について…相談
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亡き父について相談です。 亡くなった当時あたふたし家族葬でしめやかに行いましたが当時宗派などわからずで焼場に来た住職さんの宗派で戒名・位牌・仏壇・墓(開眼供養)・1年忌&三回忌ときましたが… ご先祖様は田舎(曹洞宗)で父は実家とはずっと疎遠でした。次男です。ご先祖様の宗派に戻すべきか悩んでいます。 また娘は私一人で父の墓に入るのには名字をもどすべきと言われました(×イチで旧姓にもどしてません)アドバイス宜しくお願い致します。
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Name: 禅門
Date: 2010/09/03(金) 13:29
No:3809
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Title: Re:亡き父について…相談
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今のお寺の檀家から抜ける時には、離壇料を納めることになります。離壇料は、お寺によって金額が違います。また、お墓は移設するか、処分して墓地を更地してお寺に返すことになります。 次に曹洞宗のお寺に入る事になれば、入壇料、戒名料を納める事になります。入壇料・戒名料についてもお寺によって、金額が違います。戒名は、宗派によって付け方が異なるので、新たに戒名をもらうようになります。 名字が違うと一緒のお墓に入れないことはないですよ。 一度、菩提寺に相談した方が良いと思います。
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Name: chako
Date: 2010/08/16(月) 10:18
No:3748
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Title: 宗派と仏壇について
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はじめまして。 分からない事だらけなので、教えて頂けたらと思います。 宜しくお願い致します。
先月26日に父が他界いたしました。
私は一人っ子で嫁いでいる身であります。 母はまだ健在です。 現在、実家には父の両親が入っている仏壇があります。(天台宗) 父は複雑な家庭環境にあり、祖父(父の父)が眠っている お墓は群馬の山奥にありますが、祖父はサイパンで戦死しているため遺骨は無く入っておりません。 実母は後妻に行っており、父の姓とは違いますが仏壇に お位牌はあるようです。
父が他界し、現在お墓をどうしたらいいのか分からず 悩んでおります。 母は現在癌を患っており到底群馬の山奥まで出かけられないので 近くのお寺さんがいいと言っております。
実家にある仏壇は天台宗のご本尊が入っております。 この先、母が亡くなり、私が元気なうちは両親の仏事は 面倒見たいと思っています。 嫁ぎ先の宗派は別です。先の事を考えると 父のお墓は嫁ぎ先の宗派とそろえた方がいいのでしょうか? そうなると現在仏壇のご本尊を変えないといけないと思いますが、 元々入っているご位牌などはどうしたらよいのでしょうか?
夫婦二人しか墓に入らない場合、永代供養墓や納骨堂のような 供養の仕方の方がよいのでしょうか?
分かりにくい文章で申し訳ござませんが、宜しくお願い致します。
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Name: 禅門
Date: 2010/09/03(金) 12:34
No:3808
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Title: Re:宗派と仏壇について
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あなたが両親の墓守をされるのでしょうか? 永代供養墓や納骨堂とは、墓守をする方がいない場合、菩提寺が永代にわたって供養するということです。 宗派を変える件ですが、今の菩提寺にあるお墓を移設するか、処分しなくてはなりません。墓地は更地にしてお寺に返すことになります。また、そのお寺の檀家からぬけることになりますから、離壇料を納めることになると思います。金額はお寺によって違います。 次に嫁ぎ先の菩提寺に入ることは、入檀料、戒名料を納めることになります。入檀料、戒名料の金額もお寺によって違います。 戒名は、宗派によって付け方が異なります。 戒名が違いますので、お位牌を新たに造ることになります。 一度、今の両親の菩提寺に、相談してみて下さい。
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Name: みかん
Date: 2010/08/24(火) 00:00
No:3797
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Title: 水子供養・先祖供養について
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掲示板に以前同様の相談事項があったのですが、私のケースについてご相談のっていただければと思い書き込みしています。
私の場合も占いで家族に水子がいるのでは?と指摘されて、供養してあげると良いとアドバイスがありました。 実際、母の兄弟に居たことと、ここ最近精神的に厳しいことが多く、水子は4代まで影響があると聞いて、何か関係があるのではないかと思いました。 供養の方法が分からなかったので、どうすればいいのか占い師に聞いたところ、水子供養に信頼しているお寺があると紹介されて、そこで供養してもらうことにしました。 永代供養で1体10万円でした。
また、七代供養についても最近気になっていたので、そのお寺で七代供養等についても伺いました。すると、お墓参りやお盆やお葬式はその通りセレモニーや懐古会で本当の供養ではなく、魂の供養をしないと故人は天国には行けないとのこと。なので、出来るところから先祖供養もするといいですね、と言われました。
先祖の供養として7代供養すべきなのでしょうか。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/24(火) 13:40
No:3799
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Title: Re:水子供養・先祖供養について
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結論だけ先に申し上げますと、とりたてての「七代供養」という法要の必要は感じません。 ところで、いわゆる水子さんが「実際、母の兄弟に居た」ならば、菩提寺さんでは何らかの理由で年回の法要が行われていなかったのでしょうか?
※ >水子は4代まで影響がある
まず、既に亡くなられた方々はすべてご先祖だとお考えください。そして、いわゆる水子さんだけを特別扱いなさらないことをお勧めします。 はっきり申し上げますが、いわゆる「水子供養のお奨め」は「不幸な死に方をした死者は、きちんと祀らなければ祟り神になる」という日本古来の宗教意識が基底にある民間信仰であり、仏教の教説に基づくものではありません。 現代的に解釈をすれば「生者にとって受け容れがたい死は、その死者を手厚く葬り祀らねば、その死の受容(超克)は困難であり、生者にとっての精神的苦痛はいつまでも続く」ということでしょう。 いわゆる水子(流産児・死産児)や幼くして亡くなったお子さんを悼むことは、産んであげられなかったこと・育ててあげられなかったことに関して、親が子に対してもつ「申し訳なさ」を受け容れたり乗り超えたりするための行為です。その精神的な営みを援助するために、寺院ではお地蔵さんや観音さんの慈悲という方便を用いているだけです。
あくまでも、生物としてのヒトの存在の基本である血縁という縁に連なる人々のなかに、産まれることができなかったり幼くして死んだ子供たちがいた、というよくある事実(現代でも流産率は〜15%)に基づき、その親や祖父母や兄弟姉妹の悲しみを想像してさしあげればよろしいでしょう。つまり、ご自分には産まれることのなかった伯父(叔父)さんがいたんだな、と想像いただければ、それでよろしいのではありませんか?
※ >お墓参りやお盆やお葬式はその通りセレモニーや懐古会で本当の供養ではなく、魂の供養をしないと故人は天国には行けない
別項にも記しましたが、「供養」の本義は「神仏に食べ物を供え、一緒に食べる」という行為であり、これは人類に普遍の宗教行為です。ですから、冬の正月・春秋の彼岸・夏の盆という季節ごとに、死者を含めた神仏の存在を意識して、できれば一緒に過ごしているような気分になることが日本古来のきちんとした「供養」です。墓参も同様に、自分に縁のある死者を憶いだしたり、直接に知らなくても先祖と呼ばれる人々を想像することですから、それも充分に「供養」であると考えます。 そもそも、宗教儀礼(セレモニー)に参加する目的は「我々はこの儀礼の趣旨に共通の意識をもっている」と参加者全員が感じることです。感情のうえでの連帯感をもつためですね。したがって、セレモニーなくしては死者や神仏への想いを致す「供養」という行為も果たされないということになります。
ご質問の文脈では、どうもそのご寺院のなさる「本当の供養」以外の法式には意味も価値もないとのご主張をお持ちのようです。もし「魂の供養」が「生者は死者の呪縛から自由になって生きてゆき、死者は生者の執着から自由になって死ぬ」という知見に基づくことならば強く共感しますが、そのご寺院ではどのようなご葬儀をなさっているのか非常に興味がもてます。
ついでながら、仏教には「天国」という概念はありません。 極楽に代表される「浄土」に往くか、大日如来と称される宇宙の真理そのものと一体化するか、釈尊の教説に従い死後の世界については考えないか、です。また、日本古来の伝統的宗教観では、死者は「黄泉」や「常世」という「あの世」に赴き、定期的(盆と正月)に「この世」に訪ねてきてくれることになっています。 「極楽」という点でいえば、阿弥陀如来の本願(存在意義)はすべての人を往生させてくださる、ことにありますから、阿弥陀さんを信じる以上は「天国」には行けなくても「極楽」には往けるということになります。
※ >7代供養すべきなのでしょうか。
まずは、その伯父(叔父)様にあたる水子が葬られている(おそらく菩提寺であろう)ご寺院で、普通に回忌の法要やら季節ごとの墓参をいただければ必要にして充分です。 「七代供養」という特段の法要をしていただくよりも、人は人間関係という縁のなかでしか生きられないという現実をふまえ、その縁あるすべての人々の代表としてご先祖がいらっしゃるというご気分をおもちください。
まさかとは考えますが、7代の親子関係を遡ると対象となる人数は(2+2x2+……+2x2x2x2x2x2x2)人です。「永代供養で1体10万円でした」とのことですから……。
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Name: みかん
Date: 2010/08/24(火) 20:07
No:3800
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Title: Re:水子供養・先祖供養について
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コメント頂き誠にありがとうございます。
>いわゆる水子さんが「実際、母の兄弟に居た」ならば、菩提寺さんでは何らかの理由で年回の法要が行われていなかったのでしょうか?
水子のお墓を立てており、お寺の側にある墓地なので何かしら法要はされているのかもしれませんが、正直、よくわかりません。 この曖昧な感じが、ますます何かやらなくてはいけないのでは?!という衝動に駆られました。
魂の供養について、「お盆やお彼岸に先祖を思い出すだけでは供養にならない」と、そのお寺で聞いた話について、「千の風になって」という歌にもあるように、先祖(魂)はそこにいないのか。。。。と何か説得力のあるような・・・と思いまってしまいました。
お葬式については、こう聞きました。江戸時代に疫病が流行った時、道端に人がバタバタ亡くなって行き、亡骸のやり場に困った皆が、お寺に運べばお経の一つも上げて成仏させてくれるだろうと考え、お寺の前に皆が亡骸を山のように積んで帰り、放っておくわけにもいかず、住職がお経を上げてあげたことがお葬式の始まりだとのことです。 本来、お寺の役割は、現世を生きる人に説法を説いたり、魂の供養をすることとのことです。
以上のように聞きましたが、やはり小さい時から教えられてきたお墓参りやお盆などが間違っていないことを確信しました。 ありがとございます。 今更ながら、占い師の方からは、母には水子供養のことは言わない方がいいと言われてました。それは、母がそういう霊的なことを信じる方じゃないので、とのことでした。
もし宜しければご教示ください。 今回の水子供養で木彫りのお地蔵さんを作りました。お寺に置いてもらっています。お寺の方には、月に1回はお参りに来た方がよいといわれましたが、年に1回や全く行かなくなることは良くないのでしょうか。 魂の供養だけならば1万円だったのですが、お地蔵さんとして存在すると気になってしまいます。
どうぞ、よろしくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/30(月) 14:53
No:3802
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Title: Re:水子供養・先祖供養について
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その1 >年に1回や全く行かなくなることは良くないのでしょうか。
無理に毎月の参拝を続けることまではお勧めしません。 これは「月参り」の風習の有無によります。おそらく、お寺さんがこの風習のある地域に所在しているので、お勧めになっているのでしょう。あくまでも「月参り」は風習の問題ですから、ご自身の菩提寺さんにもこの習慣があるならば、毎月の命日にご参拝なさるほうが良いでしょう。 私の預かる寺(と近在)には、月参りの風習はありません。ですから、月参りをいただく方は丁寧な方だと感じますが、「したほうが良いですか?」と訊かれたときには「そのほうが丁寧なのは確かですが、私としては祥月のご命日と季節毎の墓参をいただければ充分と考えています」とお答えしています。
その2 >水子のお墓
ご事情は了解いたしました。 前稿では述べませんでしたが、いわゆる水子霊については、ふたつの考え方があります。ひとつは「いずれ新しい身体を得て還ってきてくれる」というもの、もうひとつは「生まれてこなかっただけで、亡くなってしまったということは大人と同じ」というものです。 前者の場合は、現世に存在しなかった人ですから葬儀は必要がなく、先祖代々の墓所に身体や霊魂を納める必要もないということになります。ですから、水子霊を弔う(記憶する)場合は家の墓ではなく公(お寺)のものとして「水子墓」を造る必要があります。 後者の場合は、きちんと葬儀をして墓所を設けて弔うことが必要となります。水子さんとは、いわば、最も不幸な死に方をした人ですから、それだけしっかりと祀らねば祟り神になる可能性も高いと考えられてきています。よって、もしかしたら遺体・遺骨は納められないにせよ、独立した人格として戒名を授かり墓誌に記すなどして一家一族のひとりとして扱うことが必要になります。 これらは「考え方が違う」というだけのことで、優劣や善悪の問題ではありません。
※
以下は、余談です。
江戸時代に仏教式葬儀が一般化した理由は徳川幕府の宗教政策によるものです。仏式葬儀をするということは、キリスト者が臨終の際の告解をできないということですから、仏式葬儀をすることをもってキリシタンではないという証明にしたのです。
葬儀の起源については、いうまでもなく仏教をはじめとする「宗教」よりも古く、おそらくは人類が文明や文化をもったときにまで遡ってよいでしょう。日本における葬儀と仏教の関係に限っていえば、仏教儀礼に葬礼が取り入れられた時期、または仏教式な葬儀が始まった時期は、江戸時代よりも古いことは明らかです。 奈良時代の歴史書『続日本紀』には、釈尊の葬儀に倣って火葬された僧侶のことが記載されています。鎌倉時代の『方丈記』には「疫病が流行った時に、仁和寺の僧が仲間とともに、京の街に捨てられたままの死者の額に阿字(大日如来の種字)を書いて、その成仏を祈った」話があります。
さて、寺院(というか僧侶)の役割が現世利益であるかどうかは議論の対象になりますが、私は「自分以外の死者の冥福」や「自分自身の死後の冥福」を祈り安心を得ることも現世利益であるという観点から、宗教の役割は現世利益であると考えております。よって、葬儀も「生きている者の心の平安」という文脈で行われるべき儀式であり、宗教者が葬儀を行うことを忌避すべきではなく、本然的な義務の一環であると考えております。
仏典には『キサーゴータミー説話』と呼ばれる、釈尊その人が子を喪った母に対して「葬儀」を行い子への執着から自由にさせる、という話があります。もちろん釈尊が現在の仏式葬儀を行ったわけはありません。「死んだ子を生き返らせる祈祷をするから、街のどの家からでもいいから食材をもらってきなさい、ただし死者を出したことのない家からもらってきなさい」と母親におっしゃるのです。当然、祈祷に必要な供物(どの家の台所にもある食材)を集めることはできませんが、しかし母親は大切な身内を喪って悲しんでいるのは自分ひとりではないというあたりまえの事実に気がつきます。
本来の仏教的な葬儀とは、民族宗教的な祟り神の信仰を菩薩や如来による救済によって代替するものではなく、釈尊が行われたように辛い事実であっても事実として受けとめるための行為であるといえます。
なお『千の風になって』ですが、我々が昔から使っている「草葉の陰に」という表現と響きあいます。仏教のうちの密教の本尊である大日如来は「宇宙の真理そのもの」であり、これと一体化することを成仏であると考えています。宇宙と一体化した故人が、風や雨や鳥の声になって我々と一緒にいてくれるという考えは、別におかしなことではありません。 墓石や位牌や仏像は、姿の見えない故人や神霊や仏を感じることが大変なので、象徴となる物体を必要としているということです。
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Name: わかめごはん
Date: 2010/08/23(月) 14:10
No:3793
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Title: 浄霊と除霊について
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こちらの掲示板でいいのか迷いましたが、よろしくお願いします。
私自身には霊的な力は全くありません。金縛りになったこともないし、見えるとか気配を感じるとか、まるでありません。 ここ1ヶ月なんですが、夏バテしたかな、ぐらいの体調の悪さがずっとあって、病院で薬を処方してもらいました。がよくならず…。先日、見える友達が私を見て、いるよ。と言いました。2人に言われたんですが違う日にそれぞれ、ついてるんじゃなくて、中にいるみたいよ。と同じことを言ったんです。
除霊とか浄霊を思いましたが(お祓いになるんですかね)、なにぶん知識がないので迷うばかりです。 お金儲けだけが目的の方がやっている場合もある、と聞いたこともありまして。きちんとしてもらえる所へお願いしたいと思ってるのですが…
どういう所に行けばいいんでしょうか?
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/08/23(月) 14:37
No:3794
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Title: Re:浄霊と除霊について
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ま、あまり気にしなさんな…。今年は大抵みんな、暑さに参っていますから。それに私も昔、武士だの動物霊だのが憑いてる…と言われましたが、いまでも「共存」していますよ(笑 何も支障ありません。
どうしても気になる、気になって夜も眠れないということでしたら、取り敢えず真っ当な伝統的寺院に頼むのが良いでしょう。素性の怪しいのはぼったくりが大半です(伝統宗派の看板を出していても、避けた方がいい寺も結構あります)。 とは言え、伝統寺院でもいい加減にやってる寺も多いですし、なかなかちゃんとしたところ…は難しいですよね。ちゃんとしているところもありますが、ここで私が名前を勝手に出して紹介するわけにも行きませんし…。
いずれにしても、何度も何度も繰り返しやらなくちゃいけない…という歯医者みたいなところはやめておきましょう。「料金」がどんどん上がって行く場合が多いです。 また、祟りとか呪いとか先祖霊の因縁が…と言って、それを「切る」のに十万円以上の金額を要求する場合も避けるのが無難です。土地を結界して祭壇を大々的に整えてやるのならともかく…。 もちろんケースバイケース、寺に拠って方法も流儀も違いますので、一概にすべてダメ、とは言いませんが…。
本当は「霊」など気にせずに、自分自身がしっかり仏道の信をもって生活していけばそれで済む話ですけれどね。
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Name: 一般人
Date: 2010/08/23(月) 16:21
No:3795
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Title: Re:浄霊と除霊について
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憑いているというのが本当かどうか分からないですが、病気と同じく、不安など気持ちが暗くなると、悪いものを引き寄せるといわれます。 気にしないで、明るい気持ちを心がけた方がいいと思いますよ。一時的に憑いたのなら、離れていく可能性もあると思いますので。
それでも気になるなら、いわゆるパワースポットに行ってみてはいかがでしょうか。 私は感じやすいほうなのですが、場所によっては身体が軽くなる感じがありますので、それなりの効果が見込めるのではないかと思います。ただし、明るい時間帯に行ってください。
また、「見える」については、見える方本人の波動(場合によっては、悪いものが憑いてるので見える可能性もある)の問題もあると思いますので、あまり深入りしないほうが無難ではないかと思いますよ。 お祓いを受けたのに、逆に悪いものに憑かれるということもあるそうですし。
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Name: 菊雅
Date: 2010/08/23(月) 18:46
No:3796
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Title: Re:浄霊と除霊について
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普段何も感じないのなら、たとえ憑かれてたとしてもそのうち霊の方が飽きて、どっかに行っちゃいますよ。 霊なんてのは人の一方的な想いのかたまりの様なもので、気付かない・感じない人には無視されているのと同じですからね。
それと、もし体の中に入られたのならば、人格も変わりますしその時の記憶もなくなりますからね。 (私の経験からですけど)ここに相談する事すら出来ませんから。
何かをするより、無視するのが一番効果的です。 (私の場合も、ほとんど無視です。)
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/24(火) 11:27
No:3798
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Title: Re:浄霊と除霊について
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風邪症候群やら夏バテは時間と休息がなによりで、処方薬は自覚症状を抑えて日常業務をこなすための道具だそうです。 ある程度の時間が経って自覚症状が気にならなくなれば、この話はそれで終わりです。
さて。 貴方ご自身に「霊的な力がない」という自覚があるならば、たとえ霊が憑いたとしてもそれを感じる力がないのですから、憑霊されたとしても影響はありません。 よく霊力と磁力とが類似のものとして例えられます。物理(電磁気学)的現象として、鉄は磁石に引き寄せられますがアルミニウムは磁石に引き寄せられません。この例でいえば「霊的な力がない」のならば「霊的な力に影響を受けない」のです。
心霊現象とされるもののほとんどは、物理的現象や心理学的現象として説明ができます。科学的(合理的または経験的)に説明ができるものに対して、心霊的に説明をしようとすることを、私は仏教的な態度とは考えません。「オッカムの剃刀」ですね。
私とて神仏に代表される形而上的存在の実在を信じていますが、私が主観的に信じていることが、客観的に存在していることの証明にも主観的に体験できる根拠にもならないことは明らかです。 逆に「電気の流れが目に見えないから電気が存在しない証明にはならないように、目に見えないことが形而上的存在の否定の証明にはならない」と先の例を使った反論も可能でしょう。しかし電磁気力の存在は方位磁針やら電球によって物理的にいつでもどこでもだれにでも確認できます。 やはり、宗教や信仰というものにも、その基本には「いつでもどこでもだれにでも」という普遍性があってしかるべきで、再現性のない心霊現象にとらわれても仕方ありません。
お大事になさってください。
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Name: わかめごはん
Date: 2010/08/25(水) 01:49
No:3801
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Title: Re:浄霊と除霊について
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不安な気持ちに回答を下さったみなさま、ありがとうございます。
私の働いている場所がスーパーであることも、少なからず関係あるのかな、と思いました。お盆の直前からお盆中、お盆の終わりで、自分の体調や気持ちの変化が激しかった感じです。
また何かありましたら相談させていただきたいと思いますので、その際はよろしくお願いします。
ありがとうございました。
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Name: 田舎の檀家です
Date: 2010/08/16(月) 10:33
No:3749
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Title: お寺が機能してません
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寺院関係者様、教えて下さい。
私達のお寺は関西の田舎にあるのですが、住職と副住職が高齢の為に余り檀務が機能されていません。
具体的に言いますと、住職の体調が良くないのでここ数年のお盆やお彼岸の御参りも、まともに読経が出来ませんし檀家の不幸事でも葬儀こそすれどもお通夜の参加は有りません。
副住職は奥さんなのですが、最近は認知症的な行動が目立って来て被害妄想が激しいのです。その為に境内の整備や清掃はもとより檀家さんとトラブルが続いています。
お寺には息子さんは無く、後の住職さんはいません。 壇務のお手伝いで若いお坊さんがこれまで数名お越しになりましたけども、住職と副住職とのトラブルで続きません。
私たちが拝見する限り、若いお坊さん達の方が真面目にお勤め下さいますし住職と檀家さんの取りまとめを行って頂けたのですが・・・
檀家規則(宗教法人規則?)ではお寺の住職が亡くなったら本山から新しいお坊さんが来てくれるのでしょうか? それとも、副住職が昇格して住職になるのでしょうか?
ここの副住職は認知症が入って来てますので、昇格されても今の住職以上にお寺の壇務がこなせないと思います。
檀家には毎年お寺の会計が公表されますが、お寺の維費持や檀家の扶助活動費とお布施額が一致しません。
お布施の総額から寺院活動費を除いた金額は事実上の住職夫婦の収入だと思うのですが、総代会で所在を明らかにするのは可能でしょうか?
私たち檀家は以前お手伝いに来て頂いた若いお坊さんにお寺に戻って来て欲しいのですが、住職と宗派が違うらしいのです。
檀家の総意で次の住職さんを決めたいのですけど、本山と掛け合わないと無理でしょうか?
仮に住職が一時不在になっても近隣のお寺へお願いすれば、今の檀那寺の檀家としてご供養して頂けるのでしょうか?
いつ住職が亡くなってもおかしくないので、年忌法要とかが出来なくなった場合の事が解りません。
もちろん今の住職夫婦も高齢ですので檀家一同で後の面倒は支えて行きたいとは考えています。
質問ばかりで申し訳ありませんが、良い方策が有れば宜しくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/18(水) 09:26
No:3766
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Title: Re:お寺が機能してません
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総論としては、ご相談のご寺院が所属している宗派の総本山ならびに都道府県単位に設置されている機関に、住職の代務者を決めてもらうよう請求なさることができます。多くの場合、寺院には寺単位の組織である「組寺」という制度があり、また僧侶には師弟関係を中心とした「法類」という制度があります。ご相談のような場合、「組寺」のうちで御住職の「法類」である方に、住職の代理を務めていただくことが、いちばんスジの通った話になります。
ただし、ご相談の場合、住職の奥さんである副住職さんに問題(認知症を原因とする被害妄想)があるとのことですから、この方が「他人に寺を乗っ取られて、自分たちは追い出される」という「被害妄想」をもっておられるならば、法類や組寺に代務を依頼するという段階から暗礁に乗り上げているのかもしれません。
なお、貴寺が所属する「○○宗」の本山があるのならば、他宗派の僧侶を住職にすることは不可能です。
以下、天台宗の場合を例にとってご説明しましょう。
Q1 現住職の後継者の決定方法は? A1 寺院すなわち宗教法人の寺院規則によりますが、@現住職の指名によって A天台宗務総長の承認を得て B天台座主猊下の任命による、ことになっています。副住職がいる場合、後副住職が昇格して住職となることが暗黙の了解とされています。これは後継住職の決定に混乱を生じさせないためです。宗派によっては「住職は副住職からの昇格のみ」というところもあるようです。 貴寺の問題については、住職・副住職のご両名ともに職務執行能力が欠けていらっしゃるようなので、早急に同宗派の近隣寺院の住職さんに代務者になっていただくべきでしょう。(註1)
Q2 寺院会計を総代会で明らかにするのは可能か? A1 可能です。というよりも、年次会計は関係者(すなわち檀信徒および関係寺院住職など)が閲覧できるようにすることが『宗教法人法』に定められています。ちなみに、寺院という法人の支出のうち、人件費の一部が役員報酬という形式で住職(代表役員)の収入となるのが一般的ですが、住職が副業収入を寺院に寄付することで経済的に成り立っている寺院もあります。(註2)
Q3 檀家の総意で次の住職さんを決めたいのだが? A3 とりたてての問題はないでしょう。ただし、その場合でも最終決定権は檀家の側ではなく僧侶の側に存在します。この場合の「僧侶」は、現在の住職ご本人ということではなく、問題のご寺院が所属している宗派の最高意志決定機関に属するということです。A1に照らせば、檀家の相違で指名された僧侶が、宗派によって承認され、その宗派の最高位の僧侶(天台宗なら天台座主)によって任命される、ということです。他宗の僧侶を住職にできない理由は「宗派によって承認」という点にあります。(註3)
Q4 住職の一時不在の場合の法務は? A4 いうまでもなく、私的な海外旅行や公的な本山駐在といった予定されている一時不在の場合は、住職本人が代わりの人の手当をしておくのが社会人としての常識です。また、住職の急病などの予定されていない一時不在の場合は、前述の「組寺」や「法類」の住職さんがサポートするのが業界の仁義ということになっています。
Q5 もちろん今の住職夫婦も高齢ですので檀家一同で後の面倒は支えて行きたいとは考えています。 A5 ありがとうございます。
註1:まれに一寺一宗派の単立寺院が存在しており、この場合には組寺や法類や本山は存在しえないので、代務を依頼する先は宗派を問わず近所のお寺ということになる。 註2:住職さんに「寺は住職個人の物」という意識があると、(檀家としては正当な権利である)帳簿の公開を求めただけでトラブルが発生する。 註3:「檀家管理の寺では法務はできない」として住職への就任を断る人は少なくないので、住職の報酬や身分に関することを率直に話し合って事前に文書化して信頼関係を作っておく必要がある。
極論ですが、御住職が遷化なされれば葬儀をどうするかという喫緊の問題が発生し、その際には前述の法類や組寺という組織が実務を動かすことになります。そうなれば自動的に、後継の住職をどうするか、という話題も出てきます。
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Name: 田舎の檀家
Date: 2010/08/20(金) 16:26
No:3775
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Title: Re:お寺が機能してません
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〉天台沙門様
ご丁寧なご説明有難う御座います。 クリアーする課題が多い事が判りました。
先日、この相談以後もお寺の住職を除いた総代と世話人が非公式で集まり話を持ったところです。
過疎になりつつ有る田舎と言う事もあって檀家総数が少ないのも悩みのタネです。
何をするにしても一檀家あたりの負担金が大きくなるので、この数年も土砂加持の法要が先延ばしになったりするのが現状です。
これは我々と言うより、言い難いですが檀家さんの中には昨今のお寺(住職・副住職)への不信感でお寺へこれ以上の負担は掛けたくないと言う檀家が居るもの現状です。
私たちとしてはそうは言っても高齢の住職夫妻をほっとく訳にもいかないので、面倒を見れるだけ見ようと考えてはおりますが、総代や世話人が交代した時にそうなるかも頭が痛いところです。
法類って制度が有るのですね安心しました。 施餓鬼やお花祭りの時に来てくれる近隣のご住職さん方の事ですよね?
でもイマイチ宗派の意味が理解出来ないのですけど、私達のお寺と近隣のお寺は宗派が違うみたいです。
私達は真言宗なのですけど、いつもお花祭りとかに集まっていただけるお坊さんは真言宗の高野山ですが私達のお寺は京都が総本山だと聞いてます。
真言宗なのに何処が違うんでしょう? 本山が違うと宗派が違うって事で理解したら宜しいのですよね。
早く新しい住職さんが来て欲しいとは思いますが、先ずは壇務が止まらない事を願ってます。
お寺さんのお葬式には莫大な費用が掛かるそうですね。 それと新しい住職をお迎えする儀式もそうだと聞きました。
これをきっかけにお寺さんと関係を断つ檀家さんが出てくるかも知れないと思うと頭が痛い話です。
先祖代々お世話になってますが、村の若い人達も自分達の生活の方が重要ですから。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/22(日) 12:35
No:3792
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Title: Re:お寺が機能してません
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Q1 施餓鬼やお花祭りの時に来てくれる近隣のご住職さん方の事ですよね? A1 そう、ご理解いただいて結構です。
Q2 私達のお寺と近隣のお寺は宗派が違うみたいです。 A2 無理をしてでも同じ宗旨のご住職を呼ぶか、呼ばずにお一人(ご寺族だけ)で法要をなさるところもありますし、お互いに宗派を問わずお招きあわれて一定の人数はそろえようとお考えの方もあります。
Q3 本山が違うと宗派が違うって事で理解したら宜しいのですよね。 A3 そうです。京都に本山のある真言宗諸派ですと、智積院の「智山派」・醍醐寺の「醍醐寺派」・東寺の「東寺真言宗」など、たくさんありそうですね。
拝読しただけの印象ですが、宗派はさておき「真言宗」という大枠での関係があってる施餓鬼などに出仕いただけているようですから、その伝手で貴寺と同じ宗派の本山の相談窓口を紹介いただけるでしょう。
Q4 お寺さんのお葬式には莫大な費用が掛かるそうですね。それと新しい住職をお迎えする儀式もそうだと聞きました。 A4 これは一概には言えません。正直な話をいえば、葬儀にしろ新住職就任式(晋山式)にしろ、出てくれる僧侶方が「義理ごと」ということで手弁当ですべての法務をこなしてくれるならば、普通の人の葬儀や法事と変わりません。
Q5 これをきっかけにお寺さんと関係を断つ檀家さんが出てくるかも知れないと思うと頭が痛い話です。 A5 ご心労お察しします。……私の法縁の寺でも、ご住職が亡くなられ次の方がやっと決まったというところですので、それまでのご不安は想像できます。
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Name: かじめ
Date: 2010/08/21(土) 11:32
No:3778
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Title: 供養は誰の為?
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先日、親戚の三回忌の法事がありました。その供養膳の席で和尚様に、「供養は自分自身にするものだよ」とお話しされました。
三回忌の供養で故人を偲ぶことが供養だと思うのですが、どういう意味なのか、その場で和尚様に聞けなかったので、投稿させていただきました。
誰の為の供養なのか?教えてください。よろしくお願いします。
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Name: 一般人
Date: 2010/08/21(土) 17:04
No:3783
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Title: Re:供養は誰の為?
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仏教では本来、祈祷や呪い(まじない)、占いは認めていません。
池に石を沈めて、「浮かべ、浮かべ……」と祈祷したからといって、石は浮かぶか? といった話を仏陀がしています。石は浮かぶわけないですよね。反対に、油を池に投げ入れ、沈め沈め…と祈っても沈むことはありません。 故人も同じく、祈祷によって天国?にいくのではなく、故人の行いによっていくわけです。
日本では、「仏教」を名乗りつつも他の色んな信仰が混じったりして、仏教を名乗るにはどうなんだろう、と疑わざるを得ない「仏教」もあるように感じます。都合よく「宗教」を用いてビジネスする輩には注意が必要ですね。 いずれにせよ、宗派によって違いがある部分については、信じられるかどうかを基準に理性的に判断するのが、人間としてあるべき姿な気がします。
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Name: ゾンビ
Date: 2010/08/21(土) 22:56
No:3785
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Title: Re:供養は誰の為?
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> 仏教では本来、祈祷や呪い(まじない)、占いは認めていません。
目から鱗です!! 禅宗の寺でも、日蓮宗の寺でも、真言宗の寺でも、天台宗の寺でも御祈祷やってますけど、それらはみんなすべてエセ仏教ってことですね。 ホントの仏教は成仏も願っちゃいけないんですね。
ということは、葬儀の後で「成仏するようお経を読んでしっかりお祈りしました。」などという坊主はニセモノってことですね。
なるほど。注意します!!
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Name: ぼた
Date: 2010/08/22(日) 09:29
No:3787
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Title: Re:供養は誰の為?
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解釈は人それぞれですから、同じ仏教・宗派の中でも様々な考え方があるのも仕方ないでしょう。 どれが正しくてどれが間違っているということではないので、自分が故人を偲ぶ事が供養だと思うならそうしてください。
もともとあった仏教が、なぜ今のように多数の宗派に分かれたかということを考えてみてください。 それぞれに解釈が違ったり、新しい考え方を取り入れたりしたために各宗派に分かれていったのではないでしょうか。 ならば、過去に行われたように、新しい解釈を加えて自分が思う仏教をしたとしてもよろしいかと思います。無論、常識の範囲内でということはあるでしょうが。 新しい解釈を否定するならば、仏教が各宗派に分かれていること自体を否定しなければなりません。 また、テレビ等で各国の仏教の様子が映ることがありますが、インド・中国・日本の仏教は少なくとも見た目の上では同じものとは思えないほど違って見えます。 これが現実です。
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Name: 一般人
Date: 2010/08/22(日) 10:40
No:3788
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Title: Re:供養は誰の為?
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仏教の世界的な集まりでは、日本の僧侶は僧侶とみられてないそうです。仏教本来から掛け離れてしまっていて、どちらかというと破戒僧に近いからと思われます(妻帯し家を持つなど、出家の生活ではないからです)。
仏教は出世間の教えですので、世間で当たり前とされる考え・解釈からは離れたスタンスで存在するのが本来の姿ですが、日本の今のお寺さんは世間に毒されてますし、世間もまた、世間が期待することに応えるのを求めてはいないかと思います。 祈祷、呪い(まじない)の類は世間にウケがいいのは事実でしょうが、それをやること自体の是非はまた別の話であって、、、少なくとも仏教の出家者には禁止されていたということです。
ちなみに上座部仏教では、亡くなる瞬間に善い心の状態となるよう、亡くなりそうだと聞いたらお坊さんが駆け付けるそうです。日本では死んでからですから、同じ仏教とはいえ、本当に違うものですね。
(追記)ご質問からの乖離があるようなので話を戻しますと、 「供養は自分自身にするものだよ」
これは、二つの意味合いが考えられるように思います。
一つは、仏像に手を合わせるとき、それは自分自身に手を合わせることなのだといわれるのと同じ意味合いです。 つまり、自分自身の仏性に対して手を合わせ、祈るということです。
二つ目は、善なる行いをすることで、自らが功徳を積むということです。 例えば三回忌の場で法話があったならば、聞法は善い行為になりますから、聞いた人自身の功徳となると思われます。
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/22(日) 12:08
No:3790
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Title: Re:供養は誰の為?
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生者のためであるのと同時に、死者のためでもあります。 どちらか一方のため、と限定的に考えることはお勧めしません。
もと「供養」とは、神仏に食物を供えて一緒に食べる、という人類普遍の宗教行為がもとにあります。日本的な宗教感覚では、死者の霊魂は祀られることで先祖霊となり生者に幸福をもたらしてくれる、と考えられてきました。この「祀る」という具体的行為が「死霊を招いて一緒に食事をする」ということです。 この感覚の延長として、食事の代わりに仏事をするということが、死者を供養するという仏教的術語になったわけです。 ところで、死者の霊魂を祀らないと祟り神になるというのが古代の宗教意識です。横死と呼ばれる普通でない死に方をした人ほど、祟り神になりやすいという意識もついてまわります。この感覚が現代の日本人にも残っているので、自分自身に原因のある不都合すらも「ご先祖のお叱り」とか「水子の祟り」とか理由付けをされたときに信じてしまうわけです。 こういった文化の基層にある宗教意識をふまえると、死者を供養することは祟られないよう生者のためにする行為ということにもなります。
以上は、宗教者が知ってか知らずか語ることがない精神史的な背景です。それをそのまま現在の我々が信じるべきかというと、それは違うでしょう。ならば、現代的な解釈が行われて然るべきです。
私は、供養とは自身に有縁の人々すべてのために行うもの、と信じております。
仏教の基礎理論は「縁起説」であり哲学的には認識論の範疇に属する理論ですが、これを存在論の範疇に援用した場合、自分自身という存在は人間関係という「縁」のなかでしか存在できないという理解に到ることができます。 つまり、とある法要において供養されているのは具体的な一個人であっても、その一個人は自分自身に縁のあるすべての人間関係を象徴する存在として考えるべき、ということが私が仏教儀礼を司るときの基本姿勢です。 「有縁の人々すべて」とは、我々よりも先に、浄土・極楽・天国・冥界・あの世、と呼ばれてきている世界に赴かれた人々です。いま現在、縁の濃淡の違いはあるにせよ自分自身を含め一緒に暮らしている人々です。そして「七つまでは神のうち」と言いますが、何か偉大な存在(=Something the great)のもとから我々のところにやってきたばかりの人々、いつか必ず生まれてくるであろう人々です。
私は、特定の一個人を供養することは、その個人に象徴される自身につながる人間関係すべてを想い描くことと考えております。「どちらか一方のため、と限定的に考えることはお勧めしない」のは、こういった理由からです。
※
質問以外には対応しないことを旨としているが、1点だけ。 仏教の目的は成仏(釈尊のような人に成ること)である。それを願わず、なにが「ホントの仏教」か。
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Name: けんや
Date: 2010/08/21(土) 10:47
No:3777
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Title: 悩んでます。
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はじめまして。 水子供養のことを調べていたらここにたどり着きました。 以前つきあっていた彼女との間に子供が出来、経済的理由で産めなく結局別れてしまいました。 それ以来彼女も作らず、ちゃんとした供養もせずに今まできました。 最近5年ぶりに好きな人が出来、結婚を考えています。 水子の事は話していませんが、自分の中で気になって先に進めません。 やはり、正式な供養をした方がよいのでしょうか?
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2010/08/21(土) 15:41
No:3781
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Title: Re:悩んでます。
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自分が前に進めないから…という理由で供養をして、それできちんと供養した事にはなりません。 供養と言うのは、「自分の都合」などすべて棚に上げて、ただただ「相手の為だけに」手を合わせていくことです。今回、結婚を考えているとのことですが、そういうことは関係なく、自分の子供を自分たちの都合で死なせてしまった事実を正面から受け止めてください。そうすれば、自分の都合などはまったく差し挟む余地などないはずです。 そういう心持になった時、しっかりと供養してあげてください。
なお、「水子の祟り」などで結婚生活がうまくいかなくなる、ということはまずあり得ませんので、そういう事に関しては心配なさらずとも良いでしょう。
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Name: けんや
Date: 2010/08/21(土) 19:47
No:3784
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Title: Re:悩んでます。
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水波坊様 ありがとうございます。 時々は思い出し手を合わせていたのですが、どこかで逃避していたようです。 近いうちにしっかり供養したいと思います。 ありがとうございました。
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Name: まさ
Date: 2010/08/16(月) 23:19
No:3752
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Title: 教えて下さい
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最近、良い事がありませんでした。久しぶりに(遠いし、いろいろあったので行けませんでした)先祖の墓参りに行きました。 状況が変わりますかねぇ?こんな事を考えたら、ダメかもしれませんが。
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Name: 一九
Date: 2010/08/17(火) 04:32
No:3754
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Title: Re:教えて下さい
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墓参は故人のためにやられたほうがよいと思います。 1回墓参したことが自分のために何かプラスになることはないでしょう。
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Name: ぼた
Date: 2010/08/17(火) 22:36
No:3765
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Title: Re:教えて下さい
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それはそれ、これはこれ。
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Name: 一
Date: 2010/08/18(水) 12:50
No:3767
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Title: Re:教えて下さい
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一回お墓参りしたくらいでは何も変化はありませんよ。あなたが毎日何かをコツコツと始めだしたら必ず変化すると思います。 あなた自身の問題ですよ。 早寝早起きや、スポーツ等いろいろありますよ。
清々しい気分で、過ごしてみては如何でしょうか?
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Name: 想月
Date: 2010/08/19(木) 21:04
No:3774
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Title: Re:教えて下さい
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まさ様の環境、状況が変わるかは今後のまさ様しだいでしょうけど、お墓参りや御先祖様に手を合わせる事を忘れない事です。
『状況が変わりますかねぇ?こんな事を考えたら、ダメかもしれませんが。』 人は、些細な出来事で変わる切っ掛けを見つけられる事もあります。
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Name: 内藤 雅巳
Date: 2010/08/18(水) 18:40
No:3768
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Title: 墓を移設後長い間没交渉であった移設前のお寺に過去帳についてのお願いをしたい
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今から約50年前ある地方のお寺の境内にあった墓地から別の場所に家の墓を移しました。移設前のお寺はあまり大きな寺ではありませんが、移設時までは代々長くお付き合いをしていたようですが詳しいことはわかりません。また、移設してからも、移設時の住職も私たち家族の代表も代替わりし移設前の寺とはまったく没交渉になってしまいました。 このたび、明治時代中期のことに関して、移設前のお寺に過去帳を見せてもらいたいと思いますが、お礼の金額、お渡しの方法を含めどのような配慮をして、どのようにお願いを始めたらよいでしょう?お寺まで出かけてお会いしてお願いしなければいけませんか?
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Name: 天台沙門
Date: 2010/08/19(木) 10:36
No:3773
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Title: Re:墓を移設後長い間没交渉であった移設前のお寺に過去帳についてのお願いをしたい
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まず申し上げておきたいことは、過去帳そのものの閲覧は不可能に近い、ということです。 昨今の個人情報保護の観点だけではなく、もう少し複雑な事情がありますが、他の家の方々のことまで目に入ってしまうことを避けるための対応です。もちろん、「○○家」の墓所に埋葬されていた人々の戒名・俗名・寂年月日について知りたいので調べていただきたい、という申し入れならよほどのことがない限り調べていただけるはずです。
まず電話で、以前は墓所があり現在では改葬しているが改葬以前の先祖のことを知りたい旨、お申し出いただくことから始められればよろしいでしょう。ご親類が、現在でもそのお寺の墓所を使われているのでしたら話は早いとおもいます。 そこから先は、現在の住職さんが「詳しい話を聞きたいので来て欲しい」ということになるかもしれませんし、「ファックスのやりとりで済ませましょう」ということになるかもしれません。 いずれにせよ、移転なさった年月日や、現在の墓所への改葬許可書の写しなどがあると便利でしょう。
お礼は、どうでしょうね? まあ「過去帳複写作成手数料」などといって請求されることはないと考えますが、かつてはご先祖の菩提寺であったお寺ですから、これを縁に参拝なさり御本尊に「布施料」というかたちの金一封を納めていただければよろしいとおもいます。
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Name: 匿名希望
Date: 2010/08/19(木) 00:25
No:3771
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Title: 円宗院について
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円宗院さんはどんなお寺ですか? 支払い形も郵送など振り込みがメインみたいですが直接はだめですか?
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Name: 三休 [URL]
Date: 2010/08/19(木) 09:44
No:3772
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Title: Re:円宗院について
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お寺ネット 管理人の三休です。 神奈川県平塚市東中原2-17-7 の円宗院の事でしょうか? もし、こちらであれば、私のお寺です。 振込みでも直接でもどのような方法でも構いませんよ。
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