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Name: ABC
Date: 2011/10/20(木) 20:54
No:4481
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Title: 二つの仏壇について
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私の実家に仏壇があります。父85歳、介護施設に入所の為、実家は空き家同然です。 私は仕事の為別の市に住んでます。母が亡くなった為私の住んでる家に、新しい仏壇と位牌を置きたいと思ってます。 実家の仏壇は父がいる間は残しておきたいとおもってます。 ご相談ですが、お盆の時の、たな経とか、私の家の新しい仏壇だけでしてもらうことでよろしいでしょうか? よろしくおねがいします。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/21(金) 10:25
No:4482
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Title: Re:二つの仏壇について
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仏壇がふたつであること自体は問題ないと思いますが、まず大切な事は、「どこで供養するか」です。基本的に棚行などは一家に一カ所が原則だと思いますので。それを明確にしておくことが第一。 そして、その場所に御本尊とすべての位牌とをお祀りしておくと良いでしょう。 実家の方の仏壇は、現時点では誰もお祀りされないということですから、位牌および御本尊は、ABCさんの新しい仏壇で祀るべきだと思います。実家の仏壇自体は、取り敢えずはそのままで結構でしょう。 まぁ、ともかくも菩提寺の住職に相談されては如何でしょうか?
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Name: ABC
Date: 2011/10/21(金) 20:00
No:4483
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Title: Re:二つの仏壇について
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実家の仏壇、位牌はそのままにして、私の家の新しい仏壇、新しい御本尊と位牌で毎日供養していきたいと、思います。
御返事ありがとうございます。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/21(金) 21:36
No:4484
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Title: Re:二つの仏壇について
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御実家には時々は帰られますか? まったく帰らないのであれば、実家の位牌や御本尊は放置状態となりますが、それはちょっと粗末に扱う事になるかな…と思います。確かにそういう場合もよくあるのですが…。 新しい仏壇にすべて祀るのがベストですが、それが出来ないのであれば、せめて月に一度か二度は帰り、掃除をして手を合わせることはして欲しいな、と思います。 ただ県外の場合それも難しいとなれば、私なら菩提寺に頼んで、せめて実家の仏壇の御本尊の撥遣、俗に言う「お性根抜き」をしてもらいます。 やはりお祀りしているものですから、拝めないのであれば、それなりの対処はしておくべきかと。僧侶としての意見ですが…。
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Name: ABC
Date: 2011/10/21(金) 23:14
No:4485
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Title: Re:二つの仏壇について
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実家の仏壇には、位牌はありますが、何故か御本尊がありません。私が小さいころから無かったのかは、よくわかりません。 実家の仏壇はかなり、古いですが、父の希望でそのままにしています。 私は、実家には月に数回帰っては、仏壇を拝んでます。冬は、雪が降るとなかなかいけませんが、また、私の姉は嫁に行きましたが、市内に住んでおりますので、週一回位は、誰もいない実家に来て、仏壇を拝んでもらってます。がよろしいでしょうか?
位牌のことですが、私の家の新しい仏壇にも実家と同じ先祖代々の位牌と41年前に亡くなった祖母の位牌と置く予定ですが、何か問題はないでしょうか? 両方で拝めるかたちに、したいのですが、 長くなりましたが、よろしくお願いします。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/22(土) 09:21
No:4486
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Title: Re:二つの仏壇について
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週一度でも誰かが行って拝むのであれば、問題ないと思います。 位牌をふたつずつ作るということですか。まぁ、それも問題ないです。実際、うちの地域ではふたつ作りますから。 位牌あるいは仏壇は「窓」です。こちらとあちらを繋ぐ「場」ですので、別にふたつあってダメということではありませんから、それは安心してお祀りください。家に窓がふたつあってらダメだ、ということにはならないですよね? それと同じです。
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Name: ABC
Date: 2011/10/22(土) 10:34
No:4487
| 解決
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Title: Re:二つの仏壇について
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お盆のたな経は、私の家の新しい仏壇であげてもらい、普段は実家の仏壇も出来る限り、拝んでいきたいとおもいます。二つの位牌があっても、問題ないということなので、安心しました。
御返事ありがとうございました。
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Name: 無知
Date: 2011/10/18(火) 11:01
No:4477
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Title: 葬儀翌日のお寺参り
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お寺参りの持物について
遺影・位牌・骨箱・七本塔婆等も持っていくのでしょうか?
その他にも持物があれば教えて下さい。
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/18(火) 11:48
No:4478
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Title: Re:葬儀翌日のお寺参り
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地域やお寺に拠っても違うのでしょうが、うちの場合は持って来ていただくのはお布施だけですね。 基本的に遺影や位牌、卒塔婆などは自宅の祭壇にまつってあると思いますから、それはそのままです。 次の日の寺詣りは、お布施を渡すことと、七日参り・四十九日の日程・時間を話し合うことになると思います。その他の相談事やわからないことも、その日に尋ねて解決しておくと良いでしょう。 ただし、地域や寺によっては相当な違いもあろうかと思いますから、直接、お寺に尋ねるのがいいと思います。別に尋ねても良い事柄だと思いますし…。
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Name: 無知
Date: 2011/10/18(火) 19:18
No:4479
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Title: Re:葬儀翌日のお寺参り
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水波坊様ありがとうございました。
地域は、長野県の北部です。 やはり、地域やお寺によって違うのですね。 直接尋ねた方が良さそうですね。
御布施については『遺物料』で良いのでしょか?
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Name: 水波坊
Date: 2011/10/19(水) 09:28
No:4480
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Title: Re:葬儀翌日のお寺参り
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お布施は「お布施」で良いのではないですか? お葬式に関してのお布施ですよね? 「料」というのは「料金」ということですから、違うと思います。
また、例えば慣例として道具を借りたら「道具料」だの、あるいは「卒塔婆料」だの「お車料」だのと分けている人がいますが、うちの場合はすべて「お布施」で統一してお願いしています。 お寺が受けとるのは「お布施」だけであって、「〜料」というのは何かの対価、つまり「商売」ですから、そういうのは私は受け取りません。
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Name: けんじろう
Date: 2011/10/10(月) 09:57
No:4469
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Title: 処分の方法
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こんにちは 当方の勤務している会社の上司が新宗教に熱心です。 私もお付き合いで入っています。
先日、その関係の「お曼荼羅様」を購入しました。 綺麗にして、水を替えてお経を唱える作法まで 言われ現在飾ってあります。
正直当家の宗派とも違うし、あまり飾る気がしません。 将来的には、処分したいと考えています。
宗教道具を丁寧に、処分する方法を教えてください。 部署の配置換えがあれば、上司に解らないように処分を希望します。本部に返すと上司に伝わるので、返却はできません。
宜しくお願いします。
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Name: 水波坊 [URL]
Date: 2011/10/10(月) 12:56
No:4470
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Title: Re:処分の方法
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私はいかなるカルト団体のものであれ、信仰の対象を「処分」する、という表現は好きではないのですが、まぁ一般的には、その団体の本部なり支部に返却しますよね。
それが出来ない場合、自分の菩提寺なりに持っていき、その寺でお焚き上げしていただく事が多いと思います(その場合は菩提寺にお布施をしてください)。 その他、焼けない道具等がある場合は、例えば住職に頼んで本部に返却の労を取って戴く、という方法もありますが、これは断られる場合もあるかも知れません。 いずれにしても、きちんと丁寧にお願いしてください。
あとはお祀りしている本尊の大きさにもよりますが、年始あたりに行われている神社のどんと焼きとか、そういう所に持参しても良いでしょう。ただし、仏壇とかは大きいので、それは難しいですけれども…。
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Name: 友
Date: 2011/10/11(火) 08:48
No:4471
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Title: Re:処分の方法
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ごみ箱に捨てて下さい。 私ならそうします。
心配無用です。
どうしても心配なら、 塩をかけて、 ビニール袋に包んで ごみに出して下さい。
オウム真理教の仏具を大事に処分しますか? ブルドーザーで埋め立て焼き払うのみです。
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Name: けんじろう
Date: 2011/10/12(水) 05:46
No:4472
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Title: Re:処分の方法
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水波坊様、友様 ご意見ありがとうございます。
物を大事にする気持ちが強くて、相談させていただきました。 また、何かと「気」を感じるものなのでどうすればよいか 困っていました。 ここは、自分のお寺さんに相談して行動しようと思います。
ただし、今の部所から異動してから処分します。 ありがとうございました。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/06(火) 13:36
No:4452
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Title: 逆打ち
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今秋、2度目のお遍路に出かける予定ですが、2度目にいきなり逆打ちをしてもよいのでしょうか? 1度目は順打ちで結願まで達しましたが、主人が来年は閏年だし、逆打ちで行きたいと言っています。 回る予定としては今秋、来春、来秋・・・で一国打ち切りです。 逆打ちはベテランがするものとかいう話もあるようですが、初心者でも構わないのでしょうか? 来年の閏年にちなんで逆打ちツアーというものを企画している旅行会社もあるようです。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/08(木) 17:44
No:4453
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Title: Re:逆打ち
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大切なことは巡礼という行為であって、そのやり方は二の次です。 きっと「初めての遍路が閏年になるのも、お大師さんとのご縁だ」と感じて2度目どころか1度目から逆打ちをなさる方もいるでしょう。ですから、逆打ちに不安をおもちいただくことはありません。
もしかしたら、これが最初で最後のお遍路になるかもしれない人が、お大師さんとすれちがうことを求めて閏年の逆打ちをするかもしれません。そういった可能性を考えない、「ベテランがするもの』という物言いにはうさんくさいものを感じます。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/08(木) 18:59
No:4454
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Title: Re:逆打ち
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ご回答、ありがとうございます。 本などを読んでいると「逆打ちはせめて3度以上順打ちをしてから・・・」という言葉がありましたので、ちょっとびびっていたんです。
あと映画「死国」の影響もあってか、逆打ちは何だか怖いという偏見がありました。 でもあれって作り話、迷信なんですね。
それでは1番〜3番を先に回ってから88番へ行って逆打ちすることにします。 ありがとうございました。
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Name: 勝運寺 山主
Date: 2011/09/09(金) 05:15
No:4455
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Title: Re:逆打ち
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hotoke 様 遍路について基本的なことはお判りかと思いますが、まがりなりにも遍路も遍路行と言う修行です。順打ち、逆打ちには意味があります。 逆打ちの始まりの衛門三郎の話を載せておきます。
天長年間の頃の話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし(つかんで地面にたたきつけたとするものもあり)、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。
三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。
三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。
翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/10(土) 04:54
No:4456
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Title: Re:逆打ち
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勝運寺山主様
衛門三郎のお話、ありがとうございます。 衛門三郎については本などで読んだことがあります。 うちの先祖も伊予三島の庄家でお大師さんを信仰していた家です。 お遍路を2度も体験できるのはご先祖様が与えて下さったご縁でしょう。
追加の質問で申し訳ありませんが、巡礼には別格や番外巡礼というものがあります。 そもそも番外にはどのような意味があるのでしょうか?
88番や33番からもれてしまった札所なのでしょうか?
また別格や番外も逆打ちしたってよいものなのですよね?
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/11(日) 14:53
No:4459
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Title: Re:逆打ち
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別格や番外が発生した理由は、よくわかりません。 わりあい確からしいものとして、観音霊場は西国三十三箇所・坂東三十三箇所なのであわせて百観音になるように秩父が三十四になったといわれています。
巡礼者を受け入れることが社寺や門前町の世俗的利益になったという点はどうしても否めませんから、各霊場の参拝者を呼び込むために、本寺すじ(四国八十八個所に対する高野山)や著名寺院(坂東三十三箇所に対する善光寺)が繰り入れられたということでしょう。もちろん、より優れた功徳を得るために著名な社寺にも縁を結んで区切りとしようという巡礼者の心情もあったはずです。
四国と高野山については、巡礼の安全を祈願するという意味で最初に参拝し、巡礼が無事に終わったことに感謝する意味で最後にも参拝する、ということもありではないでしょうか。私が比叡山で修行したときも、修行の満行を祈るために比叡山中を参拝して歩き、満行してから感謝のためにもう一度歩きました。 数字にこだわることもそれはそれでおもしろいのですが、だからといってこだわりすぎることもないというのが私の考えかたです。
※
秩父三十四箇所に関する余談ですが、ここは札所の順番に参拝することが少なかったそうです。 その理由は極めて現実的で、最も参拝者の多い江戸から秩父に向かう道筋(現在の西武秩父線)に一番札所がなかったので、大多数の巡礼者が便利な(数字でいうと)途中の札所から巡礼を始めていたからだそうです。ちなみに秩父の一番札所は熊谷(中山道)から秩父に向かう道筋(現在の秩父鉄道)にあります。
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Name: hotoke
Date: 2011/09/11(日) 16:13
No:4460
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Title: Re:逆打ち
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天台沙門様
ご丁寧なご回答ありがとうございます。 四国巡礼ですと88ヶ所と別格20ヵ所をあわせて108の煩悩・・・というようなことが本に書かれていたような気がします。 ならば108の煩悩を周るのも功徳になりますね。
我が家の場合は近所に東寺がありますので、最初に東寺で道中安全祈願をしてから四国に向かいます。 そして巡礼が終わった後は高野山に向かい、お礼参りをします。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/15(木) 23:17
No:4466
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Title: Re:逆打ち
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どうぞ、お気をつけていってらっしゃいませ。
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Name: 23歳男性
Date: 2011/09/13(火) 17:00
No:4462
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Title: 日蓮聖人の教え
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はじめまして。 私は18歳の時に専門学校のクラスメイトである創価学会に折伏されました。 その後も「身延山の日蓮宗の教えは間違っている。池田先生の教えが絶対に正しいんだ」としつこいのです。
私も実は仏教に造詣が深く、実家の菩提寺は天台宗です。 法華経を中心に据えていることは共通点なのですが、「南無妙法蓮華経」を唱えることにより、大宇宙と同化し、己の仏性が引き起こされる日蓮聖人の教えには惹かれました。 私も南無妙法蓮華経を唱え、自分の仏性を引き起こし、大宇宙と一体化して、不幸ばかりが続く今の境遇を変えたいのです。 しかしその功徳のためには、他の宗教の教え、それにまつわる祭りも邪教、間違った教えだと思わなくてはなりません。 私も功徳は得たいし、仏の教えは素晴らしいですし、研究したいです。 しかし他の宗教を罵ってまで、否定してまで功徳をえたくありません。
私は趣味は寺社仏閣・パワースポットめぐりで、先々の聖地や寺社仏閣に赴くたびにそこの神仏に敬意を払い、心から敬い、拝むのを礼儀としています。 旅先・故郷・居住地の土着の神を敬い、拝むことでパワーを分けてもらっていると信じています。 加えて私の親戚にキリスト教徒がおり、無毛な宗教争いで親族の和を乱したくありません。
しかし創価学会では幸せになる条件として日蓮聖人以外の教えを謗法と考えねばなりません。 これまでの信仰は幸せの代価にすぎないのでしょうか? 幸せとは他宗や他教を排斥しなければえれないものなのでしょうか? また、創価学会についてもあまりいい噂を聞きはしません。 「創価学会の信心を始めて、残業もなくなり給与も増えた」 と信心の体験談を耳にしますが、どうも生理的に胡散臭いと感じせざるを得ません。 財務の件にしても公明党の選挙にしても到底自分の支持できるものではありません。 日蓮聖人の教えは素晴らしいのですが折伏など他の宗教を否定、批判し無理にほかの人を無理やり引き込んでまではしたくありません。
日本の神やキリスト教の神にも敬意を払い、諸仏を信仰して法華経を学び、その功徳にあやかるのは仏陀の説く「極端に走る」「人の存在を否定するような行動をしてはならない」「人は互いに敬愛し、施しあわねばならない」(いずれも無量寿経からの引用です)にかなっているのでしょうか? それとも単に虫が良すぎる話でしょうか? 幸せになるためには他の教えをバカにしたり、敬意を払うななど私にはできません。 そのような人間は幸せに離れないし、功徳も仏性もあったものではないのでしょうか? 南無妙法蓮華経を唱え、信仰したら最後、ほかの宗教に対して批判的にならなくてはならないのでしょうか? 私は他の教えを尊重しつつ、法華経を学び自分の仏性を引き起こしたいのです。 それにはどうしたらいかがでしょう?
よろしくお願いします。
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Name: 早紀
Date: 2011/09/14(水) 01:50
No:4463
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Title: Re:日蓮聖人の教え
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はじめまして。私はお坊さんではありませんが、少し体験をお話したくて口出しさせて頂きますね。私は曹洞宗の檀家から日蓮宗の檀家へ嫁いだ者です。 第一印象は、なんてお金のかかる宗派なんだろうでした。 次に、これは私の理解不足だと思うのですが、自分が苦行をしないと幸せになれないような印象をうけました。
学会については、信心している幼なじみが、熱心になる毎に、夫の不倫から離婚、親御さんの会社倒産、自身の難病等に悩まされています。本人いわく毒だしだそうですが、どれだけ溜めているのでしょう…(苦笑)
以上の点から一くくりにするのも微妙ですが日蓮宗、学会は信心する気になれません。
今、私は現世利益の仏様を信心しています。
が、一般人の考え方として、東京〜大阪に行く方法が沢山あるように、また、移動の度に手段を変えるように捉えるなら、目的地がはっきりしているならパワースポットも含め宗派はこだわらなくてもいいかと思います。 素人の長文失礼致します。
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Name: 宥心
Date: 2011/09/14(水) 17:19
No:4464
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Title: Re:日蓮聖人の教え
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貴方は貴方の信じるやり方で、神仏との御縁を大切になされたら宜しいかと思いますよ。 何をもって『幸せ』とするかは人それぞれですが、幸せは何かを信仰したから与えられるというものではなく、例えば毎日おいしいご飯を食べられる事、1日怪我もなく元気に過ごせた事、大好きな人の笑顔が見れた事…そういう何気ない事を有難いと感じる事が本当の幸せではないでしょうか。 人間は人間だけの都合で生きている訳ではありませんし、様々な生き物や自然の恩恵があってこそ命あるのです。
誰かが偉い、あちらは邪宗…などという狭い視野ではなく、大きな視野で自然や動物に感謝をする。有難いと手を合わせ、今を生かされている事に感謝をする…その感謝の心があってこその幸せなんだと思いますよ(^^)
創価学会の方々は確かに熱心ではあります。 良くも悪くもその姿は、ある意味凄く感心します。
私の周りにもおりますが、自分本人だけ熱心であり、他に強要しないなら、特に個人の自由ですし問題ないと思います。 ただそういう方は稀でしょうから、不快ならそう申されたら宜しいと思いますよ。 ハッキリ断ったからといって誰かが不幸になるなんて事はありませんから(笑)
世の中には様々な宗教があります。 その宗教どれかが悪いのではなく、それを悪いと言ってしまう人の心に問題があるのだと思いますよ。
それを見抜き自分が信じるやり方で神仏との御縁を持てば宜しいかと思います。
ご相談内容とは、少々離れた回答になってしまっているようでしたら、お詫び致しますねm(__)m
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/15(木) 08:54
No:4465
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Title: Re:日蓮聖人の教え(長文です)
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私は、現実社会では某政令指定都市の駅近隣にある檀家寺を預かっております天台を宗とする者です。
結論から先に申し上げますが、「他の教えを尊重しつつ、法華経を学び自分の仏性を引き起こしたい」ならば、創価学会の教義とは離れて一人の法華経信者として生きることを選ぶべきでしょう。そうしなければ、現在の貴方がそうであるように、創価学会の教義そのものが貴方の信仰心における矛盾の原因となり、信仰によって得られるはずの心の平安を失います。 創価学会の内側にあれば、折伏という行為によって世俗の不義理を生じます。創価学会を離れれば、そちらとの不義理を生じます。どちらにせよ、なんらかの不義理は生じるわけで、どちらを選ぶかは貴方ご自身の選択です。
法華経信仰のために家族との葛藤を経験し、最終的には汎宗教的信仰に至った(とおもわれる)宮沢賢治の思想と生涯についてお調べになることが一助になるかと考えます。
※
親鸞さんは「念仏をすれば極楽に往けるのですか?」と問われたときに「私にはわからない。尊敬する法然さんがそうおっしゃったから念仏をしているだけで、もし念仏をして地獄に堕ちても法然さんを恨むこともない」とおっしゃいました。
ペトロさんはローマから逃げる際に、ローマに向かうイエスさんに出会い「どこへ行かれるのですか?」と問います。そして、お師匠が「もう一度、十字架に架けられるためにローマへ」と答えられたので、あえてローマで殉教する道を選ばれました。
お二人とも、尊敬する人の言葉(態度)に従って宗教的態度を選ばれました。その選択の結果が堕地獄であっても殉教であっても、選択は自分自身のものであるとして結果を受け容れているのです。
と、いうことは 尊敬する創価学会の教義が、「幸せになるには日蓮聖人以外の教えを謗法と考え」ねばならないから題目を唱え他宗を排撃するのであって、もしそれで世俗の不義理を生じても創価学会を恨むことこともない。 という気分になってもよいはずです。でも、なにか違和感がありますよね?
※
さて。ご存知の通り『妙法蓮華経』をはじめとする大乗教典は、釈尊その人の教説ではありません。忘れがちなのですが、仏教とはあくまでも釈尊の教えなのです。 誰もが釈尊その人の教えに近づくために、自分ではない誰かの考えかたを手がかり足がかりにしているにすぎません。天台宗は天台智の経典理解に基づく修行の体系を表します。禅宗とは座禅止観に基づく修行の体系を表します。ですから日蓮宗とは日蓮の仏教理解に基づく修行の体系を表しているわけです。
逆説的にいえば、「日蓮宗」という名乗りは「釈尊その人がおっしゃったこと」よりも「日蓮聖人がおっしゃたからこと」を優先しかねない危うい性質を表しているといってよいでしょう、つまり「日蓮が理解した釈尊の言説」ではなく「私(例えば、池田先生)が理解した日蓮の言説」が信仰の関心となり、釈尊その人や日蓮その人から乖離する可能性があるのです。歴史的に日蓮宗の分派活動が盛んなのは偶然とは考えられません。
ですから、近現代に生きる仏教者は歴史上の釈尊の言説をふまえたうえで、伝統的仏教宗派の歴史的仏教理解を批判的に受容したり、近現代の方法論をもって祖師がたの思想・思考を再構築したりしながら、個別の信仰を確立していく必要があります。もちろん、信仰態度として経典一切が真の仏説という点には批判の余地はない、として近代文献学の成果を否定することもできますが、私はこの立場を執りませんし執るべきではないと考えます。
※
貴方の文章から読み取れる(すなわち貴方が理解する)創価学会の教義は、 前提その1:「幸せになる条件」=「日蓮聖人以外の教えを謗法と考える」 前提その2:「日蓮聖人以外の教えを謗法と考える」=「他の宗教を否定・批判し他者を折伏する」 結論:「幸せになる条件」=「他の宗教を否定・批判し他者を折伏する」 という論理構造なのですが、「幸せ」の内容に関する議論が省かれている点から折伏にまつわる問題が発生していると考えてよいでしょう。
「幸せ」が内面的な価値だけを示すなら、それは「他者との関係性」から切り離されて考えてしかるべきです。自分が納得してのことだからそれに伴う不都合は甘んじて受けるというわけで、これは親鸞さんやペトロさんの意識と一致します。また仏教修行における出家や出世間という他者との関係を整理する(執着のもととなりかねない人間関係を必要最小限のものに減らす)行為とも一致します。これらは修行時には他者への働きかけを必要としていません。 しかし「折伏」という行為は、他者への働きかけそのものです。在家信者組織である創価学会が熱心である事実と一致する通り、出家・出世間とは正反対の志向性です。
人にものを勧める際には、その長所と短所をあわせて説明することが俗世の常識となっています。 ですから「信仰面において俗世間と積極的に関わることによって、もしかしたら信仰面での不義理や衝突が生じるが、にもかかわらず我々の信仰によって得られる個人的幸福のほうが豊かなものだから、この信仰を選びましょう」という問いかけが、布教・伝道の際には必要なはずです。 この必要性を創価学会員さんたちが自覚しているかどうかという点に注目すべきと考えます。
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Name: まる子
Date: 2011/08/31(水) 18:00
No:4449
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Title: お位牌
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無知な私に教えて下さい。生前、父がある新興宗教宗教(仏教)を信仰していたんですがその時に作ったお位牌の様な物を処分したいのですが処分方法がわからず困っています。どのようにすればよいのでしょうか。何処かお焚き上げなどをして頂ける機関とかあるのでしょうか。教えて下さい。
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Name: 天台沙門
Date: 2011/09/02(金) 06:06
No:4451
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Title: Re:お位牌
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一番簡便な方法としては、ご近所の神社仏閣で「お焚き上げ」を受け入れてくださるところにお預けしましょう。具体的には、11月の「酉の市」、それから年末年始に前年の飾り物・お札・お守を集めてくださるところです。 もちろん、ご自身がご縁をおもちのお寺(菩提寺)さんに頼むことも可能でしょう。
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Name: た
Date: 2011/08/25(木) 19:42
No:4443
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Title: 無題
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はじめまして。 先日、母が亡くなりました。 何とかお葬式は挙げられましたが貧乏なのでお坊さんを呼べませんでした。 なので戒名も付けられませんでした。可哀想な気もしますが仕方がありません。 戒名が無いとあの世に行った母はどうなるのですか?
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Name: 貝塚
Date: 2011/08/26(金) 00:20
No:4444
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Title: Re:無題
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私の親類は一切戒名は付けません。これは某お寺さんの助言によるもので、生前本人が大切にしてきた名前を、亡くなった後も大切に使わせるのが自然じゃないか、という話しに共感したからです。
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Name: た
Date: 2011/08/26(金) 01:29
No:4445
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Title: Re:無題
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貝塚さま、回答ありがとうございます。 自分も母の名前が好きなので、名前のままでもいいかなとも思います。特に信仰している宗派も無く、お墓も霊園なので名前のままでも問題はありませんが、お坊さんを呼んでお経ぐらいはあげてあげたかったです。 しかし、戒名とお経で50万だなんて、とても無理です。 貧乏な自分を責め、母に詫びることしか出来ません。 情けないです。
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Name: なお
Date: 2011/08/26(金) 06:51
No:4446
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Title: Re:無題
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おやさしいあなたの気持ちは、きっとお母様の魂に届いていると私は思います。供養って人それぞれで 僧侶を何人も呼んで多くの人と賑やかに供養するのも、たった一人でも気持ちを込めて手を合わせるのも 同じ供養だと思います。
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Name: た
Date: 2011/08/28(日) 00:15
No:4448
| 解決
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Title: Re:無題
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貝塚様、水波坊様、色々とありがとうございました。
納骨の時かもっと先になるかは判りませんが、余裕が出来たら、お寺さんに頼み、お経を挙げて頂こうと思っています。
母は今まで苦労してきたのでせめてあの世では楽してほしいと願っております。 人の死ってつらいですね。 母に対してはもっと優しくしてあげれば良かったと後悔ばかりで心が折れそうになります。
色々とありがとうございました。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/13(土) 10:30
No:4421
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Title: お墓にあった白いお位牌
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今日お盆で墓参りに行きました。今まで気付かなかったのですが、親戚のまた親戚の墓に行ったら墓石の下に数年放置された白い木のお位牌があるではありませんか!家族に「よくわからないけど、これってまずいよね!?」と言いましたが、家族全員そのようなことは疎くて誰もわからず、その故人は最終的にはお墓に入っているようです。 どこでどうなってしまってそんなことになったのかわかりません。その代で家系は終わりで関係者も他界したので詳細を知る人はいないそうです。 白いお位牌が出来た後の流れはどのような感じになっておりますでしょうか? お盆時期のお忙しいところ申し訳ございませんが、宜しくお願い致します。
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Name: 一九
Date: 2011/08/15(月) 08:02
No:4423
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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最近この板の返事遅いんですよ。^^ 白木の位牌だと思いますが、お寺で作ってもらって四十九日法要で黒塗りの位牌と入れ替えします。 http://www.shidty.com/sirakiihai/
私の場合白木の位牌は、四十九日のときお寺で引き取って焚きあげをしてもらいました。 他のお寺、他地域のことは知りません。 無縁墓であれば、管理者に伝えてお任せするのがよいと思います。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/15(月) 12:33
No:4424
| 解決
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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再び一九様、お忙しいところ申し訳ございません、返信ありがとうございましたm(_ _)m !ということは四十九日法要をやっていないかもしれないのですね。 色々お墓の管理のお寺に確認してみます、どうもありがとうございました(^-^)
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Name: 天台沙門
Date: 2011/08/18(木) 10:50
No:4434
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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「解決」扱いになっていますが。
これは「野位牌」と称される風習と考えられます。かつて土葬が一般的であったとき、墓石や角塔婆を建立するまでの間、白木の位牌を墓標としていた習俗の名残です。
現在でも、通夜葬儀時に大小二種類の白木の位牌を用意することがあります。大きい方を祭壇に、小さい方を会葬者焼香台に、それぞれ安置する使い分けになっていますが、小さい方が「野位牌」です。 野位牌は納骨時に一緒に埋納したり、納骨時期と関わらず葬儀が終わると墓所に安置して四十九日に回収したり、略式であっても墓標であるのでそのままにしておいたりするようです。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/18(木) 11:18
No:4436
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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天台沙門様 ご回答ありがとうございました!それは知らなかったです、お勉強になりました! ただ気になりましたのが、「置いてある」よりも「捨ててある」感の方が強かったものでして(((・・;) 雨さらしになっていてもう腐食が進みかけておりますが、(ちょっと不気味な感じデス)親戚が野位牌としておいたのであれば、位牌がズタボロになるまで置いておくものなのでしょうか? 見切りをつけて墓地の管理寺さんに持って行った方がよいのでしょうか? お忙しいところ申し訳ありませんm(_ _)m
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Name: つき
Date: 2011/08/18(木) 21:50
No:4438
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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私の地域では、天台沙門様も仰ってますが、野位牌は土葬であった時の名残で本来は朽ちて土にかえる迄置いておくそうです。 今はお墓自体が全部石で出来ている所が多く、土にかえす事も長い時間がかかり難しいので、もし粗末にしていると思われるようなら菩提寺のご住職様に相談なさった方がいいと思います。
墓地の管理寺さんが菩提寺であれば問題ありませんが、違うのであれば寺によって考え方ややり方が違うかも知れませんので、注意が必要だと思います。
何にせよ、ここでの意見だけを聞いて決断せず、参考にして最終的には菩提寺にご相談されるのが良いと思います。
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Name: 30歳
Date: 2011/08/19(金) 07:59
No:4439
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Title: Re:お墓にあった白いお位牌
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つき様、ご回答ありがとうございました! そうだったのですね、さらにお勉強になりました。 そこの霊園は畑のど真ん中で色んなお寺さんが入っているところでした。 お寺さんに問い合わせてみますm(_ _)m
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