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平野杳のYOO気にUP画像「二人静」

花〜動物〜風景〜おいしいもの〜人ひとヒト〜
まだまだつながる画像ネット
つないでつないで♪

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画像をクリックしていただきますと、ワイドになりまする(__)

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▼ 朝の空 秋の空!  ..yoo    [RES]
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仕事の途中、息抜きにベランダに出てみたらば、おおー空一面が秋の空。風もすこぶる気持ち良かったです よーし、仕事するぞ!
  ..2013/08/28(水) 09:22  No.466


▼ バッタの脱皮  ..yoo    [RES]
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「但馬の紺屋を学ぶ会」でお世話になっている瀬崎彊氏から、なんと、バッタの脱皮を撮った画像を送っていただきました。めったに出会えない場面です。メールとともに、紹介させてもらいます。ご一緒に驚いてください♪



4,5日前、
木蓮の緑の葉の裏で、バッタが脱皮をしている場面を発見しました。
透き通った緑の体が段々と色濃くなっていく場面。
あの細く長い触角も見事に、元の細い鞘から抜け出てきました。
小さく折りたたまれた透明な下羽根が大きく開いていく。
1時間程度の短時間に、大仕事を終え、足早にどこかへ
去っていきました。なかなか神秘的なものでした。
  ..2013/07/24(水) 11:59  No.464
 Re:バッタの脱皮  ..YOO   
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続きです。透明な生命……息をのんで眺めてしまう…
  ..2013/07/24(水) 12:02  No.465


▼ 7月〜8月の催し案内♪  ..yoo    [RES]
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天然の藍を金・銀と重ねる仕事を続ける松永優さんの個展が大阪で開かれます。

♦松永優 藍染色展♦ 
とき…2013年7月3日(水)〜7月15日(月) AM12:00〜PM6:30(最終日はPM5:00まで)
ところ…スペース ふうら 大阪市東成区深江北3-4-11

♦7月14日(日)午後3時から、松永さんのトークタイム
「歩く人たち・古代への想い」。作品のすばらしさは言うまでもありませんが、松永さんの語りもまた味わい深いんです。楽しく語り合ってください♪

画像は 金銀箔藍染「それぞれの記録」です。
  ..2013/07/02(火) 22:56  No.457
 Re:7月〜8月の催し案内♪  ..YOO   
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スペース ふうら へのアクセスです。

いい時間を共に過ごせることでしょうね、きっと♪
  ..2013/07/02(火) 23:07  No.458
 Re:7月〜8月の催し案内♪  ..YOO   
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MINJAさんの個展の案内です。温かい色と素朴な形の組み合わせで夢幻の世界を創る作家さん。音楽が聞こえてきます…
  ..2013/07/07(日) 10:32  No.459
 Re:7月〜8月の催し案内♪  ..YOO   
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Gほりかわさんへのアクセスです♪
  ..2013/07/07(日) 10:34  No.460
 Re:7月〜8月の催し案内♪  ..YOO   
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イタリアのファエンツァ在住の岡井美穂氏の個展です。
かの地にどっしりと腰を据え、土を捏ね、素朴さの中にユーモアと少しの怖さを練り上げた≪Mihoワールド≫の作品たちは、一度出会えば忘れられない味わい。

お出かけください。
  ..2013/07/08(月) 13:22  No.461
 Re:7月〜8月の催し案内♪  ..YOO   
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社団法人全国日本学士学会 2013年公開シンポジウム
「東日本大震災後の復興の今を語る」

開催日時 2013年7月20日(土) 13時ー17時30分
開催場所 京都大学文学部第3講義室(京都市左京区吉田本町本部構内時計台北)
問い合わせ(申込先) 社団法人全国学士会事務局(п@075-724-6500)

この2年半、さまざまな現場で被災の現実に向き合ってきた人たちと、国の考えとのずれを、さまざまな分野のパネリストと語り合う、良心の企画です。

どうぞ、お時間のゆるすお方は、お運びください!
  ..2013/07/11(木) 10:42  No.462
 Re:7月〜8月の催し案内♪  ..YOO   
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読みにくくてすみません。

「森は海の恋人緊急支援の会」代表・京都大学名誉教授の
田中克氏の書かれた案内です。
  ..2013/07/11(木) 11:03  No.463


▼ やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..平野 杳    [RES]
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名前と話には聞いていたのですが、やませ、に逢うのは初めて。聞きしに勝る強い風です。凶作風、餓死風、とも言うんだそうですね。吹き荒れる音もまたすさまじいものです。石巻から福島の小高(おだか)まで、梅雨に入ったばかりの東北の地を歩いて来ました。
雨の中、石巻に、鯉のぼりが泳いでいました。やませの風をいっぱいにはらんで泳ぐって、「負けないぞ!」という東北人魂そのもの。
  ..2013/06/01(土) 05:51  No.445
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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瓦礫の山はほとんどなくなりました。石巻港にできた日本一大きい瓦礫処理場で焼却されているんだそうです。
(瓦礫を埋めてふかふかのマウンドをつくり、その上に潜在自生植生…その土地にもともと生えていた木…を植樹し、森の防波堤をつくるやりかたは、ここではかなわなかったんだな、と、その処理場のあかりを眺めながら思いました)

見渡す限り野原(更地?)になってしまった中に、ポツンと残る家があります。「一家全部死んで、解体届けが出せない家が残っているんです」と、石巻救援センターの阿部さん。
  ..2013/06/01(土) 06:10  No.446
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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大川小学校の校舎です。生徒を運動場に集めて避難する前に津波がきました。校舎の裏山の山肌に叩きつけられた子は、そこでひっかかって一命をとりとめましたが…
  ..2013/06/01(土) 06:17  No.447
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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まだ、遺体がみつかっていない生徒さんもいるのだそうです。
  ..2013/06/01(土) 06:20  No.448
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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コンクリートを倒す津波の痕の前に立ちました
  ..2013/06/01(土) 06:29  No.449
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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学校の前の道路を絶え間なくトラック、ダンプカーが走り過ぎます。
道の向こうを流れる川には、蜆とりの船が行き交っていたのですが、その船も流されてしまいました。べっこうしじみ、がとれるんだそうです。
この辺りの田圃が水田によみがえるのは何年先なんでしょうね…
  ..2013/06/01(土) 07:02  No.450
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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解体されるかもしれない、と言われていた石ノ森章太郎漫画記念館が再開。この、まあるい建物、残って欲しいな、と願っていました。
  ..2013/06/01(土) 07:05  No.451
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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女川町は、原発の町。平成の市町村合併のおり、この町は町民一人あたり40万円の貯蓄があり、ほかの町は逆に40万円のマイナスだったため、女川町だけは合併しませんでした。なので、地図上でも石巻市の中にこの町だけが独立しています。この町にも、やませは同じ強さで吹き荒れていました。

この写真は、町の高台にある病院の敷地から、下を眺めたものです。
  ..2013/06/01(土) 13:08  No.452
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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高台の病院から見えた、倒壊した建物の傍に降りてきました。右手上に見えるのが病院です。あの病院の1階の駐車場まで、津波は上がっていきました。
  ..2013/06/01(土) 13:13  No.453
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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ここに、阿部さんの叔母さんの家がありました。津波が引いたあと、大きな穴があいていたんだそうです。渦を巻きながら土をえぐりとっていく。叔母さんの一家はまだ行方がわからず、「太平洋にもっていかれたんだと思います」と。

ここに駅もありました。駅舎はなくなり、列車は遠い左手の奥にある山裾の、お寺の屋根の上に乗っていました。
  ..2013/06/01(土) 13:23  No.454
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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阿部さんの車で石巻から女川に、海沿いの山道を走る途中の山あいにも、仮設住宅があります。でも、一人の死者もなく、みなさん、山の上にあるお寺に避難されました。
「チリの地震の津波のとき、僕は小学校4年生だったんです。おじいさんに連れられ山に逃げた。海の水が引いたら、津波が来ると、知ってますからね」

仮設住宅は石巻市に140箇所あります。住まう期間は最初2年間だったのが、3年間に延びました。3年でも、足りないんじゃないでしょうかねえ…

夜、地酒を呑み、ここでとれた魚やわかめを味わわせてもらったんですが、奥さんを亡くして一人暮らしをしておられる某さんが、
「仮設ったって、住んでたら自分の家だろうに。周りの草ぐらい自分で取れっちうの。草ぼうぼうだもの。ボランティアが草取りしてんだよ。物資をもらう時だけ出てきてさ」
と、身内を叱るように言っておられたのが、耳の底に残っています。
  ..2013/06/01(土) 13:45  No.455
 Re:やませの吹き荒れる石巻から福島へ  ..YOO   
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石巻から国道6号線を西に下って浪江町で、通行許可書のない車はそこから先には行けませんでした。この写真は、小高町で撮りました。

田圃の中にはひっくり返ったままの車がそのままにあり、地盤沈下なのか海水が一面に広がっています。学校の校庭には草がのび、青い実をつけた果樹園も草がぼうぼう、道路にも人家の庭にも人の気配がないのに、信号は赤から青に、青から赤に、きちんと変わっているのが不気味です。

海岸沿いを走って、改めて「東北」ではなく、「東日本」を襲った震災・津波なんだと実感します。どこまでもどこまでも、崩れてしまっているのですから。

「いらぶらず(苛々せず)、おこらず、いつも おはようございます、だ」
石巻で出会った某さんに教えてもらった、石巻の生き方。やませ。強いな……
  ..2013/06/01(土) 14:15  No.456


▼ 目を洗われる日本海の風景です!  ..平野 杳    [RES]
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「但馬の紺屋を守る会」の代表幹事をなさっている瀬崎彊氏から、寝ぼけ眼を一瞬にして目覚めさせてもらえる写真を送っていただきました。みなさんもどうぞご一緒に、日本海の初夏の風景を楽しんでください。

きゅっと縮まっていた心が、一気に開放されます…
  ..2013/04/29(月) 09:21  No.442
 Re:目を洗われる日本海の風景です!  ..YOO   
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お人柄のうかがわれるお便りも添えさせてもらいますね。


餘部橋梁の東にある鎧集落にある12社神社見学の際に
漁港に鯉のぼり(約90匹)を設置している場面に遭遇しました。
設置作業終了後のおっさん連中の一服写真ほか
設置完了の写真を添付しますのでご笑覧ください。
40年くらい前まで、漁港から鎧駅まで獲ってきた魚を
運搬するケーブルカーが設置されていた跡も見学しました。
車道が整備されていない時代、高低差約40m、急峻な
細道を人力で運び上げる作業は非常に過酷なものだった
と聞かされています。
この重労働を解消したこの施設は、当時の近代化施設
と言うべきものです。

しかししかし、湾の上を泳ぐ鯉のぼりって、雄大……




  ..2013/04/29(月) 09:38  No.443
 Re:目を洗われる日本海の風景です!  ..YOO   
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この鯉のぼり、たくさんの方に眺めてもらいたい!!!

見に来てくださいよ〜〜!!!

って、声をからして呼びかけます、私♪

心優しい海のおっさんたちに両手いっぱいのありがとうを、

そして、瀬崎彊さまに、両手いっぱいの感謝を

申し上げます。
  ..2013/04/29(月) 09:48  No.444


▼ 遅ればせながら『瀬崎晴夫をたどる会 通信』2号 発行の報告です  ..平野 杳    [RES]
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新しい年が明けて3月が過ぎ、ようやく報告をwebにアップというのは、あまりにも遅い仕事。通信を支えてくださっている皆さんに申し訳ないな、と反省しています。

おかげさまで、創刊号をはるかに超える充実した内容の通信が出来上がりました。

新企画を3つ立ち上げました。

@シャスティンさん(晴夫さんの長年の友人です)に、ご家族と晴夫さんとのおつきあいや晴夫さんの作品などについて書いていただく。
A瀬崎彊さんに、藍染と紺屋のことなどを書いていただく。
B潮崎誠さんに、久田谷という土地の歴史を書いていただく。


その上で、2号のテーマは、「1953年の瀬崎晴夫」としました。

1953年(昭和28年)は、画家・瀬崎晴夫にとって人生のひとつの転機の年であったように思われます。

1月、ストックホルムのギャルリーモデルヌで催した個展に国王と王妃が来場、親しくお褒めの言葉を賜ります。この個展の成功をバネに、日本でも郷里の豊岡で個展を開催。わずか5点の出品ではありましたが、パリよりももっと遠い北欧の地に足をふんばって絵を描き続けている彼の個展は評判を呼び、新聞にも写真入りで取り上げられました。

5月16日から7月10日までフランスからスペインを旅し、彼は戦後初めてパリを訪れます。パリの下町、ムートン デュベルネには鈴木龍一とマダムマドレーヌ(通称 マドさん)が戦前とおなじアパートに暮らし、自分の絵を描き続けていました。
街のカフエで夜更けまで話し込み、昔話をした、その同じ年に、晴夫はスウェーデン国籍をとっています。
骨を埋める地を、日本でもフランスでもなくスウェーデンに決めたのでしょうか?

そうした疑問に答えを出すのではなく、こういうことがあった年なんです、と、読者のみなさんに語っていきました。

1953年の豊岡での個展を、当時豊岡高校の3年生の若者の目でご覧になった北村正二さんには、個展の印象と晴夫さんの作品の色などについて語っていただきました。北村さんは国画会の先達・須田剋太の薫陶をうけ、「但馬の緑の詩人」と評される仕事を展開しておられます。


今回も翻訳をお願いした金澤佑季子先生には、翻訳だけでなく、編集にも貴重なアドバイスをいただきました。
どうも私はいろんなことを盛り込み過ぎるようでして、先生のおかげで通信全体がすっきりと無駄なく、粋に仕上がりました。

みなさんに、両手いっぱいの感謝を申し上げつつ、読者のみなさんに読んでくださったお礼をここであらためて申し上げます。



2号の表紙を紹介しますね。
「花咲ける果樹園」(櫻桃) 1951年の作品です。
  ..2013/03/09(土) 14:18  No.441








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