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彩遊紀コミュニケーション

“彩遊紀コミュニケーション”掲示板が新しくなりました。掲示板への投稿は、自由にしました。
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 [1011]   彩遊紀の紀   .. 2025/06/21(土) 15:37 
◆ 安芸の宮島は海の中ではありませんでした
[返信
皆さん今晩は、彩遊紀の紀です。
安芸の宮島の赤い大鳥居は海の中ではありませんでした。海の中に立つ大鳥居のスケッチを一週一絵として描きたいと思っていましたが、大鳥居はなんと砂浜に立っていました。「えっ、これって何」でした。今年私は自分のテーマとして、教科書で習ったことの現実を見たり、習った小説をちゃんと読んでみたいと思っています。だから今回の安芸の宮島も教科書に出ているあの海の中に立つ赤い大鳥居だと思っていました。でも現実は干潮の時はただの遠浅の砂浜に立っている赤い鳥居でした。それで気が付きました。昔これを建立した時もわざわざ海の中に建てたのではなく、干潮時に砂浜に建て、でもそれは満潮時には海の中に立つこととなったのだと。「えっ、これって何」と思ったものにもう一つあります。エジプトのピラミッドです。エジプトに着き街をバスで通っていたら、突然目の前にピラミッドが現れました。「えっ、これって何」、写真で見るピラミッドは砂漠の真ん中に立っており、それが現実と思っていました。でもピラミッドは現実には街のはずれの砂漠との境に立っていて、写真は砂漠側から砂漠を前に撮っていたのです。このようなことは現実の現場に立ってみないとわからないことでした。もう一つの「えっ、これって何」はピカソの「ゲルニカ」の現実です。スペインに旅行に行った時、よく教科書に出てくるピカソのあの大作「ゲルニカ」の本物を見ました。学校ではこの「ゲルニカ」をピカソは一日で描き上げた、と習っていました。でもピカソの美術館でみた「ゲルニカ」の周りには、そのゲルニカに描かれている手の握りこぶしや馬の首のスケッチが沢山描かれていました。ピカソはあの大作を描くために「握りこぶし」や「馬の首」を沢山練習していたのでした。決して一日で描いたのではなかったのです。そういう話は教科書にも他の本にも、ネットにも出てきません。現実にあの美術館で「ゲルニカ」の前に立って初めてその現実を理解できました。教科書をそのままうのみにするのではなく、やはり現場に立ち、現実を見る事が必要であることを知りました。

 
 



 [1010]   彩遊紀の紀   .. 2025/06/14(土) 17:24 
◆ 原爆ドーム
[返信
皆さん今晩は、彩遊紀の紀です。
初めて原爆ドームを見ました。テレビ映像では毎年8月6日にこのドームの映像を見ていましたが、実際にこのドームを見るのは初めてで、無言で立つドームを、相生橋からじっと見ていると自然と頭が下がりました。でも原爆ドームは焼けただれているわけでもなく、阿鼻叫喚の音もなく、ただ静かに立っているでけでは、実体験のない私にはあの日の惨状をイメージすることはできません。あの惨状を実体験した人も少なくなりました。いくら学校で教育しても理念としての「反原爆」を言う人も本当に「あんなものはいやだ」と思っているのかわかりません。だから「反原爆」が社会党系と共産党系に分かれて、悲惨な原爆をやめようというより政治的なイデオロギー論争で反対しているだけになってしまっています。第二の定年後私としては教科書で学んだことを実体験したり、教科書に出てきた小説を実際に読んだり、絵を実際に見たりしたいと思って、今回もこのドームを見に来たのですが、ドームの前でアイスクリームを片手にキャッキャッと騒ぐ女子中学生やピースをして原爆デームを背景に記念としてスマホ写真を撮る人たちだけで、頭(こうべ)を垂れる人は見かけませんでした。実体験とは難しいものです。

 
 



 [1009]   彩遊紀の紀   .. 2025/06/07(土) 11:34 
◆ オーバーツーリズム
[返信
皆さん今晩は、彩遊紀の紀です。
先日の広島、出雲旅行では観光客、私たちもその一人ですが、の多さに驚きました。特に中国語、韓国語、ドイツ語など外国語の嵐で、インバウンド観光を感じました。特に出雲大社では私が観光客とちょっと離れて空いたベンチに座り、静かに大社の荘厳さに浸っていたら、韓国の女性三人連れが隣に座り、甲高い大声で早口に「オムニー、〇×☆〇▽・・・・、スミダー」とやりだして、私の静寂は破られて、そのベンチを立ち上がって逃げました。韓国人にとっては出雲大社には興味はなく、ただ単に日本観光の通過点の一つに過ぎなかったのでしょう。オーバーツーリズムを感じました。でも私も出雲大社から見れば一観光客でしょう。昔、30年ほど前に海外旅行によく行きましたが、20人くらいの外国人がガイドに連れられて向こうから見ればわけのわからない日本語を話しながら、お土産屋さんで爆買いをしていたので、現地の人から見ればやはりオーバーツーリズムで顰蹙ものだったのではないでしょうか。ペルーではバスが着くとどこからともなく現れる民族衣装の人達にカメラを向け、お土産を次々と買う観光客はいいお客様なのでしょうが、民族衣装の子供達の写真を撮りたくて、1ドルの手製のミサンガを買い、写真を撮ろうとしたら、その子に「写真は別に1ドル」と言われ、そのしたたかさに驚きましたが、現地の人を観光対象としてしか見ていなかった自分を反省しました。またお友達のお母さんがフランスに行った時にお友達から、まだその当時日本では高級品であまり売っていなかったヴィトンのバッグを買ってきてと言われ、現地で「なんでもいからヴィトン三つ!」と言って買ってきたという話を聞いて、今自分たちがオーバーツーリズムと言っていることを30年前の日本人も海外でそうだったのだなと思いました。

 
 



 [1008]   彩遊紀の紀   .. 2025/05/31(土) 14:20 
◆ 足立美術館
[返信
皆さん今晩は、彩遊紀の紀です。
足立美術館で横山大観の展示会をやっているというテレビの報番組を見て、ちょうど足立美術館を含む山陰地方に行くツアーを見つけて行ってきました。足立美術館の庭は「日本一の庭園」と言われて期待していました。確かにきれい。でも期待したほどの「あっ、すご〜い」というほどの感激がありませんでした。どうしてなのだろうかと考えましたが、きれいに整い過ぎているのかなと思いました。あのイギリスのお城の庭の整備され、きれいに整った感じを受けました。何か少し崩れたところがあった方がいい、それは日本的な「わびさび」なのか、それとも違う何か崩れたところがってもいいのかなと思いました。そういうのは私の感覚であって、こういう庭園がいいという人の方が多いのかもしれませんね。

 
 



 [1007]   彩遊紀の紀   .. 2025/05/24(土) 13:26 
◆ 写楽
[返信
皆さん今晩は、彩遊紀の紀です。
蔦重展を見てきました。テレビで見た蔦重の最初の出版物である「吉原細見」の本物を見られたのはうれしかったです。本物の大きさの、現代で言えば手帳の大きさで、これなら吉原を持ち歩いていけるなと実感しました。しかもその細かさ。こんなに細かく木版を彫ることがいかに難しかったか、それを何ページもある印刷物として沢山刷ることがいかに大変だったのではないかを実感しました。もう一つ感激したのは写楽の役者絵です。歌麿や鳥居清長など多くの作家の女性の絵がありますが、みんなうりざね顔で目は細く、口はおちょぼ口で、誰の作なのかちょっと見には判別がつきにくい所がありますが、写楽の役者絵は一目瞭然、ある役者は目が吊り上がり、口はへの時で、そしてまた別の役者はぼーっとした顔立ちの優しそうな目と、それぞれの役者の特徴をとらえた、ある意味、似顔絵ですが、絵の作品としては魅力のある素晴らしい絵です。私もよく歌舞伎の絵を描きますが、そういう意味では役者の特徴をとらえた魅力のある絵になっていないなと反省でした。写楽の本物を見られたから感じたことなのかもしれません。写楽の本物、吉原細見の本物を見られたのはうれしかったです。今私は時間的余裕ができて「本物を見たい」「本物を読みたい」「本当の現場に立ちたい」と言う気持ちでいます。いままで学校で、教科書でならったが、その本物に触れたり、読んだりしたことは少ないです。「祇園精舎の鐘の声・・」も最初だけ、「春は曙・・・」も最初だけ、でも以前芭蕉の「奥の細道」を全文読んで、「あゝ、こういう場で詠んだ俳句だったのか」と知りました。絵でも海外旅行をしてピカソの「ゲルニカ」を見て、そこに展示されていた作品だけでなく、馬の顔やこぶしなどを何回も沢山描いた下絵を見て、学校で「ピカソはゲルニカを一日で描き上げました」と教わっていたのが嘘だったのだと、認識を新たにしたり、海外旅行でエジプトのピラミッドをの人の身長よりも大きい岩石を実際に見て、いかにそれを作るのが大変だっただろうかと実感したり、トルコ旅行で「ここがボスフォラス海峡です」と添乗員に言われて「あゝここまで来たのだ」とも感激しました。これからそういう生活をしたいなと思います。

 
 








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