| 中村喜代典 ..2010/05/29(土) 15:04 No.1068 |
| | お久しぶりです。 二度と書き込みはしないときめていましたが、広美さんの声を聞きたくておたよりします。信仰の定義は聖書のヘブル人への手紙11:1に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」との定義がありますが、広美さんには何かありますか? 広美さんの盲目になった事故の経緯はきいたことがあります。貴女は御自身の美声で伝道活動をして祝福されていますね。私は独立歩行不可の身障2級の手帳を持つ身ですが、もとのように元気に自然歩行して、癒しの神の祝福を伝えていけたらと、神の祝福を待ち生活しています。つまり、私の信仰とは、「待つことである」となります。もう還暦を超えて、この希望は満たされるのだろうかと心配しながら毎日を生きています。リハビリも新しい公的な場所を見いだし励んでいます。私はイエスの存在を父なる神の人間に対する理想型と認識しています。何をする時にも祈りを伴い、父なる神の助けを期待しています。2000年も経ってしまいましたがイエスの後の聖霊の助けを期待せよ!という教えにも共感しています。「信仰とは・・・である」という言葉は多数あります。苦しむ家族を見ていて、本当に神の助けはあるのか?と心配になります。インターネットで“信仰とは”というキーワードで検察しても546000件も表示されます。
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