++うーたの部屋++
間借り人うーたろーのひとりごと

 

2022. 4. 22. Fri
      合掌
楽しい思い出をたくさんありがとう。 
 
早すぎるとは思うけどきっと 
全速力で駆け貫けた人生だったんだよね。 
 
安らかにおやすみなさい。  
 

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2015. 8. 13. Thu
      偉業達成
Kuma!! ノーヒッターおめでとう!!  
 

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2015. 8. 9. Sun
      そして8月9日
もう一日忘れてはいけない日 
 
1945年8月9日午前11時2分 
 
一瞬の雲の隙間が運命を決した日 
 
長崎上空でさく裂したものは 
 
広島のウラン型原爆と異なる 
 
プルトニウム型のもので 
 
当初は小倉上空がねらわれていて 
 
天候や煙幕が邪魔していなければ 
 
広島の約1.5倍の被害が出ていたと 
 
想定されるほどの破壊力を有し 
 
明らかにその威力を確認するべく 
 
使用された兵器といわれます 
 
 
 
私は過日の記事にも書きましたが 
 
復興後の広島で生まれました 
 
長崎には中学2年の3学期から 
 
中学3年の2学期までの約半年強 
 
生活を営む機会があり 
 
意図せず両方の被爆地を 
 
肌身で感じる機会に恵まれました 
 
その見聞が身体に深く刻まれていて 
 
事あるごとに様々な思いが 
 
脳裏をよぎります 
 
やはり我らの世代が語り継がなければならない 
 
重要な情報だと思います 
 
今日は下記情報にも目を向けてください 
 
長崎市への原子爆弾投下 
 
長崎市 平和・原爆 
  
 

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2015. 8. 6. Thu
      8月6日という日
毎年夏になると心の中で常に浮かぶ日 
 
自分が生まれた街 広島で 
 
忘れてはいけないことがおきた日 
 
1945年8月6日 朝 8時15分 
 
多くの苦しみ悲しみが生まれた時間 
 
 
 
私が広島の地で生まれ育てられた時期は 
 
7歳までなのに 
 
通った公立の幼稚園小学校だけでなく 
 
自身の親や地域の大人から 
 
この日が何の日なのか 
 
しっかりとした教育を受けた記憶があります 
 
 
 
ごく最近観た報道記事で 
 
たいへん驚いたことがありました 
 
広島の小中学生対象のアンケートの結果です 
 
広島に原爆が投下された日を問うアンケート 
 
6割近くの児童生徒が 
 
正確に答えられなかったそうです 
 
 
 
私も戦争を知らない世代です 
 
でも原爆の爪痕を自身の眼でみて育ち 
 
多くの苦しみ悲しみを肌で感じました 
 
次の世代への伝承は私たち世代の 
 
義務なんだな、と痛感しました 
 
 
 
今日ここへ来ていただいた皆様へ 
 
一人の日本人として記憶の伝承を 
 
お手伝いください 
 
ぜひ下記リンク先を訪れてください 
 
広島市への原子爆弾投下 
 
広島平和記念資料館 
 
  
 

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