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お寺ネット:仏事相談室
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[5760]愛猫と私について
..ナトレモ
よろしくお願いします、先月約19年共に過ごした愛猫を見送り、現在は自宅に骨壷と仮位牌(後に本位牌を受け取ります)があります。考えているのは愛猫の今後の想いについてです。

私は天涯孤独な人間で、某信仰宗教の熱心な信者である親族とは縁を切った状態です。
元交際相手のDV・ストーカーを理由に、付き合いを続けていた友人も、離れてしまいました。
現在は心療内科に通院中です。
この19年間、人間関係の色々なトラブルがあった事で、愛猫がどれだけ大切な存在だったか、亡くなった今も強い強い気持ちが残っているのです。

今ある骨壷は四九日に納骨し、今後もお盆や除夜の鐘などの行事も含めて、お参りに足を運びます。

ただ、お寺で供養をお願いしてもらっているのに、私は愛猫に『ずっと一緒だよ』という思いを馳せてしまっております。この思いは間違えでしょうか?虹の橋を渡ったであろう愛猫に、私のそばにいてほしいからと、外出時に本位牌を持ち歩いたりする事は、愛猫を不自由にさせてしまうのでしょうか? 説法をお聞きしたいです、どうぞ宜しくお願いします。
..2023/07/17(月) 09:54

[5761]Re:愛猫と私について
..秀紘
心の支えであった友達がいなくなって淋しいですね。でもご供養もしっかりなさって立派です。猫ちゃんも喜んでいることでしょう。
さて、人であっても猫であっても、生き物の命は有限です。個別の物質的存在の縁が維持出来なくなれば死を迎えて分解されてゆきます。その物質はやがて大自然に同化し、別の存在に変化してゆきます。そして再び宇宙を構成する要素となるのです。
もし肉体とは別に精神性の部分があったとしたらそれは死によって三次元的存在ではなくなり、時空を超えて自由自在です。心の支えであった猫ちゃんもまた然り。貴方の供養の真心を受け止めて喜びつつも自由にお空で遊んでいるでしょう。位牌は気持ちを向けるための媒体でしかありません。貴方の猫ちゃんへの想いを一時的に向ける象徴的存在です。気が済むまで持ち歩いたらよろしいと思いますよ。それで猫ちゃんを束縛したことにはなりません。気が付けば持ち歩かなくとも猫ちゃんに想いを馳せることが出来るようになるでしょう。
..2023/07/19(水) 15:23

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