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Name: ふじ
Date: 2008/07/30(水) 14:52
No:1055
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Title: 新盆について
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教えていただきたいのですが、8月12日に四十九日を迎えるのですが、その場合今年が新盆に当たるのでしょうか?それとも来年に迎えることになるのでしょうか? 仏具屋さんには来年ではないかと言われたましたが、菩提寺の住職には、四十九日が過ぎているので、今年迎えて良いのだと言われました。来年まで待たせるのも、仏様がかわいそうだとも言われました。 親戚の人も、どうするの?と言われ悩んでおります。
アドバイス、ご指導お願いいたします。
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Name: 両願寺 [URL]
Date: 2008/07/30(水) 17:01
No:1057
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Title: Re:新盆について
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悩むことはありません。今年新盆を迎えられてください。菩提寺のご住職様もそのようにお話くださっているのですから安心されてください。
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Name: ふじ
Date: 2008/07/30(水) 18:02
No:1060
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Title: Re:新盆について
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お返事ありがとうございます。菩提寺の住職を疑うわけではないのですが、四十九日を過ぎ浄土へ旅立ちお盆に帰ってくると聞きましたが、うちの場合は8月12日で四十九日を迎えて、13日に新盆。浄土へ行き、また里帰り。行ったり来たりで、仏様は大丈夫なのでしょうか?
一応、8月12日で四十九日なのですが、安心して新盆を迎えて良いとのお話ですが、新盆は迎えて良いのでしょうか?
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Name: 両願寺 [URL]
Date: 2008/07/30(水) 18:32
No:1062
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Title: Re:新盆について
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ご供養は早めに行っても数多く行っても障りのあるものではありません。むしろ、残された人々が集い読経をあげお供え物をして故人を忍び、また、祖霊をお迎えして、子孫の姿をみていただき安心していただくものなのですね。四十九日が盆の前日にすんだからとて、あの世とこの世を気ぜわしく行ったり来たりしたとて、霊魂は文句をいわないと思いますよ。送られて直ぐにご先祖様ともどもご供養されますことに寧ろ嬉しくなるのではないかと、思います。人は生きている間に様々な罪障を重ねます。供養というのはその罪障を残されたもの達もともに浄化していく大切さを説いてます。何回でも読経をあげることは、故人の成仏の力になることなんですね。昨今は様々な事由で供養も短く簡素になってきました。それはそれで致し方ないことでしょうが、人が亡くなったのち魂が成仏するまでの道のりがどんなに大変か、そして魂の成仏がなされるために残されたもの、子孫が仲良く集って供養することが必要であることを少しでも知って欲しいと思います。今年にできるものでしたら、そういう意味で新盆を迎えられても安心ですよ、と申しました。合掌。
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Name: 天台沙門
Date: 2008/07/31(木) 12:06
No:1069
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Title: Re:新盆について
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「浄土へ行き、また里帰り。行ったり来たりで、仏様は大丈夫なのでしょうか?」
大丈夫です。というか、霊魂や神仏は人間が感じ考えている時間や距離の制約からは自由ですから、こちらが心配することはありません。
貴方のお書きになった「浄土」とは「十万億土の彼方にある西方極楽浄土」のことで、「仏様」とは「故人の霊魂」のことと理解しておりますが、そこで逆に質問です。 (1)具体的に、浄土はどこに存在していますか? (2)霊魂……広い意味での神仏ともいえますが、距離と時間の制約をうけますか?
「浄土」が我々の日常的な意味で「遠く」にあって、なおかつ神仏も長い距離の移動に時間がかかるのならば、たしかに1泊2日の行程で浄土までの往復をするのは大変でしょう。
『雨月物語』の『菊花の約』は、遠くにいる友人との約束を果たすために死に、霊魂となって友人に会いに来た男の話です。魂になれば時間も空間も超越できる(正確には一日で千里の移動)というわけです。 阿弥陀如来は、すべての人の臨終にあたって来迎してくださいます。現実問題としては同時に異なる場所で死にゆく人々が存在しますから、阿弥陀如来は異なる場所に同時に迎えに来てくださるわけです。 いずれにせよ霊魂と神仏には存在したいとおもっている場所に存在できる能力があると考えていたほうが我々にとって都合がよいわけです。
ですから、12日の段階で「往生していて欲しい」と願えば極楽にいらっしゃるわけですし、13日に「帰って来て欲しい」と願えば身近にいてくださるというわけです。
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Name: 僧侶
Date: 2008/07/31(木) 14:29
No:1071
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Title: Re:新盆について
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浄土とは清らかな世界を表す言葉です。 あなたの心が清らかであればその場所こそが浄土です。お盆とはお坊さんの修行期間です。その期間中に修行僧に施しをすることが、そのまま功徳となって先祖に届くのです。 仏教の説話はあくまで喩え話しであって、あなたの供養の気持ちこそが仏の行いなのです。あなたが仏の行いをすることが故人の成仏に繋がるのです。 四十九日が云々とかお盆が云々の話ではなく、理屈をすてて素直にご住職のアドバイスを聞き先祖の供養に励むことです。
あなたの疑いの念が故人の迷いをひきおこします。
お盆が云々とか言ったら、七月盆だの八月盆だのという話になり結局答えは出ません。 素直な気持ちでお励みください。
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