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  「死」について

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Name: zimon
Date: 2009/02/20(金) 05:38   No:15128
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Title: 「死」について    
 中3男です。
 昔から死後の世界を考えてしまうのですが色々な人の意見をインターネットで見るたびに最近は無になってしまうのではと思いすごくしんどいです。
 前世とか次世とか信じたいのですが江原さんがいんちきをしたといった報道があって信じにくくなりました。
 臨死体験は体験した人の宗教によって見える世界が違うようなのでこれも信じられなくなりました。
 子供に「お母さんのお腹に来る前はどこにいたの?」と聞くと「空からお母さんが見えたからお母さんを選んだ」というようですが子供が言うことでもあり信じにくいです。
 ここまで読んでくださった方はお分かりでしょうが僕はいつも他人の意見に流されてしまうのです。江原さんの霊視を信じていた頃は今と全く逆で「永遠に生きる」ことが怖かったです。
 僕には両親も祖父母も全員いますが「その人たちが死んで無になるのでは」と思うと辛いこの上ないです。
こ うやって悩んでいても「死んでどうなるかは決まっているのか」と思うと自分がバカらしくていらいらします。
 ですが僕はまだ未熟者なので精神的な支えがないと強く生きていくことが出来ません。
 すごく辛いです。どうか今を真剣に生きれるようにアドバイス下さい。できれば死後の世界こうなると信じれるような意見教えて下さい。お願いします



Name: 風来坊 [URL]
Date: 2009/02/20(金) 10:18   No:15129
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Title: Re:「死」について    
今ここで何かを信じるのではなくて、疑問は疑問のまま、これからの人生の出会いの中で確信を深められたら如何ですか?
私の知る限り、死後世界や輪廻を確信する人たちは、人の言うことを盲信するのではなく、探求と洞察を通して自らの内側で確信しています。
言葉で表現できる世界でもありませんしね。
霊視の世界はほんの一部で、さらにさとりの世界が広がっています。
私たちは想像のできない世界にあって、それが見えないんですよ。
人の生死なんて映画の一コマのようなものです。
それを自分で発見してください。


Name: タツノオトシゴ
Date: 2009/02/20(金) 10:31   No:15130
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Title: お釈迦さまなら答えない    
気持ちは痛いほどわかりましたが、多くの人が長い時間をかけて挑む課題ですね。

お腹に手を当てながら10回位深呼吸し、頭に上りすぎた血と気を下に降ろすように心がけて、自分を落ちつける勇気を持っていただきたい。

死後、無にはならぬようです。
色んな仮説がありますが、宇宙の成長発展のための使命を帯て、大日如来とも呼ばれる宇宙の分身が、生き物として地上で様々な冒険をして学び、肉体の限界が来たら本体に戻るという説が、私は好きです。

> 江原さんの霊視を信じていた頃は今と全く逆で「永遠に生きる」ことが怖かったです。

個人が未来永劫生きるのではなく、この人生の精算は本体である宇宙、大日如来に戻った時点でなされると、私などは考えます。

> 僕には両親も祖父母も全員いますが「その人たちが死んで無になるのでは」と思うと辛いこの上ないです。

分かる範囲で、どんなご先祖がいたか聞いたり、家系図をたどるなどしてみると、心が安定し他人に振り回されにくくなるかも。私はそうでした。

この相談室でたまに紹介される、禅の先生のサイトも参考になるかと思いますが、http://www6.ocn.ne.jp/~aber7/

私の一推しは植物生態学者、宮脇昭さんの「鎮守の森」という本。人間だけが偉いんじゃないと分かります。


Name: 太郎
Date: 2009/02/20(金) 10:37   No:15131
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Title: Re:「死」について    
中学三年かぁ〜。
色々想う年頃だね。まず、死後の世界ですが、私はあると思いますよ。
それこそ、聖徳太子の時代から「仏法僧の三宝を敬え」なんて言葉が残ってる位ですし、「仏」の認識は昔からあったのでしょうね。
現代でもお墓参りは行くでしょう?
もし「無」になるのなら、お墓参りは必要ないでしょう。
「お墓参りは生きている人の為にある」と言われる方もいらっしゃいますが、人間は弱いもので、目で見てそこに無ければ信じない悲しい生き物なんですね。
ですから、先人達が目に見える柄として残しただけです。
本当は必要無いものなんですよ墓や仏閣は。
だけど現代まで残っている意味を考えて下さい。
必要無いものなら淘汰されて無くなるのが世の常。
要らないのに無くならないこの意味をよく考えて下さい。
そうすれば生きる理由と死ぬと言う意味が見えると思います。


Name: おかん
Date: 2009/02/20(金) 11:38   No:15132
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Title: 生死    
「死」と言うものは、それだけが独立して存在するものではなく、「生」があるから「死」が存在します。
と言う事は、「死」を考えるには「生」を切り離して考える事は出来ない、と言う事なのですね。

例えば「死んだら無になる」と考える人は、この人生が全てなのですから、どんな事をしても自分さえ良い思いが出来れば良い、と言う短絡的な考え方になってしまい、全てを自分の都合による損得勘定で計るだけの、何とも浅ましい生き方になってしまう恐れがあります。
反対に「死後は無ではない」と考えれば、少しでも良いところに逝けるように、今のこの人生でどのような生き方をすれば良いのかを考えられるようになります。
そして、それを実行する事によって、自分以外のものをも幸せにする事も出来るのです。

本当に死後があるのか無いのか。
事実がどうなのか・・それは、死者にしか解らない事なのですから「解らない」で良いのです。
ただ、この人生を幸せに生きる為に、どのような考え方をすれば良いか。
その方便として「死後は無ではない」と考えた方が良いのではないでしょうか。

唐末の禅僧、瑞巌寺和尚師巌は毎日自らを「主人公!」と喚び、「人の瞞(まん)を受けること莫(なか)れ」と自戒しておられたとか。

「人の瞞(まん)を受けること莫(なか)れ」とは、「世間を気にしたり、他人の言う事に惑わされたりしないで、しっかりと自分の人生を生きよ!」と言う事です。
その為の参考と言う程度で、色んな情報を得る事は良いですが、振り回されてはいけないように思いますよ。



Name: zimon
Date: 2009/02/20(金) 18:01   No:15137
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Title: Re:生死    
ご返答本当にありがとうございます。
皆さんの暖かい声を聞き、やはり今生きていて嬉しいと思えます。
この悩みはなかなか直らないかもしれませんが少しでも早く「今」を生きれたらいいと思います。


Name: りっく
Date: 2009/02/20(金) 21:43   No:15146
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Title: Re:生死    
初めまして。そして信じてもらえないと思いますし、信じなくてもいいですよ。嘘だと思って読んでくださいね。
私の旦那さんが幽霊が見える人です。旦那さんは普通のサラリーマンで、職場や友人には全く話しません。変だと思われるからです。
(私が友人に話すことはありますが・・・。)

毎日のようにそのことについて話しますが、子供たち二人は全面的にはやはり信じていません。
でも信じてもらおうとは思いません。信じることってその人それぞれの心の問題ですから。
ただ、私は私や旦那さんの話を信じてもらいたいというより、
神様がいらっしゃるということをみんなにもっと信じていただきたいとはおもいます。
(ちなみにうちは宗教してませんよ  ^^;)

死の後は無ではありませんよ。それは本当です。
神様もいらっしゃいます。神様のお仕事は、皆さんがお寺などに参拝されてくると、本当に信心されている方々のおうちを一軒一軒まわられます。そして良い方向に導いてくださいます。
亡くなった方々を上に上げるお仕事もされます。
前世も輪廻転生もあります。地獄も天国もあります。
でもそれを証明しろと言われても科学的にはどうしても証明できるものでもないですから・・・。

う〜ん、結局なにがいいたのかわからない。
ちなみにTVに出てくる霊能者さんたちは、本当のことを少し交えてあとは嘘・・・というパターンが多いようです。(本当に見えている人も嘘を交えてます。)あんまり詳しく書けなくてすみません。
なんだか悲しかったので書いてしまいました。
兎に角それぞれの心の中にあるものだと思いますので・・・。
できればお近くのお寺にでも参拝して神様を感じてほしいなぁ。
では。




Name: nature
Date: 2009/02/20(金) 23:37   No:15154
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Title: Re:生死    
>できれば死後の世界こうなると信じれるような意見教えて

たとえばですが、死後の世界がないとします。今幸せになりたいくはないですか?逆に、死後の世界があるとします。
今、幸せにならなくていいですか?

死後の世界があろうがなかろうが、今幸せになりたくはないでしょうか。

また、仮に死後の世界があるとします。行いの善い人間は天国にいくことでしょう。
行いが善い人間は、基本的に人に好かれたり尊敬されるでしょうから、生きていて「得」する上に死んでも「得」しますね。だったら、結局は「善い行い」をすれば、死後の世界があってもなくても、一番得する生き方となります。

死後の世界があるだろうか、無いのだろうか。
魂はあるのだろうか、無いのだろうか……。
こういった議論は、お釈迦様が生きていた頃から盛んだったそうです。

でも、たとえ死後の世界があろうがなかろうが、魂というものが存在しようがしまいが、「人間は今この瞬間において、幸せになりたい生き物である」ということを、お釈迦様はよく分かっていました。

だから、死後の世界や魂については何も教えなかったのです。
教えたのはただ1つ。いかにいま「幸せ」になるか、「苦しみ」を無くすかです。善い行いをするというのは、方法の1つです。

今を真剣に生きれるようなアドバイス。
それは、「今、幸せになりたくないんですか? 幸せになりたいのだったら、今がんばりましょう」ということかと思います。


Name: りっく
Date: 2009/02/21(土) 11:34   No:15171
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Title: Re:生死    
昨日は時間がなかったので付け加えます。

>「死んでどうなるかは決まっているのか」と思うと自分がバカらしくていらいらします。

死んでどうなるかなど決まっていませんよ。
あなたの今のこの世での行動により決まるんですよ。今後の生き方にも関わってくるかと思いますよ。
ここには修行に来ています。その辺は江原さんのお話と同じなんです。(彼の話がすべて本当だとは言いません。)
修行に来ているのだから多かれ少なかれ、悪いことだって起きるんです。なにもなければ何の成長もありませんから。
人にはそれぞれ、それまでの本人やその先祖などの行いによって
受ける業というものもあります。その大きさはそれぞれ違います。
例えばあなたが借金を踏み倒したらあなた、もしくはあなたの子孫が同じような目に遭うことになります。これが因果応報、業です。
実際にこういうことはあるんですよ。逆に良いことだって返ってきます。遅かれ早かれあなたやあなたの大切な人たちに。
悪いことをした人はこの世で裁かれなくても必ずあの世で裁かれています。それは時効で罪を免れてもです。
(でも先祖が悪いことをしたといって自分の人生が悪いものだと最初から諦める必要はありません。それはまた自分の努力で改善できます。)

さて・・・。

ネガティブな考えは不幸を呼び集めます。
ポシティブは幸福をよびます。
不幸になりたいと思えばそうなってしまいます。
私がそうでしたから・・・。
不幸癖がつくとなかなかポシティブにはなれなくなってしまうので大変です。
今は考えを変えて少しずつ改善してますよ!
それがどうもうまくいかないと思われるのなら参拝してください。
徐々に改善するはずですよ。
良いことが訪れると信じてお互い頑張りましょうね!








Name:
Date: 2009/02/21(土) 16:06   No:15174
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Title: Re:生死    
zimonさまへ


死後の世界の実際は、本当のところは誰にも分かりません。
そのことを認めて生きる勇気も必要だと思います。

ただし、まったく探る手立てがないかというとそんなことはないです。
死後の世界や魂の実在を研究する学問はあります。
「怪しい(自称)研究」ではなく、論理的・科学的方法に沿ったものです。

たとえば、「前世のことが見える」という人がいます。
この時に、
その見えた内容を歴史的事実など実際のことに照らし合わせて、追跡してみて
その発言が事実と合致すれば、
「普通に見えている現実(日常)」と、「見えない世界(前世など)」
の間に何らかのつながりがあることが分かりますね(本で調べて分かるようなことじゃいけませんけどね)。
目に見えないものを論証するには、見えているもの、確認されているもの、現実世界との
整合性を取ることによって、その存在を推測していくしかないです。

こういう調査を綿密にしていった人があります。
こういう方法自体は、普通の科学も基本的には同じことです。
たとえば、学校の数学で方程式を解かれると思いますが、
未知の数字、未知のモノ「X」を解明するのには、Xだけをいくら眺めていても
答えが出ませんね。分かっている部分、数字を操作して、「X」を解きます。

ただし、勘違いする人が多いのですけど、
上の例では、前世の実在を証明したことにはなっていません。
ここで分かるのは、「記憶」が時間と空間を越えて
共有されている「かもしれない」という、その可能性だけです。
だけども、個人的に見えるとか、死後の世界を覚えているという人がいても
それは個人的体験を出ないのですけど、ある程度の客観性を持たせることができるようになります。

この手の死後の世界、死後生についての本は多いのですけど、
ほとんど目に見えない「X」の部分についてだけ述べたもので、
追跡をまともに取っていませんし、ワザと調査報告を都合良く編集したり、
その調査方法もとても甘いものですので、
死後生そのものについての「研究」とは言いがたいものです。
死後生そのものを、第三者に追跡できる形で調査してない本は、
よく読むと、「(命の永遠性を考えることによる)生き甲斐についての仮定」
などと言って、正面から死後生についての研究をした、ということを言及することを避けてあります。
でも、そうしたことを真面目に調査している人もあります。
江原さんは、もしかしたら霊能者かもしれませんが、
あくまでも信じている人向けのお話しです。
聞く人の気持ち一つで、ありがたいものにも、ただの嘘つきにもなってしまいます。
批判ではなくて、証明を念頭に置いてないので、それはしかたありません。


Name:
Date: 2009/02/21(土) 16:07   No:15175
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Title: Re:生死    
笠原敏雄さんという人がいます。
外国の本を日本語に翻訳する仕事をしている人ですけれども、
こういう目に見えない、現代の自然科学からは否定される現象に
興味を持って、そういう本をたくさん翻訳されています。
そして、翻訳者として、また関心を強く持つものとして、
この手の調査について分かりやすく書いてくれています。

http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/

この人の訳した、『前世を記憶するこどもたち』というのは
比較的慎重に調査したものと「言われています」(一般人が、追跡調査できるようなものではありませんので、断定できないのです)。

このサイトの
http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/survival_main.html

↑ここあたりと(各項目をクリックすると詳しく見られます)、

http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/parapsy/for-student2.html

↑このあたりから、読んでみてください。
こっちから読んだ方がいいかもしれませんね。
こっちは、一応、小中学生のために書いたそうですが、
理解できるでしょうかね。
ちょっと難しいようにも思います。
現時点で言えることは、私達が期待するような形かどうかは分かりませんが、
何かしら、現代科学では割り切れない未知の状態があるらしい、
時間と空間を離れて記憶の伝達があるらしい、
このくらいのことは言えるようです。


Name:
Date: 2009/02/21(土) 16:08   No:15176
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Title: Re:生死    
それで・・・ここまで書いておいて、前言をひるがえすようで
申し訳ありませんが・・
私個人的には、中学生の方には、本当は↓こっちを読んで欲しいのです(;^_^A)

『カール・セーガン科学と悪霊を語る』新潮社
カール・セーガン著・青木薫 訳

科学者、故カール・セーガン博士が、
前世とか霊とか、エイリアンクラフトの飛来(いわゆるUFO)とかを
否定する本です。否定する人は基本的に同じ論理ですけど、きちんと自分でそれも理解できるようでないと、自分で考えることができません。絶版ですので、本屋にはありません。

zimonさんが、死後生について、どういう結論を出すか知りませんが、
この手の分野は、お金がもうかれば嘘でも何でも書いちゃう、という世界です。
多くの場合、第三者による検証ができないので、言いっぱなし、信じるか信じないかの問題になってしまいます。嘘っぱちが横行する分野でもあります。あるいは勘違いかもしれません。
「優しい愛の波動が水にうつりました、ほら綺麗な結晶でしょう?」などと言われて
「ふーん、なるほど」と質問も返さずにホイホイと納得されるようでは、若い人がそれではちょっと困ります。
むしろ若いうちは、基礎科学の習得と、だまされない為にも、科学的思考法を研いておくことを勧めたいと思います。
「X」を信じるのではなく、Xを解くように基礎的な方法を
学習する時代ではないですかね。そうすれば、安直に否定できるものではない、ということもわかるようになるかもしれません。
素直なのもほどほどにして、こういう勉強も必要だと思います。
学校の勉強をしっかりしてください^^

なお、宗教的な信仰というのは、内面的な問題、心の問題や生き方の問題としての側面が大きいです。
ですので、死後の世界が実際にどうなっているか、死後の世界があるのか、ないのかなどの事実がどうなのか、という問題とは、必ずしも一致してないです。
また、追求しているとも限りません。
あの世があろうと、なかろうと、「あの世は、ある」、「いや、あの世はない」などと言っても、
結局確実なことは分からないです。
他の考えを明確に否定するほど、確実なことは分かりません。
こんな不明瞭なことにいちいち左右されるのは、
あまり仏教的な(たぶん世界の歴史のある宗教はだいたいこういうことを言うと思います)考え方ではありません。
フラフラと揺れているような生き方という意味では、
どちらもあまり変わらないものです。

今、自分というものがある、その不思議さを感じたり、
自分に至るまでの多くの命や先祖など、
多くのつながり(ご縁)の中に永遠のものを見いだしたり、
感謝したりするのが宗教的なものの見方です。

宇宙があって、地球があって、地球の環境は生命に適していて、
こんなにたくさんの命が生きていて・・・季節の移り変わりがあて自然の営みが、何十億年と続いて、
先祖がいて、そして自分がいる。
考えてみれば、不思議なことです。
こういう事実を、ただの偶然と見るか、その不思議さに何かの必然性(神の意志だとか、宇宙の法則だとか)を見るか、というのは宗教的なものの見方をするかしないかの分け目になります。
宗教は、命やこの世界が存在するということの不思議さの中に、
神の意志だとか、宇宙的法則の働きだとか、何かそういう人知を越えたものを読み取っています。
これは、自分の感想として、自然や存在に対する畏敬や
不思議さを感じるかどうか、という問題です(不思議さを感じるのと感じないのと、どっちが正しいかという問題ではありません)。






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