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  心の狭さ

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Name: みーたん
Date: 2013/06/29(土) 15:58   No:26589
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Title: 心の狭さ    
自分の心の狭さに悩んでいます

以前、こちらで色々な悩みを聞いて頂き、
人のために尽くすように、とのアドバイスを
頂きました

「人のために」とは、どこからどこまでが
人のためなのでしょうか


自分がやった行為が、実際は迷惑だったり
考えが人とずれていたり・・・ということが
多いと、よく言われるので
自分に自信が持てません


「相手のために」とは自己満足に
なりませんか?

「相手のために何かをしてあげた」という
自己満足に・・・

そこの繋がりのアドバイスを頂けたら
また私は少し考え方に広がりが持てる気が
するので、どなたか相談にのって
いただけませんか?















Name: 愛里
Date: 2013/06/29(土) 21:56   No:26590
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Title: Re:心の狭さ    
こんばんは、人のため、相手のため、これは、認識の歪みになります。

自己満足でするのではなく、相手にとって全体にとって各分野にとって一番善良な一番よい手段や方法が相手にとってよいことだと思います。

「人のため」とは自分が生きたいきもちの表れです。

現在体調不良と心臓発作が激しいため、しばらくあとでご相談にのります。



Name: 風来坊
Date: 2013/07/01(月) 06:28   No:26594
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Title: Re:心の狭さ    
愛里さんがまだ書けないようなので、とりあえず一般的なことを書いておきますね。

自己目的があって人のために何かしようとすれば、自己満足になるでしょうね。
それは大抵一時的に相手の気分を良くすることはあっても、人生を見通した相手のためのものではないからです。
自己目的とは「相手によく思われたい」とか「自己顕示」とか「自分の利益」など、自分の欲望に基づいていることです。

人のためというのは相手のエゴのためでも自分のエゴのためでもなく、全体のために自己犠牲を払うことです。
それは誰のためでもないので、いつでも誰に対しても公平で、誰かに肩入れすることはありません。
ですから全体の喜びはありますが、自己満足はありません。
もし自己満足であれば、していることが人のためではなくて、エゴのための偽善だからです。

「人のために尽くす」決意と継続的な熱意があって、その心からにじみ出るものが本当の人のための行為です。
それには目的が何もありません。
ただ人のために尽くしているだけです。

確かにそれも心を大きくしますね。
ほかに心を大きくするものは、愛(許し、受け容れ)、感謝などがあります。


Name: みーたん
Date: 2013/07/01(月) 08:26   No:26595
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Title: Re:心の狭さ    
愛里さん、体調が悪いのに、お返事ありがとうございました。

「人のために」とはとても難しいと悩んでいます。

誰かが「私のために」と思ってしてくれた事、
その「私のために」と思ってしてくれた行為には感謝しますが
実際、私には不都合だった、ということもありました。

そういうことを考えると、逆の立場になった時に
私のした事が、相手のためになっているかどうか?

考えが堂々巡りで、解決しません。

自分の考えを捨てる(?)と良いのでしょうか?
(すみません、表現の仕方がわかりませんが・・・)




Name: ごぶ
Date: 2013/07/01(月) 18:52   No:26596
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Title: Re:心の狭さ    
はじめまして。

心理士からのアドバイスをそのまま書けば、「人のことより、自分のことに目を向けた方がいいですよ」になるので、みーたんさんもそうなさった方がいいのではないかと思いますよ。

「誰かが私のためにと思ってしてくれた事が、実際、私にとっては不都合だった事もある」については、私の書いていることも、そういうこともあると思いますが、ネットに書いたものはなかなか消えないので、それは、みーたんさんにとっても不都合にはなると思いますが、みーたんさんはそれを分かった上で、こちらに相談をされているのでしょうか。

私はこちらのサイトを見る時にそう思うことがよくあるので、みーたんさんにとっても、その方にとっても、不都合のないように相談をするのであれば、ネットではなく、対面のカウンセリングを受けに行かれた方がいいと思いますよ。


Name: 風来坊
Date: 2013/07/02(火) 05:45   No:26597
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Title: Re:心の狭さ    
個別論ですが、好き嫌いが心を狭くするので、
心を大きくするには、人のためより、まずは好き嫌いをなくした方がよいと思います。



Name: いずみ
Date: 2013/07/02(火) 21:23   No:26598
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Title: Re:心の狭さ    
ひとのため というのはそんなに難しく考えることないと思います。
重たそうな荷物を持って階段をあがるおばあちゃんがいたら、ただもってあげるだけです。
電車で自分は座っていて、おじいさんが来たらただ譲るだけです。

たぶん、人から勧められて「ひとのため」に何かをしようとしているので、自己満足とか気になってしまうのではないでしょうか

わたしが思うに、自己満足だろうがなんだろうが、どう思われようが、人が困っていたら助ける、手伝うと覚悟を決めればよいと思います。

わたしが思うに、偽善から、自己満足からの動機で人のためにしても相手は救われるし、その功徳というか何と表現して良いかわかりませんが、その結果自分の偽善、自己満足に気づかされ自分はより良い方向へと向かうことになると思います。何というのか、自分もまた大事なことに気づかされることにつながると思います。

難しく考えなくて良いと思います。曇っていたこころを、一瞬晴らしてあげるだけでも、ほんのちょっと嬉しいという気持ちにさせるだけでもいいんです。泣いている男の子に、カナブン取ってあげるだけでいいんです。

人が人のために何かをすると流れが良くなることはたしかです。
これは何故か?わたしが思うに、太陽が光と暖かさを与え続けているように人も人のために何かをするのが自然な姿、本来の姿、あたりまえの姿なのだと思います。自己満足と結びつけようとすると結びついてしまいますが、結びつけず小さなことからはじめるとよいのではないでしょうか

良かれと思ったことが、逆だった。たまにはありますよ。
気にしない。

あと、こころが狭いと決めつけない方がいいです。
文章読んでいて、みーたんさんは全然こころ狭いとは思いません。
わたしの妹もみーたんです。


Name: Nec spe, nec metu.
Date: 2013/07/03(水) 00:24   No:26599
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Title: Re:心の狭さ    
心の狭さ広さに客観的な判断量があるのか?
ブッダの慈悲やイエスのアガペーやアッラーフの慈愛に比して凡人の心の広さがどうだというのか? 自然や宇宙の広さ深さと人ひとりの心の広さを比べようというのか?

他者のため、というのはメサイア=コンプレックスという一種の障碍という考え方もある。自分の面倒をみれない輩がどうやって他者の面倒をみるというのか。仏教では自行化他という言葉もある。他者のことを考える暇があったら、自分がより善くなることを考え実行すべきが凡人の務めだ。


Name: いずみ
Date: 2013/07/03(水) 06:45   No:26600
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Title: Re:心の狭さ    
上の投稿は一般論ですよね。
みーたんさんのことを言っているのではないですよね。
念のため。誤解があるといけないので。


Name: みーたん
Date: 2013/07/03(水) 11:00   No:26601
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Title: Re:心の狭さ    
たくさんのアドバイスありがとうございます!

こぶさんの言うとおり、ここに相談することも
良いのか悪いのか・・・

いつも迷いながら投稿しています。

言葉というものは一度発したら、一生消えないと
いうこともわかっているつもりです。



私が体調を崩し、入院をした時の事です。

夫の両親と同居しているので、子供の面倒を頼みましたが、
夫の弟の嫁(義妹)が私の代わりにと思ったらしく、
家に来ていたそうです。


子供に電話をした時に、義妹との楽しく遊ぶ声が聞こえ
私がいなくても寂しがる様子が、一度も見られません
でした。

義妹からも「私がいるから家の事は大丈夫だよ」と
メールがきました。

義両親も「義妹がいるから」とか「義妹に頼むから」とか
ばかりで。


この家は私がいなくてもいいんだな、と思いました。


どうして義妹ばかり可愛がられるのかな・・・



その時、思ったのです。
私は心が狭いな・・・と。


どうして義妹に「家に来てくれてありがとう」と
笑って言えないのか。

それ以来、仲良くしたいはずの義妹を
心のどこかで避けている自分がいます。




Name: こう
Date: 2013/07/04(木) 16:38   No:26603
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Title: Re:愛里様 みーたん様    
支離滅裂ですね。こんなところで何が相談できるでしょう。

Name: ごぶ
Date: 2013/07/07(日) 14:37   No:26604
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Title: Re:心の狭さ    
心が狭いというより、それは視野の問題ではないかと思いますよ。

視野が狭くなったり、人との境界線(バウンダリー)が曖昧になっている時には、人が自分のことを思ってしてくれたことでも、それで傷ついたり、寂しい思いをすることもあると思いますが、それもその時の状況によると思いますので(その時に理不尽なことを言われて傷つくというのは、また別の話しになりますが)、そんな時には対面のカウンセリングを受けに行った方がいいと思いますよ。

その状態で無理をして人のことを助けようとすれば、その人の心と体がもたなくなるので、それを知っている人たちは、それをした方がいいとは言わないんですよ。

ネットでは元々無理なことがあるので、病院で医師に診て貰った方がいいと思っている人は病院に行くと思いますし、カウンセリングを受けた方がいいと思っている人はカウンセリングを受けに行くと思いますが、みーたんさんはその必要性を感じていないのかも知れませんね。

どちらにしても、視野が狭くなっていることや境界線(バウンダリー)が曖昧になっていることは、医師に診て貰ったり、心理士のカウンセリングを受けた方がいいと思いますので、これからみーたんさんが通うことの出来るクリニックを探した方がいいと思いますよ。


Name: 誠邦
Date: 2013/07/07(日) 16:43   No:26605
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Title: Re:心の狭さ    
 『心の狭さ』と言う課題に対しては、私は、人には心が二つあると考えます。一つは、頭の中にあり、さまざまな欲望をコントロールするところです。突如として沸き上がる衝動、押さえられない感情、怒りや嘆きをセーブさせる心が頭の中にあります。つまり、そこは穏やかさを司る《心》です。
 もう一つはハートチャクラとも呼ばれている心臓です。ここにある心は優しさや思いやりを司る《心》です。怒りを抑え、思いやりを持つことは確かに理想的な生き方ですが、なかなか凡人にはできません。マザーテレサが存命中に、なぜあなたはこのような悲惨な人々に触れることができるのですか?とのテレビのインタビューに対して「神様は姿を変えて私たちを試されている・・・」、「あの人たちは神様が姿を変えていらっしゃる・・・」というようなことを言っていました。強烈な印象がありました。日本の仏教者が同じようなことを言っていたのは確か・・・仏像に対してだったような・・・。
 何を言いたいのかというと、狭い心など無いということです。自分で心を狭くしていたら、広げれば良いのです。どうすれば広げられるのかという問題に対しては、他者と自分、宇宙と自分が完全に一体あるという境地に達すればよいのです。いわゆる「梵我一如」の境地です。仏教の言う、自利利他(じりりた)という意味は、他人に対して親切に思いやりを持って接すれば、結果として自分のためになるということです。「情けは人の為ならず」の本当の意味がそれです。それは、情けをかけるのは他者の自立を妨げることで、良くないことだ・・・という意味ではありません。また、それは、余計なお世話や、おせっかいでもありません。それは、自分のしてほしいことを他者にするということであり、自分のしてほしくないことを他者に対してしないということであり、ただそれだけのことです。


Name: ごぶ
Date: 2013/07/08(月) 13:25   No:26608
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Title: Re:心の狭さ    
智増も悲増も目的は同じではないかと思いますが、無理をして行をすれば、心や体の病といったものがその人の行を妨げることもあると思いますので、行をするのは心と体を元の状態に戻してからの方がいいと思いますよ。

Name: みーたん
Date: 2013/07/11(木) 17:22   No:26610
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Title: Re:心の狭さ    
良きアドバイス、たくさんありがとうございます。

自分に降りかかる良いことも悪いことも、
全部、自分のためだと思って日々過ごすように
努力しているつもりでした。

でも子供達が義妹にあまりにも懐いていて
それを良いことだと受け止められず、
醜い嫉妬心がある自分が嫌で嫌でたまりません。

日々、暮らしていて子供達を叱ったりしている私より、
時々来る優しい義妹の方が良いのでしょうね。

私はしつけに厳しい義両親と同居していて、
子供達が悪いことをすれば親である私の責任だと
言われています。

子供達が良い子でいる=良い嫁・・・
と思ってもらいたくて自分らしくいれません。

「郷に入れば郷に従え」とありますが
私は柔軟に対応出来ずにいます。


Name: ごぶ
Date: 2013/07/11(木) 22:20   No:26611
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Title: Re:心の狭さ    
親子ほど年齢が離れると、昔と今の子育ての考え方の違いで悩むこともあると思いますので、そのような状態が続けば、小さなお子さんを抱えておられるお母さんのストレスもあると思います。

お近くの保健所でも、お母さんとご家族の相談を保健師が受けていますので、みーたんさんが母子手帳を受け取られた保健所にご連絡をして、そちらの保健師にみーたんさんの相談を聞いて貰ったり、保健師や精神保健福祉センターに、みーたんさんのお近くのクリニックを紹介して貰って、そちらのクリニックの医師や心理士にカウンセリングを受けに行かれた方が、問題解決の糸口を掴むことが出来ると思いますよ。

クリニックは心の専門家のいるところなので、そのクリニックで医師と話すことも、みーたんさんの心のケアになりますので、みーたんさんが出来るだけ早めにそちらで相談をして、問題解決の糸口を掴むことが出来るように祈っています。


Name: みーたん
Date: 2013/07/15(月) 21:56   No:26616
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Title: Re:心の狭さ    
こぶさん、ありがとうございます。

今日また失敗をしてしまい、義母をがっかり
させてしまいました。

義両親が私の娘(小学生)の友達にお土産を買ってくれて、
後からその子の母親から私に御礼の電話がきました。

義母がいる前で電話のやりとりをし、電話をきりました。


そのあとの事です。


義母に、私の会話の中で、
「私たち(義両親の事)を立てる言葉がなかった」
「あなたが(嫁である私の事)御礼を言われるのは
 おかしい」
「自分が偉くて、なんでも自分でやったようだ」
 と言われました。

確かに義両親を立てるような事が言えてなかったと
後から思いました。

私は会話が苦手で、心と心が通じ合うような
会話が出来ず、いつも会話のあとに後悔が残ります。



こちらで相談に乗ってもらうのも、
パソコンなら投稿する前にプレビューで見直し、
直すことができるからだと思います。

会話は一度言ってしまったら、言い直すこと、
信頼を取り戻すことは出来ないと、私は思っています。


カウンセリングも受けてみたいのですが、
義両親がいる手前、よっぽどの用事がないと
出かけることが出来ません。

私の心の病気で、なんてとてもじゃないけど
言えないし・・・

話し上手の義妹を見る度に
自分のダメなところが見えてしまって、
どんどん、どんどん落ち込む毎日です。








Name: ごぶ
Date: 2013/07/18(木) 08:59   No:26620
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Title: Re:心の狭さ    
そうですか。

そのようなことがあったのですね。

私もみーたんさんがおっしゃられていることと似たような話しをしようと思っていたので、それは私にとっても必要なことだったのかも知れませんね。

長くなりますが、随分前に買った本の中に、私が尊敬している北嶺大行満大阿闍梨様の言葉が載っていたので、その阿闍梨様の言葉をこちらで紹介しますね。

「電話やファックス、そしてメール…。今は便利なモノができましたが、昔は相手と会うために、苦労して足を運んでいたのですよ。"ご足労をたまわる"という感謝の言葉もあります。めんどうくさい、邪魔くさいは、甘えです」

その本の著者は一般の方ですが、お山で阿闍梨様とお会いしてから、様々なことを学んだとその本に書いておられるので、その方が学んだことも、こちらで少し紹介しますね。

著者が阿闍梨様とお話をすることが出来るようになって間もない頃、著者の知り合いから、「阿闍梨様に取材をしたいから、お願いしてくれないか」と頼まれた時に、著者は阿闍梨様から断られるかも知れないと思ったそうですが、阿闍梨様は「その方は大変ですねぇ。いいですよ」と快く引き受けて下さったそうです。

著者は阿闍梨様がお忙しくされていることや、取材をされたり写真を撮られたりするのがあまりお好きではないこと等、著者の知り合いが阿闍梨様に一度も会ったことがないのを、阿闍梨様も承知の上で取材を受けて下さったことを、その時にはまだ知らなかったと、その本に書かれていました。

著者は「本にする前に、阿闍梨様に原稿と写真を必ず見ていただきます」と約束して、それを知り合いに伝えてから、阿闍梨様と会う前に千日回峰行のことや、阿闍梨様のことを「必ず、勉強しといて下さいね!」と言って、長期の海外ロケに出かけてしまったそうです。

その後、著者が海外から帰ってきた日に、店頭に並んでいる本を見て、その内容に驚き、倒れそうになったそうです。

著者の知り合いは、阿闍梨様から原稿や写真のチェックを一切いただくことなく本を出版されたそうで、それを知った著者が慌ててお寺に電話をせずに、阿闍梨様に直接会ってお詫びをするためにお寺を訪ねて、お寺の小僧さんに無理を言って、居間に通して貰ったそうです。

その時に、阿闍梨様が他のお坊さんたちとお話しをされているのを見た著者は、阿闍梨様が約束なしで訪れた著者を快く受け入れて下さったことをありがたく思ったのと同時に、慌てていたとはいえ、阿闍梨様の都合を考えずに行動をして、阿闍梨様にまたご迷惑をおかけてしまったことを情けなく思ったのだそうです。

お坊さんが帰られてから、阿闍梨様はにっこり笑って、「大変でしょう、人の"中"に入るのは。人を受け入れる気持ちと、許す心が大事なのですよ」とおっしゃられたので、阿闍梨様のその言葉は著者の胸につきささったそうです。

著者はその時に自分の無責任さを棚にあげて、知り合いを腹立たしく思い、「絶対に許さない」と怒っていたことに気づいて、この大失敗を通して「人の"中"に入るということは、すべての責任を負うことだ」と学んだそうです。

私も阿闍梨様のいらっしゃるお寺を訪ねることがありますが、阿闍梨様に会いに来られる方が沢山いらっしゃるので、初めて阿闍梨様にお声を掛けて貰えた時には、心から嬉しいと思いました。

私は、なかなかお山の阿闍梨様のような心にはなれませんが、物事はそのものの見方ひとつで変わるので、その努力というものは、これからも続けて行きたいと思っています。

お寺を訪ねることにしても、各宗派にはそのようなことを教えて下さる方がいらっしゃると思いますので、その方たちに会うための時間を作って訪ねるということも、とても大事なことではないかと思いますよ。


Name: ごぶ
Date: 2013/07/18(木) 11:17   No:26621
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Title: Re:心の狭さ    
阿闍梨様の話しをした後に私の話しをするのもと思いますが、私もここで話しをするのを最後にしようと思っていますので、ここからは私が学んだことになります。

これは、私がこちらのサイトで経験したことですが、随分前に私が自宅で仕事をしていた時に、自宅に電話がかかってきて、「はい」と電話を取った瞬間、「あの人はあなたの担当でしょう!!」と、いきなり怒鳴られたので、「一瞬、誰が電話をかけてきたのか、何が起こったのか」ということが分からなかった、ということがありました。

こちらのサイトでは、当時の私の職場のように、ひとりひとりが何等かの「役割」というものを与えられていた訳ではなく、その「役割」を各自が分担しながら仕事をしているという訳でもないので、私もその方の勢いに思わず驚いてしまいましたが、今はそれが相手をコントロールしたいという気持ちだったということや、私に対する期待だったのではないかと思いますので、長い時間をかけてそれが分かったというのも、ありがたいことなのかも知れませんね。

その方の名誉のために補足をしますが、その時はそれほどこちらのサイトが荒れていたので、その方がそう言いたくなるというのも、私もその気持ちがよく分かるので、私がこちらのサイトに戻ったのは、その頃に私が電話で怒鳴られるきっかけを作ってしまった方が、それから何年もこちらのサイトにいるのを知ったというのもありますが、他の方が周りの方を巻き込んでいるのを黙って見ているのもと思ったので、私も心理士と相談をしながら、「サイトに一時的に戻るなら、"私の未処理の問題のみ"」と決めて戻りましたが、それから私の未処理の問題とは別の話しもここでしているので、私もここで話しを聞くのはこれで最後にした方がいいと思ったんですよ。

みーたんさんの義両親様のおっしゃられたことを見ながら、そんな昔のことを思い出したりしていましたが、義両親様がおっしゃられたことは、こちらのサイトにも同じことが言えるのではないかと思いますよ。

例えば、建物を立てた後に放っとらかしにするのは、社会では許されることではないので、その建物の耐震性に問題はないか、どこかで雨漏りはしていないか、柱は歪んでいないか、壁紙は剥がれていないか、床は大丈夫かということにしても、「うちは建物を建てただけで、その後のことは知りません」では、その会社は信頼を失ってしまうと思います。

その土地に新たな建物を建てる時には、古い建物を解体して、廃材の処理をしたり、その土地を一旦さら地にしてからでないと、新たな建物を建てることは出来ませんし、古い建物を放っておくと、その建物はあちこち傷んで、いつか崩れてしまうと思いますので、その建物の中で遊び続けて、自分の生活を疎かにして忘れてしまうのも良くないことではないかと思いますので。

私がこちらに戻ってから間もない頃に、古い建物が荒れている状態で、新たな建物にも来て下さいと言われると、私も「この状態でそれを求められると、私の体が持たないだろう」と思ったので、「それは冗談だろう」と思ってお断りをしましたが、それでよかったと思っています。

ボランティアには、有償と無償がありますが、各市区町村にはボランティア保険があるので、その保険に加入をしていれば、ボランティア先で誰かを傷つけてしまうようなことがあった時には、その保険を使うことが出来ますし、ボランティアをしている人が病気や怪我をした時にも、その保険を使うことは出来ますが、ここでボランティアをしていて病気や怪我をした時には、その人の金銭的な負担が大きくなるので、その人の負担というものを考えると、出来るだけその人の負担になるようなことは避けた方がいいと思いますので。

これは、もう10年以上前の話しになりますが、みーたんさんと同じように、「ネットの方が」とおっしゃられていた僧侶が私の周りにも何人かいましたが、その方たちも今は、「対面の方が勉強になる」とおっしゃられているのでね。

今もまだ、みーたんさんと同じようなことをおっしゃられている僧侶を見かけることもありますが、その方たちも失敗を恐れているとか、ネットでは後から見直すことが出来るとか、ネットを活用することについて色々なことをおっしゃられていますが、それは対面で話しをする時に「失敗してはならない」と思うからではないかと思います。

人と会う時に、「失敗してはならない」と思うより、その時は多少の緊張があったとしても、それはその人にとってもいい経験になるので、それを少しずつ経験していく方が楽になると思いますよ。

自分の言葉を文章にする時に人に誤解を与えることもありますし、自分の思った通りのことを伝えるのは、何倍もの時間がかかるので、自分がよくても、それを人に求めてしまうと、その間にその人が出来ることの手を止めてしまうので、それも良いこととは言えないと思いますよ。

昔、私もここで同じことを伝えたことがありますが、その時にこちらで相談を受けておられた方たちも、その方たちの思ったことを睡眠時間を削って何時間もかけて書いておられたので、それが何年も続くというのは、ここで相談をする人にとっても、ここで相談を聞いている人にとっても、良いこととは言えないと思いますので。

言葉というものは、後から訂正をして誤解を解くことも出来ますし、言葉によって傷ついた痛みも自然に消えることもあるので、その言葉や痛みが消えないということはないんですよ。

そのような方法もちゃんとあるのでね。

ただし、時間というものは変えることが出来ないので、その時間を有効に使うにしても、その人にとって一番いい使い方をした方がいいと思いますので、その時に出来なかったことは、後からいくらでも取り戻したらいいんじゃないかと思いますよ。

みーたんさんが義両親様の気持ちをその時に汲み取ることが出来なかったのであれば、お嬢さんのお友達の親御さんとまた電話で話しをする時に、義両親様に電話を代わって、お嬢さんのお友達に直接伝えて貰えばいいんじゃないでしょうか。

義両親様がおっしゃられたことで、みーたんさんがそのことに気づいたのであれば、次からそうすれば、誤解も少なくなっていくと思いますので、これからそのようなことがあった時に、それを「自分でしよう」とは思わないようにした方がいいと思いますよ。

何をどうすれば、みーたんさんが楽になるのかということは、みーたんさんが一番分かっていると思いますので、義両親様に気を遣ってみーたんさんがカウンセリングを受けに行くことが出来ないというのは、それは義両親様からすれば、みーたんさんが義両親様のせいにしていると思うかも知れませんね。

保健師やクリニックに助けを求めことは大事なことですので、これからはそちらを訪ねるようにして下さいね。


Name: みーたん
Date: 2013/07/18(木) 14:29   No:26622
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Title: Re:心の狭さ    
こぶさん、ありがとうございます。

時間を割いて、たくさんのアドバイスを頂き、
感謝の気持ちでいっぱいです。


私は自分を客観的に見すぎるのか、
自分のすること、発言することに
おびえているのかもしれません。

それは自分を良く見せるためなのかなと
自分ではそう思います。


こぶさんのおっしゃる通り、私はいろんなことを
理由に、何でも人のせいにしているかもしれません。

そんな自分が嫌で改善したいのですが
方法がわからず、どんどん悪い方に
向かっているような気がしてなりません。

努力が足りないのでしょうか。

前に進むために、カウンセリングを
受けようかと思います。








Name: ごぶ
Date: 2013/07/21(日) 13:57   No:26640
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Title: Re:心の狭さ    
ここで相談をされている方たちもそうですが、ここに来られるまでに自分なりの努力をされておられると思いますよ。

みーたんさんも悪い方に進んでいる訳ではないので、それはあまり気にしない方がいいと思いますよ。

方法に関しては、それは医師や心理士の方が詳しいので、私がこちらで話すことではないと思いますが、例えば、本を読んだだけでは泳ぎ方を覚えることが出来ないのと同じで、病院を訪ねることにしても、カウンセリングや心理療法に対する不安というものがあるにしても、それは潔しとした方がいいと思いますので、出来るだけ早めにクリニックでカウンセリングを受けるようにした方がいいと思いますよ。

不安なことがあれば、医師や心理士に尋ねるようにして、みーたんさんがその場で納得をすることが出来れば、不安も和らいでいくと思いますので、後から思い出したことはその次の予約の時にでも尋ねるようにして(気になったことを紙に書いておくのもいいかも知れませんね)、ゆっくりと楽になって行って下さいね。


Name: みーたん
Date: 2013/08/04(日) 00:27   No:26659
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Title: Re:心の狭さ    
なかなかカウンセリングの場に行けずにいます。

近くにある実家にも、近いのに全然行っていません。

私は自分の評価が下がるのが嫌で、
他人のせいにしたり、忙しいふりをして
自ら実行していないだけなのかもしれません。

この盆休みに遠くに嫁いだ友達が、地元に
帰省してくることになりました。

「家の事をせずに遊びに行く」と義両親に
思われるのが嫌で、その友達に会いたいのに
会いに行く勇気を出せません。


そしてもう一つ、悩みがあります。

自分の「悩み」を友達に相談することは
その人にとって、迷惑でしょうか?

話せば私は楽になりますが、
話された友達は、私の分の悩みが
増えることになるのではないかと
思っています。





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