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  無題

[32070] 中年男性
[32071] たに
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[32098] 中年男性
[32099] 在家
[32100] 通行人

Name: 中年男性
Date: 2021/03/06(土) 14:51   No:32070
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Title: 無題    
ありのままを受け入れるや、どうにもならないことには執着せずに諦めるとはどのようにすれば、そのような境地に至れるのでしょうか? あらゆる心理的問題を解決するのは、これらの境地に至ることだと理解しています。そのための方法論を求め、書籍やネットで「受け入れるコツ」とか「諦めるには」などで検索して、かなり知識としては詳しいレベルにはなりました。しかし、どれも結局は心構えとか考え方レベルの人生訓に過ぎず、一時的な心の慰めにしかなっていません。
会社で同世代が出世しはじめてくると、元々出世は人並みで良いと出世願望は高くはないですが、人並み以下の現状に虚しさと共に少しだけでも昇格しなければという思いが心を占有しています。 また、対人恐怖な性格のため、人とのコミュニケーションや交流の場に出ることが苦手なのも、現実生活で変人扱いされたり、中傷されたりすることがしばしば起こるので、対人恐怖な性格のままでもいいんだなんて諦めは、非常に難しいです。
なので、心構えや思考方法と言うよりも具体的実践的レベルで、ありのままの現状を一切の感情評価を加えずに受け入れたり、諦める境地に至る方法を教えてください。



Name: たに
Date: 2021/03/06(土) 21:33   No:32071
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Title: Re:無題    
中年男性さん
あまりに難しく生きることを考えすぎています。
仏教の教えなどというのは人が生きる中で起こる
様々な悲しみ、苦しみなどを乗り越えるための
アドバイスであり、心構えなのだと思います。
何ともならないことに執着せず、ありのままを
受け入れることが出来たとしたらお釈迦様に
なれます。我々一般人が知識だけ出来るようになる
なんてことはないと思います。
お寺のお坊さんはその境地になるために修行を日々
重ねておられます。それでもまだ道半ばなんですよ。
そうではない。

私は対人関係や出世できないことなど自分の思い通り
にならないことに抗うことなく、その状況を受け入れ
自分なりの生き方を見つけることなのであると考えます。
それは人の説いた知識を得るのではなく、自分なりの
頭でよりよく生きていくための方法を考え、知恵を絞り
目前の課題に真剣に取り組む。それを続けていれば
自然と先人が説かれている意味が分かってくるものだと
思うんです。

それに、世間の考え方では出世することが良いとの
考え方がありますが、それが最善の生き方とは限りません。
人類の全員が最善と思われることも誤りかも知れません。
対人関係が苦手なら、対人関係が苦手なりの生き方がある。
別の方法を見つければいい。
それを批判する者がいても自分の信ずる道を進めばいい。
私はそう思います。


Name: 在家
Date: 2021/03/07(日) 08:02   No:32073
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Title: Re:無題    
それは「ありのまま」ではなく、正しくは「あるがまま」ですね。
あるがままは即ち「自然(じねん)」のことなので、それを辞書で引くと次のようになっています。
1.おのずからそうであること。ひとりでにそうなること。
2.仏語。人為を離れて、法の本性としてそうなること。
3.少しも人為の加わらないこと。天然のままであること。

もう少しわかりやすく言うと、自分の身の回りに起きていることに対して心理的に無抵抗であること、あるいはエゴの自分を放棄することを指していて、仏教の一つである浄土教の教えそのものです。
これはさとりの境地の一つでもあるので、それがどのような心境なのかこれ以上言葉で伝えることは難しいです。
言葉は双方が体験したものを共感できるだけで、体験していないものを伝えることはできないからです。

だからあるがままを理解するにはそれを体験する必要があって、それにはまず自分の心理的抵抗に気づく必要があります。
そしてその抵抗を放棄した心の状態を意識的に繰り返して、無意識の習慣に定着してゆきます。
「南無阿弥陀仏」という言葉はそういう意味なので、浄土教に飛び込んで体感するのが一番わかりやすいです。
それからあるがままは、スピリチュアル系では「明け渡し/サレンダー」とか「降参」という言葉が使われるので、本を何冊か読めば何となくわかるようにはなるでしょう。


人と自分の出世を比較して苦しいのは、エゴの優劣分別によるもので、優越感の裏に劣等感があるからです。
会社はそのようなエゴの優劣分別を利用して、上司に従わせたり奴隷のように使ったりします。
自分が奴隷にならないためには、仕事をする動機を出世したいという「社会的承認」から、マズローが定義する「自己実現」に切り替えてゆくことです。

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〇メールで相談されたい方はこちら:NPO法人かけこみ相談センター
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Name: 中年男性
Date: 2021/03/20(土) 19:09   No:32098
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Title: Re:無題    
回答ありがとうございます。少しイメージできました。
1点だけ教えてください。
心理的抵抗に気づく必要があるのは分かりましたし、自分でも気づいています。まさにここに悩みを投稿した時点で
そして抵抗の存在に気付いたからなのだと思うのです。
しかし、その抵抗を放棄するとは、具体的にどのようにして放棄していくのでしょうか?
例えば、アドバイスいただいたように出世という社会的承認を諦めて、自己実現を目的に生きていく方が良いとアドバイスいただきました。
確かに、その方が幸せになれるし、出世欲が満たされなかった今、そのようにしていくべきだと、頭では理解しましたし、一生忘れない心構えとなりました。
しかし、心の中ではまだまだ劣等感は消えてくれませんので心理的抵抗は放棄できていません。
実は今までも会社の人間関係や能力評価に悩み、何十冊ものメンタルヘルス的な本、仏教的な本も読み漁ってきました。そこに書かれてあった内容はどれもその通りで、頭に入れておかなければならないことが書かれてあり、記憶もしています。しかし、書かれてある通りに心の抵抗を捨てようとしても、ほとんど捨てられていません。
催眠療法という治療法がありますが、リラックス状態で潜在意識にメッセージを吹き込むというものですよね。そこまでしないと、心の抵抗は外せないのかなとも思いました。ただ聞いたり、読んだりするだけでは、難しいのかなとも思ってしまっています。


Name: 在家
Date: 2021/03/21(日) 06:57   No:32099
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Title: Re:無題    
それは理屈でやろうとしても難しいと思いますが・・・
私たちを取り巻く世界は偶然起きているわけではありません。
世界と思われているのは私たちの心が投影された仮想現実(VR)に過ぎなくて、それは実体のない世界ですから、そこでいくら抵抗しても、映画のスクリーンに何かを投げ付けたりそこで暴れることと同じなのです。
だから世界は「あるがまま/自然(じねん)」です。

ところが人間のエゴは実体のない世界に抵抗して、無駄に苦しんでいます。
心理的抵抗に気付くというのはそのような無意識のストーリーを意識化することで、ちゃんと意識化できれば意識的に抵抗を放棄できます。
やろうと思ったら、仏教では座禅に飛び込んで体験を積み重ねてください。


もう一つ別の方法は抵抗を放棄するのではなく、抵抗するエゴ自体を放棄することで、それが「降参と明け渡し」です。
心理的抵抗というのは、つまり自分のエゴが世界と戦争しているわけです。
日本は第2次大戦に負けたわけですが、それは日本という集合エゴが世界に降参してエゴを明け渡し、その結果無抵抗になったということです。

そうなるには自分のエゴがかつての日本のようにどん底に落ちればよいわけで、エゴが苦しみ尽くして、挙句自分を放棄すれば無抵抗になります。
それは自己主張のない素直で謙虚な気持ちでしょうね。
こちらは仏教では浄土教に飛び込んで体験を積み重ねてください。


Name: 通行人
Date: 2021/03/24(水) 17:11   No:32100
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Title: Re:無題    
「心理的抵抗」は結果ですので、それが起きた時点で負けてるのだと思いますよ。怒ってしまってから、怒りをどうしようか?と考えるようなもので、起こったら処理するのは難しいです。

なぜ抵抗が起こるのかを、自身のなかで観察してみましたか? 他人と比較する心の動きは見えませんか。
それが掴めたら、その動きが起こったことに早く気付いて、比較する行為をスパッと止めることです。

何十冊も読んだのであれば、その辺の仕組みの説明はあったのではと思いますが、理解しただけでは心の癖は直りません。
何度も何度も「軌道修正」することで、心の癖がとれていきますので、とにかく「他人と比較する心の動き」に敏感になって、自ら軌道修正していくことです。

他人と比較する癖がなくなれば、自分は自分というものの見方ができるようになってきます。

あと、何か誤解がありそうな気がしたので補足しますが、仏教の「諦め」の境地は、世間的に負けた人のための教えではないですよ。

他人と比較して競争して欲を満たしていこうとする状態は、たとえ頂点に立とうとも、その地位やモノ、金を失うのではないかと常に怯えが伴う状態です。
そこに幸せ、安穏はないと見いだしたのが仏教なんですよ。他人からの賞賛や非難にも動じない、安穏の境地こそが仏教で目指すところです。

究極論、何かを求めることは、そのまま苦しみになるので、他人と比較して卑屈になる自分がいるならば、「ああ、ほんとに馬鹿だなぁ、自分は!」と大笑いして流せる自分になるのが仏教です。



 
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