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  御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。

[4921] 幸
[4922] 幸
[4924] 天台沙門
[4925] 幸

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Date: 2013/01/29(火) 08:07   No:4921
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Title: 御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。    
初めてお伺いしました。田舎の父の住む町の曹洞宗の大ご住職様が亡くなり檀家に回覧板が回ってきました。過去の頂いた戒名ランク毎にお香典が決められたものです。家ではその昔院号を授かった事もあり最高額です。

実家は父母、85歳に84歳二人暮らし、農業年金とわずかな小作料のみの生活です。母は認知症で週4回介護施設に行っています。食生活やら電気代を切り詰めて生活しています。何かおかしいと思います。震災で職を失ったり、2つ掛け持ちでアルバイトをしたりしている離れて暮らしている私達もこの決まりに何の太刀打ちも出来ません。昔少し村で裕福だった頃の見栄をまだ持ち合わせる父をただ見つめるだけです。

戒名毎に金額を決めた方もですが、お寺さんにはそのような慣習を常とされているのでしょうか。
戒名を頂いた時にそれ相当のお布施?をさせていただいたからではの院号なのだと思います。

私は今出来る事をさせてもらうで好いと思います。




Name:
Date: 2013/01/29(火) 22:08   No:4922
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Title: Re:御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。    
仏教関係のサイトのどこを見てもご住職が亡くなられたとき檀家等のとるべき道について書かれてあるものは見つかりません。日本津々浦々何百と寺社があるんです。小さな町に2つ3つ同じ宗派のお寺があります。その中でこのサイトのように悩みや相談を受け付けて書き込めるのは他に一つあったかどうかでした。
御住職ご自身が自分の寺のサイトを持ち発信させていかれる試みもなかなかうまくはいかないのでしょう、若い人向けになってしまいますから。しきたり等の中に縛られて甘んじているのも私達とお寺さんも変わらないのかも知れません。

先の問題についてです。檀家の方達のお考えで個人がどれ位の香典を包んだらよいか悩むことがない様にされたのだと思います。ただお寺の若住職さまの賢明なご判断が必要だったと思います。このとき村で3件の方が他のお寺さんに変わったそうですので。
もともと仏教は人が死んだ時のものではなかったはず、どうしてそうなったのでしょうか。正しく広めることが出来なかったのはどうしてなんでしょう?

もう既に救われている、
幸福は不幸の中にある、
貧乏でなければ平和を知ることはできない。

よい教えは沢山あるので私は嫌いにはなれないのです。


Name: 天台沙門
Date: 2013/01/30(水) 00:10   No:4924
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Title: Re:御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。    
某政令指定都市の天台宗寺院を預かっております立場から。

少なくとも、私の所属する都道府県の天台宗の寺院同士では「寺格」や「僧階」によって香奠の金額を上下させることはありません。「お互い様」ということで(多くの場合)一万円との申し合わせがあります。まあ、企業や団体の慶弔規定みたいなものです。他地域や他宗さんについては存じ上げません。
当然ながら、故人との関係・寺と寺との関係によって申し合わせとは別にさしあげることはありますが、この感覚を敷延すれば、檀家の「家格」や「戒名」によって香奠の金額に差をつけることはおかしいといえますが、ただし、通例の法要の布施料を「正札」によって行っている寺院においてはスジの通った対応ということもできます。


>戒名を頂いた時にそれ相当のお布施?をさせていただいたからではの院号なのだと思います。

この件に関する寺院側の感覚は「院号」とは「寺を維持管理するうえでの権利と義務の表象」です。「院号の家格なのだから、檀信徒会などでの相応の発言権は認めるが、他の院号格の家と同等の負担をすることも当然だ」というわけです。地縁組織と檀信徒組織がダブっている地域では、そういった感覚が強いのではないのでしょうか?
もっとも現実問題として、「それ相当のお布施」に対して「院号」を授けることはあります。それが「戒名を売買すること」であれば、一代限りの義理というもので後代の人は寄付に対して応じる必要もありませんが、以後の寺檀関係において他の院号並の方々と同等の関係を維持することもありません。


>私は今出来る事をさせてもらうで好いと思います。

これはこれとして当然のことです。
ただし「香奠」というものの本質は「葬儀の費用を皆で分担する」という点にあります。この意識と、上記の権利義務関係の感覚が一緒になると、院号格の檀家から多額の香奠という結論になります。


>もともと仏教は人が死んだ時のものではなかったはず、どうしてそうなったのでしょうか。

最大の理由は、経済的な支援を国家から受けられなくなった組織は一般民衆に経済的基盤を求めるしか組織存続の方策がないから、です。また日本に特有の事情として、江戸期における対キリスト教政策としての寺請制度の存在があげられます。

もっとも釈尊その人も「人が死んだ時の行為=葬儀」をしておられます。仏伝では「キサーゴータミー説話」と呼ばれますが、子を喪った母親にその死を受け容れさせるための説法をなさっておられます。
仏教そのものが釈尊の「生老病死」への自問から始ったことを考えれば、仏教が人の死にあたって生者に対し「死の受容」・「死の不安からの解放」・「心の平安」のためのなにごとかを行うことは当然の行動といえます。


Name:
Date: 2013/01/31(木) 14:06   No:4925
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Title: Re:御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。    
天台沙門様
大変分かりやすいご説明を頂きありがとうございました。院号というものに義務と権利が伴うことや、本来の香典の意味を知ることができました。また仏教が組織存続の為に一般民衆に経済的基盤を求めたという事も納得がいきました。宗教法人には税金が掛からないという保護はありますが。
寺院が人の死、葬儀、法事、そしてお墓に携わるのは生者に対し「死の受容」という救済のための行動ということにも、また必要とされる方も多いとよく分かりました。

寒ければもう一枚毛布が欲しいな、お腹がすけばご飯がたべたいな、疲れたらちょっと休みたいな、、、。みんな同じなんだと思いました。生きている今心の平安と喜び悟りが人の求めるところなんだなぁと。
大変ありがとうございました。





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