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Name: dontarou
Date: 2013/04/05(金) 00:09
No:4956
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Title: ご本尊のお手入れと御御霊入れ
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先日、以前の地震の影響で古い仏壇が壊れ新しい仏壇を購入する事になりました。御本尊とお位牌は無事だったのですが、ご本尊が古い為家庭用マイペットを吹きかけ水洗い掃除をしてしまいました。もちろん手を合わせてから「失礼いたします。」と念じながらやりました。こんな方法でも大丈夫ですか? それともう一つ質問なのですが、新しいご本尊を購入した場合、御霊入れが必要ですよね。本当は菩提寺にお願いするところなのですが、そこのご住職が人間的にお願いしたくない方なので他の僧侶様にお願いしたいと考えているのですがそういう事も出来ますか?? ちなみに臨済宗建長寺派の禅寺です。宜しくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/04/05(金) 09:24
No:4957
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Title: Re:ご本尊のお手入れと御御霊入れ
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Q1:家庭用マイペットを吹きかけ水洗い掃除をしてしまいました。こんな方法でも大丈夫ですか? A1:きちんと掃除をさせていただく旨、手を合わせていただければ大丈夫です。ただし、ご本尊の材質と洗剤との相性という別の問題がありますね。私はエアダスター・穂先の糊を洗った筆・日本手拭を使い分けています。
Q2:本当は菩提寺にお願いするところなのですが……他の僧侶様にお願いしたいと考えているのですがそういう事も出来ますか? A2:ご自身が開眼供養をしていない本尊さんを見た菩提寺の住職さんがどうおもうかを考えると、私の立場からは積極的にお勧めはできません。しかし可能です。
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Name: dontarou
Date: 2013/04/05(金) 20:49
No:4958
| 解決
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Title: Re:ご本尊のお手入れと御御霊入れ
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早速のお返事有難うございました。m(__)m 質問1について。ご本尊の材質は木材に金粉が塗ってあるタイプです。あまりに煤けていて金色が見えなくなっていました。普段からのお手入れが大事だということですね。これからは、教えていただいたエアダスター等を使ってこまめに掃除したいと思います。それと質問2は色々な訳がありまして、菩提寺のご住職に自分も家族も少し首を傾げる様な事を言われたり、仏様に仕える立場の方がこういう態度をとられるのかと思うような出来事があったので質問させていただきました。結局今のご本尊を大事にしていこうと考えています。アドバイス有難うございました。
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Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/07(木) 16:38
No:4936
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Title: 過去帳の菩提寺は?
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次の場合、過去帳の菩提寺の項は次の(1)〜(3)のいずれを書けばよろしいでしょうか?
(1)本家の菩提寺=遠方にある真言宗大覚寺派の寺 (2)私の生前墓=近隣の和宗の寺。寺の外で御経は上げない。 (3)家に来て御経を上げて下さる寺=近隣の高野山真言宗の寺。
※本家の墓は、遠方の真言宗大覚寺派の寺にありましたが戦災で不明となり、今は私の生前墓の隣にあります。
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Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/07(木) 19:26
No:4937
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Title: トピ主です。(付け足し)
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私は次男で、本家の墓に入れないので終活の一貫で生前墓を建てました。
私の墓のある和宗の寺は、宗派を問わずお墓を建てられます。 また檀家制でなく僧侶は境内での仏事のみに専念されているそうで、檀家を訪れて御経を上げることはしないということです。 私の墓の開眼供養は、当然ながらこの和宗の寺の境内にあるのでこの寺の僧侶にしていただきました。
新しく購入した仏壇の開眼供養は、墓のある和宗の寺の僧侶に来ていただきたかったのですが、前述の通り不可なので、本家の元々の墓があった真言宗大覚寺派のお寺に手紙で相談して紹介していただいた近隣の高野山真言宗のお寺です。
またどこかのサイトでみたのですが、菩提寺というのは授戒を受けた寺のことだと記されていたので、付け加えておきますと、私はこの和宗の寺で去年授戒潅頂会に参加しました。今年も来年も参加する予定です。
かと言って真言宗から和宗に宗旨替えする(した)つもりはありません。 自分の考えですが、過去帳の菩提寺の項は、和宗の寺と本家の墓があった真言宗大覚寺派のお寺を併記してはおかしいでしょうか?
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Name: 天台沙門
Date: 2013/03/08(金) 09:53
No:4939
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Title: Re:トピ主です。(付け足し)
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結論から申し上げれば、今後とも真言宗の法義で法要を営まれるのであれば、ご本家のお寺を優先する形での両寺併記でよろしいと考えます。
※ 以下は余談です。
本来、「菩提寺」と「導師」とは、個別の概念です。 「菩提寺」とは、先祖から子孫に到るまで一族郎党の菩提を弔ってもらうための寺、という意味です。過去にそのような寺をもつことができた人々は、貴族・豪族といった権力と財力を持った一部の人々でした。しかし、江戸時代に(反キリスト教政策のための)寺請制度ができあがると、すべての人々が特定の寺に所属することが必要となり、現在の「葬儀の場=菩提寺」という制度ができあがりました。 そこで「導師」なのですが、これは「戒を授けてくれて、仏道に導いてくれる師僧」というわけで、貴殿の場合には和宗での伝戒潅頂和上が「導師」にあたります。 貴族(平安貴族とか江戸の武家とか)では、まず導師がいて導師を招いて寺を建立して菩提寺にしたという過程でしたし、寺請制度に引き続く民衆レベルでは葬儀を司る菩提寺の住職がそのまま導師になるということが普通です。
そういったわけで、「菩提寺」には「先祖の菩提を弔う寺=墓」・「自分自身を弔ってもらう寺=墓」・「導師がいる寺」という意味があるわけでして、家・族の意味が薄くなったり人の生活範囲が広域化するにつれて、一ヶ所で間に合っていた菩提寺の機能が複数の寺に分散されるようになったのが現在のありようといえましょう。
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Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/08(金) 15:20
No:4940
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Title: 過去帳の「祖」の項
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お答えありがとうございました。 過去帳は、言われる通りにするのが私もすっきりします。
因みに終活の一貫として自分の葬式は、この和宗の寺で執り行ってもらうよう遺言するつもりです。
もうひとつお聞きします。
過去帳に「祖」を書く項、おそらく先祖を書くということだと思いますが、これは本家の墓に刻んである祖父母以降でもよろしいのでしょうか? それとも遡れる限り遡って書くのがよいのでしょうか?
これも終活の一貫として家系図の作成を代行する業者(行政書士事務所)に依頼していますので、ある程度は遡れると思いますが、戒名などは分からないと思います。
どうぞよろしくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/03/10(日) 15:45
No:4944
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Title: Re:過去帳の「祖」の項
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父系母系に関わらず、判明なさる方々すべてを記載なさるほうがよろしいかとは考えます。
しかし、先祖は遡ればそれだけ人数が増えます(2の世代数乗)し、伯叔とその子孫という系統も含めると、さらに人数が増えてしまいますから、そのへんの折り合いの基準については何ともいえません。
戸籍(死亡年月日と生命)と菩提寺がわかれば、保管されているはずの埋葬許可証によって戒名もわかるかな、とおもいます。 大切なことは、「その人」が存在していたということを後代の人間が記憶するということですから、菩提寺を探し戒名を調べるという件は二の次としてよろしいのではないでしょうか。
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Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/15(金) 08:35
No:4948
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Title: Re:過去帳には戒名の分かる祖だけか否か?
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再びお答えありがとうございました。
本家の菩提寺は、先の大戦で墓石さえ分からなくなるほど爆弾の直撃を受けたそうで残念ながら過去帳も焼失したそうです。
従いまして現在行政書士に依頼している家系図作成代行を待って、過去帳に記入するようにしようと考えますが、戒名は無記入でも構わないでしょうか? それとも今の本家の墓に刻んである戒名の分かる祖父母からでいいでしょうか?
何度もすみませんがよろしくお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/03/22(金) 09:57
No:4954
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Title: Re:過去帳には戒名の分かる祖だけか否か?
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回答遅くなり失礼いたしました。
私は「戒名のわかる人のみを記載する」よりも「存在のわかる人の名を俗名・戒名に関わらず記載する」方針をお勧めします。
※
私は「先祖供養」とは「現在の自分につながる人々を記憶すること」と理解しております。 日本の場合には仏教儀礼と結びついたために、過去の人々を戒名(=死者としての名)で記録する文化が一般化しているに過ぎません。 仏教の本質(釈尊その人の教え)からすれば、自分自身は様々な因縁によって存在しているわけですが、先祖という過去の人々が因縁となるだけでなく、現在一緒に生きている人々もそれぞれ互いに個々人の因縁ですし、おそらくは自分が因縁となる将来の人々についても「記憶」しておくべきでしょう。 そういった自分に縁(=関係)のあるすべての人々を代表し象徴する存在として「先祖」がいらっしゃるのですから、別に戒名という仏教的慣習にこだわる必要はないと考えます。
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Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/22(金) 17:20
No:4955
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Title: ありがとうございました。
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天台沙門様
大変よく理解できました。 慣習にこだわらず判る限りの御先祖様を記そうと思います。 これまで大変丁寧なお答えをいただき深く感謝致します。 ありがとうございました。
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Name: 檸檬
Date: 2013/03/17(日) 07:58
No:4952
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Title: 初盆について
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まだ早いと思いますが、初盆についてお聞きしたいです。 昨年、父がなくなり、今年、初盆になります。 どのように、やればいいのでしょうか? 母は、お寺で、拝んでもらえはいいと言っていますが、それでいいのでしょうか?家に来てもらって拝んでもらったほうがいいのですか?葬儀屋のほうから、盆飾りと言う資料を送ってきますが、やらなくてはいけないのでしょうか?立派な家ではないので、置く場所もないし、自分たちのいる場所もなくなってしまいます 質問ばっかになってすいません
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Name: 天台沙門
Date: 2013/03/19(火) 20:41
No:4953
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Title: Re:初盆について
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某政令指定都市に所在する寺を預かるものの立場から。
※
初めに。 「お盆」は仏教行事のようにおもわれていますが、仏教とは別次元の伝統的な宗教/信仰の行事に仏教儀礼が乗っかったものです。広義の「夏祭り」と考えてください。 その目的は、(1)一年下半期の幸福を祈る祭(2)水神さまの祭(3)病気の神さまの祭(4)収穫を祈願し感謝する祭、です。(1)と(4)は具体的には神さまとなったご先祖さんを祀ることですから、先祖供養を通じて仏教儀礼がいっしょになりました。
※
Q1:どのように、やればいいのでしょうか? A1:家に「盆棚」という祭壇を作って食事を供えます。飾り方は地域ごとの習俗ですから一概には言えません。
Q2:母は、お寺で、拝んでもらえはいいと言っていますが、それでいいのでしょうか? A2:ご自宅でお迎えしましょう。宗教的には、お盆は神となった先祖が現世に帰ってきてくれるのですから家でお迎えするのが本儀です。対して、お彼岸は「極楽=あの世」に往った先祖を偲ぶ行為ですから「あの世=異界=墓地」で行うことがふさわしいですね。もっとも、私の預かる寺をはじめとして、盆にあわせて大々的に「施餓鬼法要」を行う場合が一般的ですから、こちらにもご参列いただければありがたいです。
Q3:家に来てもらって拝んでもらったほうがいいのですか? A3:上記の通りですから、帰ってきてくれた神=先祖を前に法要(棚経)を家で行ってもらったほうがよいでしょう。
Q4:葬儀屋のほうから、盆飾りと言う資料を送ってきますが、やらなくてはいけないのでしょうか? A4:宗教行事は個人の信仰の問題です。やらなくてはならないというものではありません。やるにしてもインフォームド=コンセントの元、ご自身の判断によって行うものです。
以上、ご参考までに。
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Name: 在家者
Date: 2013/03/09(土) 16:52
No:4942
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Title: 過去帳の書き方
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真言宗の檀家です。 今回過去帳を新調すること致しました。 そこで、過去帳に記入する範囲についてお尋ねしたいのですが、 今現在分かる範囲での当家の先祖代々と母親の実家が後継おらず、 うちで祭祀を継承することになっているため、母親の家計の先祖代々を記入しようと思っています。 ここまでは一般的には問題ないかと思います。 さて、この他に個人的な気持ちとして、多くの方が亡くなり有縁無縁関係なく等しく追悼の念を起こすべき日、例えば11日の頁には「平成二十三年三月十一日 東日本大震災殉難者諸精霊」また15日の頁には「昭和二十年八月十五日 全国戦没者諸精霊」といった感じで記入するのはいかがなものでしょうか? 寺院の位牌などでは普通にあることかとは思いますが、これを在家の過去帳で行うのはある意味越権行為、行き過ぎた行為となってはしまわないでしょうか? 以上、ご意見いただければと思います。 宜しくお願いいたします。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/03/10(日) 12:20
No:4943
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Title: Re:過去帳の書き方
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有縁の方々のみならず無縁の方々にも追悼の念を捧げていただこうとのお志し、仏者として感謝申し上げます。
さて。 死者を追悼する気持ちには、社会的な階級・階層の差や思想信条の違いなどありえず、よって「越権」とか「行き過ぎ」ということを誰が指弾できる筋合のものではないでしょう。もっとも、文化・文明によって儀礼・方法の違いが存在するとか、誰をどう祀るかによって政治的意味あいが発生するとか、それはまた別の問題です。 ですから、東日本大震災(11日)や第二次大戦戦没者(15日)に限らず、阪神大震災(17日)や各地の空襲殉難者(6日:広島・9日:長崎・10日:東京・13日:大阪)をはじめ同時多発テロ(11日)とか世界難民の日(20日)とか、もちろんご自身の関心に基づいて過去帳に記載なさってよろしいと考えます。
以上、ご参考までに。
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Name: 在家者
Date: 2013/03/11(月) 11:42
No:4947
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Title: Re:過去帳の書き方
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天台沙門 様
ご回答ありがとうございました。ひとまず震災殉難者の記載を致しました。 毎日のお勤めで、先祖代々や有縁の方々の戒名に添えて震災で亡くなられ精霊もお唱えして回向していましたが、拝む対象がなく、いつも何か物足りない気がしていました。しかしこれからは、心置きなくご回向できます。 本日も震災発生時間には、衷心より追悼の念を捧げさせていただきたいと思います。 重ねて御礼申し上げます。
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Name: みち
Date: 2013/03/11(月) 07:36
No:4945
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Title: 誤ってお墓があるところを踏んでしまいました
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昨日京都の霊山護国神社の墓場で、一つ土の段を踏んだのですが、よくよく考えたら、そのすぐ下に墓石が落ちていたのではないかとかえってから気になりだしました。近辺でライトアップもあり、薄暗い夕方の時間に坂本龍馬のお墓があると聞き、観光気分で行ったために、よく見えませんでした。 大変後悔しています。どうしたら良いか、アドバイスをいただけたら嬉しいです。宜しくお願いします。
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Name: 盛岡青龍寺
Date: 2013/03/11(月) 10:21
No:4946
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Title: Re:誤ってお墓があるところを踏んでしまいました
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盛岡にあります青龍寺の住職です。
お参りの時に、古い墓石のようなもの(実際は縁石などが多いのですが)を踏んでしまうことはございますが、 誤って踏んでしまったことを咎めるような仏様やご先祖様では ありませんからご安心ください。 あなた様のように、申し訳ございませんでしたというお気持ちを 持っていただくことが大切でございます。 なお、霊山護国寺様の龍馬さんの墓には私も行ったことはございますが、きちんと整理されておりましたから、彼のお墓の周辺での 出来事であれば、踏んだのは墓石ではないと存じます。 これからは、お墓にお参りなさる時は十分にお気を付けくださいませ。
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Name: おさむ
Date: 2013/02/13(水) 17:40
No:4926
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Title: 戒名や法事について
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1月に母が亡くなりました。葬儀屋の紹介でお坊さん(日蓮宗)をおよびいただき、俗名で葬儀を行いました。 母に戒名をつけたい・仏式で法要をしたい・法事をする場所が決まってない・49日をあげたい、こういう状態です。 父が頑固で、「今までも特に信心がなかったから寺にこだわらない」「檀家になるつもりはない」「信女という名前は付けてあげたい(父の母と同じ位にしたいらしい)」「ネットで安く戒名をつけてもらえたり、法要をするように派遣してもらえる先を見つけた」と言われ、正直不満があります。 お金はあるはずなのですが、人間不信がありすぐに「バカらしい」と体制を批判する性格があります(家電とかにはお金は惜しまないのに。) @檀家になるってそんなに人付き合いやお布施などが大変ですか? A近くの寺を後学のために私一人で話を聞きに行こうと思ってます。ただお寺にとって「利用する予定もない人間がずうずう し」ってことになりますか? B父の「ネットで」の決め方になってしまいそうです。親族は寺に属した法事が当たり前と思ってる人間が少なくとも5人います。普段の付き合いはないにしろ、冷ややかな視線を感じています。これは耐えるしかないでしょうか、似た環境の方っていますでしょうか。ネットを通じた戒名や法要はありなんでしょうか? Cこれを機に私は自分の生き様や死にざまを考えていこうと思ってます。宗教と縁のない人生を送って来ましたし連れ合いもまったく興味は持ってません。何から始めたらと思っております。仏教の入り口としておすすめなことを教えてください。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/02/14(木) 11:40
No:4927
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Title: Re:戒名や法事について
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某政令指定都市の所在する寺を預かっております天台を宗とする者の立場から。
Q1:檀家になるってそんなに人付き合いやお布施などが大変ですか?
A1:お寺によります。例えば、「護持会費年間5万」とか支払っていれば年間行事に参加しなくても(盆彼岸に墓参しなくても!)問題ない寺もあるでしょうし、布施料はまったくのお任せですが折々に集まっての境内掃除が義務化している寺もあるでしょう。
※
Q2:近くの寺を後学のために私一人で話を聞きに行こうと思ってます。ただお寺にとって「利用する予定もない人間がずうずうし」ってことになりますか?
A2:寺に来てもらって、「寺って何?」とか「仏教って何?」と訊いていただくこと自体が「利用する」ことです。ご心配なく。ただし住職さんにも予定があるかもしれません。その点だけご留意ください。
※
Q3・1:父の「ネットで」の決め方になってしまいそうです。親族は寺に属した法事が当たり前と思ってる人間が少なくとも5人います。普段の付き合いはないにしろ、冷ややかな視線を感じています。これは耐えるしかないでしょうか、似た環境の方っていますでしょうか。
A3・1:基本的には施主さんの考え方に従うべきでしょう。寺の行事にも墓参にも熱心に通っても年回の法要はしないという方もいらっしゃいます。
Q3・2:ネットを通じた戒名や法要はありなんでしょうか?
A3・2:まあ、葬儀を受けてくださった方よりもネットで検索した人を選ぶなら、無理に戒名をつけたり仏式の法要をする必要はない(宗教的儀式に則った葬儀をすることはない)のかな、と考えます。 本質的には信仰とは「人と人との信頼と信用によるもの」です。私が好きな逸話ですが、「念仏すれば極楽に往けますか?」と訊かれた親鸞さんが「わからない。信じている法然さんがそう言っていたから念仏をするだけで、たとえ念仏をして地獄に堕ちても法然さんを恨むべきもない」と言ったそうですし、『クオ・ヴァディス』でペテロさんが殉教するのも「もう一度、十字架にかかろう」とのイエスさんの言葉によるものです。裏を返せば「信心がなかった」なら「戒名も要らないし宗教的葬儀も必要ない」という立場の方が宗教的に一貫します。
※
Q4:これを機に私は自分の生き様や死にざまを考えていこうと思ってます。宗教と縁のない人生を送って来ましたし連れ合いもまったく興味は持ってません。何から始めたらと思っております。仏教の入り口としておすすめなことを教えてください。
A4:仏者をとりあげた評伝や歴史小説を読むことをお勧めします。私が好きな作品は、瀬戸内寂聴『釈迦』(新潮文庫)・河合隼雄『明恵〜夢を生きる』(講談社α文庫)・嵐山光三郎『西行と清盛』(中公文庫)です。まずは親近感をもてる仏者を見つけることです。その観点からすると、手塚治虫『ブッダ』と中村光『聖☆おにいさん』ははずせないかもしれません。
※
以上、ご参考までに。
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Name: おさむ
Date: 2013/02/16(土) 05:21
No:4928
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Title: Re:戒名や法事について
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早速の返信ありがとうございました。 もう一度父と話し合っていきたいと思います。
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Name: おさむ
Date: 2013/03/07(木) 20:57
No:4938
| 解決
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Title: Re:戒名や法事について
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解決となっているところ、追記をさせてください。 父に「お寺につながってほしい、それぞれの田舎にお寺を紹介してもらえないか聞いてほしい」と何度か頭を下げて頼みました。 重たい腰を上げてくれました。そして一つの寺を紹介していただき戒名&法事の依頼を受けてもらえることになりました。 私も父も辛抱強く意見を交わしました。 母の死をきっかけに、形だけの家族が本音を言い始めた感じです。
ここで質問させていただいたときは本当に途方に暮れていました。 気持ちを書き込んだことやアドバイスをいただけたことは貴重な体験でした。 こういう場所があって救われました、ありがとうございました。
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Name: りえこ
Date: 2013/02/27(水) 16:04
No:4931
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Title: 戦士した義父について
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お世話になります。宜しくお願いします。
亡き主人の父についてご相談させていただきます
昭和19年に父は戦死し、遺骨もなく、最近、私の息子がこの、祖父のお墓参りに行きたいと言い出し(主人は一度も墓参りはしませんでした)遠方のため、電話でお墓を確認しましたら、どうも どこにも、お墓がないのです、 わかるのは戸籍謄本から、戦死した場所、日にちだけです。 戦死して70年近く過ぎてますから、お墓探しも困難です。 息子は 自分の父親の墓の墓誌に戒名、名前を刻み、後々まで残し、日本のために尊い命を亡くした祖父を讃え、子孫に伝えたい気持ちと供養したい気持ちとのことです。
どのようにしたら良いでしょうか?
俗名のまま、刻むが良いか? 戒名を自分達で考えて 刻むが良いか?(無論、本来はご住職様に授けて頂くのが良いことはわかっていますが、主人は住職様より戒名を授けて頂き、墓誌に刻んであります)
お考えをお願いします。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/02/28(木) 09:50
No:4933
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Title: Re:戦士した義父について
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
お寺にお墓を作る(お寺のお墓でお祀りする)ならば、そのお寺の住職さんに戒名をいただくということがスジです。ただ、住職さんの考え方によるのですが、あえて戒名をつけずに階級・叙勲・俗名(たとえば勲一等功二級海軍大将山本五十六とか)のまま併せて戦死地・日時を刻しておくのも戦死者の方への礼になるかと感じます。
私としては、戦死されたならば本籍地か招集された時点での住所に戦死公報が送られてきているはずで、それを受けて葬儀がなされている(つまり戒名や墓所もある)のではないだろうか? と考えてしまいますが、いかがなものでしょう。 いずれにせよ、死者のことを記憶し続けることが「供養」というものの本質ですから、何事かをなさることをお勧めいたします。
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Name: 幸
Date: 2013/01/29(火) 08:07
No:4921
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Title: 御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。
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初めてお伺いしました。田舎の父の住む町の曹洞宗の大ご住職様が亡くなり檀家に回覧板が回ってきました。過去の頂いた戒名ランク毎にお香典が決められたものです。家ではその昔院号を授かった事もあり最高額です。
実家は父母、85歳に84歳二人暮らし、農業年金とわずかな小作料のみの生活です。母は認知症で週4回介護施設に行っています。食生活やら電気代を切り詰めて生活しています。何かおかしいと思います。震災で職を失ったり、2つ掛け持ちでアルバイトをしたりしている離れて暮らしている私達もこの決まりに何の太刀打ちも出来ません。昔少し村で裕福だった頃の見栄をまだ持ち合わせる父をただ見つめるだけです。
戒名毎に金額を決めた方もですが、お寺さんにはそのような慣習を常とされているのでしょうか。 戒名を頂いた時にそれ相当のお布施?をさせていただいたからではの院号なのだと思います。
私は今出来る事をさせてもらうで好いと思います。
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Name: 幸
Date: 2013/01/29(火) 22:08
No:4922
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Title: Re:御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。
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仏教関係のサイトのどこを見てもご住職が亡くなられたとき檀家等のとるべき道について書かれてあるものは見つかりません。日本津々浦々何百と寺社があるんです。小さな町に2つ3つ同じ宗派のお寺があります。その中でこのサイトのように悩みや相談を受け付けて書き込めるのは他に一つあったかどうかでした。 御住職ご自身が自分の寺のサイトを持ち発信させていかれる試みもなかなかうまくはいかないのでしょう、若い人向けになってしまいますから。しきたり等の中に縛られて甘んじているのも私達とお寺さんも変わらないのかも知れません。
先の問題についてです。檀家の方達のお考えで個人がどれ位の香典を包んだらよいか悩むことがない様にされたのだと思います。ただお寺の若住職さまの賢明なご判断が必要だったと思います。このとき村で3件の方が他のお寺さんに変わったそうですので。 もともと仏教は人が死んだ時のものではなかったはず、どうしてそうなったのでしょうか。正しく広めることが出来なかったのはどうしてなんでしょう?
もう既に救われている、 幸福は不幸の中にある、 貧乏でなければ平和を知ることはできない。
よい教えは沢山あるので私は嫌いにはなれないのです。
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Name: 天台沙門
Date: 2013/01/30(水) 00:10
No:4924
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Title: Re:御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。
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某政令指定都市の天台宗寺院を預かっております立場から。
少なくとも、私の所属する都道府県の天台宗の寺院同士では「寺格」や「僧階」によって香奠の金額を上下させることはありません。「お互い様」ということで(多くの場合)一万円との申し合わせがあります。まあ、企業や団体の慶弔規定みたいなものです。他地域や他宗さんについては存じ上げません。 当然ながら、故人との関係・寺と寺との関係によって申し合わせとは別にさしあげることはありますが、この感覚を敷延すれば、檀家の「家格」や「戒名」によって香奠の金額に差をつけることはおかしいといえますが、ただし、通例の法要の布施料を「正札」によって行っている寺院においてはスジの通った対応ということもできます。
>戒名を頂いた時にそれ相当のお布施?をさせていただいたからではの院号なのだと思います。
この件に関する寺院側の感覚は「院号」とは「寺を維持管理するうえでの権利と義務の表象」です。「院号の家格なのだから、檀信徒会などでの相応の発言権は認めるが、他の院号格の家と同等の負担をすることも当然だ」というわけです。地縁組織と檀信徒組織がダブっている地域では、そういった感覚が強いのではないのでしょうか? もっとも現実問題として、「それ相当のお布施」に対して「院号」を授けることはあります。それが「戒名を売買すること」であれば、一代限りの義理というもので後代の人は寄付に対して応じる必要もありませんが、以後の寺檀関係において他の院号並の方々と同等の関係を維持することもありません。
>私は今出来る事をさせてもらうで好いと思います。
これはこれとして当然のことです。 ただし「香奠」というものの本質は「葬儀の費用を皆で分担する」という点にあります。この意識と、上記の権利義務関係の感覚が一緒になると、院号格の檀家から多額の香奠という結論になります。
>もともと仏教は人が死んだ時のものではなかったはず、どうしてそうなったのでしょうか。
最大の理由は、経済的な支援を国家から受けられなくなった組織は一般民衆に経済的基盤を求めるしか組織存続の方策がないから、です。また日本に特有の事情として、江戸期における対キリスト教政策としての寺請制度の存在があげられます。
もっとも釈尊その人も「人が死んだ時の行為=葬儀」をしておられます。仏伝では「キサーゴータミー説話」と呼ばれますが、子を喪った母親にその死を受け容れさせるための説法をなさっておられます。 仏教そのものが釈尊の「生老病死」への自問から始ったことを考えれば、仏教が人の死にあたって生者に対し「死の受容」・「死の不安からの解放」・「心の平安」のためのなにごとかを行うことは当然の行動といえます。
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Name: 幸
Date: 2013/01/31(木) 14:06
No:4925
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Title: Re:御老住職様への定められたご香典 こんな事もあり。
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天台沙門様 大変分かりやすいご説明を頂きありがとうございました。院号というものに義務と権利が伴うことや、本来の香典の意味を知ることができました。また仏教が組織存続の為に一般民衆に経済的基盤を求めたという事も納得がいきました。宗教法人には税金が掛からないという保護はありますが。 寺院が人の死、葬儀、法事、そしてお墓に携わるのは生者に対し「死の受容」という救済のための行動ということにも、また必要とされる方も多いとよく分かりました。
寒ければもう一枚毛布が欲しいな、お腹がすけばご飯がたべたいな、疲れたらちょっと休みたいな、、、。みんな同じなんだと思いました。生きている今心の平安と喜び悟りが人の求めるところなんだなぁと。 大変ありがとうございました。
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