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  過去帳の菩提寺は?

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Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/07(木) 16:38   No:4936
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Title: 過去帳の菩提寺は?    
次の場合、過去帳の菩提寺の項は次の(1)〜(3)のいずれを書けばよろしいでしょうか?

(1)本家の菩提寺=遠方にある真言宗大覚寺派の寺
(2)私の生前墓=近隣の和宗の寺。寺の外で御経は上げない。
(3)家に来て御経を上げて下さる寺=近隣の高野山真言宗の寺。

※本家の墓は、遠方の真言宗大覚寺派の寺にありましたが戦災で不明となり、今は私の生前墓の隣にあります。



Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/07(木) 19:26   No:4937
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Title: トピ主です。(付け足し)    
私は次男で、本家の墓に入れないので終活の一貫で生前墓を建てました。

私の墓のある和宗の寺は、宗派を問わずお墓を建てられます。
また檀家制でなく僧侶は境内での仏事のみに専念されているそうで、檀家を訪れて御経を上げることはしないということです。
私の墓の開眼供養は、当然ながらこの和宗の寺の境内にあるのでこの寺の僧侶にしていただきました。

新しく購入した仏壇の開眼供養は、墓のある和宗の寺の僧侶に来ていただきたかったのですが、前述の通り不可なので、本家の元々の墓があった真言宗大覚寺派のお寺に手紙で相談して紹介していただいた近隣の高野山真言宗のお寺です。

またどこかのサイトでみたのですが、菩提寺というのは授戒を受けた寺のことだと記されていたので、付け加えておきますと、私はこの和宗の寺で去年授戒潅頂会に参加しました。今年も来年も参加する予定です。

かと言って真言宗から和宗に宗旨替えする(した)つもりはありません。
自分の考えですが、過去帳の菩提寺の項は、和宗の寺と本家の墓があった真言宗大覚寺派のお寺を併記してはおかしいでしょうか?



Name: 天台沙門
Date: 2013/03/08(金) 09:53   No:4939
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Title: Re:トピ主です。(付け足し)    
結論から申し上げれば、今後とも真言宗の法義で法要を営まれるのであれば、ご本家のお寺を優先する形での両寺併記でよろしいと考えます。


以下は余談です。

本来、「菩提寺」と「導師」とは、個別の概念です。
「菩提寺」とは、先祖から子孫に到るまで一族郎党の菩提を弔ってもらうための寺、という意味です。過去にそのような寺をもつことができた人々は、貴族・豪族といった権力と財力を持った一部の人々でした。しかし、江戸時代に(反キリスト教政策のための)寺請制度ができあがると、すべての人々が特定の寺に所属することが必要となり、現在の「葬儀の場=菩提寺」という制度ができあがりました。
そこで「導師」なのですが、これは「戒を授けてくれて、仏道に導いてくれる師僧」というわけで、貴殿の場合には和宗での伝戒潅頂和上が「導師」にあたります。
貴族(平安貴族とか江戸の武家とか)では、まず導師がいて導師を招いて寺を建立して菩提寺にしたという過程でしたし、寺請制度に引き続く民衆レベルでは葬儀を司る菩提寺の住職がそのまま導師になるということが普通です。

そういったわけで、「菩提寺」には「先祖の菩提を弔う寺=墓」・「自分自身を弔ってもらう寺=墓」・「導師がいる寺」という意味があるわけでして、家・族の意味が薄くなったり人の生活範囲が広域化するにつれて、一ヶ所で間に合っていた菩提寺の機能が複数の寺に分散されるようになったのが現在のありようといえましょう。


Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/08(金) 15:20   No:4940
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Title: 過去帳の「祖」の項    
お答えありがとうございました。
過去帳は、言われる通りにするのが私もすっきりします。

因みに終活の一貫として自分の葬式は、この和宗の寺で執り行ってもらうよう遺言するつもりです。

もうひとつお聞きします。

過去帳に「祖」を書く項、おそらく先祖を書くということだと思いますが、これは本家の墓に刻んである祖父母以降でもよろしいのでしょうか?
それとも遡れる限り遡って書くのがよいのでしょうか?

これも終活の一貫として家系図の作成を代行する業者(行政書士事務所)に依頼していますので、ある程度は遡れると思いますが、戒名などは分からないと思います。

どうぞよろしくお願いします。





Name: 天台沙門
Date: 2013/03/10(日) 15:45   No:4944
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Title: Re:過去帳の「祖」の項    
父系母系に関わらず、判明なさる方々すべてを記載なさるほうがよろしいかとは考えます。

しかし、先祖は遡ればそれだけ人数が増えます(2の世代数乗)し、伯叔とその子孫という系統も含めると、さらに人数が増えてしまいますから、そのへんの折り合いの基準については何ともいえません。

戸籍(死亡年月日と生命)と菩提寺がわかれば、保管されているはずの埋葬許可証によって戒名もわかるかな、とおもいます。
大切なことは、「その人」が存在していたということを後代の人間が記憶するということですから、菩提寺を探し戒名を調べるという件は二の次としてよろしいのではないでしょうか。


Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/15(金) 08:35   No:4948
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Title: Re:過去帳には戒名の分かる祖だけか否か?    
再びお答えありがとうございました。

本家の菩提寺は、先の大戦で墓石さえ分からなくなるほど爆弾の直撃を受けたそうで残念ながら過去帳も焼失したそうです。

従いまして現在行政書士に依頼している家系図作成代行を待って、過去帳に記入するようにしようと考えますが、戒名は無記入でも構わないでしょうか?
それとも今の本家の墓に刻んである戒名の分かる祖父母からでいいでしょうか?

何度もすみませんがよろしくお願いします。


Name: 天台沙門
Date: 2013/03/22(金) 09:57   No:4954
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Title: Re:過去帳には戒名の分かる祖だけか否か?    
回答遅くなり失礼いたしました。

私は「戒名のわかる人のみを記載する」よりも「存在のわかる人の名を俗名・戒名に関わらず記載する」方針をお勧めします。



私は「先祖供養」とは「現在の自分につながる人々を記憶すること」と理解しております。
日本の場合には仏教儀礼と結びついたために、過去の人々を戒名(=死者としての名)で記録する文化が一般化しているに過ぎません。
仏教の本質(釈尊その人の教え)からすれば、自分自身は様々な因縁によって存在しているわけですが、先祖という過去の人々が因縁となるだけでなく、現在一緒に生きている人々もそれぞれ互いに個々人の因縁ですし、おそらくは自分が因縁となる将来の人々についても「記憶」しておくべきでしょう。
そういった自分に縁(=関係)のあるすべての人々を代表し象徴する存在として「先祖」がいらっしゃるのですから、別に戒名という仏教的慣習にこだわる必要はないと考えます。


Name: 煩 脳多
Date: 2013/03/22(金) 17:20   No:4955
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Title: ありがとうございました。    
天台沙門様

大変よく理解できました。
慣習にこだわらず判る限りの御先祖様を記そうと思います。
これまで大変丁寧なお答えをいただき深く感謝致します。
ありがとうございました。





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