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  改宗について

[4971] mm
[4972] 天台沙門

Name: mm
Date: 2013/05/09(木) 16:51   No:4971
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Title: 改宗について    
宗旨替えについてお聞きしたいことがあります。
我が家は代々、浄土真宗です。
ですが、私は個人的にお世話になっている真言宗の住職がいます。
非常に親身になってくださって、常日頃から、ご祈祷などお世話になっております。
また私の実家には母方の親(祖母)が一緒に住んでいます。
祖母は当然、別性ですし、お寺も父方とは違います。(宗教は同じです)
つい最近、祖母のお寺の住職が亡くなり、養子に来られた新しい方がお寺の後継となりました。
私の父は存命ですが、いずれは息子である私が引き継がなくてはなりません。
そこで私は、真言宗へと思い切って改宗したいと思っているのですが、父がどうしても納得できないようです。
「子々孫々、宗教で繋がっているので、宗旨をかえてはいけない。宗教を替えると言う事はご先祖様との縁を切る事だ。」と言っています。
私は、ご先祖様には、供養する心があれば宗教はどこにしようが良いと思っているのです。
ただ、お経を上げていただく住職は心のある誠実な方が良いと考えています。
このような場合はどうしたら良いでしょうか?
また、我が家は、祖母方の仏壇があります。
父がいずれ亡くなった場合には、父の仏壇が必要にもなってきます。
正直、困っております。
何か良い解決方法があれば、お教えください。
宜しくお願いします。



Name: 天台沙門
Date: 2013/05/10(金) 08:52   No:4972
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Title: Re:改宗について    
ハンドルの通り、天台を宗とするものの立場から。

結論からいえば、真宗のお寺とも真言のお寺ともおつきあいをすればよろしいと考えます。先祖供養は真宗式で行ない、ご自身の日々の修行やご祈祷は真言式で行なえばいいのです。

ご自身は弥陀の本願による往生を信じていらっしゃいますか? それとも大日如来と一体化する成仏を願っていらっしゃいますか? 安心のためには、どちらかを選択せねばなりませんか?

私が宗とする天台では、朝の勤行では法華経による懺悔を行ない、夕の勤行では阿弥陀経による往生を願い、適宜に護摩供に代表される密教の修法を行い、時間が許せば座ったり歩いたり止観行を行ないます。それこそ「供養する心があれば宗教はどこにしようが良い」のです。本尊が阿弥陀如来だろうが大日如来だろうが、どちらでも善いではありませんか。



以下は余談です。



日本の信仰史を踏まえると、宗派・宗旨を気にするようになったのは明治以降おそらくは戦後のことと考えてよいのではないでしょうか。

日本人が先祖供養のために特定の寺との関係を持つようになったのは江戸時代の寺檀制度からです。個々人というか家が特定の寺との関係を求められ、同時に寺は本末制度によって特定の宗派との関係を求められました。人にとって先祖供養をする寺が特定され、寺によって宗派が特定されます。選択の自由はなかったのです。もっとも、多くの人々にとって菩提寺以外の宗旨の寺や神社に参拝しても問題もありませんでしたし、多くの社寺もそれを妨げませんでした。信仰の自由は制限つきながらあったといえましょう。
ちなみに明治以前は「宗教」とは「仏教」そのもの(正確には神仏習合システム)を示す言葉でした。明治以降、「仏教」・「神道」・「基督教」を包括する言葉として「宗教」が底上げされました。

近代の特徴は「概念の分節化」です。専門化といっていいでしょう。
信仰体系の内部では、神仏分離と排仏毀釈によって明治以前までの信仰システムが破壊されます。これに対する仏教の近代化の結果、座禅や念仏や唱題という簡潔な宗旨(いわゆる鎌倉仏教です)の純粋性が近代的として仏教の本流とみなされます。分析的に構成された鎌倉仏教が主流となり、総合的に構成された平安仏教(真言・天台です)は傍流になりました。必然的に、他宗の方法を学ぼうとする態度は純粋さを損なうものとして忌避されますが、他宗との関係を避けようとする傾向は伝教大師と弘法大師の関係に始まりますから、天台宗徒は偉そうに批判はできませんね。

ともあれ、自身の宗旨を貫徹しようという態度は近代的な態度として意味があることです。ただし、その根拠が「家の宗旨だから」という理由と「自分が信じているから」という理由は別次元の問題であることはすぐにわかります。
そこで上記の質問に戻るわけです。

弥陀の本願による往生を信じていらっしゃいますか?
それとも大日如来と一体化する成仏を願っていらっしゃいますか?
安心のためには、どちらかを選択せねばなりませんか?

そもそも、来世(あの世・冥界)は実在するのでしょうか?





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