Title: Re:ご相談です
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明治までの1000年以上の永き年月において、 寺院(仏教)と神社(神道)は神仏習合であったという実際的な歴史があります。 なので、いた堪れず縋るような想いで神社に参拝することも、まったく何も問題ありません。 自己の罪を見つめ、水子の救済を願うその心と祈りの行為そのものが尊いのです。 諸事情があっての中絶はまったく致しかたないことです。 ですから、どうかご自分をあまり責めないで下さい (そして、中絶は人への殺生の罪の中で最も軽いものです)。
私からの薦めとしては、 自宅で、「○○水子之霊位」と書いて(○○は、「〜家」または名前を予定していたのならばその名前)、 簡易的に作った位牌(紙製でも良い)へ手を合わせることです。 手頃なもので良いので、燈明(ロウソク)とお線香を焚きお供物を捧げてください。 ご自身で何回忌まではその供養を続けると誓願されると良いと思います。 そして、水子の救済には地蔵菩薩があたられていますから、 お地蔵さんにはよく手を合わせるようにしてください。 毎月24日は地蔵菩薩のご縁日なので、この日をより大切にすることです。 真言を七偏、「おん か か か び さんま えい そわか」と唱えられるとより良いと思います。 それから、この私も何度かお世話になっていますが、 成田山などの寺院では、塔婆のような水子供養のお札があり(2千円程度)、 これに手を合わせてからその場で奉納しますと、一定期間の毎日を寺院の僧侶が読経して下さいます。
もしも、本格的な供養を希望される場合には、 水子供養に力を入れている寺院や地蔵菩薩を本尊としている寺院に相談されると良いと思います。 本物の位牌をつくって地蔵菩薩の尊像もお招きするなどとなれば、当然、それなりの出費は必要となります。 それから、『地蔵菩薩本願経』を読誦すると効果が大きいともいわれています。
とにかく、あまり無理のない範囲で、 今のその供養の想いをそのまま大切にされて下さい。 貴女様に幸がありますように ---合掌
---余談--- ちなみに、神道(神社)の見解によれば、 人は誰でも皆、死んでからは「神」(神々)となって家族(子孫)を守護するものとされています。 もし、本当にそれが真実ならば良いのですが、果たして人間そう旨くいくものでしょうか?
仏教では、 人は生前の行為や業(不徳や功徳による作用)によって死後の行き先がそれぞれ異なるとする因果応報を説きます。 そして、そのことはブッダ(お釈迦様)自らが大いなる超常的な能力によってすべてを見通され、 そのことを確認した上で教えられたものであり、 それが経典として文字として伝えられたものが今日まで仏教となって信仰されています。 ブッダは、「供養」は死者の死後の生活を援けるものであり、 そして、供養する施主の果報(功徳)となるものであるからこれを行うよう説かれました。 対しては、神道には人の死後について見通され確認したという人物の歴史的な記録はありません。 当然、そのことを教える経典のようなものもありません。
尚、日本仏教の宗派の一部には、 神社への参拝を良しとしない(推奨をせず、できれば参拝しないようにとする) ところがあるということは、一応、お伝えしておきます。
〜ご参考まで
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