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Name: 引き寄せの法則
Date: 2022/02/11(金) 13:06
No:5720
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返信 引用 編集 |
Title: 善い行いを積むことで幸運が起こる?
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よくスピリチュアルや自己啓発本などで、人に親切にしたり善い行いをしたりすると幸運な出来事が引き寄せられると書いてあるものが多いです。 これって本当でしょうか? 善人だと世間で言われてた人がニュースになるような事件に巻き込まれたり、パワハラで何人も傷付けてきた人物が、大出世して会社の重要ポストに就いたりしている人を何十人と見てきましたが、これはどう説明がつくのでしょうか? 良いことをしても幸福になれるとは限らないし、悪いことをしまくったとしても不幸な出来事は起こるとも限らない。これが人生の真実ではないかと思っています。 私は会社で善人でもないですが、人を落とし込めようといじめたりもしませんが、逆にトラウマになるほどいじめられたことがあります。
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Name: 一求道者
Date: 2022/02/12(土) 12:39
No:5721
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Title: Re:善い行いを積むことで幸運が起こる?
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貴方の理解は基本的には間違っていないと思います。 世の中と人生というのは一見すると、まさにそのような理不尽だらけの状態にあるのです。
尚、仏陀の説かれた因果の法則(縁起の法)というのは、 猛勉強して合格に達する実力を身に着けたからその通りに合格したとか、 路上で困っている人を援けたら御礼に何々を頂いた...というような、誰にでもわかりきったことではなくて、 生まれついて自分の意志ではどうにもならない諸条件 (肉体の状態や出生した家系と場所など...)を決定づけたのは、 すべて前世における業(自分の行為の結果としての総決算)によるものであって、 それは何一つ、偶然によるものではないということ。 また当然、今生におけるすべての行為の結果は、 死後において総決算されて次の行き先(生まれつく諸条件)が決定するのだということです。 つまり、生まれ先を決定づけるのが業の働きだということであり、 人間は必ず六道(本来は五道)のいずれかの世界をグルグルと輪廻して生まれ変わりを続けているというもの。 なのでまた、いつ再び地獄餓鬼畜生の恐ろしい世界で生きなければならないかもしれないというのが人間です。 この六道の輪廻から完全永久に脱する方法を説いたものが仏教なのです。 また実は、人生において不合理な事件に巻き込まれることすらも前世の業による場合ということも在り得ます...。
“そんなことは信じられない”という人も大勢いるかもしれませんが、 しかし、これらが本来、仏陀が説かれた実際の教えであり、 これこそが仏教の最も中核をなす重要部分であることについては、 この私は、いくらでも経典の聖句を取り上げていつでも提示することができます。
ただ近年は、この仏教の基本中の基本すらも信じないという愚かな生臭坊主たちが増え続けているのが実情です。 仏陀は、ご自身の大いなる超常的な能力によってそのことを実体験し、 すべて確認した上でこの教えを説かれたのですが、 それを後代の作り話だといって嘲笑するアホ僧侶たちがゴロゴロといるのがこの日本仏教界の実態です。 また、今の日本僧侶たちは、聴衆からそのことを「証明しろ」と言われたり、 「それは差別思想だろ!!」などと(生まれの違いを自業自得とみなすことに対して) 批難されることを避けるべく殆どこのことを説かなくなりました...。 なので、説法(法話)の話というのは日本人受けがいい先祖供養の話ばかり (仏教の中心的話ではないにも関わらず)となりました。
>よくスピリチュアルや自己啓発本などで、 >人に親切にしたり善い行いをしたりすると幸運な出来事が引き寄せられると書いてあるものが多いです。
単純にコレコレと結びつけることは難しいと思います。 が、しかし、あながちまったくのデタラメということにもならないというのは、 高次の存在(肉体を持たない)というのは自分よりも下位の存在を援けようという意識があるからです。 その場合には、努力して生きる善意の者とそうではない者とでは、当然、その違いがあるでしょう。 また、仏教には「真実語」という教えがあります。 つまり、“真実の言葉”には力(事を成し遂げる不可視の神秘力)があるというものです。 たとえば、読経によって神秘力が生じるという思想も実にそこから来ています。 経文というのは、諸仏によって真実(森羅万象についての真如実相) そのものを説かれた言葉だとされているからです。
最後として、 たとえ誰も視ていず誰からも評価されなくても、 自分の努力と善にもとづいた行為の結果は必ず死後にその果報があるということ。 そのことを信じて地道に邁進してまいりましょう。
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