貫太が逝って1ヶ月が過ぎて、もうすぐ満中陰になる。 貫太のいない生活に徐々に慣れては来たけれど、時々家の中に彼がいた頃の面影を見てメソメソと泣いてしまう。 それを我が家では 「貫太スイッチ」と呼んでいる。 「貫太スイッチ」はいとも容易く入る。 彼が使っていた器を見て、椅子を見て、敷物を見て。彼が残した白い毛を見て。階段や廊下を見ても涙が出ることがある。 でも立ち止まって考える。 仔猫の頃からの鼻気管炎、10歳を越えてからの癲癇発作、そして腎不全を患いながらも立派に生きた。 生き抜いて貫太は18歳5ヶ月、しっかり天寿を全うしたではないか。 その完璧な死を受け入れることができず、いつまでも生前の姿を思い出して涙を流すのは私の「感傷」だ。 私の中の彼への愛着がいつまでも私に「スイッチ」を入れる。 愛しくて愛しくてたまらない思いがいつまでも涙を流させる。 彼のために泣いているのではない。自分のために泣いているのだ。 生まれ変わってまた来世で会うことを信じて、スイッチを心のずっとずっと奥に仕舞っておこう。
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