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Name: mimi
Date: 2025/04/19(土) 17:23
No:33897
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Title: 在宅介護していた母が苦しみながら亡くなりました。
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87歳の母は亡くなる1日前から痰が急に上がってきて、吸引する際も嫌がりもがきました。それまでも、苦しい、苦しいと連発していました。その後、苦しみの中意識が亡くなり、その数時間後に息を引き取りました。眠るように亡くなって欲しいと在宅介護をしていたのに、苦しませてしまったことを後悔しても後悔しきれません。あの苦しそうな顔が脳裏に焼き付いて可哀想でたまりません。年齢的には亡くなることは仕方ないと思いますが、苦しませてしまい、胸が張り裂けそうです。人に尽くしてきた母なのになぜ最後はこんなに苦しまなければならなかったのかと思うと理不尽で辛くて悲しいです。もちろん、溺れたり、殺されたり、もっと苦しい思いをされて亡くなる方はいるでしょう。だからと言って母はマシな方だ、とは思えません。人間は、本当に死ぬほど痛い時、苦しい時は(、例えば刺されたりとか)脳から何かモルヒネ?みたいな物質が放出され苦痛を感じないと聞いたことがあります。もしそれが本当なら母も救われるのですが、実際どうなのかわかりませんよね。母は苦しみから解放されましたよ、と言われても、死ぬ時、あんなに苦しんでしまって、それまでの母の幸せだった日々が帳消しです。後悔ばかりで涙が止まりません。いい歳してと思われるでしょうけれど、母への想いが強すぎるのでしょうか。何かお言葉をいただければ幸いです。
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Name: いろは
Date: 2025/04/20(日) 00:20
No:33900
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Title: Re:在宅介護していた母が苦しみながら亡くなりました。
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お母様のこと、お悔やみ申し上げます。 「幸せだった日々が帳消しです」とのことですが、そんなことを言ったら、人間みんな帳消しですよ。どんなに努力して苦しんで生きても、幸せに生きても必ず死にます。しかも、どうやって死ぬかも決められません。
いつ死ぬかも、どう死ぬかも分からないから、人は一生懸命生きるのではありませんか。勝手に人の人生を帳消しなどということ自体が、私は腹立たしいです。人が懸命に生きたその軌跡を何だと思っているのかと思ってしまいます。
死ぬということは「破壊」です。身体が壊れ行くとき、痛みがあるのは致し方ありません。生きていても、動かないでいると痛みがあるように、身体とはそもそもが痛みの感覚しかないといわれます。痛みを避けて、避けて生きているんですよ。
身体の痛みへの苦しみと心の苦しみは異なります。身体の痛みがあっても、それをどう受け止めるかは、どれだけ自身が心を育ててきたか、成長させたかによります。
お母様の人生はお母様の人生です。幸せがあれば苦しみもあるのは当然です。両方あっての人生ですよ。 最後の最後の苦しみでもって、勝手に人生の幸せを帳消しになどしないで頂きたいです。お母様、よく頑張られたのではありませんか。どうか、最後まで頑張られて生きたことを否定しないでいただきたいです。
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Name: 在家
Date: 2025/04/20(日) 10:13
No:33901
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Title: やさしい仏教講座
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「生老病死」は仏教では四苦と言って、人間の苦しみは産道から始まっています。 つまり人間が苦しまないためには生まれないことしかありません。 生まれないためには悟りを得て輪廻から解脱するか、あるいは神仏になるかの2つの方法があります。 仏教はそのための道です。
生きていても悟りを得れば、それ以後の苦しみはなくなります。 悟った人は病気のときも死ぬときも痛いとか身体の反応はありますが、苦しくはありません。 「痛くても苦しくない」というのはピンとこないと思いますが、インドのマハトマ・ガンジーは麻酔なしで盲腸手術を受けながら周りの人たちと談笑していたそうです。 それは我慢していたわけではなくて、痛み(感覚)が思考と連鎖しないのです。 だから彼はピストルで暗殺されましたが、きっと苦しくも悔しくもなかったでしょう。 あなたも泣き言に留まらず、自分で意を決すればそうなれます。
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Name: mimi
Date: 2025/04/20(日) 20:13
No:33902
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Title: 在家様
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四苦八苦、自分の苦しみは自分で乗り越えます。母が苦しみのまま亡くなったことが無念です。しかし、もう過ぎました。母は安らいでると思います。ありがとうございます。
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Name: mimi
Date: 2025/04/20(日) 20:16
No:33903
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Title: Re:いろは様
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。勝手に人の人生を帳消しなどということ自体が、私は腹立たしいです。人が懸命に生きたその軌跡を何だと思っているのかと思ってしまいます。
おっしゃる通りです。母は苦労も多かったですが、最後は娘たちに看取られて幸せだったでしょう。もう安らかに眠らせてあげることにします。ありがとうございました。
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Name: 在家
Date: 2025/04/21(月) 06:46
No:33904
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Title: Re:在家様
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そうですね。死の苦しみは一過性のもので過去は過ぎ去ったことです。 遺族が過去を引きづっていると故人も幸せになれませんので、今は感謝と喜びを手向けてください。
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Name: ゆうこ
Date: 2025/05/26(月) 10:38
No:33920
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Title: mimi様へ
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はじめまして。
4年前、私の母(享年86)の、在宅介護で目にしたことは、「いろう」と言って、胃の中にチューブで栄養を流しこむ処方をやっておりましたが、 とにかく、痛いのか嫌がって嫌がって、ヘルパーさんが来るたびに 怖がっていましたね。 それに、痴ほう症も進み、私(娘)の顔を見ても「あんた、誰?」ですからね。
体もやせ細り、見ていられませんでした。 もう、寝たっきり。
普段、遠方に住んでいた私は、たまにしか介護できないことを 母に泣きながら詫びました。 「いつも、ごめんね。放っておいて」
その時、母は、仏壇のすぐそばに寝ておりましたが、 目を覚まして「〇〇子、泣いたらアカン」って私の名を呼んだんです。びっくりしました。私の名前なんて忘れているはずなのに。
そして、私、その仏壇に祈りました。 「仏様、母をいい世界にお導き下さい。ここで、こうしていても 母は、ちっとも幸せじゃない。どうか天国にお導き下さい」
本当なら長生きさせてやるのが子供の務めとは思いましたが、 介護を主力でやっている私の妹や、ヘルパーさん方々のご尽力が 本当に申し合訳なくて、そのような祈りをしてしました。
その次の朝、妹から電話が入り、「お母ちゃん、亡くなったわ」 でした。 妹に礼を言い、すぐさま母の元に飛んで行きました。
これで良かったのかどうか? 仏様にあのような祈りをしてしまったことが良かったのかどうか? 悩みました。
しかし、今、母は、天国で私たちを見守ってくれていると 信じています。
そして、この3月に44年連れ添った私の主人が肺腺癌のためにこの世を去りました。 アッと言う間に,逝ってしまいました。
「生・老・病・死」これは、生きている皆が経験することであり、 残された者が、その意味を体得し、しっかり聞きなきゃいけないと言うことなんでしょうね。
本当、この世は、生きることの道場のような気がしております。
しかし、その道場のなかにいても、ささやかな幸せを感じることもあり、今、私の幸せは、神社・仏閣にお詣りさせていただくこと。
これに勝る幸せはありません。 仏様の波動が未熟な私を包み込んで下さるようで。
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