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Name: クッキー
Date: 2018/06/05(火) 18:56
No:5605
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返信 引用 編集 |
Title: 手元供養している場合の供養
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去年、妊娠中期で赤ちゃんを亡くしました。 お骨を手放すことが出来ず、現在まで手元供養しています。 主人が長男なので、お墓に納骨するなら主人の実家近くのお寺さんになりますが、 実際どうするかは未定で、当分は手元供養という形を取るつもりです。
まだ一度もお経を読んでもらった事が無く、 もうすぐ一周忌になるのでこのタイミングでお経を読んではもらえないか… と考えていました。
主人の実家は遠方のため気軽には行けず、 また納骨はまだしないのにお経だけ読んで欲しい、という事も義両親には言えず…
家の近くの水子供養をしているお寺さんに、 こういう場合でもお経を読んでもらえるのか? と問い合わせをした所、やはり「納骨をするお寺でお経を読んでもらうのが筋」という事でした。
このまま一度もお経を読んでもらう事無く手元供養をして良いのか? と不安に感じます。
手元供養をしている間は、お寺さんに供養をして頂かなくて問題無いのでしょうか。
宜しくお願い致します。
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Name: 天台沙門
Date: 2018/06/07(木) 21:50
No:5606
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引用 編集 |
Title: Re:手元供養している場合の供養
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某政令指定都市に所在する寺を預かる天台を宗とする者の立場から。
Q:手元供養をしている間は、お寺さんに供養をして頂かなくて問題無いのでしょうか。 A:このように貴方がお感じであるということは問題があるということです。儀式を行なわないことで「不安に感じます」ということですから、一周忌法要を行なって不安な感情をとりはらうべきとお勧めします。
※
はっきり申し上げますが「納骨をするお寺でお経を読んでもらうのが筋」であれば「納骨されていない本山での先祖供養御は筋ではない」ということになります。そんなご宗旨はありません。
さて。
他の稿でも繰り返し述べていますが、生者が死者に対して「なにごとかをしたい」という気分をもつのは、生者が死者に対するもうしわけなさをもっているからです。
具体的にいいますと水子供養というものは、母親が産むことができなかった子に対する「もうしわけなさをもっている」感情を逆手にとったものです。しかし、産まれてから百日以内に亡くなった方に対しては「そもそも産まれていない」と考えることによって幼い子を亡くした哀しみをおさめようとする習俗もありますから、供養をしない/供養をする必要もない、という考え方も合理的といえます。
納骨をするかしないか、と一周忌(亡くなった方にとっては冥界での最初の誕生日)をするかしないか、は別次元の問題です。ですから、私はお子さまに対して、それなりの儀式をなさることをお勧めします。産まれなかったにせよ人として存在していた以上は記憶にとどめるべきから。
※
以上、ご参考までに、
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Name: クッキー
Date: 2018/06/10(日) 00:25
No:5607
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引用 編集 |
Title: Re:手元供養している場合の供養
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天台沙門様
ご回答いただきありがとうございます。 仰る通り、私は一周忌に儀式を行う事で安心したいのだと思います。
>「納骨されていない本山での先祖供養御は筋ではない」ということになります。そんなご宗旨はありません。
安心しました。 供養を行って頂けるお寺さんを探してみようと思います。
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